第16話 朧月・前半
前髪を切り揃えられた愛らしい女の子が、母親から市松(いちまつ)人形を贈られる。人形はどことなくその女の子に雰囲気が似ていた。女の子は人形を妹のように大層可愛がった。
女の子が成長し、誰かのお嫁さんになり、息子にも恵まれた。年老いてから孫ができた。
病気になって寝たきりになっても、側には子供の頃から大切に、綺麗に手入れされた市松人形を大事そうに飾っていた。
そんな彼女はいつも義理の娘と、時々孫娘から介助されていた。
「いつもありがとうね・・・・・・」
「いいのよ、私たち家族じゃない。それよりね、おばあちゃん。私欲しいものがあるの」
祖母は孫娘にお金をいくらか渡していた。
それから時が流れ、祖母は亡くなった。亡くなる前に祖母から、代々、家の長女に引き継がれてきた市松人形も孫娘に贈られていた。
しかし、その孫娘は自分が小さな子供の頃から、歳を重ねるに連れ、どことなく自分に似てきているその人形を薄気味悪く思っていた。
雨の山道を一台の車が走っている。助手席の窓が開けられ、そこから勢いよく市松人形が投げ捨てられた。バキッと音を立てて、不法投棄の粗大ゴミに打ち付けられた。
ここは不法投棄の絶えない山道だった。ゴミに囲まれ、ひび割れた市松人形は天を仰ぎ、涙のように雨が人形の頬を伝う。彼女のガラスの黒い瞳は虚空をただ見つめていた。
大学寮の一室では、西小路が自室に紅葉と桃音、ローガンを招き、一緒にジェンガをして、まるでパーティ気分で楽しんでいる。
一方、かやのの部屋では。かやのが稲壱を風呂に入れ、タオルとドライヤーで丁寧に毛を乾かし、鼻歌を歌いながらブラッシングをしていた。しかしそんなかやのに対して稲壱はあまり嬉しくないようで、プルプルと震えている。
「ん? どうした稲壱。どっか痛いのか?」
『・・・・・・ぅ、ゃだ』「ん?」
『もう嫌だぁああああああああ‼』
稲壱がかやのの手を払いのけ、勢いよく部屋から飛び出していった。
「稲壱ぃぃぃぃぃぃぃ‼」
稲壱はかやのの部屋を飛び出した後、西小路の部屋のドアをカリカリと引っ掻く。が、中では達(だる)磨(ま)落としで騒いでおり、ドアの音には気付かない。
ドタンバタンと玄関で何かを倒すような音を立てながら、
「稲壱ぃぃぃぃぃぃぃ‼」
と、かやのがドアを勢いよく開けて転びながら飛び出す。稲壱はハッと後ろを振り向き、西小路の部屋のドアから離れて寮から逃げ去っていく。
「待ってくれぇええええええ‼」
かやのはそのままの体勢で叫ぶ。その声は西小路達にも聞こえたらしく、なんだなんだと、西小路が扉を開ける。
「かやのちゃん、どうしたの? そんな恰好で」
「ダンテ・・・・・・稲壱が逃げた」
涙目で彼に稲壱の逃亡を訴えるかやの。
「えぇっ⁉」
それから、かやのと西小路、紅葉、桃音、ローガンの五人で手分けして探す事になった。
「もしかしたら山に向かったのかもしれませんわね」
「ミーもそう思うデス!」
紅葉の言葉にローガンがキリッとしたキメ顔で同意した。
「勝(かつ)尾(おう)寺(じ)側と大滝側に分かれて、上から下山しながら探した方が行き違わなくて良いと思います!」
桃音の案で、かやのと西小路、紅葉は勝尾寺方面へ、桃音とローガンは箕面大滝方面へ探しに行った。
かやの達はバスを使い、勝尾寺へ向かう。途中の山道に粗大ゴミが大量に不法投棄されているのを、西小路はバスの窓から見つめていた。
一方、稲壱は人の姿に化けて勝尾寺に来ていた。
鯉(こい)が泳ぎ、幻想的な霧がかかる水面の池を過ぎ、達磨が立ち並ぶ道を進む。まるで極楽浄土を思わせるような敷地内に流れる読(ど)経(きょう)を聴きながら、長い階段を進む。
そして勝守の御守りと、魔除(まよ)けの数珠(じゅず)を購入し、本殿で熱心に手を合わせた。
