第22話 黄金牡丹・前半

 嵐の夜。暗雲が渦巻き、激しい雷が鳴り響く。稲(いな)光(びかり)に照らされた一軒の屋敷。箕面市彩都の山奥にひっそりとそびえ立つ、豪邸がそこにあった。

 屋敷の書斎で、国際弁護士のオリヴァーは、四人の相続人達の前で、淡々と前当主の遺言書を読み上げていた。オリヴァーはイギリス人で、正に中年の英国紳士といった風貌である。この屋敷の前当主『錦(にしき)織(おり)琥(こ)太(た)郎(ろう)』が生前より雇っていた顧問弁護士でもあった。

 オリヴァーの話を、長男の明(あきら)は椅子にどっかりと座って横柄な態度で聞いており、その横で長女の眞(ま)紀(き)子(こ)は赤いネイルを気にしながら聞き流し、次男の透(とおる)は窓の外を見ている。唯一、末っ子次女の美樹(みき)だけは、真剣な眼差しでオリヴァーの話を聞いていた。


「―――遺産はこの部屋に託(たく)した」


 オリヴァーは遺言書を読み終えると、前当主の机の引き出しを預かっていた鍵で開ける。そして引き出しの中から12.5㎏の金の延(の)べ棒(ぼう)を取り出し、


「遺言書と一緒に保管されていた物です」


 そっと机に置いた。金(きん)塊(かい)を目(ま)の当(あ)たりにして、眞紀子の目の色が変わった。美樹は周りを見渡すと、透が「それだけ?」と、怪(け)訝(げん)そうな顔をしてオリヴァーに尋ねる。オリヴァーはコクリと頷く。


「そんな訳ないだろう! 親父は金(きん)を買い込んでいたのを、俺は知ってるんだ!」


 明は全身を震わせながら、勢いよく椅子から立ち上がり、「貸せっ!」と、オリヴァーから遺言書を無理やりひったくると、目を皿のようにして何度も内容を確認した。それから、遺言書を机に叩きつけて、


「この部屋に託しただと⁉ ふざけやがって!」


 と、書斎の本棚や引き出しを乱雑に探し始めた。すると眞紀子がそんな明の行動を見て、


「あらあら・・・・・・じゃあ私はとりあえずそこの金(きん)を頂こうかしらね」


 と、机の金塊に手を伸ばす。


「姉さん、それも遺産の一部じゃないか。分ける権利は僕にもあるでしょ?」


 透がチラッと眞紀子の手を一(いち)瞥(べつ)する。すると後ろでそのやり取りを聞いていた明が、


「じゃあお前達は残りの金(きん)が見つかっても相続放棄でいいんだな⁉」


 眞紀子と透の方に目もくれず、怒鳴るように言い放つ。


「それとこれとは別よ!」

「そうだよ! そもそも残りの金(きん)だなんて、一体この部屋のどこにあるのさ⁉」


 書斎を見渡す限り、古書物がびっしり入った本棚や、前当主が大切にしていた猟(りょう)銃(じゅう)、愛用していた杖や、骨董品。それに作りかけのパズルなどぐらいしか目につかない。特に金目のものは見当たらず、前当主の遺品が点々と置かれているだけの部屋だった。


「大体、パパはガラクタばかり集めて・・・・・・」


 透は骨董品を手にしながら呟くと、


「親父の会社に何の貢(こう)献(けん)もせずに、ただいるだけの役立たずなお前と同じだな」


 と、明が透に皮肉たっぷりに嘲笑する。


「兄さんだって、パパの会社継いだ割には、全然成果出せてないみたいじゃないか」


 ムッとした顔で透は兄に言い返した。


「なんだと‼」


 弟に言い返され、激昂した明は透の胸ぐらをグイッと掴み上げた。その様子を眞紀子はニタリと口を歪ませながら静観している。


「明兄様も透兄様も、もうやめて! 皆で探して、皆で均等に分けたらいいじゃない!」


 醜い兄弟喧嘩に耐えられなくなった美樹が声を荒げた。睨み合う明と透、不敵な笑みを浮かべる眞紀子。そして三人を不安げに見つめる美樹。


「もしかすると・・・・・・これは大旦那様からの皆様へ託した何らかのメッセージで、真の遺言書と遺産は他にあるのかもしれませんね」


 それを少し離れて見ていたオリヴァーが静かな口調で、その場にいた全員に意味深(いみしん)な言葉を投げかけた。



 探偵事務所トリックスターフォックスにて。応接間に西小路と二十代後半くらいの女性の相談者が座っている。その相談者は美樹だった。


「粗茶ですが、どうぞ」


 紅葉が美樹にお茶を出す。その後ろのバーカウンターの方で、かやのがロープの玩具で稲壱と遊び、石丸の腹も空いた手で撫でていた。


「あれから何日も父の書斎を探したのですが、本棚の裏に隠し扉があるのを見つけられただけで・・・・・・。その扉も金庫のように頑丈で、しかもかなり分厚いようで、業者の方を呼んでも鍵は特殊な形状で、その鍵が無いと開けるのは不可能だと言われました」


