第12話 陽炎燃ゆる、ラブマッスル‼・前半

 浅く霧がかった朝の千里北公園を西小路が真剣な面持ちでランニングをしている。

公園内に設置されている健康遊具も使い、自己流で体を鍛えている。一通りセットをこなし、汗を流す為に大学寮に帰る。

 ポストのチラシを受け取り、部屋の机の上に置いた。

 西小路はシャワーを頭から浴び、一気に汗を洗い流す。


「人間って、どこまで強くなれるんだろうな・・・・・・」

 

 暗い顔をした西小路は鏡の前で自分の肉体を見ていた。


「稲壱君の時も・・・・・・この前のエイク君の時も・・・・・・僕は何も出来なかった」


 西小路が朝のルーティンの一つ、笑顔の練習をするが、表情が曇っている為か、なんともぎこちない苦笑いになってしまっていた。


「・・・・・・このままじゃダメだな」


 服を着て髪をタオルで拭きながら、机に置いたチラシに目を通す。その中の一枚が目に留まる。


『誰にも負けない強靭な肉体作りを応援‼』


 箕面船場東にある温泉ランドの建物内に併設されている、本格的なスポーツジム。ジムには平日の昼間でも、多くの利用会員がいた。

 皆、意識が高いのか、凄い筋肉をしており、筋骨(きんこつ)隆々(りゅうりゅう)というのが相応しい。だが、そんな中でも一際強い存在感を放つ男がいた。その男は身長が190㎝で、凄まじい筋肉量をその身に宿している。まさに筋肉の塊といった印象だ。

 彼の名前はローガン。アメリカから来た留学生で、西小路達と同じ学部に在籍している。また、アマチュアではあるが、ボディビルダーをしている。ローガンは、


「チカラは、パワーだぁー‼」


 と叫びながら、100㎏のバーベルを持ち上げた。周りの会員達もボディビルダーなのだろう。


「おっ、ローガン! 今日も背中に羽が生えてるよ‼」


 などと、努力に対して賛美の声を掛けながら、各々もトレーニングに励む。色黒でスキンヘッドの中年ビルダーが、ジムに入って来た別の会員達に、


「さんとうもいいねぇ! お、大胸筋が歩いてやってきたー‼」


 と、声掛けをして、会員達のモチベーションを上げている。


「スポーツジムとはこういうところなのか・・・・・・それにしても皆スゴイ筋肉だなぁ」


 西小路は一人、冷静に周りを観察しながら、黙々とマシーンでトレーニングをしていた。そんな西小路に気付いたローガンが彼のところにやってきた。


「HEY! ミスター・西小路じゃないか。ユーもここの会員だったなんて驚きデス!」

「いや、実はまだ入会したばかりでね。マシーンの使い方もインストラクターさんに軽く教えてもらったくらいなんだ」

「それならミーが色々ティーチしてあげるから、一緒にトレーニングするデース!」


 西小路はローガンの体格を見て、これなら自分が望む理想の体作りが効率的に行えるかもしれないと思った。



 それから西小路はローガンに基礎的なマシーンの使い方を一通り教わった後、ダンベルを使ったアームカールを教えてもらっていた。


「ところで、ミスター・西小路。ユ、ユーは小野原紅葉サンとは、ど、どうやって仲良くなれたのデスカ?」


 ローガンはその体格から大学でも目立った存在で、講義の時は周りの生徒達に気を遣っており、いつも一番後ろの席で受けていた。だからいつも講義で西小路が紅葉と仲良く話したりしている姿を見ていた。彼は紅葉に一目惚れして淡い恋心を抱いており、どうしたらお近づきになれるのか悩んでいるのだ。体格の割りに、シャイボーイらしい。


