第22話 琵琶の正体

『明琳、明琳』


 夕刻。私が観花会に疲れ果て、自室で休んでいると、天翼の声がした。


「えっ、天翼?」


 寝ぼけ眼をこすると、辺りはもうすっかり暗くなっていて、窓の外には暗闇にぽつりと浮かぶ満月が見えた。どうやらもう夜らしい。


「何よ、こんな夜中に」


『何よとは何だ』


 少し怒ったような声とともに半透明な天翼が現れる。もう、怒りたいのはこっちのほうだよ。


「ねえ、昼間のあれはどういう事なの?」


『あれとは?』


「皇帝陛下にお話ししたあの物語のことよ」


 私が尋ねると、天翼は黙って首を横に振った。


『そんなことはどうでも良い。それより、これから白蘭のところへ行くぞ』


「白蘭さんの?」


 一体どうして?

 っていうか、どうでも良いってことはないでしょ。


『言っただろう。あの子は妖魔に憑かれている』


「妖魔って、何の?」


 疑問を投げかけるも、天翼からの返事はない。


 私はちらりと隣で眠る彩鈴さんの顔を見た。


 すやすやと寝息を立てて起きる様子はない……と思う。


 私は渋々立ち上がった。


「分かったわよ」


 まあ、後で彩鈴さんに何か聞かれたら厠所かわやに行っていたと言い訳すればいいか。


 私は布団を抜け出し、白蘭さんの部屋へと向かった。


「白蘭様、いらっしゃいますか。話があるのですけれど――」


 部屋の戸を叩くも、返事は無い。


「こんな時間だし、もう寝てしまったんじゃない?」


『いや、それにしては気配がおかしい』


 緊迫感を含んだ天翼の声。


「気配?」


 言われて、改めて白蘭さんの部屋を見つめる。

 そう言われると、確かに何か妖しい気配を感じる気がする。


「本当だ」


 ゴクリと唾を飲み込み、白蘭さんの部屋の襖を叩く。


「白蘭さん、白蘭さんいますか?」


 だけど、返事は無い。


「留守なのかな」


『入ってみよう』


 天翼に言われ、恐る恐る襖を開ける。

 すると――。


「白蘭さんっ!」


 部屋の中には、床に倒れ動かない白蘭さんと、怪しい気配を放つ琵琶があった。


「白蘭さんっ!」


 急いで白蘭さんに駆け寄る。


 床に寝そべった白蘭さんは、苦しそうに肩で息をしている。


 良かった、生きてる。


 だけど、ひどく顔色が悪いみたい。


 それに――。


「この妖気は何?」


 私は、部屋の隅にひっそりと置かれた琵琶を見つめた。


 琵琶からは、明らかに普通じゃない気配を感じる。


 もしかしたら、この琵琶が白蘭さんが倒れた原因なのかしら。


 私はごくりと唾を飲み込んで琵琶に手を伸ばした。だけど――。


 するり。


 琵琶は私が持つ前に手からすり抜けてしまった。


 えっ、琵琶が動いた!?


『明琳、油断するな』


 天翼が声をかけてくる。


「分かってる」


 私は胸元から御札を取り出した。


「――散!」


 琵琶に御札を貼り付ける。

 その瞬間、何かが弾けるような音がして、白いふわふわのものが床に転がった。


「ケーン!」


「これって狐?」


 私が目を回している狐を抱き上げると、傍らにいた白蘭さんが目を覚ました。


「明琳さん、どうしてここに……これは一体?」


「白蘭さん、この狐が琵琶に化けていたんです。あなた、この狐の妖気に当てられて倒れていたんですよ」


 私が言うと、白蘭さんは大きく目を見開いた後、下を向いた。


「そう、なんですか。物語る琵琶だなんておかしいと思っていたけど」


 白蘭さんは下を向いてすまなそうな顔をすると、この琵琶と出会った経緯を教えてくれた。


 白蘭さんがこの琵琶に出会ったのは約一年ほど前。


 女官になりたての白蘭さんは、ある寒い冬の朝に、城の前に一つの琵琶が捨てられていることに気づいた。


 門の前に置かれた高そうな琵琶を見て、勿体無いと思った白蘭さんは、それを自分の部屋に持って帰ったのだという。


 そしてそれからというもの、琵琶から世にも不思議な物語が聞こえてくるようになり、白蘭さんはそれを書き示すことにしたのだとか。


「そうして白蘭さんは、物語る女官になったわけなんですね」


 私が言うと、白蘭さんは神妙な顔でうなずいた。


「何かがおかしいことは分かっていました。妖魔かもしれないとも思いました。しかし、今まで特に害も無かったのでそのままにしていました」


 なるほど。確かに今まで何も害が無かったのならそうしても不思議じゃない。でも――。


「確かに短期的には何も無かったのかもしれないけれど――妖魔の妖気というのは長期間当てられて蓄積されると体に害をなすので危険なんですよ」


 私が言うと、白蘭さんはフラフラと立ち上がり下を向いた。


「そうだったんですね」


 私の腕の中にいた狐がしゅんと耳を下げる。


「すまない、まさかオイラの妖気のせいでこんなことになっちまうとは」


 なんだか可哀想。


『それで、こいつはどうする? 駆除するか?』


 天翼が聞いてくる。


「駆除?」


 私が思わず声を出すと、白い狐は「ひえっ」と身を震わせた。


「すみません、すみません。そんなつもりは無かったんです! 私はただ、人の役に立ちたくて……何でもします。何でもするので命だけはお助けを!」


 白蘭さんも頭を下げる。


「私からもお願いします!」


「えっと」


 私が戸惑っていると、隣から天翼の声がした。


『ふむ、ではこういうのはどうだ?』


 ***


 それから数日。


「明琳、この書類を片付けておいてね」


 彩鈴さんが私に抱えきれないほどの書類を渡してくる。


「は、はいっ」


 私は書類を受け取ると、部屋に戻り、小さく囁いた。


「――白狐びゃっこ


 私が呼ぶと、ポンと音がして白い狐が現れた。


「どうかしましたか?」


「この書類、書棚に置いてきてくれない?」


 私が言うと、白い狐――白狐は満面の笑みで返事をした。


「はい、分かりやした!」


 そう、白狐は、あのあと私の使い魔になって、色々雑用をしたり、巫宮の様子を探って貰っているの。


 白蘭さんにも、定期的に手紙を送って物語の供給もしてるみたいだし、全て上手くいっているみたい。


「ねえねえ、明琳」


 そこへ彩鈴さんが再び部屋へ入ってくる。


「へ、へっ!? 何ですか?」


 私が動揺していると、彩鈴さんはきょろきょろと辺りを見回した。


「あれっ、今誰かと話していなかった?」


「き、気のせいじゃないですか」


 私が誤魔化して笑うと、彩鈴さんは吊り目がちな目を猫のように輝かせた。


「……それよりさ、明琳、また部屋を抜け出してたでしょ」


「へっ」


 私が驚いて固まっていると、彩鈴さんは私の背中を力任せに叩いた。


「いやーだ、しらばっくれないでよ! 何度も夜中に抜け出して朝帰りしてたことは知ってるのよ。ねぇ、誰が相手なの? ここの宦官?」


 ええっ、まさかまた彩鈴さんにバレていただなんて。


「え、えーっと、内緒です」


 私はふいと横を向いた。


 誰が話すものですか。


 彩鈴さんに話したら、明日には後宮中に噂が広まっているに決まっているんだから。


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