塩留アンデッド
九JACK
第1話 仄かな記憶
月の下にはずっと雪だけが降り注ぐ神秘の世界がある、という信仰があった。そこには「調停者」という髪も肌も真っ白な人の姿をしたものたちが存在し、この世界の運命や因果と呼ばれるものを世界が壊れないように調節しているらしい。
調停者が世界に干渉できるよう、仲を取り持つのが「占い師」という存在だった。もちろん、普通に未来を予言したり、その人の運命を占ったりする存在のことを占い師と呼ぶし、調停者たちと繋がる占い師たちも普通の占い師たちと同じことをする。ただ、調停者と繋がっている分、特別な占い師たちの占いの方が当たりやすいというのは確かだった。
「うさんくさ……」
「こらこら、
そんな調停者と繋がる占い師の一族とされる
が、少子化の世の中、世継ぎと呼べる子どもは減り、橘家の次期当主候補は六花と六花の従姉妹である
六花は月下降六花界の話を耳がタコになるほど聞いたが、何度聞いても胡散臭いという感想しか出ない。というか、未だに嫡男がどうの、世継ぎがどうのという昔の慣習に囚われている家に嫌気が射していた。
六花を窘めた美樹は六花の三つほど年上である。だが、橘家の次期当主は年下の六花であった。何故ならば、六花が現当主の娘だからである。男児に恵まれなかった今代は、次代に女当主を据え、婿養子を取る方針であった。故に、六花には幼馴染みの腐れ縁である婚約者がいる。
六花はまだ中学生なのに、だ。六花が生まれて、三歳くらいで決められた許嫁。そこに六花の意見など介在していようはずもなく。六花はひねにひねていた。
「
「別にまつが嫌いなわけじゃない。なんで親とか先祖とかが敷いたレールの上で過ごさにゃならんのだって話」
「あはは、それはそうだろうけど」
六花は自由と束縛なら自由の方が好きだ。それは大体の人がそうだろうが、自由なことが当たり前の世間では、自由の有り難みもわかるまい。六花は束縛されているが故に、自由に焦がれるのである。
別に、許嫁が嫌いなわけではない。自由恋愛をさせられて、その上で誰と結ばれたいか、と聞かれたら、おそらく許嫁である雛菊松の名前を挙げるだろう。これを親に勝手に決められているから、六花は憤然としているのである。
そんな六花の心情もわからないわけではないから、美樹は苦笑いを返すことしかできない。
美樹は六花が生まれるまでは次期当主候補であった。何故なら、美樹の父と六花の父は兄弟なのである。しかも双子で、六花の父が兄とされたために、六花の父が当主なだけで、美樹はほぼほぼ本家の血筋を引いているわけである。
おそらく、遠縁を探せば、男児も見つかるのだろうが、なるべく本家の血筋に近い者が当主になるべし、という方針らしく、六花と美樹が当主候補にされているのだ。
「まあでも、こういう面倒くさいのはあたしが請け負うよ。美樹のためって思えば、気は進むし」
「私のためって、そんな」
恐縮するような美樹に、六花はにかっと笑った。
「だって最近いい人できたんでしょ?」
小指を立てて見せると、美樹は見る間に真っ赤になっていく。ビンゴなのだろう。六花はにやにやしていた。
美樹は六花の憧れの女性だ。年上というのもあるが、まあまず美人なのである。栗色の髪は毎日手入れされているのがよくわかるほど艶やかで綺麗だ。少女の純真さを宿す琥珀色の瞳はそれを見ているだけで退屈という言葉を忘れてしまうほどの魅了の力を持つ。左目の下にちょこんとついている泣きボクロは幼い頃はチャーミングだったが、高校生になった美樹に色気を纏わせる。
対して六花はほとんど色がない髪色をしていた。かろうじて金髪だろうか、といった感じだ。目も薄い灰色をしている。目鼻立ちはコンプレックスを抱くようなものではないが、色というのは厄介で、美樹のような栗毛はまだ理解を示されるが、六花の銀髪は白い目で見られた。若白髪は金持ちになるとかいう言い伝えはあるものの、生まれつきというのはだいぶ容姿に寛容になったこの国でも苦しいものだった。
だが、この白に近い容姿こそ、月下降六花界と通じるのに相応しいものなのだという。六花は千年に一度の稀子だと有難がられた。六花本人は全然有り難くないのに。
それでも、六花が当主となる
自分の慕う人の幸せを壊したくない。だから、六花は反発を覚えても、橘家の当主となることを受け入れようと思う。別に当主になることは嫌ではないし、許嫁のことも嫌いじゃない。六花自身が選んだ結果じゃないということが不満なだけで。
「美樹は楽しく幸せに生きてよ。当主になったからって、あたしは不幸になるわけじゃないから、後ろめたいとか、そういうこと思わずにさ。
ひとまずは……彼氏と存分にいちゃいちゃなさい!」
「ちょ、り、六花ぁ~……言い方ぁ~……」
顔を真っ赤にする美樹。そんな顔を覆い尽くそうとする手指まで真っ赤だ。そんな美樹が可愛くて仕方なかった。
幸せになってほしい、と思ったんだ。
雪がしんしんと降り積もる。きっと、月下降六花界が実在するのなら、こんな景色なのだろう。庭の草木も雪化粧をして、時折射す陽の光に宝石のような煌めきを見せる。空は白と灰色の狭間のような雲が覆っていて、少し薄くなったところから、青空が透けて見えた。
090-XXXX-XXXX
六花の携帯電話を震わせたのは、見知った番号。美樹の電話のものだった。
高校生になろうという時期の六花は、大学生になろうという時期で忙しいはずの美樹からの電話を不思議に思いつつ、嬉しくも思った。近々、六花が正式に橘家の当主になるということで、六花も忙しくしていたため、美樹とは入れ違いの日々が続いていたのだ。
久々に声が聞けると思って、電話に出る。
「美樹、元気にしてた?」
『……』
「美樹?」
美樹の声は聞こえない。電話向こうからは震える吐息がした。とても寒そうに。
嫌な予感がした。
「美樹、美樹? 大丈夫? 返事して」
『りっ……か……』
消え入りそうな声だけれど、それは確かに美樹の声だった。
『ごめん、ごめんなさい……ごめんなさい……』
「美樹、どうしたの? 美樹は何も悪いことは」
『……ろされたの』
「え」
美樹から放たれた言葉に、六花は凍りついた。
『■■くんが、橘の家の人に、殺されたの』
それは、美樹の恋人の名前だった。
友達から始まって、純粋に純朴に、健全な付き合いを進めていた美樹はその人物のことをとても好いていた。
それが、何て? 殺された? 誰に? 橘? 橘って……
「わかった。美樹は逃げて」
『六花……?』
「こんな家、あたしがぶっ壊してやるから」
それから二ヶ月後、占い師の一門、橘家から、当主の六花が姿を消した。忽然と消えた彼女は誰への断りもなく、入学した高校を退学していた。
手がかりも、髪の一筋も掴ませず、橘六花は消えた。
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