第7話 スプリング・ハリケーン・後半
『暗雲立ち込める空の下、六本の尾を生やした妖狐がよろめきながら飛んでいた。
「クソッ・・・・・・しくじった・・・・・・・・・」
妖狐の体中には矢や槍、折れた刀や鎖鎌などの武器が刺さり、銃創(じゅうそう)までもあり、とめどなく血が流れている。
妖狐は命からがら中国から日本に逃げている途中だった。強力な力をもつ然(さ)しもの六尾の狐も、京都伏見の上空にてついに力尽きて墜落してしまった。
満身(まんしん)創痍(そうい)の妖狐の前に、美しい白銀の九尾をもつ女神が現れた。
「いまは安心して、ゆっくり眠りなさい」
女神は死の間際の妖狐に触れ、その傷を癒す。』
そこで目が覚めた。窓の外から雀(すずめ)の鳴き声が聞こえる。
「今のは・・・・・・夢?」
西小路は身体を起こそうとするが、全身がだるくて力が入らない。どうやら昨夜受けた傷から菌が入り、熱が出ていたようだった。傷の方は止血されているが、ズキズキと痛む。
西小路は回復するまで、大事を取って今は大人しく休む事にした。
その日の夕方、紅葉から連絡があった。かやのだけでなく西小路も授業に来ていなかったので、何かあったのではないかと心配になったという。
西小路は熱があり、薬を飲んで休んでいる旨を紅葉に伝えた。紅葉は「お大事にされて下さい」と西小路を気遣って、すぐに電話を切った。
それから更に二日後、西小路は熱がひいたので授業に出ていた。そして、かなり不機嫌そうな様子だが、かやのも出席していた。紅葉は久しぶりに二人に会えて喜んでいたが、西小路の左腕に巻かれた包帯を見て、ひどく心配した。
「西小路さん、その腕どうされたんですか⁉」
「実はこの間の手伝いのあと、事務所に寄ってから帰ったんだけど、その時に狐に襲われちゃってね。その時にばい菌が入って熱が出たんだと思う。いや~、箕面市にも狐っているんだね」
「え! そんな危険な狐がいるんですか⁉ 周辺住民の方々の安全の為にも、ちゃんと捕獲しないといけませんわね!」
「・・・・・・う~ん、でもなんというか、その狐が人を襲うようになったのには、何かしら理由があると思うんだよね」
西小路は紅葉の発言に思うところがあり、少し間をおいてから複雑そうな表情で呟いた。
授業が終わり、キャンパス通りを歩きながら、紅葉はかやのにも体調の事を訊いた。
「かやのさん、お腹の具合は大丈夫ですか?」
「ん? あぁ、とりま血は止まったが、まだ少し痛ぇな」
かやのは食中毒なのだと紅葉はずっと思い込んでいたが、血と聞いて女性特有のものだと気付いた。彼女は慌てて隣にいる西小路に聞こえないように、小声でかやのに謝った。
「そういえば、早くそこの『箕(み)面(のお)船(せん)場(ば)阪(はん)大(だい)前(まえ)駅(えき)』が出来ると良いですわね。そうすればもっと便利になりますし」
キャンパスの前で紅葉が新(しん)御(み)堂(どう)筋(すじ)道路の方を見て、二人に話を振った。かやのは「便利になるのは助かるな」と紅葉に返すが、西小路は無言だった。
その後一同は解散し、西小路はかやのの部屋に来ていた。かやのは机の上のラジオをつけた後、手鍋でインスタントコーヒーを沸かしはじめた。
ラジオからはタッキー816みのおエフエムが流れている。
「いや~、しかしこの間は驚いたよ。まさか妖怪に襲われるなんてね」
西小路は先日の事をかやのに話すと、彼女は「ふーん」と興味なさげに、
「んなもん今更だろ」
そう答えながら、二つのキャンプ用タンブラーに珈琲を注ぐ。かやのの言葉に、
「それもそうか」と西小路は納得した。
珈琲を飲んでいると、西小路の耳に気になる話題がラジオから流れてきた。栃木県那須町にある『殺生石』が綺麗に真っ二つになっていたのを近隣住民が発見したとの事だ。
「殺生石が・・・・・・? もしかしてあの狐・・・・・・その時に漏れた妖力を?」
次の日、西小路とかやのが教室に入ると、いつもよりも室内がざわついている。先に来ていた紅葉に「どうしたの?」と西小路が聞くと、大学周辺で大きな狐の目撃情報や、実際に人が襲われたなどの話が、クラスの話題で持ち切りになっているとの事だった。
