第4話 春の星は、おぼろに柔らかい・前半
「―――であるからして、アルベルト・アインシュタインはこう述べたのである。『人生で最良なものは、金で得られるものではない』と」
初老の男性教授が壇上でドイツ語の講義をしている。この授業は外国語必修科目なのだが、この教授はドイツの偉人などの話や歴史を交えて教えるのを好んでおり、生徒達からの評価は『話の内容が退屈で眠くなるが、居眠りをすると突然当てられるから地味にキツイ』の意見が多い。
外国語学部・言語文化研究科に所属する西小路とかやのと紅葉は横並びの席で講義を受けていた。
紅葉はしっかりノートに講義内容を書き写し、模範的な態度で真面目に聴いている。
その一方、西小路は講義の内容をノートに走り書きでメモしながら、間取り図の書かれた別紙に探偵事務所の内装レイアウトや必要家具とそれにかかる費用を計算している。
そして、かやのはやっぱり期待を裏切らないというか、大口を開けて爆睡している。
「かやのちゃん危なかったね。チャイム鳴るのがもう少し遅かったら、問題当てられていたよ?」
「ドイツ語なぁ。つーか、お前メシ食うの早すぎんだろ」
講義後、食堂にて三人で昼食をとりながら、仲良く雑談をしている。
「そういえば西小路さん、さっきの講義中に色々考えていたみたいですけど、探偵事務所のコーディネートというか、内装は決まりましたか?」
紅葉は持参した弁当を食べながら西小路に尋ねると、彼は学食のきつねうどんにセットで付けていたおにぎりを頬張りながら、先ほど考えをまとめていた紙をファイルから取り出してテーブルに広げて熱く語り出した―――。
「―――という感じで考えてるんだよね。とりあえず、今は机と椅子しかないけど」
「わぁ! 良いじゃないですか! 落ち着いたお洒落な内装になりそうですわね。ね? かやのさん!」
紅葉は西小路の話を聞いて共感し、かやのにも同意を求めるが、かやのは目の前のワカメ蕎麦(そば)を息で冷ましながら食べることに集中しており、西小路の話も含めて二人の会話をほとんど聞いていなかった。そのため、話しかけられても適当な生返事で返していた。
「私は西小路さんのシックでモダンな感じも良いと思いますが、アンティークな内装も惹かれますわ。かやのさんはどう思いますか?」
「ん? あぁ、まぁそんな感じで良いんじゃね? 熱っ!」
やはり何も聞いていないようなかやのの反応に、紅葉はムッとした顔をする。しかしそんな紅葉をよそに、かやのは蕎麦をハフハフと言いながら完食した。そして、一瞬何か閃いた表情を浮かべ、荷物を持って立ち上がった。
「なんつーかまぁ、相変わらずお前は形から入るのが好きだねぇ。俺はこれから用事があったの思い出したから、そっち行くわ。つーワケで代返よろしくな、西小路君」
手をひらひらと振りながら立ち去っていくかやのに、紅葉は不機嫌そうな顔でブツブツと愚痴をこぼす。
「もう! なんなんですか、かやのさんのあの態度は。西小路さんの事なのに・・・・・・もっと協力的にしてくれてもいいと思います」
紅葉の愚痴に「ハハハ・・・・・・」と苦笑いをする西小路。紅葉はいつも不真面目な授業態度のかやのの為に、ノートも丁寧に写している事などもこぼしながら不貞腐(ふてくさ)れていた。そして空になった弁当箱を片付けて、何か決意したかのような目をして西小路の手をとる。
「決めました! こうなったら私が西小路さんのお手伝いを致しますわ!」
「へっ?」
後日、紅葉は西小路の手を引っ張り、探偵事務所作りの為の買い物に連れ出した。紅葉は当初、箕面市船場にあるアンティークショップに連れて行こうとしていた。しかし、西小路に予算の事を言われ、アンティークなデザインの新中古家具を取り揃えた箕面市萱野(かやの)のアウトレットショップに連れて行った。
「最大50%引きとは言っても、値段が新品とあまり変わらないし、なかなか手が出ないなぁ・・・・・・」
頭をぽりぽりと掻きながら、西小路が渋い笑いを浮かべていると、紅葉はポーチから財布を取り出す。その中から黒光りするカードを取り出して、彼に笑顔を向けた。
「お金の事は心配いりませんわ。私に全てお任せ下さい」
西小路は紅葉の出したカードを見てギョッとし、遠慮の意思を示す。しかし、紅葉の勢いに圧倒され、次々に家具が揃えられていく。その後は箕面市船場のアンティークショップに訪れ、小物やアンティーク家具を次々と購入する。
いつの間にか日も傾き、解散の流れとなる。西少路は寮へ、紅葉は自宅へ帰っていった。
大阪箕面大学の寮の自室で、西小路は代わりにお金を出してくれた紅葉に申し訳ないと思っていた。しかしその一方で、これから届く自分好みの家具、それを配置する楽しみを想像している。机の前で細かいレイアウトを紙に書いて、一人ニヤニヤしていた。
一方の紅葉も自室で、石丸を撫でながら、今日一日を思い返してニコニコしていた。今度はあの店であれを買おう、どこの店で何を買おう、色々妄想してはそれを石丸に話しかけて、夜は更けていった。