 不安そうな顔で話す美樹に、西小路は何かを考える素振りで「なるほど・・・・・・」と一言。


「まるでミステリー小説ですわね」


 と、紅葉も頭を悩ませながら呟く。


「もしかしたら、その書斎に扉の鍵も隠されているかもしれませんね」

「父の書斎の調査をして謎が解けたら、私でお支払い出来る分は十分にさせて頂きます。・・・・・・もうこれ以上、血を分けた兄弟同士でいがみ合いたくないのです」

「・・・・・・分かりました。その依頼、お引き受けします」


 薄っすら涙を浮かべる美樹の姿に、西小路が真剣な眼差しで依頼を受けた。



 それから美樹の車で、西小路とかやの、紅葉は、彩都の屋敷に向かった。長女の眞紀子が動物嫌いという事で、稲壱と石丸は事務所で留守番させたようだ。

 屋敷に着くと、そこは紅葉の家と同じくらいの大きな豪邸が立っており、側には滝が流れ、小さいながら滝つぼもある。そして屋敷の裏には畑と用具入れ、さらに肥(こえ)溜(だ)めもあり、どうやら前当主の琥太郎氏は本格的な農作業を老後の趣味としていたようだ。

 玄関に入ると広間の絨(じゅう)毯(たん)が高級感を放ち、かなり目立っていた。前当主は繊(せん)維(い)卸(おろし)問(どん)屋(や)で成功し富を得て、昔は箕(み)面(のお)船(せん)場(ば)繊(せん)維(い)卸(おろし)商(しょう)団(だん)地(ち)を支えた会社として大きく貢献していた。一同は書斎への移動中、美樹からそうした説明を受けていた。



 例の書斎に案内された西小路、かやの、紅葉の三人。書斎の中は以前よりも調べ尽くしたようで、古書物なども床に散乱していた。

 美樹は本棚に近寄って、本を探すように指でなぞる。目当ての本を見つけると、その一冊を深く奥へ押し込んだ。すると本棚が横にゆっくりとスライドし、奥に隠し扉が現れた。


「これが例の扉です」


 かやのはコンコンと扉をノックして厚さを計っている。


「こりゃ流石の俺でもブチ破れねぇわ」


 西小路も鍵穴の中にペンライトの光を当て、覗き込む。なるほど確かに厄介な構造らしい。無数の棒状の出っ張りが中に張り巡っている。しかもかなり奥が長い。普通の鍵では無理だろう。


「これは確かに・・・・・・」


 西小路はペンライトをこめかみに当てて思案する。それから書斎の中を見渡す。とにかく探してみなければどうにもならないと、紅葉もテーブルのランチョンマットをめくったり、ショーケースに飾られた人形など、鍵の形状をしている物はないかと探してみた。