『どうか、センパイと姐さんに勝てますように・・・・・・何卒・・・・・・』
「・・・・・・誰に勝つって?」『ね、姐さん!』
不意に背後からかやのに声を掛けられ、ビクゥッと毛を逆立て驚く稲壱。
「見つけたぞ、稲壱」
彼女が稲壱を人目のつかない物陰で狐の姿に戻させたところで、西小路がかやのに追いつく。そこにはしょんぼりとした稲壱をあやすように首の辺りをくすぐるかやのがいた。
「見つかって良かったよ! でも、どうして逃げたりしたんだい?」
『オレ、姐さんに可愛がってもらってんのは有難いと思ってるッス』
稲壱はまず、かやのへ日常の感謝を伝えた。それから少し間を置いてから、思いをぶちまける。
『・・・・・・でも、オレはもっと強くなりたいんス! ペット扱いは嫌なんス! オレはもっと妖力を高めて、気高く生きたいんスよ! 憧れたセンパイみたいに‼』
「稲壱・・・・・・そうだったのか。ごめんな、気づいてやれなくて・・・・・・うっ、うっ・・・・・・」
稲壱の胸の内を聞いたかやのは稲壱に詫び、ぼろぼろと泣いていた。
「まぁまぁ・・・・・・かやのちゃん。しばらくうちの事務所で稲壱君を預かろうと思うんだけど。どうだろう? ほら、僕なら彼に色々教えてあげられると思うんだ」
グスグスと泣いているかやのをなだめながら、西小路が提案をする。
かやのは稲壱もそれを望むのならと、稲壱を見る。稲壱は『姐さんすいません』と一言。かやのは稲壱を優しく持ち上げ、西小路に稲壱を未練がましくも託す。
そこに紅葉も合流した。無事に発見された稲壱を見て、紅葉も一安心といった表情を浮かばせた。
「稲壱さんが見つかって良かったですわ」
その日の深夜、一台のトラックが勝尾寺に向かう途中の山道に停車している。
運転手は壊れた家電や、廃材を投げ捨て始めた。捨てている途中で何かの声が聞こえた気がして周りを見渡すが、何もいない。薄気味悪く感じながらも気のせいかと思い、残りのゴミを山道に投棄し、すぐにトラックで走り去って行った。
その後再び山道に訪れた静寂の中に、物悲しそうな掠れた笑い声が聞こえていた。
翌朝、探偵事務所トリックスターフォックスで西小路が稲壱を隣に、ソファーで人間に転生する前の昔話をしていた。稲壱は憧れの先輩『ダンテ』の力の秘密が聞けるかもしれないと内心ワクワクしながらも、真剣な面持ちで西小路の話をじっと聞いていた。
『自分は元々イタリアで生まれ、人からダンテと名付けられ、干渉し過ぎない程よい距離感で、人の世界と自然界の二つの環境の中で平穏に生きていた。
それから自分は外の世界に興味を持って、船に潜り込んで様々な地域を旅した。
そして途中立ち寄った日本が居心地良く感じて、そのまま居着いていた。そこで同族の親友も出来て、友達に誘われるまま中国に行った。
そこでは毎日が恐怖だった。自身や友達、仲間達の毛皮や肉を狙って、狩人や武人や貴族に狙われる日々・・・・・・。仲間が殺される度に膨らむ憎悪。人間に盗られるくらいならと、仲間の死肉を食べ、積もっていく悲しみ。
そして気付けば妖狐に変貌(へんぼう)していた。尾もいつしか三尾に増えていた。最後は自分の親友すらも失い、喰らってしまった。深い悲しみで胸にぽっかりと空いた穴に怒りが満たされた時、自分の尾は六尾に分かれていた、と。』
「―――『妖尾の継承』、つまり妖狐が妖力を高める為に必要な事は同族を殺し、それを喰らう事じゃない。悲しみや憎しみ、怒りなどの負の感情そのものなんだよ」
西小路は稲壱に自分が妖狐になった経緯と『妖尾の継承』の真相についてを教えていたのだ。まるで家庭教師が生徒に分かりやすく説明するように。
「まぁ、これは妖狐に限った話ではなくて、妖怪全般に言えた事なんだけどね」
