第5話 有栖川さん
六花でなくとも、それは動揺する光景だった。脳天を撃たれて生きている人間など、あり得ない。
「塩留、お前は一体……」
問おうとすると、また銃撃が来る。六花は咄嗟に塩留を抱えて、荷物の陰に隠れた。
「え、荷物壊れたら駄目じゃないですか?」
「命より荷物が大事なのか、お前は」
確かに、運び屋としては荷物を傷つけたくない。だが、命あっての物種である。死んでしまっては届けるものも届けられない。裏に生きている以上、一番に大切にすべきは命である。命さえあれば、ヤキを入れられようが、取り返しがつくのだ。
それに、六花はとても有難いが、とても当たってほしくない予感を感じていた。
銃声が、荷物の陰に入ってから、ぱたりと消えている。六花はたっぷり十秒を数えたが、一つだって凶弾が六花の荷物に傷をつけることはなかった。
六花は頭痛を抑えるように額をぐりぐりと揉みほぐした。
「やっぱりか……」
頭痛がする。それは犯人に見当がついたからだ。
それなら、塩留に問わねばならないことがある。それは六花の主義に反することだから、六花はあまり気が進まない。
「塩留、お前、どうやって姉さん……佐原の姉貴と出会った?」
「え、ええと、路頭をさまよっていたら、声をかけられて……」
うむ、わからん、と思った。だが、原因究明には必要だ。こいつの過去が。
六花の推測だが、ほぼほぼ当たっているだろう。襲撃犯の狙いは塩留だ。そして、襲撃犯の正体は六花の部下である。何がどうしたらそうなるのかは六花が一番知りたい。だが、六花の荷物を撃ってこないのは、仲間としか考えようがないのだ。
六花の部下たちはなんだかんだ面倒見のいい六花のことも慕っている。だからこの襲撃は六花の仕事の邪魔をするために行われたものじゃない。ただ純粋に塩留を狙って実行されたものだ。
運び屋中は隙ができやすいから、妥当といえば妥当なのだが。
頭が痛い。何故仲間割れが起こるのか、六花にはさっぱりだ。皆平等に佐原に救われ、六花の世話になったはずだ。多少の嫉妬はあったかもしれないが、ちょっとしたお茶目で済む程度のものだった。それが何故塩留に対しては殺意になるのだろうか。
とにもかくにも、できることは一つだ。
「さっさと有栖川さんとこまで荷物届けるぞ」
「え、はい?」
「やつらはもう撃ってこない。仕事を終わらせる、と言ったんだ。何か文句があるか?」
「ありません……」
塩留が背後で「パワハラだ……」と呟いた気がするが、六花はかまわず、台車を動かした。
聞きたいことも、言いたいことも山のようにあるが、塩留が狙われている今、一番やり過ごしやすい方法が、運び屋をすることだ。荷物ごと蜂の巣にすることもできただろうに、襲撃犯はそれをしなかった。ということは、荷物が盾になるということだ。
「有栖川さんのとこまで行けば、さすがに安全だろうしな」
「ずっと思ってたんですけど、有栖川さんって何者なんです?」
「うちのお得意様さ。ほら、見えてきた」
瓦屋根の屋敷。立派な門があり、そこの表札には「柴田」とある。
塩留の頭から疑問符が消えない。
「ここ、有栖川さんのおうちですよね?」
「俺が得意先の家を間違えると思うのか」
塩留は今一度表札を見る。そこにはやはり「柴田」と書いてある。有栖川の「あ」の字もない。
疑問符まみれの塩留をよそに、六花がインターホンを鳴らす。
『はい』
「こんにちは。白瀬運搬です。荷物のお届けに参りました」
『ただいま参ります』
運送業として、宛名の確認を行わないのはどうかと思ったが、裏社会の人間に常識を問うことは無意味である。塩留の頭は表札の「柴田」の文字の謎でいっぱいだが、おそらく六花の当てつけだろう。聞いては来なかったが、六花も塩留の存在に疑問を感じているだろうから。
しばらくして、門扉を開けたのは、灰髪に青い目というおよそ日本人らしくない容姿をした人物だった。
「白瀬さん、いつもありがとうね。さ、上がってって」
「はい。あ、こいつうちの新人です」
「あらそうなの? あなたも上がってらっしゃい」
「は、はい。お邪魔します」
そうして、荷物と共に中に入る。驚いた。庭には立派な松がある。枯山水というやつだろうか。飾り気のない和の庭園である。
