第10話 紅の薔薇・前半
とあるタワーマンションの最上階の一室、王の自室にて。白と黒のモノトーンのインテリアで統一された部屋のリビングで、王はかやのと一緒にソファーに座っている。
「かやのサン、もっとオレにキミのその可愛い顔を見せてくれナイカ?」
『は、恥ずかしいから、あんまジロジロ見んなよ・・・・・・』
王に見つめられ、頬を染めながら顔を背けるかやの。王はソファーから立ち、恥ずかしがるかやのの前に片膝をつくように跪(ひざまず)き、愛の言葉を囁(ささや)いた。
「かやのサン・・・・・・好きダヨ。かやのサンは?」
『・・・・・・バカ。そんなの言わすなよ・・・・・・』
この日、探偵事務所トリックスターフォックスに一人の依頼者が来ていた。耳と鼻と唇にピアスをつけており、体格もヘビー級レスラーを思わせるような大柄な男で、所々に鋲(びょう)のついたレザージャケットを着ている。髪型もモヒカンスタイルでかなり厳つい。
そんな見た目の大男にジッと鋭い視線を向けられて、西小路はだいぶ緊張している。
依頼者は財布から一枚の写真を取り出し、スプリットタンが見える口を開いた。
「今日は、アタシの『夫』の浮気を調査してほしくてね」
「おっと・・・・・・?」
ピアスの大男は自らを『アイ』と名乗り、夫の名前は『マコト』だと教えてくれた。二人の馴れ初めから話し始め、関係は十年以上も続いている事を西小路に半ば惚気(のろけ)ながら話している。全く予想もしていなかったハードで濃厚な内容に、西小路は苦笑いで「はい・・・・・・はい・・・・・・」と相槌(あいづち)を打っている。
「―――夫には時々、他のオスの気配を感じる時があって・・・・・・でもアタシも普段は仕事があるし、なかなか証拠を掴めないでいるのよ。それで探偵さんに頼みたいんだけど、引き受けてくれないかしら?」
アイからの依頼内容を聞き、西小路は他の依頼もあり少々時間が掛かると理由をつけて、一旦保留にしてもらった。事務所に一人になった西小路は、色々な意味で疲れた顔をしてソファーに深く座る。
それから少しして、紅葉が石丸を連れて事務所にやってきた。
「あれから『エレナT2(ティーツー)』の調子はいかがですか?」
以前、紅葉の家に行った時に、西小路とかやのを案内したVRメイド。そのメイドを空間投影させていた円盤型掃除ロボット『エレナT2』と同型のものを、紅葉は西小路に渡していた。
エレナT2にはAIが搭載されており、使用者が学習させたデータ収集が目的で、西小路にモニターになってもらっていたのである。
「う~ん、それがイマイチ使い方が分からなくて。とりあえず掃除だけしてもらってるかな。あとは時々天気を訊くくらいで・・・・・・」
西小路は石丸を乗せて動いているエレナT2を見ながら、「ハハハ・・・・・・」と頬をかく。
「これから、かやのさんの所にもエレナT2の件で伺おうと思っているのですが、西小路さんもご一緒にいかがですか?」
「かやのちゃんちかぁ。気分転換に僕も行こうかな」
西小路と紅葉は大学寮まで歩いていき、かやのの部屋の前まで来ていた。かやのの事だから、多分面倒でエレナT2を使っていないか、使っていたとしても自分と同じように通常の使い方をしているのだろうと、西小路は思いながらインターフォンを鳴らす。しかし返事は無く、中から何かの音が漏れていたので、西小路はドアを開ける。
「かやのちゃ~ん、入るよ~?」「お邪魔しま・・・・・・」
『フゥーーー・・・・・・ホワァタァーーーーーー‼』「オラァアアアアア‼」
部屋に入った瞬間、二人の目に映ったのは古い中国のカンフー映画のラストシーンに出てきそうな荒野の真ん中で、青い道着を着た仙人みたいな老人と、金色の文字でロゴが入った黒いスウェット姿のかやのがカンフーで戦っているところだった。
二人は酔八仙(すいはっせん)拳(けん)を使い、まるで映画のワンシーンのような動きをしていた。戦いの最中、かやのが西小路達に気付き、「ちょい、タイム」と言うと、独楽(こま)のように回転しながら繰り出す蹴りの動作途中で仙人が止まった。
「まさか、かやのちゃんがここまで・・・・・・」
自分の予想の遥か上をいっていた事に、西小路はショックを受けていた。そんな西小路をよそに、紅葉はかやのにVRについて色々聞いていた。西小路はここにきた本当の目的を思い出し、稲壱をちょいちょいと手招きして呼ぶ。
