第21話 ゴールドバニー・後半

 エイクはベッドから起き上がり、本屋に向かった。そして古代和字総覧の本を探し、本を手に取った。


「西小路君・・・・・・いるかなぁ」


 エイクは本屋のあと、図書館に足を運んだ。先日彼と会った席に向かうが、今日はそこに西小路はいなかった。でも、もしかしたら彼に会えるかもしれない、そう思った。エイクは西小路に会えたら、本を渡したいと思い、隣接するアロハカフェで待つ事にした。

 エイクは外が見える席に座り、アイスコーヒーを注文した。席に届けられたドリンクを飲みながら、外を眺めるエイク。

 ふいに、ドアベルが鳴り、入口の方に目をやると、かやのが店に入ってきた。もしかしたら西小路も一緒かもしれないと期待したが、かやのは一人でカウンター席に座った為、エイクは肩を落とす。かやのが店長から話し掛けられていた。


「かやのさん、怪我の具合はどう?」

「ん~、もうちょっとで治りそうだなぁ」

「あら、そうなの? 良かったわね! そういえば、貴女(あなた)に話したい事があるんだけど」


 店長がかやのの注文した料理のセットドリンクと一緒に、一枚のチラシを彼女の前に置く。そこにはみのおモールの広場で定期的に開催されているマルシェの事が書かれていた。


「かやのさんさえ良かったら、これに参加してみない? 正直あなたの料理への姿勢も、技術も目を見張るものがあるわ。設備もキッチンカーのレンタルとかもあるし―――」


 かやのは話の途中でテーブルに置かれた料理を頬張りながら、店長の話を興味津々で聞いていた。話が終わり、「どうかしら?」と聞かれたかやのは、


「やるやるーーー‼」


 と、元気よく答えた。


「フフッ、決まりね。私の方から代わりに申し込んでおくから、早く怪我治しとくのよ?」


 ホクホク顔のかやのは勘定(かんじょう)を済まそうと席を立つと、店内でずっと誰かを待っているようなエイクの姿が目に入った。エイクのドリンクグラスは空(から)になっており、気になったかやのは彼に声を掛けた。


「よぉ、エイク。誰か待ってんのか? もうすぐ店閉まるぞ」



 エイクがカフェから出て、帰宅しようとしていると、キャンパスから出てきた西小路にばったり出会った。エイクは諦めていたところで西小路に会ったことにより、嬉しさのあまり、一瞬硬直していた。しかし、すぐに我に戻り、彼に声を掛けた。


「あ、あの、西小路君!」

「やぁ、エイク君。どうしたの?」

「あのっ、これ! 本屋でたまたま見つけて。それで、君に渡したくて・・・・・・」


 エイクは鞄から本を取り出し、西小路に手渡す。


「これは・・・・・・古代和字総覧じゃないか! これを僕に?」

「う、うん・・・・・・迷惑じゃなければ受け取ってもらえないかな・・・・・・?」


 西小路は目を丸くして驚いていた。次の休日にでも探しに行こうと思っていた物を、エイクがわざわざ自分の為に買ってくれていたのだから。


「迷惑なもんか! ありがとう、エイク君!」


 西小路はエイクから本を受け取り、両手でエイクの手を力強く握って、満面の笑顔で彼に感謝を伝える。西小路はよほど嬉しいのか、握手している腕をブンブンと振っている。エイクは西小路から急に握手され、顔を真っ赤にしていた。

 西小路は握手の手を大きく振っていた為、そのせいでエイクの袖が捲れ、彼の濃い腕の毛がちらりと見えた。西小路は「あれ?」という顔でエイクの腕を注視した。以前彼を助けた時はスベスベの肌だったからだ。エイクは自分の腕に向けられた視線に気付いて、握られた手をほどき、恥ずかしそうに腕を後ろに隠した。

 そこに紅葉もキャンパスから出てきた。西小路とエイクが話しているのに気付き、二人のところにやってきた。


「あら、エイクさん」

「紅葉ちゃん、これエイク君から貰ったんだ!」


 西小路は興奮気味で、紅葉に貰った本を見せた。


「古代・・・・・・和字、総覧・・・・・・ですか?」

「もしかしたら論文の題材になるかもしれないって・・・・・・って、エイク君?」


 西小路がエイクの居た方を向くと、そこにエイクはおらず、少し後ろに下がっていた。


「じゃ、じゃあ!」


 そう言って軽く会釈をして足早に去っていくエイク。そこから少し離れたところで振り返ると、エイクの目には西小路と紅葉はお似合いのカップルに見えた。エイクの胸がズキッと痛んだ。



 大学寮の自室に帰宅したエイクはベッドで紅葉の肖像画を自身のSNSで見ていた。真珠のようにスベスベとした綺麗な紅葉の肌・・・・・・西小路の隣が似合う女性・・・・・・。エイクの胸の中ではモヤモヤとした嫉妬の感情が湧いていた。

