第4話 運び屋業
六花は黄色みの強いベージュのコートを羽織り、青い迷彩柄のギャップを被る。髪は切るのが面倒で伸ばしっぱなしにしているため、帽子を被らないと、六花の銀髪はとても目立つ。
目立つのが嫌なら染めるか切るかすればいいのだろうが、両方とも抵抗があった。染めるのは特に。六花の奇抜な銀髪を好きだと言ってくれた人が二人いる。美樹と、婚約者だった松だ。銀髪は家の者に幼少の折から讃えられてきたが、それは六花を「橘六花」として見ているのではない。
六花は生まれつきの銀髪であるため、周囲から白い目で見られることはよくあった。そんな中、六花の髪を結いながら、「雪みたいに綺麗な色で羨ましい」と言ってくれたのが美樹だ。あの愛おしげな目に見つめられたら、なんだか六花は得した気分になった。
松は六花に石が投げられそうなとき、いつも守ってくれた。そのとき「綺麗なもんを素直に綺麗だと言えない心が卑しい」だとか、石を投げてきた輩を謗っていたのはいただけなかったが、六花はなんだかすっと、松がいつも守ってくれる理由が腑に落ちた。
綺麗なものだから、守るんだ。
あたしは「綺麗なもの」なんだ。
そう思ったら、泣きたいような気分になったが、口から零れ落ちたのは笑いだった。急に高笑いし始めた六花に怯えて、いじめっ子たちが逃げていく姿は愉快だったのをよく覚えている。
自分が綺麗なものである限り、守ってくれる誰かが側にいてくれる──六花は無意識にそう信じた。
そんなことを思い出して、自嘲する。今、自分はどこにいる? 守ってくれる人も捨てて、裏社会なんかに来てしまったではないか。
自分の力で生きて、復讐すると決めたではないか。
己の決意を確認し、六花の中に仄暗いものが立ち込める。外見は白くても、六花の内側は黒で塗り固められている。
「あの、着替えました……」
「おう」
新入りの塩留が戻ってきたので、六花は思考を現実に戻す。塩留も六花と同じコートとキャップを被っていた。究極的に似合わなくて、六花は目をすがめる。
「お前、着替えとか持ってんの?」
「いえ、あの一着しか……」
いっそさっきの粗末な黒装束の方が似合ったまである。だが、これは仕事だ。仕事の制服なので、似合う似合わないは関係ない。故に、気にしない。六花はそう決めた。
とんだ貧乏人を拾ったものだ、と佐原から預かった人間に対して思うのは、果たして何度目だろうか。佐原はホームレス同然のものを拾ってくる。捨てられた犬猫じゃないんだぞ、と六花はいつも思うのだが、ホームレスなどは、社会から捨てられた犬猫のようなものだ。更には人の形をしているから、情も湧きやすいのだろう。血の流れる争いの中で、鬼と称されるほどに冷酷でありながら、その血にはちゃんと人情が流れているのだ。
それにしたって、拾いすぎだ、と六花は思うのだが。塩留を見やる。体が細くて、ぺらぺらで、おそらくろくに飯も食っていないのだろう。段ボール一つ持つのすら危うそうだ。本当にこいつ、ここでやっていけるのだろうか、と思わず心配になる。
まあ、これも佐原の拾い物に対して、何度も抱いた感想だ。塩留もそのうち化けて、ばりばりの武闘派になるのかもしれない。ひょろひょろのもやしみたいな風体からはとても想像ができないが。
「さて、これからしばらく、お前はあたしと運び屋の仕事をしてもらう。給金は少ないが出るから安心しろ。あと、俺は偉そうに取り仕切っているが、たぶんお前より年下。ただ、運び屋やってそれなりの年数は過ごしてるから運び屋の仕事で俺に
「はい」
「もっと腹から声出せや。で、今日は有栖川さんって常連さんとこに荷物を運びに行く。俺んとこで運び屋やるときの鉄則だが、『中身』を絶対に確認すんじゃねえぞ。お前は姉さんに拾われてきたかもしれねえが、木内組の中でも下っ端の下っ端だってこと、よーく覚えとけ。長生きしたかったらな」
「はい」
声に張りがない塩留。腹は立つが、ろくに食べていないのなら、腹から声を出すのは難しい。気に食わないとすぐにヤキを入れるのがヤクザの兄貴分たちだが、六花はそういうことをしない。六花が優しいのではなく、六花が佐原から任せられるのは、基本的な体力のない者たちだ。六花は若いので、上下関係を叩き込むのは難しい。だが、運び屋である。体力をつけるにはうってつけだ。
