第四章 明琳、後宮に潜入する

第13話 初めての後宮

 後宮入り初日。


 私がわずかながらの荷物を手に、通された部屋で待っていると、一人の女官がやってきた。


「あなたですか? 新人女官というのは」


 深緑の上衣に紺の長裙を着た恰幅かっぷくの良い年配女性――もしやこの方は!


 私はピシリと姿勢を正した。


「は、はい。新しく入りました紅明琳と申します!」


 私が頭を下げると、年配の女官は優しく目を細めた。


「私の名前はシャ文淑ウェンシュ。ここで女官長を務めさせていただいています」


 この方が女官長様かあ。何だか凄く優しそう。


「今日からよろしくお願いします」


 私が頭を下げると、女官長様は興味深そうに書類を一瞥した。


「女官というのは、有力者の推薦で入ってくるのが普通で、あなたのように考試を受けて入ってくるというのは非常に珍しいですね。さぞかし有能なのでしょう」


「い、いえ、そんなことないです」


 私が頭を下げると、女官長は奥で書類の整理をしていた女官を呼び付けた。


彩鈴サイリン


「はい」


 黄緑色の服を着た若い女官が前に進み出る。


「この子を部屋に案内して差し上げて。この子は新しく来た佳蓉様付きの女官よ。あなたと同室になるから」


「はい、分かりました」


 私は彩鈴と呼ばれた女官の顔をチラリと見た。


 歳の頃は二十歳くらいだろうか。黄色がかった茶髪を結い上げた、細面のさっぱりした顔の美人だ。


 彩鈴さんはニコリと笑って頭を下げた。


「私は彩鈴。よろしくね」


「はい、よろしくお願いします」


「着いてきて。部屋まで案内するわ」


「ありがとうございます」


 私はほっと息を吐いた。


 良かった。女官長様も彩鈴さんも良い人そうで。


 私が黙って後ろをついて歩いていると、彩鈴さんはくるりと振り返った。


「あんた、考試で入ってきたって本当? すごいね」


 先程までとは打って変わった砕けた口調に好奇の目。


 私は少し面食らってしまったが、慌てて笑顔を作り直した。


「いえ、そんなことないです。みなさん、考試で女官になったんじゃないんですか?」


「ここにいるのはたいがいコネで入ったやつらばかりだね。もちろん私も。だから結構使えないやつも多いし」


「そうなんですか」


「でもぉ、ぶっちゃけどうなの。本当に考試だけで選ばれたの。一ノ妃様との面識はなかったの?」


 矢継ぎ早に質問してくる彩鈴さん。

 私はしどろもどろになりながら答えた。


「一度、文仙廟で一ノ妃が妖魔に襲われたのを助けたことはあるのですが、それ以前には面識はありませんでした」


「へえ、そうなの、妖魔が? じゃあそれで恩義を感じて一ノ妃様があなたを採用したのかもしれないかもね」


「そうかもしれませんね」


「あ、ここだよ、私たちの部屋」


 通された部屋は、狭いけれど、こざっぱりとして綺麗だった。


「二人部屋なんですか?」


「本当は四人部屋なんだけど、今は幸運なことに二人しかいないから広く使えるね。あ、荷物はその辺に置いておいて」


 その辺ってどこだろう。


 言われた通り荷物を置くと、彩鈴さんはふむ、と私の顔を見た。


「それから――あとは着物かな。着いてきな。こっちに官服があるから」


 ずんずん歩いていく彩鈴さんの後を必死に追い、奥の部屋へと向かう。


「ええっと……確かここに……あった」


 彩鈴さんは浅葱色の上衣と紺色の長裙スカートを出してくれた。


「あんたはまだ見習いだからこの色ね。出世すると、私みたいな若葉色の上衣が着られるの」


「へえ、そうなんですね」


「ちなみに深緑を着ていいのは女官長様だけだから」


 くるりと振り返りながら彩鈴さんが言う。


 女官長様かあ。


 先程会った女官長様の顔を思い出す。

 あの人、偉い方なのに全然いばってなくて優しそうだったな。


「女官長様って優しそうな方ですよね」


 恐る恐る尋ねると、彩鈴さんはニヤリと笑った。


「まあ、普段は優しいけど、怒ると怖いかな」


「厳しい方なんですか?」


「厳しいなんてもんじゃないよ、まるで鬼婆オニババ


 頭の上に角を作ってみせる彩鈴さん。


 私は「ひえっ」と声を上げた。


「まあ、大きなヘマでもしない限り大丈夫よ。普段はあの通り温厚だから」


 くすくす笑う彩鈴さん。全くもう。

 

 でも普段は温厚なら良かった。

 巫長は特に何もしなくてもいつも厳しかったもの。


 私と彩鈴さんは、そんな話をしながら部屋に戻った。


 私が官服に着替えていると、別の女官がやってきた。


「明琳さん、何やってるの。一ノ妃がお呼びよ」


「えっ」


 一ノ妃様が!?


「は、はい、急いでいきます!」


 急いで部屋を出た私に。彩鈴さんが声をかける。


「あっ、明琳、一ノ妃の部屋分かる?」


「わ、分かりません。教えてください」


 私は彩鈴さんと一緒に一ノ妃の部屋までやってきた。


「ここだよ。頑張って」


「はい、ありがとうございます」


 ゴクリと唾を飲み込むと、引き戸の向こうに向かって声をかける。


「失礼します。新しく女官として採用されました紅明琳です」


「どうぞ」


 中から衣擦れの音とともに微かな声がした。


「し、し失礼します」


 恐る恐る中に入ると、中では天女のように美しい一ノ妃が微笑んでいた。


 ああっ、一ノ妃様、相変わらずお綺麗……。


 私が感動していると、一ノ妃様は優しく微笑んだ。

 

「久しぶりね、明琳」


「私のこと覚えていてくださったんですか?」


「もちろんよ、忘れるはずないじゃない」


 くすくすと少女のように笑う一ノ妃様。


「ではそれで、私のことを採用してくださったんですね?」


 恐る恐る尋ねると、一ノ妃様は首を横に振った。


「いえ、それは違うわ。筆記で満点を取ったのはあなたただ一人だったからよ」


「そうなんですか?」


 あんなに簡単な筆記試験だったのに、満点を取ったのが私だけなんてなんだか信じられない。


「面接での態度も良かったですしね。それに、巫宮での占いでも西南――文仙廟の方角で出会う赤毛の少女が吉だと言っていましたし」


「巫宮の占いで?」


「ええ。占いの通りでびっくりしたわ」


「そうだったんですか」


 私は自分の髪をチラリと見た。

 染めたことにより茶色っぽくなってはいるけれど、確かにまだ赤毛に見えなくもない。


 髪を染めるのに失敗して、かえって良かったかもしれない。


「……というわけだから、これからよろしくね」


 ふわりと蝶のように微笑む一ノ妃様。


「――はい!」


 私は力強く返事をした。

 これから、私の女官生活が始まるんだ。

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