第5話 春の星は、おぼろに柔らかい・後半
翌日、日曜日。探偵事務所予定の部屋の中にて。先日に購入した家具類が昼前に届くので、今日はその前に部屋の掃除をする事になっていた。
「おはよう・・・・・・って、紅葉ちゃん大丈夫⁉ 目のクマ凄いけど・・・・・・」
「あっ、おはようございます、西小路さん。ちょっと昨夜一人で色々想像してしまって・・・・・・っていえ! 何でもありませんわ! 大丈夫です!」
「大丈夫なら良いんだけど・・・・・・無理はしなくて良いからね? でも今日はありがとう。本当に助かるよ」
前日に西小路との事を妄想していた紅葉は悶々(もんもん)としたまま夜を過ごし、そのまま結局朝を迎えていた。その為に寝不足で、それが顔にも表れていた。体も重く感じていたが、西小路の一言で不調が全て吹き飛んだ。
「この部屋がどんな感じに変わるのか、今からワクワクするよ」
「きっと素敵な事務所になりますわ」
二人は探偵事務所予定の部屋に入り、机と椅子しかない殺風景な室内を見渡して、これから届く家具を想像して笑みを浮かべていた。
「あら、想像していたよりも埃(ほこり)は溜まってませんね。これならすぐ終わりそうですわね」
「ハハハ、一応少しずつ掃除はしてたからね。ところで何でマルちゃんが?」
「マルちゃん? あぁ石丸さんの事ですか? この子は寂しがり屋なので」
紅葉は石丸も連れて来ており、石丸もぴったりと紅葉にくっついている。
それから二人は掃除用品を取り出し、部屋の隅々を掃除し始めた。西小路の言った通り、埃などの汚れは少なく、掃除は案外早く終わらせることが出来た。
掃除が終わってひと段落し休憩しているところに、ちょうど家具業者が到着したらしく、部屋のインターフォンが鳴る。石丸は終始部屋の真ん中でコロコロと転がっていたようだ。
「あっ、家具が来たかな? はーい、今出ます。マルちゃん、ちょっとごめんね」
西小路は石丸を避けて、玄関に向かう。ドアを開けると業者が家具類を持って立っていたので、そのまま中に入ってもらう。部屋のレイアウトを書いた紙を見ながら、彼らに組み立てと配置をお願いした。
約一時間くらいで作業は終了し、西小路と紅葉は小物の包装を取り、家具の上や、内部に小物の配置を始めた―――。
「―――このコーヒーミルはどちらに置きましょうか?」
「えっと、それはそこの棚に置いてくれるかな?」
それからしばらくして作業も終わり、事務所内は玄関から見て右側に応接室。そして、左側にはカウンターテーブルを配置したカフェを思わせる、喫茶スペース兼お茶汲み用の給湯スペースとなった。
家具や小物は全てアンティーク調で揃えられていた。
「思った通り、上品で素敵な内装になりましたわね」
「いや~、本当に紅葉ちゃんには頭が上がらないよ。本当にどうもありがとう」
「ふふっ、良いんですよ。それじゃあこれから・・・・・・」
『ぐぅ~~~~~』
紅葉が何かを言いかけた時、二人の腹の虫が同時に鳴いた。その音の大きさに思わず二人とも笑いがこみ上げた。
「アハハハハハッ、凄い音だったね。何か食べに行こうか?」
「ウフフフ、そうですわね。あ、それなら『みのおモール』に行きませんか? あそこの美味しいパン屋さんのカレーパンが食べたくなっちゃいました」
大型ショッピングモールの『みのおモール』に近づくにつれ、外の広場から綺麗なピアノの音色が聴こえてきた。音のする方に向かうと、かなりの人だかりが出来ていた。そして、その人だかりのほとんどが、スマホをその音の方に向けて録画・録音していた。
「何だろう、この人だかり・・・・・・それにこのピアノの曲・・・・・・」
「聴いたことが無い曲ですけど、とても綺麗な曲ですね・・・・・・」
実は自身も幼少期からピアノをやっている紅葉だが、自分より遥かに高い技術や表現力、そして何よりもその音の世界に引き込まれそうになる幻想的な曲調に聴き惚れていた。
純粋にどんな人がこれを弾いているのか気になり、人の壁をかき分けて二人がピアノに近づくと、そこにはかやのがグランドピアノで曲を奏でていた。
「かやのちゃん⁉」
「かやのさん⁉ 何で⁉」
西小路と紅葉は思わず声を荒げてしまい、周囲から「シーッ」と注意を受けて、二人は慌てて周りに頭を下げる。
何故、かやのがそこでピアノを弾いているのか、疑問に思った二人はかやのを眺めていた。だが、すぐにその疑問は解消された。
かやのが弾いているピアノには、
《何か困った事があれば、探偵事務所トリックスターフォックスまでご相談下さい》
と複数の色のマジックでカラフルに書かれたスケッチブックが立てかけられていた。更に、その横に二人が作ったチラシも張られていた。
そんな二人に気付いたかやのはチラッと二人の方に視線を流し、すぐに何事も無かったかのようにピアノに視線を戻して曲を弾き続けた。
西小路と紅葉の二人は観客と共に、かやのの演奏を最後まで聴いていた。
夕方になり、一同はかやのの働くアロハカフェに来ていた。西小路と紅葉は客として、かやのは店員として。テーブル席に座っている二人の話題は、当然かやのの事についてだ。
「しかし驚いたよ。まさか、かやのちゃんがピアノを弾けたとはね」
西小路がかやのの方を見ると、彼女は夢中でハンバーガーを作っている。