「アイツ・・・・・・紅葉ちゃん、僕はこれからその狐を捕まえに行ってくる!」
紅葉の話を聞いた西小路は、焦った表情で慌てて教室から出ていった。紅葉も西小路の後を追おうと席を立つが、目が据わったかやのに腕を掴まれて制止される。
「昔からアイツは、ああなったら止まらねぇんだ。俺が連れ戻してくるから、お前は俺らの代返でもしてな」
かやのはそう言って、手をひらひらさせながら教室を出ていく。
一方、勢いで教室を飛び出した西小路は当てがない事に気付き、とりあえず自分が先日襲われた場所に向かう事にした。
その途中『こっちッスよ、センパイ』と西小路の頭の中に、件(くだん)の化け狐の声が響いた。
化け狐の声に導かれるように、西小路は一件の廃ビルの前に来ていた。
そのままビルの中に入るように化け狐に指示され、西小路は建物内に入った。すると入口が崩れ、退路が塞がれた。
「今度は逃がさないつもりか・・・・・・」
崩れた入口を見つめる西小路の脳内に、再び化け狐の声が響く。
『当たり前ッスよ。オレはアンタの肉を喰わなきゃいけないんスから。おっと、そっちじゃないッス。そう、そこの階段登って。オレは三階ッス』
西小路は声に従って三階を目指す。その途中、折れて竹刀くらいの大きさの比較的丈夫な角材を見つけ、それを持っていく事にした。他にもネジやビス、小石などを拾ってポケットに入れる。
西小路が三階フロアに着くと、扉の外れた大広間の奥に、化け狐が下卑(げび)た笑顔で待ち構えていた。
『よぉ、センパイ。待ってたッスよ? 悪いッスね~、わざわざ来てもらっちゃって』
細めた目で西小路が持っている角材を見るやいなや、西小路に勢いよく飛び掛かる。
『センパイもやる気ッスねぇ⁉ でも・・・・・・』
西小路は向かってくる相手に目掛けて角材を振りかぶる。・・・・・・が、化け狐は空中で身体を捻り、西小路のフルスウィングを避け、後ろ脚でドロップキックを腹に当てる。
西小路は「うっ!」と怯み、勢いよく後方に飛ばされ、壁に激突する。背中に背負っていたリュックに衝撃を吸われたお陰で、背中へのダメージは少なかった。
そのまますぐに追い打ちをかける化け狐の一撃を、西小路は横に転がり、辛うじて回避する。その際に、西小路はポケット内のネジを素早く取り出し、相手のこめかみを狙ってサイドスローで投げる。
小さくても石より硬い鉄の飛礫(つぶて)が狙い通りに当たり、化け狐は当たった側の目を瞑り、忌々(いまいま)しそうな声をこぼす。
その隙に西小路は体勢を立て直し、角材を構える。
「戦う前に聞かせてほしい。なんで僕の肉が欲しいんだい?」
西小路の問いかけに、化け狐の雰囲気が変わった。
『センパイ。アンタ、妖狐だろ? 姿は化かせても、アンタからは妖狐のニオイがプンプンする』
そう言った後、化け狐は何かを思い出すように、黙って目を閉じる。少しの沈黙の後、化け狐はゆっくりと口を開く。
『・・・・・・オレは力を手に入れたい。センパイ、アンタなら分かるだろ?』
「妖(よう)尾(び)の継承か・・・・・・キミは本当にあんな昔の伝承を信じているのかい? あれはただの迷信だよ」
『そんなわけない! この前アンタの血を舐めてからというもの、オレは確かに、少しずつ強くなっている。だからアンタの肉を喰って、もっと力を手にして・・・・・・オレから住処も、食い物も、仲間までも奪った人間共を一匹残らず根絶やしにしてやるんだ‼』
化け狐は地の底から湧き上がってくるような憎悪のこもった声で、人間への恨みつらみを語る。
そして人間を皆殺しにすると叫んだ直後、元々大きかった化け狐の身体が、更にトラと同じくらいの巨体となる。加えて前足が人型のように変形し、まるで狼男を思わせるような風貌(ふうぼう)に変化した。
『ハハハハハ‼ 見ろ! これがあの時舐めた、アンタの血の力だ‼』
