第14話 女官たちの噂

 そんなわけで、私の後宮生活は始まったのだけれど――。


「あっ、見て、あの子よ」

「あの子が一ノ妃様を妖魔から助けたんでしょ?」

「私は女官になるためにわざと妖魔に襲わせたって聞いたけど」

「えっ、本当!?」


 女官たちがひそひそとこちらを見て噂をする。


 うう、気まずいなあ。


「おはようございます」


 私が素知らぬ顔で挨拶をすると、女官たちはさっと顔色を変えた。


「お、おはよう」

「おはようございます。おほほほほ」

「さ、行きましょ」


 蜘蛛の子を散らすように居なくなってしまう女官たち。


 私はぽりぽりと頭をかいた。


 参ったわ。目立たないようにしようと思っていたのに、完全に悪目立ちしてる。


 しかも目立ってるだけでなくみんなに避けられているみたいだし。


 どうしてこんな噂が広まったのか。

 心当たりは一人しかいない。


「――彩鈴さん」


 私が怒気を込めて名前を呼ぶと、彩鈴さんは床に寝そべり、お尻をぼりぼりと掻きながら返事をした。


「ふへっ、何ぃ?」


「『何い』じゃないですよ。いつの間にか、私が妖魔を操って一ノ妃様を襲ったっていう噂が広まってるんですけど」


「ああ、あれ? そんな、私はただあなたが一ノ妃様を妖魔から助けただけって話をしただけよ。ほら、私って友達多いじゃん。そしたらいつの間にか誰かが噂に尾ひれをつけて広まってさー」


 悪びれる様子もなく笑う彩鈴さん。

 全く、この人に話した私が馬鹿だったわ。


 私は書物を抱えると、くるりと彩鈴さんに背中を向け部屋を出た。


「それじゃあ私、佳蓉様の所に行ってきます」


「行ってらっしゃーい。くれぐれも佳蓉様のご機嫌を損ねないように気をつけてね」


 お煎餅にかじりつきながら呑気に手を振る彩鈴さん。


 もう、どうしてこの人が同室なのかしら。

 それにしても――。


「気をつけてって、どういう意味ですか?」


 私が戸に手をかけながら尋ねると、彩鈴さんはニヤリと笑いながらこう言った。


「だって佳蓉様といったら大癇癪持ちで有名じゃない。そのせいで今まで何人もの教育係が辞めてきたんだから。だから気をつけてってこと!」


 ええっ。そんな話、初耳なんですけど。


 私は動揺を悟られぬように笑ってこう言った。


「――ありがとう。気をつけるわ」


 もう、どうして次から次へと心配事が増えるのかしら。


 ***


「佳蓉様、失礼いたします。新しく教育係となりました紅明琳です」


 佳蓉様の部屋の戸を叩くと、しばらくして返事があった。


「入りなさい」


 戸を開けると、一ノ妃様に似て色白で、綺麗な黒髪と大きな瞳の女の子が座っていた。


 わあっ、この子が佳蓉様?


 凄く可愛い。まるでお人形さんみたい。


 私は目の前にちょこんと座る佳蓉様に目を奪われた。


 私が教育係をすることになった佳蓉様は、一ノ妃と先代の皇帝陛下との間に生まれたお子で今年で七歳。


 実は一ノ妃様は元々先代の皇帝陛下の妃だったの。


 でも去年流行病で急に皇帝陛下が亡くなり、未亡人となった一ノ妃様を哀れんだ今の皇帝陛下は兄の妃である一ノ妃様をめとり妃としたの。


 だから佳蓉様は皇帝陛下の実の子ではなく姪。


 兄である先代陛下のお子ではあるのだけれど、皇帝陛下は佳蓉様も自分の子供のように可愛がっているんですって。


 一ノ妃様がにこやかに紹介してくれる。


「佳蓉、こちらの方がお母様の命の恩人の明琳さんよ。よくお話を聞いて勉強するのよ」


「はい。分かりました、お母様」


 頭を下げる佳蓉様。

 一ノ妃様はそれを見ると満足そうに頷き、席を立った。


「それじゃあ私は用事があるから、後は明琳さんよろしくね」


「は、はい、分かりました」


 私が頭を下げると、佳蓉様に向き直った。


「それじゃあ、始めましょうか」


「ええ」


 私が言うと、佳蓉様は大人しく書物を開いた。


 あらっ、思っていたよりも大人しい良い子だわ。


 やはり彩鈴さんが言っていたのはただの噂だったのかしら。


 とりあえず読み書きと算盤の授業を始める。


 初めのうちは真剣に聞いていた佳蓉様。

 教育係は順調――かと思われた。


 けれど、そのうち段々と佳蓉様の姿勢が崩れ始め、こっくりこっくりと頭が揺れ出した。


「佳蓉様、大丈夫ですか」


 私が声をかけると、佳蓉様はじろりと私を睨んだ。


「明琳、あなたの授業はつまらないわ。聞く気も起きない」


 佳蓉様がフンと横を向く。


 なるほど。


 そういえば、彩鈴さんが言っていたっけ。


 佳蓉様は見た目は可愛らしいけれど、すぐに癇癪を起こすという悪癖があると。


「つまらない、ですか」


「次につまらない授業をしたらクビにするから、それまでに授業の内容を考えてきて!」


 佳蓉様に部屋から追い出され、ピシャリと戸を閉められる。


 私は途方に暮れた。


 私にとって、勉学というのは新しい世界を見せてくれる興味深いもので、つまらないなどと思ったことはなかったから。


「何か、集中して取り組める課題を与えればいいのかな」


 私は目の前に積まれた書物の束を見つめてため息をついた。


 確かにかよ佳蓉様はまだ幼いし、じっと机に向かっていてもつまらないのかもしれない。


 座学よりも、もっと実験や実務に寄った課題を与えたほうが良いのかしら。


「……ねえ、天翼、天翼はどう思う?」


 周りに誰もいないのを確認して問いかけてみたけれど、天翼の返事はない。


 そう言えば、後宮に来てからしばらく天翼の姿を見ていない気がする。一体どうしたのだろう。


 特に役に立つ助言をくれるわけでもないし、口うるさい人ではあるんだけど、居なければ居ないでなんだか寂しいな。


 私はぽつんと一人、誰もいない部屋の壁を見つめたのでした。

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