アキラ
第2話 そこは裏の道だった
橘六花はどこへ消えたのか。その手がかりさえ、橘家は見つけることはできなかった。
それもそうだろう。橘家が探したのは普通の女子高生が行ける範囲、一般的にはただの家出の範疇だったのだから。まさか、六花が裏社会に足を踏み入れたなんて、名家が思うわけがない。
極道だの、反社会的組織だの、ヤクザだの、様々な呼び方がある。そこは主に仁義や任侠を重んじる男の世界だ。そんなところに女子高生くらいの少女が足を踏み入れているだなんて、どうしたら想像できるのだろう。
まあ、六花は最初から組というものに属していたわけではない。ただ、六花の容姿は表にいるには目立ちすぎる。だから裏路地で、運び屋のような仕事をしていた。運び屋といっても、郵便配達のような真っ当なものを運んではいない。六花は運送物の中身について一切言及することなく、宛先に届けるだけという仕事をしていた。
もちろん、裏社会の運び屋である。荷物を狙って襲撃してくる輩も当然いた。六花はそういう危険を覚悟して、ある程度の護身術を身につけ、ぼろぼろになりながらも、荷物と命だけは守りきって、きちんと届けた。
自分が傷つくことも厭わず、仕事をこなす年若い少女。それを放っておけない仁義の人が手を差し伸べたのは、六花が運び屋の仕事を始めて、二年目を迎えようとした頃だった。
その人は世にも珍しい女極道だった。名前は
「運び屋
六花は白瀬という偽名を使っていた。適当に考えた名前だ。容姿が白いから白瀬。そんなどうでもいいような名前を佐原は母親のような優しさで呼んだ。
「お仕事でしょうか?
佐原は女極道としてもそうだが、木内組を支える幹部としても有名だ。武に精通している人で、「木内組の佐原を決して怒らせてはならない」と界隈では暗黙の掟となるくらいの人物である。
黒く長い髪は腰ほどまで伸びており、戦闘時は一つに括られるらしい。だが、六花の前に佇む佐原は髪を括らず、オフモードであった。
佐原は肩を竦める。
「残念ながら、仕事は持ってきてないよ。私があんたに話しかけてんのはただの私情さ」
「一介の運び屋に木内の夜叉様がどういった私情をお持ちで?」
六花は裏でぼろぼろになりながらも、死なない程度に上手くやっていた。木内組には夜叉と呼ばれる佐原と、修羅と呼ばれる男幹部がいて、双璧となっている。六花は裏社会ではひよっこ中のひよっこだが、暗黙の了解くらいに重鎮のことは知っていて、気をつけていたつもりだった。
つまるところ、触らぬ神に祟りなしというやつである。仕事でなければ自分から関わりに行こうとはしなかったし、目をつけられないように運び屋としてのルート選択など、できる限り気をつけていた。それなのに、まさか夜叉の方から声をかけられるとは。
六花は怯えた。これから自分はどうなってしまうのだろうかという不安と、とうとう運が尽きたという諦めと。美樹を逃がして、家をぶっ潰すまで生きたかったという未練。ごちゃごちゃになった思考を放棄し、六花は佐原の言葉に耳を傾けた。
「お前さんの仕事、見てらんないよ」
「俺、何かしくじりましたかね?」
裏に入ってから、舐められないように、一人称も変えた。慎重に夜叉の顔色を窺う。
だが、そこにあったのは夜叉と揶揄される鬼の顔ではなく、ただただ優しい母親のような慈愛に満ちた哀れみだった。
「お前さん、本当なら花盛りの年頃だろうに、運び屋なんてやって、全身ぼろぼろにしてさ。まあ、こっちの世界に自分で来たんだ。訳があるのはわかるし、聞かんよ。でも、もっと自分を大切にしい」
六花はそんな言葉をかけられるとは思わず、戸惑った。
優しい言葉をかけてくれたのは美樹と松だけだった。橘の家と縁切りをしてから、二人とは連絡を取っていない。
裏社会はそんなに生易しいところではなかったから、優しい言葉をかけられるなんて、久しぶりだった。
「……そんなことを言うためだけに?」
「あ、それだけじゃないよ。これはお誘い。白瀬ちゃん、木内組に入らん?」
「え」
木内組はここら一帯を取り仕切るヤクザだ。佐原がビッグネームなのは佐原自身がすごいのもあるが、木内組の名前を背負っているからというのもある。