―――違う。それは憎しみの力だ。妖怪は元来、負の感情の力で強くなる。妖尾の継承もタネを明かせば、相手への嫉妬や怒り、また親しい者を喰らった際の悲しみで負の感情が強くなる。それによって、自分が相手から妖力を奪ったと錯覚しているだけに過ぎない。
西小路はそれを異形と化した彼に伝えたかった。だが伝えられなかった。伝える間がなかった。
『センパイ、アンタは若くして六尾まで持つことが出来た。オレ達の憧れだったのに・・・・・・随分腑抜けちまったなぁ‼ オラオラ! 少しは反撃してみろよ!』
化け狐は変化を遂げてから『おしゃべりは終わりだ』と西小路に一気に襲い掛かり、怒涛(どとう)のラッシュを浴びせかけている。
それを西小路は必死に避けて、隙あらば角材や投擲(とうてき)武器で反撃を試みるが、全く効果がなかった。それどころか得物も折れ、投げるものも無くなり、身体にも少しずつ疲労の色が出てきて足がもつれてくる。
それによりアクロバティックな動きも出来なくなっていき、徐々に相手の攻撃も掠(かす)りはじめた。
気が付けば服はボロボロになり、身体のあちこちに傷が増えていった。
『センパ~イ、いつまで力の出し惜しみするんスか? いい加減にしないと、もう死んじゃうッスよ? ・・・・・・まぁ、こちらとしてはその方が助かるんスけど・・・・・・ねっ!』
余裕そうな笑みで化け狐が西小路に蹴りを当て、そのまま壁に激突させる。西小路は「かはっ」と口から血を吐き、意識が飛びそうになる。
「ハァ、ハァ・・・・・・僕はこのまま死ぬのか・・・・・・人間の身体って不便だな・・・・・・」
西小路の脳内に絶望の色が広がった。
『そろそろ楽にしてやるッスね』
化け狐は口の端から涎を垂らして、その顎を大きく開く。鋭い牙がズラリと並び、妖しく光っている。
もうあと一歩前に出れば西小路の頭に牙が届く。彼は眼前で大きく開かれた化け狐の顎の筋肉が脈動するのを、半ば諦めた目で見ていた。
ガキィンッ! 化け狐の牙は西小路の目の前寸前で閉じられた。西小路は何が起こったのか分からなかったが、それよりも目の前の化け狐の方が戸惑っていた。
『・・・・・・な、何だ⁉』
そして同時に自分の胴体に違和感を覚え、そこに目をやる。西小路も化け狐の目線を追いかけた。
するとそこには、自分がいつも見慣れている人物の腕が、化け狐の毛を掴みながら胴をホールドしている。
「・・・・・・・・・テメェ、俺の相棒に何して・・・・・・やがんだぁあああああああああああああ‼」
鋭い爪を地に食い込ませて立っていた両足が、一瞬フワッと浮いたかと思うと、そのまま後ろにズドォォォォォンッ‼ と轟音を立てた。かやのの強烈なジャーマンスープレックスが炸裂し、化け狐の脳天が地面に叩きつけられていたのだ。
「かやの・・・・・・ちゃん?」
化け狐に掛けていたホールドを解いて、かやのがブリッジの体勢から腹筋の力で上体を起こし、西小路に手を差し伸べた。
「・・・・・・ったく、こんな近くに居やがったのか。こっちはあちこち探し回る羽目になったんだからな?」
「ごめん、ごめん」
西小路はかやのの手を取り、よろけながら立ち上がった。
『ウゥ・・・・・・クソ・・・・・・』
それと同時に化け狐の方も呻き声を上げながら頭を押さえ、フラフラと起き上がろうとしている。
「やっぱ一発じゃ無理か・・・・・・おいダンテ。俺のこと投げれるか?」
かやのは両手をバレーボールのレシーブのような形に組んで、西小路に見せる。
「まったくかやのちゃんは・・・・・・相変わらず人使いが荒いなぁ。う~ん、一回くらいならなんとか・・・・・・」
かやのが助けに来てくれた事で、西小路の表情にも余裕が出てきた。苦しそうではあるが、ニコッと笑顔をかやのに向ける西小路。
「おぅ、上等! この次でアイツを沈めてやるぜ!」
かやのは助走をつける為に一旦後ろに下がり、西小路は化け狐に背を向けて彼女をレシーブ体勢で待ち受ける。
かやのは大きく右腕を上げ、五指を立ててカウントダウンをする。
化け狐がヨロヨロと立ち上がったのと同時にカウントが一になり、かやのが西小路に向かって駆け出した。ガッガッガッと彼女の厚底ブーツが重い音を立てる。
