第五章 物語読む巫女

第19話 二ノ妃の疑惑

「おはようございます、佳蓉様。今日はよく眠られましたか?」


 私の問いに、佳蓉様は血色の良い顔でうなずく。


「うん。もうあの女の人の夢を見なくなったの。でも一体どうして?」


 不思議がる佳蓉様に、私は昨日の瑠璃色の皿の話を聞かせてあげた。


 もちろん女官が無断で外に出てはいけないので、後宮の中で除霊し、あとで宦官に元あった場所に戻させたと嘘をついてだけど。


「えーっ、すごーい。明琳って巫女みたいね」


 佳蓉様が目を輝かせる。


「いえ、それほどでは。ただ巫術が使えるだけで」


「ねえねえ、他にも妖魔や幽鬼を退治したことあるの?」


 身を乗り出す佳蓉様。


「ある事はあるのですが」


 と、そこまで言って、私は声を潜めた。


「この事はくれぐれも他の女官には内緒にしてくださいね」


 特に、あの噂好きの彩鈴さんに聞かれたら大変。


 ここ後宮は閉鎖された空間で、みんな噂話に飢えてるし、彩鈴さんに話したあかつきには、後宮中に噂が広まっているに違いないのだから。


 私がそんなことを考えていると、引き戸の向こうから声がした。


「佳蓉、今良いかしら?」


 この鈴のように可憐な声は。


 私はぴんと背筋を伸ばした。


「はい、母上様」


 佳蓉様が返事をすると、スッと音もなく入り口の戸が開いた。


「佳蓉、お勉強は進んでいるかしら」


 入ってきたのは一ノ妃様だ。


 血管が透けて見えそうなほど白い肌。サラサラと細く長い黒髪に、憂いを帯びた瞳。


 ああ、なんて美しいんだろう。いつ見ても素敵だなあ。


 私がうっとりとしていると、佳蓉様は得意げな顔で一ノ妃様に言ってのけた。


「うん。明琳に悪霊を退治してもらったから、お勉強できるうになったよ!」


 ひえ~、佳蓉様ったら、内緒にしてって言ったばっかりなのに。


 まあ一ノ妃様にはもうとっくに力を見られてるんだけどね。


「そう、さすがは明琳さんね」


 ふわりと微笑む一ノ妃様。

 私は恐る恐る切りだした。


「あのー、そのことなんですが、私が巫術を使ったり妖魔を退治したりしたことは、くれぐれも内密にしていただきたいのですが」


「あら、どうして?」


 一ノ妃様が目を丸くして首をかしげる。

 うう、一ノ妃様ったら、仕草まで可愛らしい。


「それはその、本来ならば、妖魔を祓うのは巫宮の役目だからです。ただの女官の私が巫女のようなまねをしたと知られたら、巫宮に目をつけられてしまうかもしれません」


 そう、私がここに潜入した目的は、偽物の炎巫を巡る一連の事件の証拠を掴むこと。


 今、巫宮に目をつけられてしまったら、炎巫には近づけないかもしれない。それだけは絶対に避けたい。


 おずおずと答えると、一ノ妃様はクスリと笑った。


「そうね、巫長は貫禄があってちょっと怖いし」


「は、はい、そうです! あの方、私、ちょっと怖くて」


「まあ、嫌な人では無いのだけれどね。でも巫女という職にすごく誇りを持っているから、確かに巫女でもない女官の貴方が巫術を使ったり妖魔退治をしたと聞けばよく思わないかもしれないわね」


「はい」


 良かった。納得してくれたみたい。


「でもね、あなたが今ここに居るのはあの巫長様のおかげなのよ」


「えっ?」


 私がここに居るのは、巫長のおかげ?

 私、あの怖い巫長様に何か気に入られることしたっけ。


 一ノ妃はクスリと笑って続ける。


「あの日、巫長様の紹介してくださった巫女さんの占いで、東の方の寺院に行けば幸運に巡り会えるって出たからお忍びで文仙廟に行ってみたの。そこで貴方に会えたでしょう?」


「それでだったんですね」


 そっか。今回の人生では、私の代わりに誰かが一ノ妃を占ったんだ。


 もしかして静かな?


「それに、女官考試をやるっていうのも巫長様のお考えだし。縁故採用が続いていて、女官の質が年々落ちているから公募にした方がいいって仰っていたので」


「そうだったんですね」


 まさか巫長がそんな所の人事にまで口を出していただなんて。


 と、ここで佳蓉様がしゅんと頭を下げる。


「でも本当にあの皿が原因なら、ニノ妃様は大丈夫かしら」


「ニノ妃様?」


「ええ。あのお皿は、私とニノ妃様が一緒に取りに行ったの。最初にあの祠に目をつけたのはニノ妃様だったから」


「そう」


 もしかして、二ノ妃がわざと?


 ううん、そんなわけない。


 二ノ妃は右大臣の娘で、今年に入り政略結婚で妃となったの。


 歳は私より一つ下の十六歳で、一ノ妃様に比べたらまだまだ子供って感じで、人を妬んだり陥れたりというふうにはとても見えない。


 でも一応、調べておく必要はあるかも。


「大丈夫、心配しないで。もし二ノ妃が悪霊に取り憑かれていても、私が何とかするから」


 私は力強く宣言した。


 午後になり、空いた時間を見計らって私はニノ妃様の元へと出かけた。


「あの、すみません。ニノ妃様はいらっしゃいますか?」


 私が二ノ妃様の居室の戸を叩くと、中から不機嫌そうな顔の女官が現れた。


「どなたです?」


「あの、私、佳蓉様付きの女官の明琳と申します。実はこういったことがありまして……その場に二ノ妃様もいらしたようなので、呪いが及んでいないか心配で」


 私は早口に説明をした。


「そうですか。ご報告ありがとうございます」


 女官はそう言って小さく頭を下げた後、鋭い目付きで私を睨みつけた。


「でもご心配なく。二ノ妃様は毎週巫宮に寄って巫長様のご祈祷を受けておりますので、変わったことがあれば巫長様がお気づきになられるかと思います」


「そ、そうですか」


「それから」


 女官は眉間に皺を寄せ、語気を強めた。


「あなたは新人なのでまだ分からないかと思いますが、こう言ったことは女官長から話を通すべきで、あなたのような素人があれこれ口を出すべきではありませんよ」


 た、確かにそうかもしれない。

 私は慌てて頭を下げた。


「は、はい。すみません!」


 私はそそくさとその場から逃げるようにして立ち去った。


 ああ、怖かった!


「ねえねえ」


 部屋に戻ると、彩鈴さんに声をかけられる。


「彩鈴さん、どうしましたか?」


 私が首を傾げると、彩鈴さんはニヤリと笑ってこう言った。


「聞いたわよ、あなた、佳蓉様に取り憑いていた妖魔を退治したんですって!?」


 ええっ?


 何でもう彩鈴さんが知ってるの?


「たも、誰にそれを聞いたんですか?」


 恐る恐る尋ねると、彩鈴さんがあっけらかんとした顔で答えた。


「佳蓉様が教えてくれたの。凄く誇らしげだぅたわ!」


 も、もう……佳蓉様ったら。内緒だと言ったじゃないの!


 私はがっくりと肩を落とした。

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