 ふと思い立ったように、エイクは立ち上がり、洗面所の棚を開く。そして中からシェービングジェルとT字剃刀(かみそり)、脱毛用ワックスを出した。

 シャワールームに入り、腕や足の毛を剃刀でツルツルになるまで繰り返し剃っていく。胸毛にはワックスを塗り、固まるまで待つ。


「そろそろ良いかな・・・・・・・・・はっ‼」


 固まったワックスを一気に引き剥す。脱毛時の痛みで悶絶するエイク。


「~~~っ‼」



 ―――その後、シャワーを浴びて汗と毛を流して、さっぱりしたエイクは、どこか吹っ切れた表情をしていた。

 そして、彼は机に向かって手紙を書き始める。勿論、宛先は西小路宛てだ。


『親愛なる西小路ダンテさまへ―――』


 自分の彼への思いを文字に託して綴(つづ)っていく。初めて出会った時の事、西小路に助けて貰った時の事。そして日々を過ごしていく中で自分にとって、西小路の存在がどんどん大きくなっている事。


『―――ワタシにとって西小路君は・・・・・・』


 手紙の完成までもう少しといったところで、エイクのスマホが鳴り、チャットアプリの通知が届く。エイクはもしかしたら西小路からかもしれないと思い、表情がパッと明るくなる。しかし、相手は同じゼミの女の子からだった。



 次の日の夕方、キャンパス内に呼び出されたエイク。待ち合わせ場所には昨日チャットをくれた女の子が立っていた。そこから少し離れた所に、彼女を見守っているのだろう、彼女の友人と思われる女性が二人。


「エ、エイク君・・・・・・急に呼び出しちゃって、ご、ごめんね・・・・・・」


 女の子は顔を真っ赤にして、それを隠すかのように俯(うつむ)き気味だった。モジモジとしながら上目遣いで、エイクに恥ずかしそうにチラチラと幾度も視線を送る。


「ううん、構わないよ。今日はどうし―――」

「あ、あのっ! ここ、これ受け取って下さい‼」


 女の子は勇気を振り絞って、エイクに一通の手紙を両手で差し出した。その手は緊張で震えている。


「・・・・・・えっ。あっ・・・・・・うん。ありがとう」


 一瞬、何が起きたのか思考が停止したが、状況を理解して、女の子から手紙を受け取る。


「お返事待ってます!」


 エイクが手紙を受け取るやいなや、女の子は走って行ってしまった。女の子とそれを追いかける友人達の背中を、エイクはぼうっと眺めていた。



 翌日の放課後、エイクは昨日の女の子を同じ場所に呼び出していた。三人がやってきて、その中の一人、エイクに手紙を渡した子が彼の前に、緊張で足を震わせながらやってきた。赤面して震える彼女に、エイクは優しく話し掛けた。


「昨日はお手紙ありがとう。読ませてもらったよ」

「あ・・・・・・ありがとう・・・・・・。あの・・・・・・わ、私・・・・・・エイク君がす・・・・・・好きなんです。わた、私と付き合って下さい!」


 女の子は震える声で、でも彼への想いを絞り出すように、エイクに告白した。


「ワタシの事を好きになってくれて、ありがとう。・・・・・・でも、ワタシには好きな人がいるんだ。だから、君の気持ちに応える事は出来ない。・・・・・・ごめん」


 エイクから断られた女の子は目から大粒の涙がぼろぼろと零(こぼ)れ落ちる。


「エイク君・・・・・・気持ち、教えてくれてありがとう・・・・・・」


 女の子は顔を押さえ、見守っていた友人達の元へ行った。そして三人で泣く姿を背に、エイクはその場を去っていった。



 それからまた、エイクにとってはもどかしい日常が繰り返される。


『毎日どこかで偶然会えることを期待していた』


 講義中でも西小路の事が頭を支配して、授業に集中できない。西小路の側にはいつも紅葉の影がチラつく。時々、西小路を見かけても、やっぱり紅葉がいる。


『きっと彼には彼女がお似合いなんだ・・・・・・忘れなきゃ。忘れよう。でも・・・・・・気が付くと君のことばかり考えてしまっている』


 あの日、西小路に助けられた日のこと。あんな姿でいても気持ち悪がらずにいてくれたこと。自由に動けない自分の肩を支えて守ってくれたこと。優しく、でも力強く自分に手を差し伸べてくれたこと。そして彼に抱き着いて、燃え盛(さか)る建物から一緒に脱出したこと。