そんな大きな組織に裏社会一年生のような自分が? と思うとなんだか目眩がした。
佐原は続ける。
「白瀬ちゃん、見たとこまだ学生くらいの年頃でしょ。そんな年でこっちの世界にいるっていうのは相当の訳ありと見てる。
大丈夫、こっちだって藪蛇は勘弁だからね。深掘りはしないさ。組の入るってったって、鉄火場に立ってもらうわけじゃない。木内組の傘下で、今まで通り運び屋の仕事をすればいい。要するに、木内組の庇護下に入らんかって話。どう?」
確かに、大きな組に庇護してもらえば、危険なときに助けてもらえる。荷物を運ぶたびにぼろぼろになって、誰からの援助も受けられない現状のままでは、六花は運び屋を続けられないだろう。美味しい話ではあった。
だが、問題が一つ。橘の家に見つからないように少し遠くへ逃げてここにいるわけだが、名の売れた組織に所属すれば、情報が洩れるかもしれない。橘六花がここにいる、とバレてしまうかもしれない。ただでさえ六花は特徴的な外見をしている。木内組は大きな組織だ。佐原のような幹部たちやトップの情報はある程度守られている。だが、末端の構成員はそうはいかないだろう。
それが六花のどこにも所属していない理由だった。
それを話すと、佐原はあっけらかんという。
「そんなの、組織に所属してなくてもおんなじことよ。凄腕の情報屋なんかは白瀬ちゃんの身の上くらい、もう知ってるだろうしね」
「木内組の組長さんからの命令ですか?」
「ううん、私情」
至極あっさり佐原は言った。きょとんとする六花を見て、からからと笑う。
「私が夜叉と呼ばれるのは、女の鬼だからって理由だけじゃないよ。こうして私がいいなと思ったひよっこを引き抜いて手当てしてやるんだ。夜叉ってのは怪我を癒す鬼でもある。
私もね、荒れに荒れてた思春期だったから、無茶苦茶やってる若い子見ると、放っておけないんだわ。しかも白瀬ちゃんは女の子でしょ。だから尚のこと、感情移入しちゃってね」
六花は考える。
おそらく、佐原の提案を飲めば、今よりましな生活ができる。あとは六花の意志の問題だ。
選べる程度には、まだ精神に余裕がある。
「……入ります」
「よし! じゃあとりあえず、組に挨拶に行こうか」
「はい」
六花がそう決めたのは、久しぶりに人を信じてみたくなったからだ。
この人なら、信じてもいいかもしれない、と佐原の目を見て思った。
黒く淀みのない綺麗な瞳だったから。
それから数年、なんだかんだとあって、六花は木内組で運び屋の部隊を任せられるようになった。
「白瀬の姉貴、今日の荷物はいくつっすか?」
「隣町の有栖川さんとこに三十。情報屋から頼まれてるのは俺が行くから、お前らは有栖川さんとこを始め、他のやつを運んでくれ。くれぐれも箱の中身は開けないように。わかったな?」
「はい!」
運び屋白瀬としてのルール。裏に踏み込みすぎないように、もう戻れなくならないように、荷物が何かを確かめない。運び屋としてそれはどうか、と思われるルールだが、六花はそれだけは譲らなかった。佐原も組長も、まだ年若い六花の逃げ道を黙認してくれていた。
六花は裏で地位を築くことが目的ではない。蛇の道は蛇に聞け、ということで、裏に入ってきた。
あの日、美樹の恋人を殺した人物、殺された理由、本当に狙われていたのは美樹かもしれない可能性。きな臭いこれらは表沙汰にならなかった。人が一人死んでいるのに、だ。
美樹の恋人が殺された理由、美樹が狙われていた可能性については六花も心当たりがあった。だからあのとき、六花は美樹に逃げろと言ったのだ。それから恋人の死は表沙汰にならなかった。ということは、秘密裏に処理されたのだろう。警察がそんなことをするはずがない。それならば、裏の人間が関わっているのだろう。
橘の家と裏の繋がりを突き止めて、あの家の膿を潰すというのが六花の目的だ。結果、家ごと潰れることになってもかまわない。
美樹に幸せになってもらう以上のことを六花は望んでいなかった。
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