ひと際鈍い音を響かせて、かやのは強くコンクリート床を蹴る。そして、西小路の両手に右足を乗せた。
腕に重量を感じた直後、足から腰、腰から背中、背中から肩、そして腕へ力を伝達させる。西小路は咆哮(ほうこう)を上げながら、かやのを宙へ跳ね上げた。
勢いをつけたかやのは前方へ宙返りし、化け狐の両肩に足を掛けると、その時の反動で彼女の上体が持ち上がる。
その直後、瞬時に両足で化け狐の首を締め上げる。かやのは勢いを一切殺さずに、相手を締め上げたままバック宙のような形で、
「どらぁぁあああああああああああ‼」
背を思い切り反らせて、化け狐を巻き込みながら一回転する。先ほどの技の時よりも激しい轟音を立てて、化け狐の脳天を鋭く床に叩きつける。ウラカン・ラナに見せかけたフランケンシュタイナーだ。
かやの自身の筋力と勢いだけではなく、化け狐の巨体をも利用した投げ技によって、激突した床に大きく亀裂が走った。
かやのの攻撃によって、立て続けに頭部に強い衝撃を受けた化け狐は意識を失い、自身の変化が解けて本来の姿に戻っていた。
―――とあるオフィスの一角で、事務作業を行っている女性の後ろ姿があった。
『キュー・・・・・・キュー‼』
壁に設置されている書類棚の下部の引き出しの奥。その中に動物が出入り出来る扉が付いており、そこから石丸が上半身を出している。腹の肉が引っかかり、扉をくぐれないで藻掻いていた。
「やれやれ、またですか? 少しは痩せないと駄目ですよ。これ、今回のメダルです」
女性は石丸を引っこ抜くと、銀のメダルを石丸に咥えさせる。石丸は扉に戻るが、
『キュー・・・・・・』
当然、肉が引っかかる。女性は石丸の尻を押して、キュッポンッという音を立てながら石丸を扉の奥へ押し込む。
石丸が通った扉を抜けた先は、持ち運び可能なペットケージの中だった。
―――化け狐との戦いから、数日後。探偵事務所には、身体中に絆(ばん)創(そう)膏(こう)を貼った西小路と、生理の痛みとそれの鬱憤(うっぷん)を晴らせて機嫌が良いかやの。怪我をしている西小路を心配しながらお茶を沸かしている紅葉、それに床に転がっている石丸がいた。そしてもう一匹。
「可愛らしい子ギツネちゃんですわね。名前はもう決まってますの?」
紅葉が二人の前に紅茶を置き、かやのの足元にお座りしている子狐を見て名前を訊ねる。
「この子の名前は・・・・・・」「稲(いな)壱(いち)だ。かっこいいだろ?」
西小路が答えようとすると、かやのがそれに割り込む。彼女は稲壱と名付けられた子狐を優しく抱き上げ、自分の膝の上に乗せながら答えた。
結局、『西小路を襲い、大学でも噂になった狐』は西小路とかやのに捕獲されて、箕面の山に放された事になっていた。そして、その際に親とはぐれた様子の子狐を見つけて、そのまま保護したという話で、事前に紅葉に説明していたのだ。
稲壱は笑顔のかやのから耳や尾を弄(いじ)り回され、大人しくされるがままだが、もの凄く嫌そうな顔をしている。
「稲壱ちゃんが来て、この事務所も賑やかになりますわね」
かやのの膝に乗る稲壱を見つめながら、紅葉が「ウフフ」と優しく微笑(ほほえ)む。
「石丸さんもお友達が増えて良かったですわね・・・・・・って、石丸さん? その口に咥えてる物は・・・・・・?」
そう言いながら紅葉が石丸の方に目をやると、石丸が銀色に光る物を咥えている事に気が付いた。
「これは・・・・・・メダル? もう、石丸さん。何でも口にしちゃダメですわよ」
紅葉が石丸の口からメダルを取り出すと、
「・・・・・・えっ? あっ! かやのちゃん! 銀メダルだよ!」
「・・・・・・っ! マル、お前一体どこでこれを⁉」
それを見た西小路が紅葉からメダルを受け取り、かやのは石丸に詰め寄っていた。
「もしかしたらそのメダル、石丸さんなりにお祝いのつもりかもしれませんわね」
「とりま、銀ゲットだぜ!」
「善ーーーし!」
かやのと西小路がハイタッチを決め、それを紅葉がにこやかに眺めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます