第30話 皇帝陛下の策

「それじゃあ、午前中は佳蓉様の様子を見て、午後からは部屋の掃除をお願いね」


「はい」


 私は言われた通り佳蓉様に勉強を教える。


 一度教えた経験があるので、どこが得意でどこが不得意か分かっているし、興味のある事柄も分かっている。


「すごい。明琳の授業面白いのね!」


 佳蓉様も集中して勉学に励んでいる。


「佳蓉がこんなに楽しそうなのは初めてよ」


 一ノ妃も嬉しそうだ。


「それより一ノ妃様、大丈夫ですか。あれから誰かに襲われたりしていませんか?」


「ええ、今のところ大丈夫」


「それなら良いのですが」


「ところで蛇を操っていた犯人は見つかったのですか?」


「いえ、まだです。でも目立つところに印を付けておいたので、見ればすぐに分かるはずです」

 

「そう。なら良かったわ」


 一ノ妃とそんな話をしていると、襖が叩かれる音がした。


「一ノ妃様、皇帝陛下がいらしています」


 皇帝陛下が?


 ああ、一ノ妃に何か用なのかしら。


「それでは、私はこれで」


 私が退席しようとすると、女官は真剣な顔で首を横に振った。


「いえ、皇帝陛下は明琳さんとの面会をお望みです」


「へ?」


 私は思わず変な声を出した。


 一ノ妃様と佳蓉様も不思議そうな顔をしている。


 あ、そっか。


 皇帝陛下は私が炎巫で生まれ変わりを繰り返してるって知ってるから、今後のことについて相談したいのかも。


「もしかして、一ノ妃様を襲った大蛇の件をどこかで聞いたのかもしれません」


 私が苦し紛れに言うと、一ノ妃様は納得したような顔でうなずいた。

 

「なるほど、そうかもしれませんね。明琳、私たちに構わず行ってきなさい」


「はい。失礼いたします」


 私は女官に連れられて皇帝陛下の元へと向かった。


「皇帝陛下、明琳をお連れしました」


 女官が声をかけると、中から返事がした。


「入れ」


 部屋の中に入ると、御簾の向こうに一人の男の人の姿が見えた。


「それでは失礼します」


 女官が下がると、御簾の奥に座っていた皇帝陛下が立ち上がった。


「何してる、早くこっちに座れ」


 手招きをする皇帝陛下。


「は、はい」


 私が皇帝陛下に少し近づき座ると、皇帝陛下は少し苛苛いらいらしたような声を出した。


「ええい、それでは会話ができないぞ」


「も、申しわけありません」


 私が少し前に座り直すと、ため息が漏れる音がして、御簾が開いた。


「遠慮するな、もっと近くに寄れ」


「は、はい」


 皇帝の煌びやかな衣装を身につけた陛下は、まるで黒曜石のように美しかった。


 私が岩のように固まっていると、皇帝陛下が頬杖をついて尋ねてきた。


「それで、何か有力な情報は得られたのか?」


「いえ、でも蛇使いについては情報が得られそうです」


 私は、一ノ妃様が大蛇に襲われたこと、術者に呪印を刻んだことを陛下に報告した。


「なるほど」


「何か、術者の正体を探る良い方法は無いでしょうか」


 私が言うと、皇帝陛下は少し考えこんだあと、ふと顔を上げてこう言った。


「――なるほど、分かったぞ」


「何がですか?」


「お主、余の妃となれ」


 …………は?


 わ、私が妃に?


 一体どういうこと!?


「余が思うに、一ノ妃が狙われたのは右大臣の仕業だ。一ノ妃が亡きものになれば、右大臣の娘である二ノ妃が後宮で一番の権力を握ることとなるからな」


「なるほど、そうかもしれませんね」


 でもそれで、なんで私が妃に?


「そこでお主には妃のふりをして右大臣の標的になってもらう。これで術者が分かるはずだ」


「あ、そっか」


 で、でも、嘘だとしても私が妃に?


 何だか全然想像つかないよ。


 私が困惑していると、天翼が現れて渋い顔をした。


『私は反対だ。何もそこまでしなくても』


 すると皇帝陛下が顔を上げた。


「お、天翼か?」


 へっ。


「皇帝陛下、天翼の姿がお見えになるんですか?」


 驚いて尋ねると、皇帝陛下はクククと低く笑った。


「いや、姿は見えん、声だけだ」


「声だけでも、聞こえるだなんて凄いです」


「余も幼い頃は巫力が強かったからな。その頃は余も天翼が見えて一緒に遊んだり助言して貰っていた。大人になるにつれていつの間にか見えなくなってしまったが」


「そうだったんですね」


 天翼、幼い頃の皇帝陛下にも色々と助言をしていたんだ。


 私が横を見ると、天翼は腕組みをして不満そうな顔をしていた。


 でも天翼の声が聞こえる人に初めて会ったかも。ちょっと嬉しい。


 皇帝陛下はにやにや笑いながら続ける。


「……まあ、そう嫉妬せずとも大丈夫だ。妃のふりだけだから、実際に手をつけたりはせん」


「そ、そうだよ。ここで思いきった行動に出ないと、いつまで経っても運命は変わらないと思うし」


「……それなら仕方ないか」


「まあ、本当に気に入ったら妃にするかもしれんがな! はっはっは」


『貴様』


「冗談だ」


 とまあそんなわけで、私が偽の王妃になることになってしまったんだけど、大丈夫かしら?


 ***


 その夜、私と皇帝陛下はこっそりと部屋を抜け出した。


 例の瑠璃色の皿を祠に戻しに行くためだ。



「私は皇帝である。そなたを迎えに来た」


 亡霊に向かって呼びかける皇帝陛下。


「皇帝陛下……!」


 亡霊は皇帝陛下に抱きつく。


「よしよし、辛かったな。もう大丈夫だ。先にあの世で待っておれ」


「……はい!」


 女の顔が笑みを作る。

 やがて煌めく光に包まれ、女の霊は安らかな顔で天へと昇っていった。


 ……そういえば、この時、誠羽さんの演技が妙に上手いと思っていたのよね。


 まさか本当に皇帝陛下だっただなんて。


 そりゃあ女の霊も、本当の陛下が迎えに来てくれたって納得するわけね。


「さ、帰ろう」

 

 皇帝陛下が私に向かって手を伸ばしてくる。


 月夜に照らされたその白いかんばせは、まるで月下美人の花のように美しかった。


「……はい」


 私はなぜだかとても悔しい気分になりながら皇帝陛下の手を取り、一緒に馬に乗って後宮へと帰った。


 ふう、これで一安心。


 彩鈴さん、寝てるわよね?



 私がそうっと部屋の戸を閉めると、急に彩鈴がぱちりと目を開いた。


「明琳、どこに行ってたの?」


 ひえっ、起きてた!


 ……ん? でも待てよ。これって良い機会かもしれない。


「えっと、ちょっと人と会っていて」


 私がもったいぶった口調で言うと、彩鈴はきらりと目を輝かせた。


「人ってこんな夜中に? まさか男!?」


「え、ええ」


 私が横を向いて彩鈴の視線をかわすと、彩鈴はぐいと食いついてきた。


「えっ、相手は誰なの!? 教えてよ、誰にも言わないから!」

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