第20話 物語る女官

 結局、私が佳蓉様に取り憑いていた妖魔を退治したと言う噂は、翌日には後宮中に広まってしまっていた。


「失礼いたします。紅明琳です」


 次の日、私が佳蓉様のお部屋へ行くと、一ノ妃様の声で返事があった。


「お入りなさい」


 あれっ、一ノ妃様、どうしてここに?


 私が不思議に思っていると、一ノ妃が話し始めた。


「佳蓉に聞いたの。明琳さんは巫術を使うことを隠したいのに、佳蓉が噂を広めてしまったんですって?」


 一ノ妃様の言葉を聞き、佳蓉様がしゅんと縮こまる。


 私は慌てて首を横に振った。


「い、いえ、別に佳蓉様が悪いわけでは」


 どちらかと言うと、噂をすぐに広めてしまう彩鈴さんが悪いんだし。


 そう思っていると、おもむろに一ノ妃様はこう切り出した。


「それでなんだけど、私に一つ良い考えがあるの」


「良い考えって、一体どのような物なのですか?」


 私が尋ねると、一ノ妃様はふふふと笑った。


「簡単よ。明琳が妖魔を退治したっていうのは、本当の事じゃなくて明琳の書いた『物語』だってことにすればいいの」


「物語?」


 どういうことだろう。

 疑問に思っていると、一ノ妃様は悪戯っぽい顔でこう続けた。


「ええ。ここ後宮には、物語を趣味にしている女官が何人かいるの。あなたもそうしたうちの一人だということにすればいいわ」


 一の妃様の話によると、後宮内では女官たちが物語を書き、回し読みをするのが流行っているのだとか。


 中には、後宮の外でも大きな人気を博している物語書きの女官もいるらしい。


「そうなんですね。私、そういうのには疎くて。皆さん、どのような物語を読んでいるのでしょう」


 私が首を捻っていると、一ノ妃様は一冊の本を手渡してくれた。


「これ、二ノ妃の女官が書いたらしいわ。中々面白いのよ」


「へえ、そうなんですね」


 物語を書いた女官はナン白蘭バイランという名で、歳は私と同じくらい。学問に長け、文の才があるらしい。


「そんなすごい人がいるのですね。一度会ってみたいものです」


 私が何気なく言うと、一ノ妃様は名案とばかりに手を叩いた。


「ああ、それなら明琳も観花の宴に参加すれば良いわ」


「観花の宴?」


「ええ。宮殿の庭で、皇帝が妃や女官たちを集めて季節の花を愛でる集まりをするの。それに、明琳もどうかしらと思って」


 ええっ、そんな重要な会に私が行っていいのかしら。


 私は恐る恐る尋ねた。


「でもいいんですか? 私みたいな女官になりたてよりも、古株の女官を呼んだ方が」


「いいのよ。観花の宴は、花を見る集まりでもあるけれど、優れた女官を皇帝や他の妃に自慢する会でもあるの」


「そんな、優れた女官だなんて」


 なおさら私なんかが行けないよ!


「でも皇帝陛下が、明琳に是非会いたいと仰っているのよ」


 力説する一ノ妃様。


「はあ」


 私は首をひねった。

 皇帝陛下が? 一体どうして。


「謙遜しなくてもいいのよ。ちなみに、二ノ妃は白蘭を呼ぶらしいわ。白蘭に会う絶好の機会よ」


「あの白蘭さんに!?」


 胸が高鳴る。


 あの凄い物語を書いた白蘭さんに会えるんだ。


 白蘭さんって、一体どんな人なんだろう?


 ***


 そして観花の宴が始まった。


「わあ、立派なお庭」


 私は普段は女官には解放されていない奥庭を見て、その大きさに息を飲んだ。


 宮廷の奥庭は、私たち庶民が普段想像する「庭」とは全く違う。


 端が見えないほどの広大な敷地には、川が流れ、池があり、小さな山まである。


 しかもそこには、美しい花々が咲き乱れ、木や庭石の一つ一つに至るまで完璧な美しさとなるよう計算された配置になっている。


 まるでこの世のものではなく、天上界に住まう千人の庭のよう。


 お皿に盛られた胡麻饅頭や点心たちもすごく美味しそう!


 私が美味しそうな料理に涎を垂らしそうになっていると、美しく着飾った彩鈴さんが背中を叩いてくる。


「何してるの、早く行くわよ」


「は、はい」


 私は慌てて背筋を伸ばした。


 この宴には、各妃が三名ほどの女官を連れて行くことになっている。


 聞くところによると、女官が美しければ美しいほど妃の格も上がるんだとか。


 過去には美しい女官に声がかかり、妃にと取り立てられたこともあったという。


 だから連れてこられた女官たちはみんな必死で着飾っているの。


 もちろん妃たちの美しさはそれにも増して神々しい。


 一ノ妃様は白い絹のお召し物で、まるで天空に住まう天女のように清らかで凛としてお美しい。


 二ノ妃様は、遠くから見ても目を引くくっきりとした華やかな顔立ちに、桃色の鮮やかで可愛らしいお召し物。


 私も一応、言われた通りに着飾ってきたけど、妃たちも女官たちも皆美しすぎて、何だか一人だけ浮いていて場違いのような感じがする。


 私が落ち着かない気持ちでいると、急に空気がぴりりと張り詰めた。


「皇帝陛下がいらしたわよ」


 女官長の言葉に、急いで平伏し頭を下げると、右大臣、左大臣と各大臣が続けざまに庭にやってきた。


 そして一番最後に、皇帝陛下がやってきた。


 この方が皇帝陛下。


 遠くからでも分かる、背筋が伸びるような存在感。


 だけどそのお顔は、御簾みすに阻まれてこれっぽっちも見れなかった。


 皇帝陛下は庭に面した部屋にゆっくりと腰かけた。


 「――皆の者、今日は花の宴によくぞ来てくれた」


 低くも高くもない、一本筋の通ったようなピンとした声が御簾の向こうから発せられる。


「皇帝陛下、今日はお招きいただきありがとうございます」


 一ノ妃様が優雅な仕草で頭を下げられる。

 これを合図に、二ノ妃様と女官長も、それぞれ皇帝陛下と挨拶を交わされた。


「それにつけても、花の見事なことで」

「ええ、本当にねぇ」

「手入れが行き届いていますわ」


 そうしてひとしきり庭の花を褒めたあと、話は女官のことに移った。


「そういえば、最近、二ノ妃の女官が有名だと聞いたのだが」


 陛下が尋ねると、二ノ妃様は満面の笑みで答えた。


「ああ、それはおそらくうちの白蘭のことですわね。白蘭!」


 二ノ妃様の呼び掛けに、一人の女官がおずおずと前に出た。


「は、はい」


 遠慮がちに返事をしたのは、小枝のように細い体の女官だった。


 長い黒髪に丸い眼鏡をかけ、不揃いな前髪で青白い顔を隠している様子が、いかにも気弱で引っ込み思案そうだ。


 このかたがあの物語を書いた白蘭さん。


 私はゴクリと唾を飲みこんだ。

 一体、今日の宴ではどんな物語を聞かせてくれるのかしら?


 

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