第16話 佳蓉様の異変

 その夜、彩鈴さんが寝静まったのを確認して、私は廊下に出た。


「天翼、いるの?」


 呼びかけてほどなくして、煌々とした赤い光とともに天翼が現れた。


『久しぶりだな』


「天翼、今までどうしてたの?」


 私は天翼に駆け寄った。

 天翼は少し気まずそうに横を向いた。


『それはまあ……私も色々忙しいのだ。今の私は魂だけの存在だけれども、本体は別の場所にある。私は私で、昼間は色々と動いているからな』


「そうだったんだ」


 天翼の本体は別の場所にいて、昼間は色々と別なことをして忙しいんだ。


 ってことは――天翼の体は意外と近くにいるなんてこともあるのかな。


 ひょっとして宮殿の中にいるなんてこともあったりして。


 今まで何となく、天翼は死後の世界でしか会えない幻のような人だと思っていた。


 でも案外私のそばにいたりして。


 と、そこまで考えたところで、彩鈴さんの言葉が思い出される。


 “ 他に良い人でもいるんでしょ。心に決めた相手とか――”


 ち、違うっ。


 私は頭をぶんぶんと横に振った。


 別に天翼はそういう相手じゃないんだから。


 実際に会ったのは死の間際でだけだし、実在するかどうかすら怪しいんだから。


 私のそんな様子など気に止める様子もなく、いつもの冷たい美貌で天翼が聞いてくる。


『それより明琳、そちらは順調か?』


「順調……といえば順調ではあるんだけど、佳蓉様のご機嫌を取るのが難しくて……」


 私が笑うと天翼は真剣な顔になった。


『そうか。でも女官として頑張れば妃と一緒に巫女宮に出入りしたり皇帝にもお目通りできる可能性もある。そうなれるように頑張るんだ』


「そんなこと、私にできるかなあ」


 私が弱音を吐くと、天翼は少し不機嫌な顔をして言った。


『できるよ、明琳なら。俺は信じているから』


「は、はい」


 そんなに期待されても困るよ。


『それで、その佳蓉とかいう姫はそんなに厳しいのか?』


 天翼は腕組みをする。


「うん、なんて言うか……集中力が無くて常にイライラしていて、すぐに癇癪を起こすというか」


「ふぅん」


 天翼は少し考えた後、こんなふうに言った。


『その姫、夜はちゃんと眠れているのか?』


「夜?」


『ああ。今の話を聞くに、ひょっとしたら睡眠不足なのではないかと思ってな』


「そっか、そうかも」


 私は授業中に何度も欠伸をしていた佳蓉様の姿を思い出した。


 そうか。ひょっとしたら佳蓉様は寝不足なのかもしれない。


「ありがとう、天翼。ひょっとしたら、何かいい案が浮かぶかも」


『それならいいのだが』

 

 そう言うと、天翼はおもむろに宙を見つめた。


『まずい。もうすぐ夜が開けるか。それでは私はこれで。くれぐれも無茶はせずに頑張るように』


「うん」


 私は夜の闇の中、星屑のように消えていく天翼の姿をじっと見送った。


 ***


「佳蓉様、おはようございます!」


 次の日、私は特別に作った教材を持って佳蓉様の元へと向かった。


「おはよう」


 佳蓉様は相変わらず不機嫌だ。目の下には深いくまもある。やっぱり寝不足なのだろうか。


「さて、今日は歴史の授業ですが、ただ暗記するのもつまらないので、紙芝居にしてきましたよ」


 私は昨日寝る前に必死で作った紙芝居を取り出す。


「へえ、ちょっと面白そうね」


 興味を示してくれる佳蓉様。良かった。

 ……と思いきや、案の定、途中からこっくりこっくりし始めた。


 ―― ひょっとしたら睡眠不足なのではないかと思ってな。


 天翼の言葉を思い出す。


「あのう、佳蓉様。ひょっとして佳蓉様は、夜、あまり眠れていないのでは?」


 佳蓉様はあくびをかみしめながら答える。


「そうね。ここ数ヶ月ずっとよ。何だか夢見が悪くて」


「でしたら、構わず寝てください」


 私は紙芝居を閉じた。


「少し寝て、スッキリすれば勉強も頭に入りやすくなるはずです」


 佳蓉様は少し驚いた顔をしたあと、コクンとうなずいた。


「ありがとう。そういうことを言ってくれるのは初めてだわ」


 佳蓉様は机に突っ伏して仮眠を取り始めた。

 本当に眠かったのだろう。少しすると、すうすうと寝息が聞こえてきた。


 良かった。子供には睡眠が必要だもん。


 そう思っていたんだけど――。


「うっ……うう」


 佳蓉様が苦しそうな呻き声を出し始める。


「か、佳蓉様!?」


「うう……うう……」


 見ると、佳蓉様の周りに紫色の霧のようなものがまとわりついている。


 何これ……!


「う……うう」


 もがき苦しむ佳蓉様。

 顔色が悪い。冷や汗もかいている。

 それに――紫色の霧が蛇のように体を締め付けていて苦しそう。


 何これ。妖魔あやかし? それとも呪い?


さん!」


 私は指で印を切り、霧を追い払った。


「佳蓉様、佳蓉様! 起きてください!」


 佳蓉様の体を揺すると、佳蓉様は「うーん」という声を出し、目を覚ました。


「明琳……私」


「佳蓉様、どうしたんですか!?」


「私、夢を見ていて……」


 佳蓉様がゆっくりと起き上がる。顔が真っ青だ。


「夢? どんな夢です?」


「女の人に首を絞められる夢……」


 私はゴクリと唾を飲みこんだ。


「それ、いつも見るのですか?」


 佳蓉様はこくりとうなずく。

 やっぱりだ。佳蓉様は、その悪夢のせいで寝ている間も休養がとれず、いつも眠たげな様子でイライラとしていていたのだ。

 

「佳蓉様、言いにくいのですが……佳蓉様は妖魔に取り憑かれております」


「妖魔に?」


 佳蓉様は一瞬驚いた顔をしたけれど、すぐに何かを納得したような顔をした。


「そうなの」


「佳蓉様、何か心当たりが?」


 尋ねると、佳蓉様は言いにくそうに話し始めた。


「実は――」


 事の始まりは一ヶ月ほど前。

 佳蓉様は、主上――皇帝陛下と妃たちと一緒に鷹狩りをしに皇室御用達の狩場へと出かけられた。


 するとそこで、佳蓉様は小さなほこらを見つけたのだという。


「祠の中には綺麗な瑠璃色のお皿があって……あんまり綺麗だから後宮に持ち帰ってしまったの」


「瑠璃色のお皿……」


 もしかしてそれが、佳蓉様に起こった異変の原因なのだろうか。それなら――。


「もしそうなら、お皿を元の祠に戻せば佳蓉様は怖い夢を見無くなるかもしれません」


「本当?」


 と、そこで私は昨日の出来事を思い出した。


 地震で私の手元に落ちてきたあのお皿。

 あのお皿は確か瑠璃色じゃなかったかしら。


「ひょっとしてそのお皿って、奥の倉庫に置いてあるものですか?」


 私が尋ねると、佳蓉様が答える。


「ええ、そうよ。あの部屋に保管してある」


 やっぱり、あの時のお皿がそうなんだ!


「それなら、私がそのお皿を元の場所に戻してきましょう」


 私が提案すると、佳蓉様は目を輝かせた。


「本当!?」


「ええ、佳蓉様のためですもの」


「ありがとう、明琳」


 佳蓉様は私に抱きついた。


 良かった、これで佳蓉様も勉強に集中できるはずだわ。


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