『でもセンパイは今人間ッスよね。屈辱に感じないんスか? いつの時代だって人間はオレ達キツネを・・・・・・いやキツネだけじゃない、動物を殺してそれで私腹を肥やして・・・・・・。更に剥(は)いだ毛皮を服として着てる。そんな人間なんて・・・・・・オレには理解できないッスよ』
「確かに、理解しがたいところもあるね。だけど憎しみ合って、争ってばかりでは・・・・・・お互いにずっと理解出来ないだろう? 憎しみからは憎しみしか生まれない。真実を知ってもやっぱり歩み寄れないかもしれない。それでも、相手の立場に身を置いて生きてみるのも、その理解への第一歩になるんじゃないかな」
西小路は稲壱に優しく諭(さと)すように自分の考えを述べるも、
『う~ん・・・・・・オレには理解出来ないッス』
と、やはり否定する。西小路は少し困ったような顔をしながら「ハハハ」と笑った。
『でも、センパイが今まで培ってきた妖術には、オレすごく興味あるッス! だからセンパイが使ってきた技をオレに教えてくれたら、きっと再現していけるはずッスよ!』
「ありがとう、稲壱君」
西小路はニコリと笑う。
その後しばらく稲壱と談笑していると、事務所に一本の電話が入る。大学院の桜井幸隆から依頼のようだ。昔から学部に語り継がれている怪奇現象が、最近頻発しているから、調査をしてほしいとの事だった。
「稲壱ぃ~、いるか~?」
電話の途中でかやのが事務所に現れた。モフモフ成分不足で稲壱に会いに来たらしい。虚(うつ)ろな瞳をしたかやのを見て、稲壱も『仕方ないなぁ』といった顔でかやのにモフられる。
「かやのちゃん、来て早々悪いけど、僕はこれから桜井先輩に会いに工学部の研究室へ行く事になったんだ。かやのちゃんも来るかい?」
西小路は電話を切り、ソファーで稲壱の腹に顔を埋(うず)めるかやのに話しかけた。
「いいぞ~」
大学院工学研究科の研究棟にて。広い面積のアスファルト補装の実験場と、それにガラス張りで隣接する研究室の中で西小路と幸隆が対談していた。稲壱は西小路の足元で毛づくろいをしながらくつろぐ。
かやのは実験場の方で電動平行二輪車『オフロードSWN(スワン)』の試作機を試乗している。
幸隆は「よく来てくれたでゴザル」と、西小路に珈琲を淹れて、早速とばかりに依頼について話し始めた。
「これはうちの工学部に伝わる話でゴザルが・・・・・・」
『―――工学研究科の研究棟で夜まで残って研究に励む学生がいた。学生は時間も忘れ、研究に没頭していると、一本の内線電話でふと我に返る。あぁ、もうこんな時間か。きっと警備員の人がそろそろ建物を閉めるからと電話をかけて知らせてくれたのだろう。
「もしもし、すみません。もう出ますんで」と、学生は電話に出たが、相手は何も話さない。ザーッというノイズが微かに聞こえていた。しばらく「もしもし」と言ったが、何も返事が無いままブツリと切れた。
学生はきっと電話の調子が悪いんだと考え、まだ警備員からの連絡も無いし、もう少し研究を続けようと思った。そしてまたしばらくして内線が入る。時計を見ると午前を回っている。今度こそ警備員からだと電話に出る。
しかし今度もまた無言だ。いや、無言ではない。ノイズだ。先ほどよりはっきりしている。学生はそのノイズの正体に気付き、思わず受話器を放り投げ、電話線を抜いた。それは声だったのだ。しわがれ枯れた男女の声が複数合わさっていた声だったのだ。
「うわぁっ!」怖くなった学生は荷物をひったくり、すぐに研究室を飛び出そうとした。が、ドアが開かない。まるで何かに押さえられているかのような感覚だ。開きそうで開かない。不意に自分の後ろに気配がする。しかも電話も鳴っている。確かに線は抜いたのに。
後ろの気配が自分に近づいている。金属が擦(こす)れるような嫌な音と共に。半ばパニックになりながら、学生はドアノブをガチャガチャさせながら後ろを振り向く。すると・・・・・・そこには、何も無かった。先ほどまでの気配も音も消えている。