「駄目ですわね・・・・・・。見逃しが無いかと思いましたが、やっぱり既に探し尽くされていて、特にこれといった物は見当たりませんわね」


 そんな紅葉や西小路を尻目に、かやのはというと、


「お、パズルじゃん」


 退屈なのか、一人パズルで遊び始めた。



 書斎で各々行動している時に、西小路は壁に掛かっている猟銃に目をつける。


「美樹さん、あれは本物ですか?」

「えぇ。父は狩猟を得意としておりましたので、その時に使っていた物です」

「よくパパとは野鳥狩りをしに行ったものさ。美樹、この人達は誰だい?」


 次男の透が部屋に入ってきて、西小路に聞こえるように話しかける。そして妹の美樹に西小路達の素(す)性(じょう)を尋ねると、


「この方は探偵の西小路さんよ。私が依頼したの」


 美樹が西小路の方に手をさして、透に紹介する。すると透は「そうか・・・・・・」と言って壁に掛かっていた猟銃を手に取る。そして銃口を西小路に向けた。


「透兄様! 何を⁉」

「つまりハイエナが増えたわけか。キミ、若いのに探偵やってんの?」

「・・・・・・悩みを抱えるクライアントの為に調査をさせてもらっています」


 銃口を向ける透に、真剣な眼差しを向ける西小路だが、握った拳は怒りに震えていた。彼にとって銃は悲しみと憎しみの記憶しかない。

 かやのもパズルの手を止め、透が少しでも引き金を引こうものなら、間髪入れずに殴り掛かろうと、鋭い殺気を放っていた。その時、


「私達はこちらの美樹さんの依頼を受けて来たのです! 今すぐ銃を下ろしなさい!」


 紅葉が自らの危険を顧みず、西小路の前に両手を広げて立ち塞がり、透を睨みつける。


「おや・・・・・・誰かと思えば、小野原ホールディングスのご令嬢様ではありませんか。これは大変なご無礼を。ご心配なく、銃弾は入ってはおりませんよ」


 透は銃口を下げて、紅葉に一礼した。

 そんな透に紅葉は睨みつけたまま、語気を強める。


「そういう問題ではありませんわ!」

「ありがとう、紅葉ちゃん」


 気丈に振る舞いながらも震える紅葉の肩に、そっと手を置く西小路。本当は相当怖かったのか、紅葉は緊張が解けヘナヘナとその場に腰を抜かした。そして西小路を見上げ微笑む。西小路も紅葉に寄り添うように片膝をつく。

 やれやれ、といった様子でかやのもパズルの続きを始めた。



 しばらくパズルに熱中していたかやのは、残り一ピースというところまで来ていた。思わずニヤリとしながら、ピースが入っていた箱に手を伸ばすが、中には何も入っていない。


「・・・・・・あれ?」


 最後の一ピースが見当たらず、箱を裏返したり、床や辺りをキョロキョロするかや

の。その様子に気付いた西小路が声を掛ける。


「どうしたの、かやのちゃん?」

「いや、それがさー、あと一つ見当たらねぇんだよ」


 かやのが未完成のパズルを指さした。西小路がパズルを見ると、それは琥太郎氏を真ん中に、亡くなった彼の妻、そして明をはじめとする四人の兄弟が写った写真をパズルにしたものだった。そして欠けた部分は前当主が持つ杖の部分だった。


「お父様はこのパズルを完成させたら、この書斎に飾るんだ、と生前言ってました。だけど、途中で・・・・・・結局完成させることが出来ず、亡くなってしまいました」


 美樹が切なそうな表情でパズルを眺める。


「かやのさん、ありがとう。ここまで作って下さり、お父様も喜んでいるはずです」


 そう言って美樹は、壁に掛かっている空白の額(がく)縁(ぶち)を外そうと手を掛ける。かやのは完成させたかったのか、舌打ちをした。


「これじゃまだ飾れねぇよ」

「皆さんの顔は全員分揃ってますのに・・・・・・」


 紅葉も残念そうな表情を浮かべる。西小路もピースを探す。その途中で、書斎の隅に帽子やコートが掛かった木製ポールハンガーに立てかけられた杖が目に留まった。この部屋の中では珍しく、豪華な装飾も無い素(そ)朴(ぼく)な杖だった。

 西小路はその杖を手に取ってみると、木製の杖にしてはまるで金属の棒を持っているかのように重く、その違和感に思わず「え?」という顔をする。西小路はどういう事だと、色んな角度から杖を眺めていた。


