第6話 スプリング・ハリケーン・前半

 本来、『春(しゅん)嵐(らん)』とは春先に吹く強い風のことを指すが、四月真っただ中にまるで大型台風のような暴風雨が前々日から箕面市全域を襲っていた。それにより、大学も生徒の安全を優先し、緊急で休校になっていた。



「今日もひどい雨・・・・・・早くやまないかしら・・・・・・」

 

バケツを返したような雨が降る外を自室の部屋の中から眺める紅葉。大抵の人間は雨の日は陰鬱(いんうつ)な気分になるものだ。「はぁ・・・・・・」と深い溜め息をついて石丸の頭を撫でる。



「ぐうっ・・・・・・ぐあぁぁぁぁぁ・・・・・・・・・クソがぁぁあ!」


 かやのは自室の中に設置しているシングル用テントの中で、寝袋にくるまって下腹部を押さえ悶え苦しんでいた。窓を叩く激しい雨音が彼女の呻(うめ)き声をかき消している。



「―――はい・・・・・・はい。いえ、お気になさらないで下さい。この雨ですので仕方ないですよ、はい。またのご相談をお待ちしております。はい、では失礼いたします」


 西小路は探偵事務所の椅子に座りながら、嵐が原因による当日の依頼キャンセルの電話を受けていた。

 テレビからはこの大型台風のような勢いの暴風雨について、ニュースが流れている。箕面市内の如(にょ)意(い)谷(だに)や粟生(あお)の方では洪水による浸水被害が出ている様子や、各地域で木が倒れたり、瓦や看板が飛んだりしている映像が流れていた。

 西小路は電話を切ってテレビに目をやった後、窓の外を見て「やれやれ」と頭をかく。


「これは・・・・・・今日もしばらく出られそうにないな」


 彼は嵐のせいで事務所に足止めされ、そのままそこで寝泊まりしていた。

 かやのと紅葉の方は大丈夫だろうかと気になり、二人に電話して状況確認をすることにした。最初にかやのに電話をしてみたが、しばらくコール音を鳴らしても繋がらなかったので、一度切って紅葉にかける。


「もしもし、紅葉ちゃん。そっちは大丈夫?」

「あっ、西小路さん。わざわざありがとうございます。こちらは大丈夫ですわ。それよりも西小路さんの方こそ・・・・・・」


 紅葉の方は特に目立った被害はないが、石丸を散歩に連れて行けないのが気になっているようだ。

 西小路は紅葉との会話が終わった後、もう一度かやのに電話をかけた。またしてもなかなか電話に出ないので、彼女の身に何かあったのか気になっていた。しばらくすると、ガチャッと着信を受けた音が西小路の耳に入る。


「あっ、かやのちゃん! なかなか電話に出ないから心配したよ。そっちは大丈夫かい?まだまだ嵐が治まりそうに―――」

「あぁ⁉ こっちはそれどころじゃぁねぇ‼ 全然ダイジョバネェよ‼」


 電話に出たかやのは西小路が話している途中で、かなり不機嫌な声で怒鳴りながら割り込む。そしてそのままブチッと音を立てて電話を切った。

 突然の怒鳴り声に西小路は耳がキーンとなり、指で耳を押さえている。


「何をそんなに怒って―――」


 そう言いかけて、突然ハッとする。もしかして、先ほどのニュースのように瓦が飛んできて、彼女の部屋の窓ガラスを突き破って、どこか怪我でもしたのかも・・・・・・。 そんな映像が彼の脳内で再生された。



 翌日、ようやく嵐が終わり晴れたが、今回の雨の被害は大きく、街は復旧作業に追われていた。

 大学側も《午後から再開します》と通告メールを送り、午後に西小路と紅葉は講義が行われる教室に来ていた。しかし、そこにはかやのの姿が無かった。


「かやのさん、今日はお休みなのでしょうか?」

「あぁ、うん―――」



『西小路は天候が回復した後、大学に行く前にすぐに寮に戻り、かやのの部屋に彼女の様子を見に行っていた。

 かやのは外出時以外には鍵を掛けないので、一応呼び鈴を鳴らしてからドアを開けると、部屋の中は妙に血生臭かった。嫌な予感を感じつつ、「かやのちゃ~ん」と声をかけるのとほぼ同時に、すぐ手前のトイレの中から、獣のようなうめき声が聞こえてきた。


