第15話 後宮と宦官

 さて、ここからどうすべきだろうか。


 私が考え事をしていると、廊下の向こうから、彩鈴さんが走ってくる。


「ねぇねぇ、明琳! こんな所で何してるの?」


 私ははっと顔を上げた。


「彩鈴さん。私、佳蓉様の授業内容を考えてて」


「はい」


 答える私に、彩鈴さんは問答無用で雑巾とほうきを押し付けてきた。


「えっ、これは」


 戸惑う私に、彩鈴さんはにやりと口の端を上げて笑った。


「明琳、言い忘れてたけど、新人女官には『掃除』っていう立派な任務があるの」


 えっ、女官って掃除もするの?

 恐る恐る聞いてみる。


「でも、掃除は宦官かんがんがしてくれるんじゃないんですか」


 宦官っていうのは、去勢をされた男性官吏のこと。


 後宮に仕えて掃除や建物の修繕、お金の管理や運営をしてくれるんだ。


「いやいやいや」


 彩鈴さんは首を横に振った。


「いくら宦官だからって、男が部屋に入るのは問題があるでしょ。だから部屋の中を掃除するのは女官がやることになってんの。宦官が掃除するのは廊下や庭だけ」


「そ、そうなんですね」

 

「今までは私が下っ端だったから掃除させられてたけど、あなたが新人として入って来てくれて助かる。それじゃあ、ここの部屋全部、よろしくねえー」


 ひらひらと手を振って去っていく彩鈴さん。


「はい」


 私は彩鈴さんの後姿を呆然と見送った。


 ……って、全部?


 部屋を全部って、一体何部屋あるのよ。


 もう、こっちはやらなければいけない事がたくさんあって忙しいのに!


 私は頭を抱えてその場に立ち尽くしたのでした。


 ***



「はあ、ようやく終わった」


 時刻は夕刻。真っ赤な夕日が長い廊下に差し込む。


 私はようやく最後の部屋の掃除を終え、部屋を出た。


 午前中は佳蓉様の勉強を見てあげて、午後からは掃除。


 夕飯や湯浴みの時間もあるし、思っていたよりも後宮の内情を探る時間は限られてきそう。


「にゃーん」


 声がして庭の方を見ると、長い赤毛の猫がいた。


「わあ、猫ちゃんだ」


 猫は人懐こく、私の足にすり寄ってくる。

 後宮で誰かが飼っているのだろうか?


 赤く長い毛に、ちょっとつり目の生意気そうな感じ、この猫、何だか天翼に似てるかも。


「天翼。そうだ。お前のことは天翼って呼ぼう」


 私は猫に勝手に天翼と名前をつけ、可愛がることにした。


「よしよし、天翼、可愛いなぁ」


 しばらく猫を撫でて癒されていると、私はとんでもないものを見てしまった。


 なんと、庭の木の影で一組の男女が抱き合っているではないか。


 一人は若葉色の上衣を着た長い髪の女官。もう一人は、紺色の官服を着た背の高い男の人。


 後宮に男の人は入れないはずだから、あの人、きっと宦官だよね?


 女官は恋愛禁止がここ後宮の規則。だから女官は全員独身なのが当たり前。宦官もそう。


 それなのに、女官と宦官二人が抱き合ってるなんて、私は大変なものを見てしまったのかもしれない。


 ど、どうしよう。とりあえずどこかに隠れなきゃ。


 私はとりあえず近くの部屋に入った。


 そこは部屋と言うよりは倉庫で、かび臭い匂いがして、棚には古い皿やら器やらが並んでいる。


 この部屋も、掃除した方がいいのかな?


「それにしてもここ、何だか嫌な感じがするなあ」


 どんよりと空気がよどんでいて、邪気が溜まっていそうな気配がする。とりあえず、換気でもするかな。


 そんなことを考えていると、不意にぐらぐらと棚が揺れた。


「きゃあっ」


 揺れは小さいけれど、一枚の皿が棚の上から落ちてきて、私は慌ててそれを手で受け止めた。


「ふう」


 私は手元の皿をじっと見た。


 それは見たことがないほど綺麗な瑠璃色のお皿だった。


 危ない危ない。


 後宮で使われているお皿なんて、どれも高価に違いない。割れなくて良かった。


 それにしても最近、地震が多いな。


 もしかしてこれは、天変地異の前触れなのかしら。


 私がいつまで経っても炎巫になれないから、天がお怒りになっているのかも。


「はあ」


 私は肩を落として皿を元の場所に戻した。


 早く炎巫になりたいけれど、その前に、目の前の問題を一つ一つ解決していかないと。


 ***


「こんな時間まで勉強?」


 夕ご飯を食べ終え、部屋で佳蓉様の授業内容を考えていると、彩鈴さんが声をかけてきた。


「は、はい。明日の佳蓉様の授業内容を考えてて」


「ふぅん、真面目だねぇ」


 彩鈴さんがゴロリと横になる。


「真面目というか、何とかして佳蓉様に勉強してもらわないとクビになるので」


「そっかあ、大変だね」


 私はチラリと彩鈴さんを見た。

 何となく、誰かに話を聞いてほしい気分だった。


「あの、これは誰にも内緒にしてもらいたいんですけど、実は今日、とんでもないものを見てしまって」


 私は彩鈴さんに、庭で抱き合っていた女官と宦官のことを話した。


「なぁんだ、そんなこと」


 彩鈴はプッと笑った。


「その二人が付き合ってるのはみんな知ってるから、そんなこと誰も驚かないよ」


「そ、そうなんですか? でも規則では――」


「規則なんて誰も気にしないよ。女官長も妃たちも皇帝陛下も黙認してる」


 ええ? そんなことってあるの?


「でも、宦官って去勢されてるんですよね?」


「まあね。でも子供を作れないこと以外は普通の男と同じだし。人を好きになる気持ちが無くなるわけじゃないから」


 むふふ、と彩鈴さんが笑う。


「ここの宦官、顔採用されてるって専らの噂で、結構見た目のいい人が多いのよ」


「はあ」


「幼い頃から去勢されて育てられたせいで女性よりずっと綺麗な宦官もいるっていうし、逆に宦官なのに筋骨隆々で男の色気ムンムンの人もいるっていうし、明琳も自分好みの推し宦官を見つけるといいわ」


 早口でまくしたてる彩鈴さん。


 もしかして彩鈴にも、贔屓にしている宦官がいるのかもしれない。


「それは遠慮します」


「何でよぉ。あ、分かった。他に良い人でもいるんでしょ。心に決めた相手とか――」


 がばりと私の背中に抱きついてくる彩鈴さん。私は必死でそれを振り払った。


「違います!」


 そんなものいるわけない。


 私には、静が偽物の巫女だと暴き、国を滅亡の危機から救うっていう使命があるんだから。


 背後で「ちっ、つまんないの」という彩鈴さんの声が聞こえる。


 ふん、いいんだ。


 私は炎巫になってこの国を救うという使命があるんだから、推しなんて作っている暇はないんだから。


 

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