「あぁ、紅葉ちゃんとは―――」


 ―――西小路は、紅葉のペットを一緒に助けに行った事や、自分が探偵事務所を構えるに至った時の事などを淡々と語った。ローガンはその話を聞いて、かなり焦った顔をして、


「ユー達は、も、もしかして、こ、恋人同士なんデスカ⁉」


 と、西小路に尋ねるが、


「そんなんじゃないよ」


 と、西小路は笑う。それを聞いたローガンは不安が吹き飛んだのか、豪快に笑いながら、


「OH! そうデスカ! HAHAHAHA! そうだ、ミスター・西小路。ミー達、グレートフレンドになりまショウ‼」


 と、握手を求めた。ローガンはあわよくば紅葉とお近づきになれたらと期待していた。



 それから数時間後、かやのと紅葉がスポーツジムにやってきた。


「おっ、こんなとこに居やがったか。お前らしいというか、なんというか」

「個人トレーニングに限界を感じてさ。それはそうと、紅葉ちゃん。さっきからどうしたの?」

「こっ、これが漢(おとこ)の世界というものなのですわね・・・・・・ヒャッ!」


 ボディビルダー達が近くを通るだけで、その度にビクッと反応して、かやのの後ろに隠れる紅葉。紅葉のそのウブで可愛い仕草にローガンは「なんて可憐(かれん)なんだ・・・・・・」と呟き、紅葉に話し掛ける。


「お、小野原紅葉サンッ! ア、アナタもここの・・・・・・イヤイヤ、その、ここはっ、男だけではないデス。ここには、ボディを鍛えるのが好きなレディ達もいっぱいいるデース!」


 確かによく周りを見渡せば女性のボディビルダーもちらほらいる。その中で指導をしているインストラクターはボディビル体型ではなくアスリート体型で、周囲に比べると一般的な体格のように錯覚する。


「お? お前どっかで見たことあると思ったら同じクラスの奴じゃねぇか。お前結構良いガタイしてんなー」


 かやのはローガンの大胸筋をペチペチ叩く。そんなかやのに焦って戸惑っていると、女性インストラクターが声を掛けてきた。


「よかったら、一日体験もできますよ?」

「マジか? ここにあるヤツ全部使っていいのか?」


 かやのは目をキラキラ輝かせて、色んなマシーンを指さしてインストラクターに訊く。女性がその度に「はい」と言うので、かやのはニタァと笑い、


「やるやる! 面白そうだ!」


 と女性インストラクターに体験をする旨を伝えた。かやのの言葉に釣られて、紅葉もつい「じゃあ私も・・・・・・」と言ってしまう。

 数分後、トレーニングウェアに着替えてきたかやのと紅葉。かやのはその豊満でナイスバディな体つきが強調されており、その場にいた男性会員達は西小路とローガンを除いて、全員鼻の下を伸ばしていた。

 紅葉はかやのに比べてかなり控えめな体つきではあるが、スレンダーなモデルのような体型で、ボディラインが出る衣装に恥ずかしそうに胸を隠す。そんな紅葉の姿に釘付けになっているローガンは「か、可憐だ・・・・・・」と呟く。

 西小路は、「かやのちゃんがあんな水着みたいな恰好になるのは珍しいな」と、思って見ていたが、かやのの「この服、レスラーみたいでかっこよくね?」の一言に、「あぁ、いつものかやのちゃんだな」と思った。

 そして各々トレーニングを始める。西小路はローガンに教えてもらい、ローガンは教えながら紅葉を眺め、紅葉はインストラクターに教わりながら基礎運動をする。

 そしてかやのはというと、興味が湧いたマシーンを片っ端から使っていき、そしてそれをことごとく破壊していく。極めつけはサンドバックに中国拳法の寸(すん)拳(けん)を使い、一撃で粉砕してしまっていた。

 はじめはかやのの揺れる胸や尻、ムチムチの太ももに目が行きデレデレだった男性会員達も、彼女の破壊行動に徐々に恐怖を覚え、最後の寸拳で完全に下心が粉砕された。そして西小路も顔面蒼白になって冷や汗をかいていた。当のかやの本人は楽しそうだが・・・・・・。