『なんスか、センパイ?』
「実は稲壱君に相談があってね・・・・・・」
西小路は稲壱を持ち上げ、ヒソヒソと二人に聞こえないように話す―――。
『―――なるほど・・・・・・』
「それで、君の妖力を道具とかに宿したり出来ないかな?」
『う~ん、自分そこまで妖力強くないんで、使い捨てみたいな感じになると思うッスけど、それでも良いッスか?』
西小路が返事をしようとすると、ふいに背後から肩を叩かれ、思わずビクッとする。
「俺そろそろバイトだから、部屋出てくんね?」
かやのが仕事の時間になり、この日は解散となった。
次の日、西小路とかやのと紅葉はいつものように三人仲良く並んで、大学の講義を受けていた。講義内容は倫理学を英語で行うというもので、テーマは西小路にとってはタイムリーな、ジェンダーフリーの愛について語られていた。
講義中、昨日の依頼人の話を思い出し、なんともいえない顔をする西小路だった。
授業が終わり、三人が帰る準備をしていると、後ろから王が足早に近寄ってきた。
「かやのサーン、かやのサンは今日も可愛いヨ」
「気色ワリィ事ぬかしてんじゃねぇ!」
ドゴッと重い音を立てて、王がかやののローリングソバットで軽く吹っ飛ばされた。
「かやのさんっ、見えてますわよ!」
紅葉がかやのに下着が見えていたことを注意した。今日はゼブラ柄だった。
かやのは「フン」と言って、先に帰っていった。
「わ、王さん、大丈夫ですか?」
かやのが手加減していたとはいえ、王の胸部には硬い厚底が当たっており、彼は胸を両手で押さえながら、「うぅ・・・・・・VRデはウマくいっタノに」と呻いていた。
その後、西小路と紅葉も講義室を後にし、他愛のない会話をしながら校内の廊下を歩いているとエイクとすれ違う。紅葉が彼に気付いて声を掛けると、エイクは「やぁ・・・・・・」と少し疲れた様子で返事を返した。その時に紅葉がエイクの手首に赤く痕(あと)になったスジに気が付き、その事を彼に尋ねた。エイクは手首の痕を押さえながら、
「ハハハ、ちょっとかぶれてしまってね・・・・・・」
と、笑う。それから少しエイクとも会話をし、二人は事務所に向かって歩いていった。
事務所に着いて、仕事着に着替えた西小路はバーカウンター傍の椅子に座り、昨日(さくじつ)にアイから受け取ったマコトの写真を眺めながら、メモに取っていた相談内容を読み返していた。写真に写るマコトは肩幅が広く、見た感じがっしりした体型なのが容易に想像できる。顔も普通の三十代くらいのサラリーマン風といったところだ。しかし内容が・・・・・・。
「浮気調査と言ってもな・・・・・・ハァ」
正直、西小路には理解しがたい世界の話だったので、選(よ)り好(ごの)みは良くないと思いつつ、この依頼は悪いが断ろうと思った。そんな空気を察したのか、カウンターの向こうで紅茶を淹れていた紅葉が、
「その依頼はお受けにならないのですか?」
と、西小路の前に紅茶を置きながら訊く。
「そ、そうだね・・・・・・ハハハ・・・・・・」
西小路は紅茶を啜(すす)りながら苦い笑みを浮かべる。
日も落ちてきて、西小路は紅葉を家まで送ると言い、大通りを抜けて、田んぼ道沿いを歩いていた。道中にあるラブホテルが既にライトアップを始めていた。
紅葉は会話の途中、何気なくホテルの方に視線を向けた。それに釣られて西小路もホテルに目が行く。結構人目に付きやすい開けた入口で、大柄な男に肩を抱かれた細身の青年がホテルに入ろうとしていた。入口のライトにも照らされ、二人の顔が良く見えた。
「えっ! ・・・・・・エイクさん⁉」「あの男は⁉」
西小路と紅葉は、ガタイの良いサラリーマン風の男とエイクがホテルの中に消えていく様子を目撃した。
衝撃的な光景を目の当たりにした紅葉は、真っ赤になった顔を手で押さえ、噂で聞いた事がある『薔薇の世界』を妄想していた。
西小路はエイクと一緒にいたのが、写真の男『マコト』である事に気付いた。
「へ? エイク君・・・・・・?」
思いがけない光景を目撃した西小路は紅葉を送った後、かやのがいるアロハカフェに来ていた。西小路はテーブルの上で組んだ両手に額を乗せ、カウンター内で食器を拭くかやのに深刻そうな声でしつこく絡む。
「ちょっと聞いてよ、かやのちゃ~ん」
「俺いま仕事中なんだけど」
「実は浮気調査の相談受けててさ~」
「俺いま仕事中なんだけど」
「さっきエイク君と男性がホテルに入っていってさ~」