「ダンテか・・・・・・? 腹がクソ痛ぇ・・・・・・股から血が止まらん。俺は   」


 かやのの声を聞いて安否を確認した西小路は「あっ・・・・・・うん」とだけ言って、そっと玄関のドアを閉めた・・・・・・』



 西小路は教科書とノートを鞄から取り出しながら、かやのの最後の一言を紅葉に伝える。


「―――なんか、『俺はトイレの神様になる』って言ってたよ」


 それを聞いて、紅葉はかやのが何か悪い物でも食べて、食あたりでも起こしたのだろうと思った。そして、もう一つ気になっていた事を西小路に尋ねる。


「そういえば依頼の方はどうですか? 今回の台風で依頼も多くなったのでは?」

「いや~・・・・・・それがさ、依頼も全部吹き飛ばされちゃって・・・・・・」


 それを聞いた紅葉はスマホを取り出し、「それならこういうのがありますわ」と箕面市の地域コミュニティの掲示板を開いて見せる。そこには今回の嵐で、特に被害にあった地域の住民が書き込んだ手伝い募集などの依頼がずらりと並んでいた。

 西小路は紅葉のスマホを借り、講義中も掲示板を眺めていた。



 その日の講義が終わり、紅葉は西小路に気になる依頼があったかどうか聞いた。


「なにか気になるものはありましたか?」


 西小路はスマホのページをスワイプし、気になる書き込みを紅葉に見せた。

 そこには箕面五丁目にある個人で経営している古書店からの依頼で、浸水の影響で本が泥で汚れてしまったからそれの拭き取りや整理が主な内容だった。

 紅葉はなぜそれにしたのか聞くと、掲示板の一番最初に書き込まれていた事、時間を置いて再投稿されていた事が主な理由だと西小路は答えた。


「下に流されないように時間を空けて書き込むくらいだし、まだ誰も手伝いに来てくれてないんだと思う。それに古書店なら、僕の研究に使えそうな本にも出会えるかもしれないからね」


 西小路はその場で書かれていた番号に電話を掛け、次の日曜日に手伝いに行く旨を電話の相手に伝えていた。



 日曜日の早朝、箕面五丁目にある古書店に訪れた西小路と紅葉。


「今日はよく来てくれたね。本当にありがとう、助かるよ」

「いえ、こちらこそよろしくお願いします」


 手伝いに来た二人を出迎えてくれたのは、やや腰の曲がった優しそうな老夫婦だった。西小路と紅葉はやって欲しい事とやり方を夫婦から教わり、さっそく作業に取り掛かる。

 紅葉は老夫婦と一緒に本の拭き取りと乾かし、破損の有無の判別作業を行い、西小路はシャベルとホースを使って店先の泥かきを担当する。



 それぞれ作業に没頭していると、奥から食事の用意が出来たからと奥さんが皆を呼びにきた。いつの間にか昼食の時間になっていたようだ。

 西小路と紅葉は、昼食のお好み焼きとおにぎりをごちそうになった。早食いの西小路は自分が取った分の飯をさっと平らげると、先に再び作業に戻った。

 それから紅葉と老夫婦も食事を済ませ、作業を再開し始める。


「そういえば、一緒に来てくれたお兄さんはお嬢さんの恋人かね?」

「えぇっ! ち、ちちち違いますわっ!」


 本の仕分けをしている店主が泥拭きをしている紅葉に尋ねた。急にそんな話題を振られて、紅葉は動揺して顔を真っ赤にしながら否定する。


「そ、そういえば、これはなんて書いてあるんですか?」


 このまま話を続けたら、もっと西小路の事や好きな人なんかの事に話題が突き進んでしまうと感じた紅葉。彼女は咄嗟(とっさ)に、いま自分が土を落とした古書を店主に見せた。

 彼は「どれどれ」と胸ポケットの老眼鏡をかけ、紅葉の見せた本を手に取り読んだ。


「これは・・・・・・『九尾狐録』だね」

「きゅう・・・・・・び・・・・・・こ、ろく? どのような内容なのですか?」


 紅葉には本に書かれている文字が、ミミズの這った後のように見えていた。それを店主は難なく、スラスラと読み解いていく。

 要約すると、九尾の狐が美女に化けて中国・インド・日本の三国で、時の権力者に近づいて国を傾かせた。そして物語の終盤には、日本で陰陽師や侍によって退治され、殺(せっ)生(しょう)石(せき)という毒をまき散らす岩になった。だが、最後は坊主によって、その毒すらも封印される、という話である。



