第八章 明琳、妃になる
第31話 かりそめの妃
無事に瑠璃色の皿を返し終えた私は、ホッと一息をつきながら部屋へと戻ってきた。
ふう、これで一安心。
彩鈴さん、寝てるわよね?
私がそうっと部屋の戸を閉めると、急に彩鈴さんがぱちりと目を開いた。
「明琳、どこに行ってたの?」
ひえっ、起きてた!
……ん? でも待てよ。これって良い機会かもしれない。
「えっと、ちょっと人と会っていて」
私がもったいぶった口調で言うと、彩鈴はきらりと目を輝かせた。
「人ってこんな夜中に? まさか男!?」
「え、ええ」
私が横を向いて彩鈴の視線をかわすと、彩鈴はぐいと食いついてきた。
「えっ、相手は誰なの!? 教えてよ、誰にも言わないから!」
爛々と瞳を輝かせる彩鈴さん。
私はもったいぶって話し始めた。
「実は……」
「実は!?」
ごくりと唾を飲み込む彩鈴さん。
「皇帝陛下なの」
私が低い声で答えると、彩鈴さんはこれ以上ないくらい大きく目を見開いた。
「ええっ!?」
「実は以前一ノ妃様の部屋に呼ばれた時に偶然陛下もいらして……そこで見初められたというか、夜な夜な皇帝陛下の寝室に呼ばれるようになったの」
私の衝撃告白に、彩鈴はよろめく。
「そ、そうだったの。やるわね、女官になったばかりなのに」
「でもこの事は内緒ですからね。誰にも言わないでね」
私が言うと、彩鈴さんは強く頭を縦に振った。
「もちろんよ!」
しかしその次の日には、私が皇帝陛下に見初められたという噂は後宮中に広まっていたのでした。
……まあ、これも計画通りなんだけどね。
それからほどなくして、周囲の反対を押し切り、皇帝陛下が私を正式に妃として迎えるという発表が宮廷からなされた。
そして――。
「三ノ妃がいらっしゃいました!」
女官の声で、周りにいた従者たちがさっと道を開け頭を垂れる。
『三ノ妃』かあ。何だか慣れないな。
私はポリポリと頭を搔くと、美しい緑色の絹でできた衣服を翻し、できる限りすました顔をして廊下を通り抜けた。
ふう、何だか肩がこる。
向かったのは、一ノ妃様の居室だ。
「失礼いたします」
一礼をして部屋へ入る。
私が妃として取り立てられた後、一ノ妃様に会うのは初めてだ。
一ノ妃様、急に私が妃になって怒っていないかしら。
恐る恐る顔を上げると、一ノ妃様はにこやかに微笑んで頭を下げた。
「ようこそ。びっくりしたけれど、同じ立場でお話できる仲間が増えて嬉しいわ」
一ノ妃様の笑顔に安堵の息を吐く。
良かった。
本心では色々と思うところはあるかも知れないけれど、やはり一ノ妃様はできたお方だから、表立って辛くあたったり意地悪ははしないわよね。
「……うっ」
と、ここで私は口元を押さえてかがみこんだ。
「あら、どうしたの? お体の具合でも?」
一ノ妃様が心配そうに私の顔のぞきこむ。
「いえ、大丈夫です。少し目眩がしただけで」
私は笑顔を作り、一ノ妃様に答えた。
「本当に? 慣れない妃生活で疲れが出ているのかもしれないわ。よく休んだほうがよくてよ」
「ええ、ありがとうございます」
お言葉に甘え、早めに下がらせてもらう。
部屋から出たところで、私は彩鈴さんとすれ違った。
彩鈴さんは頭を下げ、こちらを見ようとしなかったが、私は思い切って声をかけた。
「彩鈴さん」
「さ、三ノ妃様!」
慌てたように顔を上げる彩鈴さん。
「そんなにかしこまらなくて大丈夫ですよ」
私が言うと、彩鈴さんは青い顔をして首を横に振った。
「そんな訳にはいきません、あなたは王妃様なのですから」
と、ここで彩鈴さんが恐る恐る聞いてきた。
「それよりひどく顔色が悪そうですけどお体の具合でも?」
好奇心に満ちた瞳に見つめられ、私はわざとらしく口元を押さえた。
「いえ、少し吐き気がしただけで……うっ」
「大丈夫ですか? 誰かお付きの人を……」
「いえ、大丈夫です。それではこれで失礼いたします」
私はいそいそと隠れるようにして部屋へと戻った。
「……ふう」
お付きの女官を下がらせ一人になると、私はそっとため息をついた。
『どうした、具合でも悪いのか』
天翼が現れ、私の横にやってくる。
「ううん」
私は首を横に振った。
「これは作戦だから大丈夫」
そう、これは私が妊娠したと思わせるための作戦。
前の生ではこの後一ノ妃がご懐妊し、標的になった。
その代わりに、私が妊娠したという噂を流すことで標的を私に向けようという作戦だ。
ただの女官だった私が妃に取り立てられるのも、妊娠したからという理由があれば分かりやすいしね。
『なるほど。しかし……』
天翼が不満そうな顔をする。
「何よ、その顔、何か言いたいの?」
『いや、そういう訳ではないのだが、明琳が妊婦だなんて何だか変な感じだ』
「何それ。私が子供っぽいって言いたいの?」
失礼な。
『い、いや、そうではなくて――』
私と天翼がそんな言い合いをしていると、不意に部屋の戸が叩かれた。
「三ノ妃様、皇帝陛下がいらっしゃいました」
お付きの女官が私に告げる。
「は、はいっ、どうぞ」
私が慌てて背筋を伸ばすと、少し間が空いて皇帝陛下が入ってきた。
「おっ、元気にしてたか?」
上機嫌で部屋に入ってくる皇帝陛下。
「ええ、でも、今は具合を悪いふりをしています」
私は皇帝陛下に作戦を説明した。
「――というわけで、私は妊娠しているという設定にしてください」
「なるほど。それは面白そうだな」
皇帝陛下は、新しい玩具を見つけた子供のように無邪気に笑った。
「よし、それでは、今夜から余は毎日明琳の元へと通うぞ!」
ええっ!?
「べ、別に毎日でなくても構わないのですが」
「良いではないか良いではないか」
悪戯っぽい顔をして陛下が私の肩を抱く。
「仲の良さを後宮中に見せつけてやろうではないか!」
『おい、ふざけるのもたいがいにしろ』
天翼が苦言を呈したところで、皇帝陛下が顔を上げた。
「お、天翼久しぶりだな。姿は見えないが、元気であったか?」
『お前はこの国の皇帝なのだぞ。もう少し皇帝としての威厳を持って――』
「はいはい、分かった分かった」
そう言って、陛下は立ち上がった。
「それでは余はこれで失礼する。くれぐれも体に気をつけてな!」
「はい。お気遣いありがとうございます」
私が頭を下げると陛下は口の端をにやりと上げ、大きな声で言った。
「無理するでないぞ。もうお主一人の体では無いのだからな!」
ちょっと不自然すぎない?
まあ、いっか。
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