家、というか屋敷に上がると、檜と線香の匂いがした。立派な家で、塩留は息を飲む。
居間に通されたところで、そこまで穏やかだった灰髪の女性の青い目に妖しげな光が灯る。
「さて、雪ちゃん。一体何があったの?」
「さすが有栖川さん。お見通しですか」
六花は苦笑して、仕事中に襲撃があったことを伝えた。
「申し訳ありませんね。荷物以外は身軽なもんで、着替えを用意してなかったんですよ」
その言葉を聞いて、塩留はようやく気づいた。傷口や顔などは途中の川で洗ったが、服には血がついたままだ。
「運び屋白瀬を狙うとは、なかなか命知らずな連中ね。木内組に粉をかけるようなものでしょうに」
「いいえ、おそらく内輪揉めです。俺が狙われたわけではないようで、荷物と俺は無事なんですよ。俺も色々聞きたいので、お時間頂戴いたします。
ほら、新入り、お前も挨拶しろ。彼女が有栖川さんだ」
「あ、はい。ぼ、僕は塩留アキラと言います」
塩留の名前を聞いて、有栖川と呼ばれた女性は短く「ああ」とだけ言った。何か得心した様子だ。
六花はその様子に、やはりな、と思う。有栖川は何かを知っているのだ。何を知っていてもおかしくない。
「塩留、有栖川さんはカタギに溶けて生活する情報屋だ。うちに運び屋としての仕事をくれるお得意様でもあるのと同等に、有栖川さんにとっても
「情報屋……」
「ふふ。有栖川というのは偽名よ。表での名前は表札にあった通り『柴田』だから、街で会っても、声をかけないでちょうだいね」
「はい、わかりました」
塩留の方はこれで納得がいっただろう。というわけで次はこちらの番だ、とばかりに六花が目付きを鋭くする。
「塩留、お前は一体何者だ? 返答次第じゃ、俺の側には置いておけない。もちろん、姉さんの側にも──」
「雪ちゃん」
六花の言葉を遮るように、有栖川が声をかける。白瀬雪というのが六花の偽名である。情報屋である彼女は、そのことを知っていたし、当然、六花の本名も知っている。
藪をつついて蛇を出さないようにするのが、裏で上手く生きていくコツだ。特に情報屋はそういう生き物である。しかし。
「とうとう、動き出したみたいだね。六花ちゃん。あなたは近いうちに、この街からいなくなる。寂しいことだけれど、進みなさい」
「有栖川さん?」
妙な予言を授けられ、六花は戸惑う。塩留は仮にも部下だ。部下の前で本名を呼ばれて動揺する。有栖川は無闇にそのようなことをする人物ではなかったはずだ。
戸惑って、紡ぐ言葉に迷う六花を有栖川は悲しげに見つめる。
「かわいそうに。忘れてしまっているのね。でもそれはあの子も同じこと。思い出したら、今のままではいられなくなってしまうもの。それを無意識で『怖い』と感じて、防御策を取るのは当たり前のことだわ」
「有栖川さん。言っている意味がわかりません」
「わからなくていいわよ、今はね。そのうち思い出すでしょう」
何を言っているのだろう。この人は聡明な情報屋で、こんな抽象的な物言いをする人ではなかったはずだ。何故、はっきり言ってくれないのだろう。
「塩留のこと、何か知っているんですか?」
「塩留くんのことは知らないわ。でも、アキラくんのことなら、知っているわよ。わたしの口から言わせるのではなく、思い出してあげなさい」
「あり」
「わたしに言えるのは、ここまで」
有栖川がす、とその細い指を六花の唇に当てる。六花は口を閉ざすしかなかった。
有栖川が明かす情報を制限するのは有栖川自身の身を守るためでもある。知りすぎていることで、彼女はいつ身を滅ぼすかもわからない身なのだ。それを知っているから、六花はそれ以上、問いを連ねられなかった。お金を払っているわけでもないのに、情報屋の口を無理矢理割らせることはできない。鉄火場に立つ者ならまだしも、六花は一介の運び屋に過ぎないのだ。
「これでいいかしら? 塩留くん」
「あはは。まさかこのことを知っている一般人がいるなんて、予想外でした。ありがとうございます」
「ふふ、馬鹿ね」
有栖川は妖艶に笑う。
「わたしは一般人の皮を被った情報屋よ」
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