 ジムでたっぷり汗をかいた一同。かやのはもの凄く満面の笑みを浮かべているが、あとの三人は苦笑いを浮かべていた。

 かやのが一通りマシーンなどの備品を破壊し尽くした後処理で、西小路とローガンが謝り倒し、紅葉も修理費を工面していたのだ。また、ジムのレギュラー会員で広告塔でもあったローガンの顔をジム側が立ててくれた事もあり、大事にならずに済んだのだった。当然、かやのは出禁(できん)となったが・・・・・・。


「汗もかいた事だし、風呂入ろうぜ?」

「まったくかやのちゃんは、本当に自由人だね・・・・・・」

「アハハ・・・・・・でもお風呂は賛成ですわね。ローガンさんもいかがですか?」

「WHAT⁉ 小野原サンが、そ、そう言うのでしたら! ミーもご一緒するデース!」

「ご一緒って、お前男なんだから、女の紅葉と風呂入れるワケねぇだろー?」


 かやのの一言に顔を赤くしてしまう紅葉とローガン。そして入浴券を買って受付でタオルとロッカーの鍵を借り、それぞれ男湯と女湯の入口に向かう。


「ではまた後(のち)ほど、そちらの椅子で。皆さん、ごゆっくりされて下さいね」


 と、紅葉が入口前のベンチを指さしてから、軽く会釈をする。


「うん、じゃあまた後でね」


 と、西小路が紅葉に手を振る。


「お、小野原サンも、ゆっくりするデース」


 ローガンも西小路と一緒に暖簾(のれん)をくぐる。


「おう、またな」


 と、かやのも二人の後に続こうとする。


「かっ、かやのさんはこっちですわっ!」


 かやのがさも当たり前のように男湯に入ろうとしたので、紅葉は急いでかやのの手を掴み、女湯へ連行していった。



 天然温泉に隣り合って入浴している西小路とローガン。


「さっきはトレーニング中にすまなかったね」

「HAHAHA! 気にしなくて良いデース。ミーとユーの仲じゃないか! ところで、ユーはどうしてボディメイクするデスカー?」

「最近、体が鈍っていてね。もう少し筋肉をつけたいんだ」


 西小路はそれらしい当たり障りのない理由をローガンに話す。戦う時の筋力と体力の増強の為・・・・・・なんて流石に言えない。一通り話し終えると、ローガンから「自分の事も聞いて欲しい」と訴えかける視線を向けられ、それを察した西小路が彼にも理由を問う。


「ローガンは?」

「OH! グレートフレンド、よく聞いてくれた!」


 そういうと、ローガンは自分の持っている夢を熱く語り出した。『西日本学生ボディビル選手権』に出場する事、そして全国大会、いずれはプロデビューもして世界大会にも行きたい事。そして、その先の将来の事も。男湯の二人は筋肉談義というか、ほぼローガンの熱い夢の話が続けられた。

 その一方の女湯では。温泉の角で大の字になるように縁(ふち)に背をもたれかけて、豪快に大股を開いて湯に浸かるかやのと、お姉さん座りで彼女の正面に向き合うようにして入浴する紅葉。


「もうっ、かやのさんは女の子なんですから、男湯入っちゃダメですわよ? かやのさんったら、少し中に入りかけていたから、私・・・・・・あの時恥ずかしくて、心臓止まるかと思っちゃいましたわ!」

「ワリィ、ワリィ。女だって事忘れてたわ」


 かやのはケラケラと笑い、頭を掻いた。紅葉は「むうぅ」と口を尖らせて、かやのの顔と体を眺めた。薄い小麦色でキメの細かい肌、パッチリ二重(ふたえ)の大きな目、長いまつ毛、プルプルで潤った唇。それにその大きな胸。ただ、仕草だけが残念だ。


