第24話 掛け軸の妖魔

「明琳、今日も部屋を隅から隅まで掃除をお願いね」


 翌朝。いつものように彩鈴さんに掃除道具を渡される。


「はい」


 私は素直に掃除道具を受け取ると、部屋の掃除をし始めた。


 ああもう、こんなことしてる場合じゃないのにな。


 そう思いつつも、部屋の掃除を一通りこなしていく。


「……ふう。あとは、一ノ妃様のお部屋だけね」


 私は雑巾を絞り、一ノ妃様の部屋の床の間を磨きはじめた。


「――痛っ!」


 突然手に鋭い痛みを感じ、私は顔を上げた。


 見ると、右手の甲に鋭い切り傷ができていて血が滲んでいる。


『大丈夫か、明琳』


 赤い光と共に、天翼が現れる。


 心配そうな瞳。私は慌てて切れた指を見せた。


「うん、大丈夫。紙か何かで手を切ったみたい」


 見ると、床の間に飾られていた掛け軸に少し血がついている。


 ひょっとしたらこの紙で手を切ってしまったのかもしれない。


「それにしても天翼、ずいぶん久しぶりね。今まで何を――」


 私が尋ねようとした瞬間、天翼の顔が急に厳しくなった。


『明琳』


 低い声で呟く天翼。


「何よ天翼。どうしたの?」


 私が首を傾げていると、天翼は床の間に飾られていた掛け軸を指さした。


『この掛け軸、何か変じゃないか?』


「掛け軸?」


 私は龍の掛け軸をじっと見つめた。

 言われてみれば、少し妖気がするかもしれない。


 私が掛け軸を眺めていると、後ろから声がかけられた。


「あら明琳、お疲れ様」


 立っていたのは、一ノ妃様とそのお付きの女官だった。


「す、すみません、つい掛け軸に見入ってしまって……すぐに掃除を終えますので」


「いえ、ゆっくりで良いのよ」


 私が焦りつつも掃除の続きをしていると、一ノ妃様がゆっくりと話し始めた。


「この掛け軸は、巫長からいただいたの。最近急に具合が悪くなったり何も無いところで転んだり、良くないことが続いてるから魔除のために」


「そうだったんですね」


 私は龍が描かれている掛け軸をじっと見つめた。


 確かに、昇り龍そのものは縁起の良い絵ではある。だけれどもこの気配は……。


 私がじっと掛け軸に魅入っていると、バタンと大きな音がして振り返る。


 見ると、部屋の中央に一ノ妃様が青白い顔で倒れている。


「大丈夫ですか!?」


 私は慌てて一ノ妃様を抱き起こした。


「え、ええ。少し気分が悪くて――急に意識が遠のいてしまったの」


 よろよろと身を起こす一ノ妃様。


 一ノ妃様、具合悪そうだけれど、どうしたんだろう。まさか――。


『明琳、この掛け軸だ』


 天翼の声に、私は頷いた。


「うん、そうだよね」


 私は胸元から御札を取りだした。


「――散!」


 御札を掛け軸に貼り付ける。


「オオオオオ……オオオオオ」


 同時に、掛け軸から紫色の煙が噴き出してくる。


 紫色の煙はやがて小さな龍の姿となり、こちらへ牙を向いてきた。


「シャアッ!」


「――散!」


 私は続けて二枚の御札を紫色の龍に貼り付けた。


「ぐおおおお……」


 龍は低く呻くと、煌めく金の粒となって天へと消えていった。


「ふう」


 これでとりあえずは大丈夫だと思う。けれど――。


 私は唖然としている一ノ妃様に駆け寄った。


「一ノ妃様、お怪我はありませんか?」


「ええ、大丈夫です。また貴方に命を助けられましたね」


 そう言って笑ったあとに、一ノ妃様は険しい顔をした。


「それより先程の霧のようなものは――」


「どうやらこの掛け軸に妖魔が取り憑いていたようです」


 私が説明すると、一ノ妃様は不安そうな顔をして口に手を当てた。


「そんな。これは巫長様からいただいたありがたい掛軸なのに」


「ええ、そうですよね」


 やはり一ノ妃様を狙ったのは巫長なのだろうか。それとも――。


 私が考えこんでいると、一ノ妃様は青白い顔のまま笑顔を作った。


「何にせよ、ありがとう明琳。私なら大丈夫よ。今お付きの女官を呼ぶから。あなたは職務に戻って」


「は、はい」


 私が慌てて廊下に出ると、ちょうど一ノ妃様付きの女官がやってきた。


「どうしました?」


「あのっ、大変です、私が掃除をしていたら、一ノ妃が急に倒れて」


「何ですって?」


 私が慌てて事情を説明すると、女官は血相を変えてて部屋に入っていった。


「一ノ妃様、大丈夫ですか!?」


 一ノ妃様、大丈夫かしら。


 ***


「ねぇねぇ、聞いた? 一ノ妃様の話」


 部屋に戻ると、彩鈴さんが意気揚々と話しかけてくる。


 どうやら一ノ妃様が妖魔に襲われた話がもう彩鈴さんにまで届いていたみたい。


 相変わらず後宮内は噂が早いわね。


「ええと、一ノ妃様のお具合が悪くて倒れられたって聞きましたけど」


 私が素知らぬ顔で尋ねると、彩鈴さんがうなずいた。


「具合が悪いというか、ご懐妊されているってもっぱらの噂よ!」


「えっ」


 一ノ妃様がご懐妊されている?


 じゃあ、一ノ妃様が倒れたのは妖魔のせいではなかったの?


 それであんなに顔色が悪そうだったのかしら。


 私が不思議に思っていると、彩鈴さんは声を小さくして続けた。


「でも一ノ妃は佳蓉様をご出産なさる前に二度も流産なされてるから、今回はもう少し安定なされるまでおおやけにはしないんじゃないかしら」


「そうなんですか。じゃあ、内緒にしないといけないですね」


 私が言うと、彩鈴さんはにやりと嬉しそうに笑った。


「ええ。しかもどうやらお腹の子はお世継ぎの男の子じゃないかって噂よ。凄いわよねぇ」


「へ、へえ。凄いわね」


「あ、でもこの事は誰にも内緒よ。絶対に誰にも言っちゃ駄目。貴方にだけに話すんだから! 絶対に、絶対に内緒よ!」


 凄い剣幕で私の肩を掴み、揺さぶる彩鈴さん。目が血走っていて少し怖い。


「え、ええ」


 私だけに話すって、本当かしら。


 私は疑問に思いながらも笑顔でうなずいた。


 一ノ妃様、お体の具合は大丈夫かしら。

 無事にご出産なされると良いのだけれど……。


 ***


 掛け軸の一件から数日後。


 私は兵隊が複数人廊下を駆けてくるような音で目を覚ました。


「紅明琳はいるか!」


 入ってきたのは、怖い顔をした兵士たちだ。

 外はまだ真っ暗で満月が浮かんでいる。

 こんな夜中に一体何なのだろう。


「は、はい。私ですが」


 恐る恐る返事をすると、兵士の一人がきつく私の腕を掴んだ。


「来い、貴様を拘束する!」


 ええっ?


 一体どいううこと!?

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