「詳しく話せ」
急に手の平を返し、興味を示すかやの。その顔は新しい玩具(おもちゃ)を見つけた時の子供と同じだった。かやののワクワクした顔に「えぇ・・・・・・」と困惑しつつ、西小路は相談内容の説明と、その依頼を断ろうとしている事を話す。
「その相談受けろ。俺も手伝ってやるからよ!」
翌日、早朝。探偵事務所にて。再び例の依頼人のアイが事務所を訪れており、西小路が話を聞いている。今回は隣にかやのも座っていた。
西小路は愛想笑いをしながらも、やはりその手の話が苦手なのか顔に出てしまっている。
そんな西小路に反して、かやのはニヤついた顔で話の相槌を打っていた。
「―――というわけで、この話受けてくれるかしら?」
「・・・・・・えぇっと・・・・・・・・・はい、お受けさせて・・・・・・いただきます」
まだ迷いがあり口籠(くちごも)っていたが、隣のかやのに肘でせっつかれ、更に目の前のアイの熱い眼差しに気圧(けお)され、西小路は渋々ながら了承した。
それから調査はすぐに開始された。アイとマコトの住んでいる家の近くから張り込み、マコトがスーツ姿で家を出たところで二人は尾行を始めた。
西小路達は対象に気付かれないように、一定の距離感を保ちながら後を追った。アイの話ではマコトは電車通勤で、営業関係の仕事をしているとの事だったが、一向に会社に向かう様子はない。それどころか如何(いかが)わしい物を扱う店が立ち並ぶ通りに来ていた。
ここに紅葉がいなくて良かったと思う西小路。
「おっ、入ったぞ」
かやのが西小路の肩を叩き、一件の店を指さす。その店は誰が見ても明らかなアダルトグッズ専門ショップ。しかもSMグッズを中心に取り扱っている店のようだ。かやのは普通に店の中に入ろうとするが、西小路は躊躇(ちゅうちょ)している様子。
「何ビビッてんだ? これも探偵の仕事だろうが! ほれ、行くぞ!」
「いやじゃああああ‼ まだ心の準備がぁ~!」
嫌がる西小路の腕を掴んで、SMショップの中に連れて行こうとするかやの。傍(はた)から見れば肉食系女王様と草食系M男のカップルのように見える。
それからも、色々な場所を巡るマコトを尾行していた。西小路はかなりげっそりしており、目も死にかけている。かやのはそんな西小路の腕を引っ張り、尾行を続けていると、マコトが喫茶店に入っていった。続けて二人も入店する。
「おいダンテ・・・・・・おい、しっかりしろ。エイクが来たぞ」
エイクの名前に反応した西小路は意識を取り戻し、急いで二人の逢い引きをスマホのカメラで隠し撮った。勿論その後、喫茶店から出て、そのままホテルに入る二人の姿もしっかりカメラに収めた。
後日、調査報告として、アイが呼ばれていた。
「キィーーー‼ なによ、このモヤシみたいなボウヤは‼ 肩なんて抱かれちゃって‼」
現像された写真を見て、荒れ狂うアイ。彼が落ち着いてきたところで、西小路とかやのが更に燃料を投下した。最初に二人がホテルに入った時の事、尾行の際に回った店や購入していた物、逢い引きの時の様子などだ。尾行中の事は西小路がほとんど放心状態だったので、かやのがほぼ話していたが・・・・・・。
「もう許せないわ‼ アタシの体を散々『改造』しといて、他のオスにも手を出すなんて‼ 懲らしめてやる‼」
「おっ、じゃあ俺の出番だな」
かやのは拳をゴキゴキ鳴らして、ニタァと笑う。
「お嬢ちゃんみたいな細い体じゃ、絶対無理! 返り討ちに遭って死んじゃうわよ? アタシですらプレイ中は勿論、プライベートでも何度殺されかけたかわかんないわ?」
そう言いながらアイは上着を脱ぎ、机に右肘を置く。肩から腕にかけて彫られた蛇のタトゥーが、筋肉の脈動によってまるで生きているようにかやのを睨む。
「マコトさんにお仕置きするなら、最低でもアタシを倒してからよ?」
「俺の実力見せてやんよ」
かやのも上着を脱いで肘を置き、アイの太く逞(たくま)しい腕に怯まず、彼の大きな掌(てのひら)を掴む。
「お嬢ちゃん、度胸と無謀は違うのよ? それじゃ、いくわよ。レディ~・・・・・・ファイィィィイイイイッ⁉」
アイの掛け声と共にズドンッッッ‼ っと音を立て、アイは一瞬で体ごと右側に倒された。何が起きたか理解できず目を丸くしている。
「これで文句ねぇだろ?」
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