学生は酷い動(どう)悸(き)を落ち着かせる為に深呼吸をする。少し落ち着いて、自分は案外臆病な性格だったんだなと恥ずかしくなり、ドアの方を振り返る。ドアの磨りガラスに人型の何かが張り付いていた。その何かと目が合った気がして、学生は気を失った。』
幸隆は深刻な面持ちで、
「―――これと似たような事象が、最近頻発しているようでゴザル」
と、以前から伝わる怪談を話した後に、近頃そういった体験をする者が出てきていると続けた。幸隆の話を表情一つ変えずに淡々と聞いている西小路と稲壱。
「それに加えて『ホホホホ』という無機質な声も聞こえるとか。我々としては、科学でもって証明したいのだけど、どうしても解明できなくてね。そこで西小路君、キミに調査をお願いしたいナリ」
幸隆の話を聞いたところで、西小路は、
「じゃあ早速、調査の方を始めさせていただきますね」
と、稲壱を連れて棟内や、実験場の見回りを始めた。窓の向こう側で、かやのがまだオフロードSWN(スワン)を乗り回している様子が西小路の視界に入る。非常に楽しそうだ。
『センパイ、オレの方でも色々調べてみたんスけど、特に変わった事は無いッスね』
途中から別行動で調査していた稲壱からテレパシーが入った。西小路の方も痕跡など、一通り調べてはみたが、収穫といえるものはほとんどなかった。
『ただ・・・・・・外のゴミ捨て場から、怨念って程じゃないッスけど、な~んかイヤ~な念を感じたッス。でも、さっきの人が言ってたような現象を引き起こせる程の力は無いッスね』
「う~ん、これは夜の建物内を実際に張り込んでみないと分からないな」
西小路は稲壱と合流して、かやののところへ戻ろうとした。その時、稲壱の背中にゾクリと冷たいものを感じた。稲壱が後ろを向くと、先ほどまで調査していた廃材置き場にあった負の念が強くなっていた。そしてその念は一人の男から流れ出ていた。
『センパイ・・・・・・あの男からおぞましい何かが出てるッス』
稲壱がテレパシーを使い、西小路に伝える。西小路が振り向くと、そこには工学研究科から出る廃材を、買い取りを含めた引き取り作業をしている男がいた。男は長年、大学と取引しているリサイクル業者で、とても人当たりの良さそうな顔をしている。
業者の男は研究員に廃材買い取りのお金を少額だが渡していた。このお金は研究費用の一部として運用されているのだ。
「かやのちゃん、あの男についてどう思う?」
「ん~・・・・・・そうだな。見た感じ人が良さそうだが、かなり胡(う)散(さん)クセェ顔してやがる。で、何でそんな事聞くんだ?」
依頼内容をまだ知らないかやのに、業者についての感想を西小路が訊くと、彼女は胡散臭いと答える。
すると稲壱が、
『センパイ、オレ、あの男を張り込んでみるッス』
と、言ってきた。それに対して西小路は、
「頼んだよ、稲壱君」
と一言。稲壱は業者の男に気付かれないように、こっそりとトラックの荷台の中に潜りこんだ。業者は引き取った廃材を2tトラックに全て積み込むと車に乗り込み発車させた。
とりあえず、今日からかやのと張り込ませてもらうという事で、西小路は幸隆に話を通して、幸隆から研究棟で使う鍵を受け取った。
かやのはオフロードSWN(スワン)を気に入ったみたいで、研究員に「貸してくれ」と頼んだ。彼らの方も、一般人の使用データが取れるのは助かると、かやのに貸し出す事になった。そして西小路にも是非使用してみてほしいとの事で、西小路も彼女と色違いの物を借りる事となった。
「あ、これ最大50㎞まで出るから免許要るんだけど、二人とも免許はある?」
西小路とかやのは運転免許を取り出し、ニカッと笑った。
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