『もう一度・・・・・・彼の胸に・・・・・・』



 学食の食堂で一人静かにランチを食べているエイク。そこに西小路が現れた。


「エイク君、となり、いいかな?」


 西小路がランチを持ってエイクに笑顔で話し掛けた。


「う、うん」


 突然の思いもよらない嬉しい展開に、エイクは慌てて返事をしながら椅子を引く。


「ありがとう」


 西小路はエイクにお礼を言って隣に座った。彼の笑顔が眩しく見える。エイクが内心喜んでいると、西小路のあとに、ローガン、紅葉、かやの、そして王が続いてやってきた。ローガンは西小路の隣に座り、ローガンの正面には紅葉、紅葉の隣で西小路の正面にはかやの、そしてかやのの隣でエイクの正面には王が座った。静かだったテーブル席が一気に賑やかになった。


「ランチは皆で食べるとベリーデリシャスですネ! グレートフレンド!」

「そうだね、こうして友達同士で集まって食べると楽しいよね」

「んだなー」

「・・・・・・・・・・・・」


 大げさな身振りのローガンの言葉に同調する西小路とかやの。しかしエイクはその言葉に無言で俯いた。


「ハァン? オマエはマダ友達じゃネェヨ、西小路。かやのサ~ン、あーん」


 王は西小路に反抗してから、かやのにトンカツを食べさせようとする。が、かやのは王が箸で掴んでいるカツを手で掴み取り食べる。王は「ガーン」とショックを受けている。


「皆フレンド同士という事は・・・・・・小野原サンともグレートフレンド⁉ Fu~!」

「ウフフ、賑やかなのは良い事ですわ」


 ワイワイと賑やかな会話が溢れる中、エイクが西小路に切り出した。


「あ、あの・・・・・・西小路君。これ・・・・・・ひとつ食べるかい?」


 エイクは皿のおかずを指差す。西小路は、


「良いのかい? ありがとう。じゃあ僕のもひとつ」


 そう言ってニッコリ笑いながら互いのおかずを交換する。エイクは嬉しくて頬を赤らめながらニッコリ笑った。

 すると西小路の隣にいたローガンも、


「OH! グレートフレンド! ミーのもシェアするデース!」


 と、おかずを差し出す。西小路がローガンの皿から料理を貰おうとした時に、西小路の日々鍛えられている胸筋がローガンの目に留まる。その瞬間、ローガンは西小路の肩を抱き、彼の大胸筋をポンポンとタッチする。


「ジムには来なくなったけど、ちゃんとエブリデイ鍛えてるようデスネ! 肩も前よりビッグになってきてマース!」


 西小路はジムで中年ボディビルダーから尻を掴まれたトラウマを思い出し、


「や、やめてくれ、ローガン! 僕はそういうの苦手なんだ」


 鳥肌を立てながらローガンのボディタッチをたしなめようとする。


「ソーリー、グレートフレンド。悪気はないんだ」


 その二人のやりとりを見ていた王が、鼻で笑いながら茶々を入れる。


「ほぉ・・・・・・西小路。オレ、オマエの事ジェンダーだト思ってたヨ。ちナみにオレは異性愛者ダガな。かやのサ~ン! 今度コソ、あーん」


 再びカツを食べさせようとする王と、またも手で掴み取るかやの。そんな二人の光景を見ながら、西小路は苦笑する。彼の目には、かやのの後ろに堕天使姿のゼクスが重なって見えているからだ。


「ハハハ・・・・・・僕も同性愛者では無いかな」


 それを聞いてエイクはハッとなった。目の前の景色がどんどん色褪せていく。まるで視界が遠のいていくように・・・・・・。



 その日の夜。エイクは自室のバルコニーで散り始めているバラを剪定している。目の光は消え、無気力な表情で。机の上には西小路宛ての破れたラブレターが夜風に揺れている。

 カサッ、机から破れた紙片が落ちた。パチンッ! バラの花のついた枝を切り落とした。彼の髪色によく似たゴールドバニーのブーケが散るように、花が地に落ちた。それと同時に、エイクの瞳から一筋の涙が頬を伝う。


「・・・・・・うっ・・・・・・うぅ・・・・・・」


 それから堰(せき)を切ったかのように、次々と大粒の涙が零れてくる。子供のように声を上げて号泣するエイク。


『失恋がこんなにも苦しいものだとは思わなかった・・・・・・・・・』


 自分に告白して、断られた時の女の子が泣いている姿がフラッシュバックする。あの時、あの子はこんなに苦しかったんだ。今なら彼女の気持ちがよく分かる。

 エイクは下に落ちたバラの花を手に取り、胸に抱く。そして、


『崩したくない―――』


 涙でぐしゃぐしゃになりながら、心に浮かんだ西小路の笑顔。今の関係を壊したくない。



 後日、食堂ではいつものメンバーの姿があった。西小路、かやの、紅葉、ローガン、王、そして、エイク―――。

 皆で笑い合いながら、ランチを楽しんでいる『友達』。今はこのままでいい、と。西小路を眺めながら、少し切なそうな表情でエイクは小さく微笑んだ。

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