「どうした、ダンテ?」

「欠けてるピースの部分がこの杖だったから気になってさ」


 かやのは「ふーん」と言いながら、


「鍵っつったら、この先端ん中にでも隠してんじゃねーの?」


 と、杖の先端の滑り止めゴムを引っ張ると、ポンッと勢いよく外れ、かやのの手から離れて床に転がっていった。


「あっ」


 ゴムが書斎の入り口に転がっていくのを、スッと一人の男性が拾いあげた。ゴムを拾ったのはオリヴァーで、その隣には明もいた。


「確かに、その杖の先端には鍵らしき形状の細工がしてあるのは、私も見つけたんだが」


 西小路が杖の先を見ると、鍵・・・・・・というよりは、面の部分に凹(おう)凸(とつ)があり、まるで大きな印鑑のような形状をしていた。


「しかし、残念ながら、あの扉の鍵ではないようだ」


 オリヴァーは拾ったゴムを西小路に手渡し、


「私はこの家の前当主錦織琥太郎氏に、生前雇われた顧問弁護士のオリヴァー・ウィリアムズ。キミは?」


 と、自己紹介をした。


「僕は美樹さんの依頼で、この部屋の探し物調査に来た探偵の西小路ダンテです」

「探偵? 失礼だが、随分お若いように見えるが?」


 二人の会話を割(さ)くように、明が声を荒げた。


「おい、美樹! お前探偵なんて雇ってどういうつもりだ⁉」

「西小路さんは大阪箕面大学の学生さんで、私の後輩の子から紹介して頂いたの」


 美樹は明に、自身のスマホでトリックスターフォックスのホームページを見せる。明は業務内容をざっと見るなり、鼻で笑い、


「探偵という割には、人探しだ? 所在調査に浮気調査? 地味な業務ばかりじゃないか。ふん・・・・・・所(しょ)詮(せん)、学生の真(ま)似(ね)事(ごと)か」


 と、美樹にスマホを投げて返す。明のその言葉に、オリヴァーも鼻で笑った。


「錦織さん。本来、探偵の業務とはそういうものですよ」


 そして、西小路の方を向き、静かに微笑を浮かべた。


「大阪箕面大学の学生さんか。法学部に通っている私の息子と同じ大学だね」



 一旦休憩ということで、リビングルームに場所を移して、ティータイムをしている。明は先ほど紅葉に気付いたのであろう、さっきとは打って変わって彼女に媚びへつらうように接待しながら、自社との商談を持ち掛けている。


「先ほどはお見苦しいところをお見せしてしまい申し訳ありません。小野原様にはくれぐれも。それと、新商品を開発した際には是非とも我が社の生地を使って頂ければ―――」


 紅葉は苦笑いで適当に相槌を打っていて、困っている様子が窺(うかが)える。


「は、はい・・・・・・はい・・・・・・あ、はい、父の方に伝えておきますわ・・・・・・」


 そんな紅葉をよそにかやのは、ジュースをストローで飲みながら窓の外を眺めていると、赤いオープンカーが屋敷の方に走って来るのが見えた。そして、玄関近くの空き地に停車すると、車から四十代と思われる女性が降りてきた。

 美樹はオリヴァーと何か話しており、透はバーカウンターでウィスキーをロックで飲んでいる。

 そして西小路はというと、書斎から先ほどの杖を持ってきており、柄(え)の部分を捻ったり、引っ張ったりして、杖に何かないか集中して探っているようだった。

 そこに先ほど車から降りてきた女性、眞紀子が部屋に入ってきた。彼女は室内を見渡す。


「あら、今日は随分と賑やかだこと」


 眞紀子に気付いた明が彼女に手招きをして、紅葉がこの屋敷に来ている事を眞紀子に気付かせる。すると、眞紀子も急に声を高くして、紅葉に会釈しながら近づく。


「まぁ! 紅葉お嬢様、お久しゅうございますわ。三年前の社交パーティーの場で。オホホホホ」


 紅葉に必死にゴマを擦る二人の様子は、先ほどの透の言葉を借りると、どっちがハイエナだか分からない状況だ。そんな二人を見て、


「うわー・・・・・・アイツら必死だねぇ」


 と、かやのがボソリと呟いた。



 美樹がさっきから西小路が杖をいじっているのが気になったらしく、声を掛ける。


「先ほどからずっとその杖を調べてばかりですが、それは足が不自由になった父が普段愛用していたもので、杖なら他にも倉庫の方に保管されて―――」


 すると西小路が杖を捻った時に、杖からガチャリと何かが外れる音がした。西小路はゆっくりと杖を上下同時に引っ張ると、柄の部分から剣を鞘(さや)から引き抜くかのように、40㎝くらいの複雑な形状の金属棒が姿を現した。その棒はまるで長い鍵のようだった。


「やっぱり・・・・・・」

「こんな仕掛けが⁉」


 目の前で杖の仕掛けを解かれ、美樹はひどく驚いていた。


「まさか・・・・・・この杖があの扉の・・・・・・だが、どうして」


 オリヴァーもこれには驚き、西小路に駆け寄ってきた。かやのも仕込み杖を見て、納得していた。


「なるほどな。その杖は暗(あん)器(き)みてぇな作りしてたってわけか」


 周りも西小路の謎解きに気付き、ぞろぞろと集まってきた。


「そうだね。普段は単純に捻ったり引っ張ったりした程度じゃ何も起きないただの杖だけど・・・・・・決まった手順通りに動かすと、暗器のように隠された武器が出てくるような、そんな仕組みだったようだね」

「西小路さん、お手柄ですわ!」


 西小路の推理に紅葉は手を叩いて喜んだ。


『この青年は・・・・・・』


 オリヴァーも西小路の着眼点や洞察力、発想力に、驚きを隠せないでいた。


「で、でかしたぞ、小僧! さっそく書斎へ行って、あの扉に試してみようじゃないか!」


 明は身を乗り出すように、リビングルームの入り口の方を指さす。眞紀子も早く金塊が見たいのだろう、


「そ、そうね! あの扉の先に残りの金(きん)があるはずだわ! 早く行きましょう!」


 と、鍵を持っている西小路を急かす。

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