すると紅葉のスマホに何かの通知音が鳴って、紅葉がスマホを見ると「えっ?」という顔をした。それはユーチューブの登録チャンネルが最新動画を配信した時の通知音で、紅葉は通知からそのまま動画にアクセスをした。
それは、かやののピアノ演奏を誰かが撮った映像だった。この演奏動画が凄いというタイトルで、あの場にいた誰かの撮影動画を拾って編集し直した内容だった。有名な配信者の動画だったので、閲覧数・コメント数が凄い数字になっていた。
コメントの中には探偵事務所についてのものもあり、まさかと思った紅葉は、事務所のホームページをスマホに表示させた。するとサイトへのアクセス数が一気に伸びていた。
「ちょっ、ちょっと西小路さん! これ見て下さい‼」
紅葉にスマホを向けられて、西小路はどれどれとサイトを見る。
「えっ? ・・・・・・は? えぇぇぇぇ‼」
表示された数字に、西小路も思わず声を上げた。二人が驚いているところに、かやのがハンバーガーを二つ持って、二人の席に運んできた。
「だいぶこの店の味を掴んできたぜ。ホレ、冷めねぇうちに食え」
かやのはニカッとした笑いで二人の前に料理を置いた。その顔は先日店の外から紅葉が見た、楽しそうにハンバーガーを作っている時のかやのの顔だった。
二人はかやのの作ったバーガーを一口食べると、絶賛の声を上げた。特に紅葉はここ数日の間、かやのに対して不満を持っていたので、それらのマイナスイメージが払拭(ふっしょく)された。むしろ彼女の事を何も見えていなかった自分が恥ずかしくなり、かやのに全力で謝った。
「あぁ? 別にお前が俺に対してどう思ってたとか知らねぇし、興味もねぇから謝る必要なんざねぇよ」
謝られたかやのは全く気にも留めてないようで、そんな事よりもバーガー作りの方が楽しくて、今はそれにしか興味が無いと紅葉に伝えた。
それから紅葉はかやののピアノ演奏の事、そして彼女の作ったバーガーの味について大絶賛していた。
「かやのちゃんが、ここ数日どこかに行ってたのって、ずっとさっきみたいにみのおモールで演奏してたの?」
「いや、さっき弾いてた曲を大学近くのスタジオで作曲してた。あれを人前で弾いたのは、今日が初めてだな」
西小路が思っていた疑問は、紅葉も同じ事を思っていたようで、かやのの答えに改めて驚いて感動していた。
そして西小路は今回のことで、かやのが自分にとって、やはり頼りになる存在なのだと、しみじみと感じたのであった。
翌日の月曜日、必修科目のドイツ語の講義中。いつもの席並びの三人。そして、いつもの授業態度。紅葉は真面目に教授の話をノートにまとめている。西小路は探偵業務の事を考えながら、講義内容を簡潔にノートに書き写す。かやのは当然、爆睡。そんなかやのの方を見つめながら男性教授は睡魔を誘発するような話し方で講義を進める。
「―――で、前回の講義でも話しましたが・・・・・・」
教授はホワイトボードにアインシュタインの名言を日本語で書き、爆睡しているかやのを指名した。しかし、当のかやのは口の端から涎(よだれ)を垂らしてまったく反応しないので、かやのの隣に座っている紅葉に、彼女を起こすように教授が指示をした。
「かやのさん、かやのさん、起きて下さい」
「んがっ。・・・・・・ふあぁぁあ。何だ? もう終わったのか?」
紅葉がかやのを揺すって声を掛けて起こすと、大きく伸びをして間延びした返事をするかやの。
その反応に苛立った様子の教授はホワイトボードをバンバンと仰々(ぎょうぎょう)しく叩きながら、「ここに書かれている言葉をドイツ語に直して、更にそれについて自身の意見を答えよ」とドイツ語でかやのに問い掛ける。
「かやのさん、これを・・・・・・」
紅葉は教授が話していたドイツ語を自分が聞き取れた範囲内で翻訳。それを元に言っている事を自分なりに意訳してノートにまとめる。それを隣であくびをしながら、気怠(けだる)そうに立ち上がるかやのに見せようとした。
だが、かやのはそんなものは必要ないという手振りで、本物のドイツ人と遜色ない程の流暢(りゅうちょう)なドイツ語で答えはじめた。
「人生で最良なものはお金で得られるものではないだぁ? んなワケあるかぁ!」
居眠りしていた生徒を釣り、晒(さら)し上げて恥をかかせる事を想像していた教授は、その結果に裏切られた。かやのがペラペラと答え、更にそのまま彼女の持論を展開しはじめた事により、教授はポカーンと口を開けて、呆気にとられていた。
それは周りの生徒達も同じだった。特にその中でも、紅葉は目を丸くしてかやのを見つめていた。
ハッと我に返った教授は、かやのの持論に自分の意見を述べ、それに再び彼女が答える。そうしてまるで教授とかやののマンツーマンディスカッションの様な論争が講義室内に響き渡る。それも両者共に全てドイツ語で、ある意味内容の濃い授業となっていることには違いない。
「―――で、だ! 確か~・・・・・・エーリッヒなんたら~とかいう奴が言ってたろ? 『充分な金を持っていれば、いい評判は自然と立つものだ』ってな。むしろ俺はそっち側だ‼」
そう堂々と教授に言い放ったところで、講義の終了を告げるチャイムが鳴った。
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