翌日の授業終わりに西小路と紅葉は、探偵事務所作りの買い出しの続きに出かけた。紅葉はかやのも誘おうとしたが、彼女は気付けば姿を消していたので結局誘えなかった。
前日と同じく西小路に非協力的な態度のかやのに対して、紅葉は不信感に近い感情を覚えた。しかし気分を変えて、本日行く店について説明をする紅葉。
「今日はユニフォームを買いに行きましょう。探偵と言えば、スーツ姿のイメージが浮かびますし」
そう言うと紅葉は西小路を箕面市船場の『アバウト・リーフ』というオーダーメイドの洋裁店に連れて行った。店内に入り、さっそくスタッフにどういう服を作ってほしいか、西小路の要望を伝える。
「では寸法を測らせていただきますね」
慣れた手つきで西小路の寸法をスタッフが測っていき、その次に紅葉も測ってもらう。
「あれ? 紅葉ちゃんも何か服作ってもらうの?」
「いやですわ、私も探偵の助手というか、受付や雑務をお手伝いするわけですからね。メイド服を、と思いまして」
西小路が「えっ?」と困惑していると、紅葉は先日自分がかやのに代わって、西小路を手伝うと言った事を笑顔で話す。
「えぇ? いやいやいや、手伝うって・・・・・・そこまで?」
「はい、私はあの時、そのつもりで西小路さんをお手伝いすると申したのですよ」
若干ドヤ顔で話す紅葉に戸惑いながらも、西小路は内心助かると思っていた。
それはテナントが決まった日に、西小路がかやのから「探偵の方は一人でやれ」と言われてから、これからの先行きに不安を感じていたからだった。
「・・・・・・紅葉ちゃん、ありがとう」
「はいっ!」
その不安を紅葉に分かってもらえた、いや、察してもらえていたのだと感じた西小路は、彼女に素直な感謝の言葉を口にした。紅葉もあの時の決意や、今それを行動に起こしている自分を彼に認めてもらえた気がして嬉しかった。
それから、服の仕立てが終わるのを待つだけとなった二人は、他に必要な物は無いか話し合う。すると、集客方法としてホームページとチラシが必要という結論になった。
一度、西小路の部屋にノートパソコンを取りに行き、キャンパス入り口付近のテーブル席に二人が座った。西小路の要望を聞き、紅葉の女性ならではの細やかな感性と配慮のバランスがとれたデザイン案をまとめる。
それからしばらくして、なんとかその日のうちにホームページとチラシのデザイン原本を完成させることが出来た。
「なんとか完成しましたわ。あとはこれを刷れば良さそうですわね」
「僕だけだったら、こんなに見易くてかっこいいチラシもホームページも作れなかった。紅葉ちゃんがいてくれて助かったよ」
「チラシの方は明日にでも印刷所で依頼しておきますわ。今日はもう遅くなってしまったので、これで失礼させていただきますね」
西小路は頷きながら紅葉に礼を言い、寮の方へ歩いていった。
寮に戻る西小路の後ろ姿を見送った後、紅葉はかやのが働くと言っていたアロハカフェの前に立っていた。中の様子をガラス越しに覗き込むと、かやのは店長らしき人物からハンバーガーの作り方を教わっているような様子が見てとれた。
子供のような無邪気な顔でハンバーガーを作る彼女の姿に、紅葉は胸にモヤモヤしたものを感じた。
自分や西小路が探偵事務所設立に必要な物を揃える為に、連日あちこち回っている苦労も知らないで、彼女は呑気な顔で楽しそうにアルバイトをしている。
また、大学の講義でも代返が使えない講義以外は西小路に代返を任せて、自分はサボってどこかに消えていくかやのに対し、募っていた不信感は完全に苛立ちに変わっていた。
それから数日後の夜、紅葉の自室にて。
「どうしてかやのさんは、あんなに不真面目で冷たい人なんでしょうか。西小路さんの昔からのご友人だと聞いていましたのに・・・・・・蓋(ふた)を開けてみれば本当に適当で我儘(わがまま)で。今日だってチラシが完成したからせっかくお見せしたのに、『ふ~ん』の一言だけって。まったくひど過ぎますわ。ねぇ、石丸さん?」
紅葉は自室のベッドの上で、石丸を抱き上げて不機嫌そうに愚痴をこぼしていた。石丸は前足で紅葉の腕をペシペシ叩きながらじゃれている。そんな石丸のじゃれつきにクスッと笑い、西小路と過ごした時間をふと思い出した。
「でも・・・・・・ここ数日はなんだか久しぶりに楽しかったですわ。こんな気持ちはいつ振りでしょうか・・・・・・う~ん、小学生以来かしら?」
紅葉は意外にも交友関係が少ないようで、西小路と過ごしたこの数日間は充実した日々になっていたらしい。ここ数日で急に仲良くなった西小路の事を想像していると、映画のお姫様のような妄想が広がり始めた。なんとも言えない甘酸っぱい感情に、頬を染めながら石丸を思い切り抱きしめて一人盛り上がり、そして夜は更けていく。
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