第18話 瑠璃色の皿

 その日の夜。


 私は彩鈴さんが寝静まったのを確認すると、こっそりと部屋を抜け出した。


「おーい、明琳ちゃん、こっちこっち」


 庭で手を振っている誠羽さん。月光に白いかんばせが照らされて、まるで月の姫みたいに綺麗。


「お待たせしました」


 私が頭を下げると、誠羽さんはぐいと私の腕を引っ張った。


「じゃあ、行こうか」


 楽しそうにぐいぐいと私を引っ張っていく誠羽さん。


 もう、見た目によらず強引だなあ。


 私は黙って誠羽さんの後を付いて歩いた。


 着いた先は、掃除道具や火鉢の入った物置小屋だった。


 誠羽さんが小屋の一角をガタガタと揺らすと、壁の板がパカリと外れた。


「ここ、後宮の外の馬小屋とつながってるんだ。僕の秘密の抜け道」


「へえ、そうなんですね」


 ドキドキしながら誠羽さんの後をついて歩く。


 途中、馬小屋を管理する兵士に会ってギクリとしたけど、誠羽さんが兵士にお金を握らせると、兵士は黙って私たちを通してくれた。


「さ、行こう。馬は大丈夫?」


 誠羽さんが颯爽と馬に乗りこむ。


「はい」


「じゃあ後ろに乗って。ちゃんと掴まってね」


 言われた通り、誠羽さんの後ろについて肩に掴まる。


「それだと落っこちるよ」


 私の手を強引に引き、自分の腰辺りに回させる誠羽さん。


 私は誠羽さんの後ろからがっしりと抱きつくような形となった。


 うわ。いくら宦官と言えど、こんなに男の人に密着するのって初めてかも。


 私が緊張していると、誠羽さんは無邪気に右手を上げた。


「これでよし、出発!」


 そう、誠羽さんの作戦っていうのは、二人でこっそり後宮を抜け出して瑠璃色のお皿を元あった場所に返そうというもの。


 危険は伴うけど、これが一番確実な方法だ。


 しばらく馬を走らせると、陛下が鷹狩に使っているという広大な平野が見えてきた。


「ここだよ」


 低木と草木が繁るだけのだだっ広い平野に祠はあった。


「えっ、これが?」


 蝋燭で照らしてみると、祠は想像していたよりもずっと小さい。


 祠と言うよりは、ただ適当な石が組み置かれているだけのように見える。


「確かに小さいけど、この辺りに他に祠っぽいものは無さそうだし、これじゃないかな」


「そうですね」


 私は歴史書を思い出す。


 確かに、祠や神殿が今のように派手になったのはごく最近のことで、昔はこんな風に石や木を組み合わせた祠が一般的だったはずだ。


「では、とりあえず、ここに入ってみましょう」


「うん」


 私と誠羽さんは松明を手に祠の中に入った。


 祠の中は外観から想像していたよりもずっと広く、大人二人が立っても十分な広さだ。


 しばらく真っ直ぐな一本道を歩くと、行き止まりにたどり着いた。


「これ以上進めないみたいですね」


「おい、ここに何かの台がある」


「ここにお皿を戻すのかも」


 私は背負っていた荷物からお皿を取り出し、祠の中に置いた。


 ……これでいいのかな? 特に何も起こらないけど。


「それじゃあ帰りましょうか、誠羽さん――」


 私は振り返った。だけど誠羽さんの返事はない。


「誠羽さん……誠羽さん?」


 蝋燭をかかげ、よくよく見ると、誠羽さんの体を紫色の霧が覆っている。


「誠羽さんっ、しっかりしてください! しっかり……」


 私が誠羽さんの体を揺すると、誠羽さんは小さな呻き声を上げた。


「うう……」


 まずい。


「散――!」


 私が印を切ると、紫色の霧はゆっくりと誠羽さんから離れ、若い女の顔になった。


「こ、これは」


 私が絶句していると、誠羽さんは咳き込みながら話し始めた。


「そういえば、この祠に祀られている女のことを、昔、聞いたことがある」


 誠羽さんの話によると、昔、この地には一人の巫女が住んでいた。


 彼女は皇帝に見初められたが、妃の陰謀でこの地に幽閉されてしまう。


 巫女はいつか皇帝が迎えに来てくれると信じていた。


 財産は全て没収されたけれど、皇帝陛下からもらった瑠璃色だけは手元にあったので、それを心の支えに生きてきた。


 だけどいつまで経っても時の皇帝は迎えに来ず、巫女は絶望し、川に身を投げる。


 それからというもの、皇帝や妃は巫女の亡霊に悩まされたが、時の炎巫の命でこの地に祠を作り、瑠璃色の皿を祀ると亡霊は出なくなったのだという。


「なるほど、そうだったのですね」


 私は考えをめぐらせた。

 よし、少し危険は伴うかもしれないけど――この作戦でいこう。


「誠羽さん、少し協力してもらえますか?」


「うん、でもどうやって?」


 私は耳元でごにょごにょと作戦を打ち明けた。


「なるほど、それは良い案かもしれない」


 誠羽さんはうなずくと、女の亡霊に向き合った。


「私は皇帝である。そなたを迎えに来た」


「皇帝陛下……!」


 亡霊は誠羽さんに抱きつく。


「よしよし、辛かったな。もう大丈夫だ。先にあの世で待っておれ」


「……はい!」


 女の顔が笑みを作る。

 やがて霊は煌めく光に包まれ、女は安らかな顔で天へと昇っていった。


「……ふう」


 こうして私と誠羽さんは、佳蓉様の呪いを解いたのでした。


「今日はありがとうございました」


 頭を下げた私の腕を、誠羽さんがぐいと引っ張った。


「……痛っ」


「ちょっと待って」


 先ほどまでにこやかだった誠羽さんの目が冷たく光る。


「君、ただの女官じゃないでしょ」


「何でですか?」


「そりゃ、あんな風に悪霊を退散させたりする女官がいるかって話だよ。ねえ、あんたは何者なの?」


 誠羽さんの鋭い視線に、私は視線を逸らしながら答えた。


「私、ここに来る前は巫宮にいたんです。それで、少しはああいう技が使えて」


 嘘は言っていない。


「へえ、巫宮にいたのに、なぜ女官になったの?」


「それは……私には才能がないからこれ以上出世するのは無理かなって。巫長とも折り合いが悪かったし」


「ふぅん、そうだったんだ。もったいないね」


 誠羽さんがパッと私の手を離した。


 私が安堵の息を吐いていると、誠羽さんは三日月のように目を細めて笑った。


「それにしても君――明琳ちゃんって面白いね。僕、興味が湧いちゃったよ」


 その言葉に、なぜだかぞっと背筋に寒気が走ったのでした。



「ひゃあ、すっかり遅くなっちゃったわ」


 朝。私がこっそりと部屋へと戻ると、ニヤニヤした顔の彩鈴さんが待っていた。


 げげっ。


「――朝帰りとは、アンタも隅に置けないねぇ」


 かあっと顔が熱くなる。

 うわあ、まずい人に朝帰りを見られちゃった。


「違いますっ!」


「隠さなくて良いって。私、この事は誰にもいわないからさ」


 むふふ、と嬉しそうに笑う彩鈴さん。


「だから違いますって」


「まあまあ、相手は一体誰なの?」


 聞いちゃいない~!


「だから勘違いですってば!」


 なおもからかい続ける彩鈴さんを無視し、私は佳蓉様の元へと向かった。

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