「つーわけで、今日は有栖川さんとこにそこの段ボール三十箱を運ぶ。お前と俺の二人でな」
「有栖川さんのお宅は近いんですか?」
「近いぞ。隣町だ」
「距離感バグ!?」
隣町が遠いというより、まずこの街が大きいのだ。広い街から広い町へ。それが運び屋の仕事である。
「ええと、車とかを使うんですか?」
「徒歩だ」
「徒歩!?」
「俺はまだ運転免許持ってないし。木内組の傘下だが、別部門みたいなもんだから、兄貴らの手を煩わせるわけにもいかない。大丈夫だ。台車借りて、裏通りで行くから目立たん」
「台車で歩いてって……」
六花の運び屋業は文字通り足を使う。六花はここで偽名を使っている上に、車の運転免許を持っていない。というか、取得するつもりがないのだ。中身を知らないで何かを運ぶのは警察に目をつけられるとよくない。
それに、体力作りには地道ではあるが、歩く、走るといった基本動作が持ってこいだ。六花はそんなつもりで運び屋を始めたわけではないが、佐原には恩があるから、佐原の拾い物たちの世話をするのにこの方法を選んでいる。
「この運び屋の仕事はそもそも俺が取り仕切って、俺のやり方で続けてきている。文句は受け付けない。姉さんに恩があると思うなら、しっかりやることだな、ひょろもやし」
「塩留です」
「もっと声張れ」
腹が減っているのだろうが、まあいい。このやりとりはいつまでもぐるぐると続くので、早々に切り上げるのが吉である。切り替えが大事なのだ。
「お、重っ……」
「一つでも落としたら処す」
「怖!!」
ヤクザが怖くないわけなかろう、と思いつつ、六花は塩留を先頭して歩き始めた。
「ほら、頑張れ。もう少しで隣町だ」
「有栖川さんのお宅はまだですか……?」
「有栖川さん家に行くのはまだ橋を一つ越えにゃならん。まあ、小さい橋だから安心しろ」
言いながら、六花は塩留に自販機で買ったスポーツドリンクを渡す。塩留はへろへろになりつつも、それを受け取った。
「あ、開かない……」
蓋を開けるのに苦戦している。六花ははあー、と盛大な溜め息を一つ。
「寄越せ」
と塩留の手からスポーツドリンクを取り、蓋を開けてやった。
「軟弱なやつめ」
「はは、よく言われます」
苦笑いする塩留の顔を六花はじっと見る。
黒髪で右目を隠している以外には特にこれといった特徴のない青年だ。年は二十代くらいだろうか。目は黒というより灰色に見える。人の良さそうな笑みは、裏社会にはとても似つかわしくない。
「……お前の身の上を詮索するつもりはねーけど、抜けるんなら、俺んとこで運び屋やってるうちにしろよ。じゃねーと、めんどくせえからな」
「……はい」
声を張れ、という気にはならなかった。
この忠告は六花の良心からだ。まあ、誰もこの忠言を聞いた試しはない。皆、佐原に大恩を感じるから、運び屋で体力をつけ、武闘派の極道張って、鉄火場に立つために突き進んでいく。立ち止まったやつは、誰一人としていなかった。
六花も佐原に恩は感じている。だが、命張るのは違うだろ、といつも思う。その思いは、野郎どもが運び屋を抜け、組にのしあがっていくたびに、虚しさとなって六花の心に降り積もる。
六花にだって、情があるとか、どうして思わないのだろう、と思うが、まあ、社会の闇に踏み入れた時点で、やつらは闇の先を進むしかないのだ。
「さて、有栖川さんとこに急ぐぞ。正直お前が連れて来られたのは予定外だから、時間が足らん。休憩終わり」
「はい」
塩留が素直に立ち上がったときだった。
バァン、と馬鹿みたいに大きな音がした。鼓膜が破れるんじゃないか、と思ったくらいだ。
もしかしなくとも、銃声だった。その凶弾は塩留の頭を貫いている。
いきなりのことに思考が追いつかない。そこに拍車をかけるように。
「いきなり撃ってくるなんて、ひどいですねえ」
のんびりと塩留が、脳天に穴を開けたまま、起き上がった。
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