 午後十八時半。ようやくその日の作業も終わり、西小路と紅葉は帰路についた。

 西小路は事務所に用を思い出し、アパートに向かった。

 事務所について雑務をこなしていると、気づけば外は真っ暗になっていた。彼は「やばいやばい」と呟き、戸締りをして部屋を出た。

 今日は気分転換に、いつもとは違う道を通って帰ろうと考えた西小路は、今宮二丁目から西宿(にしじゅく)二丁目に続く田んぼ道を通ることにした。


「さっきから誰かに見られてるような・・・・・・」


 路地に入ってから、背後に視線を感じた西小路が後ろを振り向く。すると、後ろから大型犬くらいの大きさの動物が、西小路に向かって凄い速さで走り、一直線に飛び掛かってきていた。

 西小路は「・・・・・・っ⁉」と慌てて身を逸らせて、突進してきたものを避ける。しかし、突然の事に反応が遅れた。避けきれずに大型犬のようなものが、西小路の左半身をかすめながらすれ違う。


「くっ!」


 すれ違ったのと同時に、西小路は左腕に鈍い痛みを覚えた。どうやら、腕を引っかかれたらしい。

 しかし大型犬にしては、力が強すぎる。服の袖が切り裂かれており、手の甲から肘まで二筋の傷をつけられていた。

 血が指まで伝い、地面に垂れている。突然の襲撃者はチカチカと街灯に照らされ、その正体を彼の目に映した。


「・・・・・・っ! 狐⁉ 何故こんなところに!」


 西小路を襲ったのは犬ではなく、グレートデンサイズの大狐だった。西小路の方に向き返った大狐は目を細め、ニタァと嫌な笑いを浮かべた。


『探したッスよ、センパイ?』

「・・・・・・化け狐か。僕は、妖怪退治はしてないんだけどね・・・・・・」


 爪についた血を舐めながら人語を発す化け狐の目を、じっと睨みつける西小路。彼は体勢を低くして後ずさる。

 急な不意打ちで左腕に深手を負ってしまった。戦うよりも逃げる事を優先、西小路の脳内には逃走経路、そして逃走シミュレーションが高速で駆け巡っていた。


『あれ~、逃げるつもりッスか? アンタを探して、遠路遥々那須(なす)から来たんスよ? 残念ながら逃がさないッス。ダンテセンパイ、大人しくオレに喰われて下さい!』


 化け狐はそう言うやいなや、再び西小路に襲い掛かった。


「おかしい・・・・・・なっ! 僕はっ・・・・・・まだ君にっ、名乗った覚え・・・・・・ないけどっ!」


 化け狐は西小路に連続で飛び掛かり、どんどん人気の無い小川沿いの畑の方に追いやっていく。

 息次ぐ間を与えぬ攻撃を飛び込み前転やバック宙を交えて、アクロバティックに避ける西小路。そして避ける際に石を拾い、それを化け狐の眉間に投げつけた。ゴツッという鈍い音を立て化け狐は一瞬ひるんだ。しかし、すぐに怒りを込めた目を西小路に向け、左の爪を大きく振りかぶる。


『センパ~イ・・・・・・痛いじゃないッス・・・・・・かぁ!』


 西小路は後ろに地を蹴って、爪を辛うじて布一枚で避ける。だが、爪を振り下ろした直後の勢いのついた体当たりをもろに食らってしまい、大きく吹き飛ばされる。


「ぐあっ・・・・・・」


 後ろに吹き飛ばされ、何とか起き上がろうとしている西小路に、化け狐は鋭い牙が光る口を大きく開き飛び掛かる。

 西小路は横に転がりながら、相手の一撃を避ける。攻撃を避ける際に、倒れていた時に掴んでいた砂を化け狐の目に思い切り投げつけた。


『グッ‼ ・・・・・・テメェやりやがったなァ⁉』


 砂による目つぶしが成功し、その隙に力を振り絞り、西小路は一気に立ち上がって全力で逃走する。

 逃げる西小路の後ろで、目を前足でこすりながら化け狐が何かを叫んでいる。



 うまく化け狐から逃げられて、何とか寮に辿り着いた西小路は、タオルを負傷した腕に巻き付けて止血する。その直後、どっと押し寄せてきた疲労と傷の痛みから、気を失うようにベッドに倒れ込んだ。

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