「ほら、かやのさん! せっかくそれだけ可愛いんですから、せめて女の子らしく、足は閉じて下さい!」


 紅葉はお湯の中で、かやのの両足首を掴んで閉じさせる。「えー?」と言いながら、かやのはまた足を広げ、それを紅葉が再び閉じさせる。そんなやり取りが少し続いて、


「かやのさんは良いですよね。そんなに・・・・・・その、胸も大きくて」


 と紅葉が羨ましげに、彼女のバストを見つめる。


「こんなもん邪魔なだけだ。むしろ俺はお前の方が羨ましいぜ? 動きやすそうだし」

「・・・・・・だったら! 私に下さいよぉおおお‼」

「イダダダダダダッ‼ もげっ、もげるぅうううう‼」


 かやののツインメロンに紅葉のダブルアイアンクローが炸裂した   。



『皆で温泉ランドに行った日から、ミーの小野原紅葉サンへのパッションはどんどん強くなるデス。あれからエブリデイ、講義を受けて、ジムでボディメイク、フードメニューの管理。少しずつ、ホットスプリングに行く前の日常にリターンしている気がするデース。いつもアナタに声を掛けたくて、でも話しかけるブレイブがミーには無くて・・・・・・。このチケットを渡すだけなのに・・・・・・』


「・・・・・・今日こそは」



 アロハカフェで紅葉がアイスティーを飲みながら、かやのと話している。


「隣の文化芸能劇場の方では、ボディビルの選手権会場の準備がだいぶ進んできていますわね。あんなに大きな看板も立てられて」

「『筋肉は芸術(アート)だ!』か。いやいや~、筋肉はパワーだろ。おっと、レタス切らしてんな。レタス、レタス~っと」


 カランカランと、客の入店を知らせるドアベルが鳴る。


「いらっしゃ~い、空いてる席どぞ~」


 かやのはカウンター下の冷蔵庫の中を漁りながら、客に声掛けをした。その客は一直線に、カウンター席に座る紅葉の元に向かって行った。

 カウンターの下をゴソゴソしているかやのの方を見ていた紅葉は、その気配に気付いて振り向いた。そこにはローガンが顔全体を赤くしつつも緊張した面持ちで立っていた。その手にはチケットらしきものを持っている。


「あっ、ローガンさ・・・・・・」

「あ、あのっ、お、小野原紅葉サンッ! これっ、良かったら! ミーの勇姿を見に、いやっ、応援に来ていただけませんか⁉」

「えぇっ⁉」


 ローガンは両手でボディビル選手権のチケットを持ち、頭を下げながら紅葉に渡そうとしている。紅葉は戸惑いつつ苦笑いしながら、かやのの方を心細そうな目で見つめる。

 かやのはレタスを取り出して立ち上がった時にローガンに気付き、


「ローガンじゃねーか!」


 レタスを持ったままローガンの横に立ち、腹筋に軽く拳をポンポンと当てながら、

「なぁ、俺と勝負しようぜ~?」とウザ絡みをし始める。

 そんな彼女にたじろぎながらも紅葉にチケットを渡そうとするローガンと、「こんな時に西小路さんが居てくれたらな」と思う紅葉だった。



 事務所の鏡の前で、西小路は笑顔の練習をしていた。ちょっと格好つけたキザな顔とポーズだ。


「西小路さ~ん?」


 紅葉が事務所に入ってくる。西小路はひょこっと隣の部屋から顔を出し、「いらっしゃい」と迎え入れる。そこで紅葉はローガンからボディビル選手権の応援に誘われた事を西小路に相談した。西小路は少し考えた後、


「いいよ、僕も一緒にローガンの応援に行くよ!」


 と、紅葉ににこやかに答えた。西小路の返事を聞いて、紅葉は安堵の表情を見せる。西小路は西小路で、「人間がどこまで鍛えられるのか」という事を知りたかったので、その知的好奇心を満たせるだろうと思っての了承であった。

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