第3話 寒緋桜・後半

 翌日、阪急箕面駅前。駅の時計の針は十時を指していた。


「今日は捜索のご協力ありがとうございます。散歩の途中ではぐれた日から箕面市の猟(りょう)友会(ゆうかい)の方々にも捜索をお願いしているのですが、まだ見つからないので・・・・・・ううっ。西小路さん達にもお力を貸していただけるのは、本当に助かります!」

「任せてよ! それよりも小野原さん、その荷物は・・・・・・? 随分重そうだけど」


 紅葉の背中にははち切れんばかりに菓子が詰め込まれた登山用リュック、そして左手には駅近くの高級スーパーの紙袋に入ったフルーツの山があった。


「はぐれて四日も経ちますし、きっとあの子お腹を空かせているだろうし・・・・・・」


 それにしても多すぎじゃないかと西小路は思ったが、口には出さなかった。


「ところでかやのさんは・・・・・・?」


 未だ現れぬかやのが気になって紅葉は西小路に訊ねた。


「うーん・・・・・・多分かやのちゃんの事だから、その辺うろついてるかもしれないね。待ち合わせ場所は伝えているし、先に向かっておこうか」


 紅葉は「そうですわね」と頷いて、二人で箕面大滝に向かう事になった。そして途中の土産物屋で箕面名物もみじの天ぷらを購入した。途中で小腹が空いたらみんなで食べるつもりらしい。

 土産物屋が立ち並ぶ通りを過ぎたところで、二人は箕面温泉の辺りの無料足湯に見慣れた後ろ姿を発見した。銀髪でアニマル柄のファージャケット、かやのの後ろ姿だ。西小路は彼女のそばまで小走りで駆け寄った。


「かやのちゃん!」

「あぁ⁉ ・・・・・・ったく、お前は」

「いつから足湯浸かってたの?」

「ん~、三十分くらい前かねぇ。これから山登りすんだし、ちょっとでも足の耐久値回復させときてぇじゃん? つか紅葉、オメェスゲー荷物だなぁ」


 紅葉は西小路にした説明をかやのにも伝え、彼女から呆れられていた。


「とりあえず、これでメンバーは全員揃ったし、そのペットとはぐれたとこまで行こうか」



 数十分後、一同は紅葉がペットとはぐれた地点に到着していた。


「石丸さ~ん!」

「さっきから気になってたんだが、紅葉がずっと連呼してるその石丸さんって誰よ?」

「さっき小野原さんが言ってた猟友会の人の誰かの名前なんじゃないの? なんかそれらしい人さっきから見かけるし」


 西小路の持っている狸の写真と周囲に視線を行ったり来たりさせながら、かやのが呟く。滝に向かう人や帰る人に狸の写真を見せながら聞き込みをしつつ、西小路はかやのの呟きに答える。


「あ、いえ。人の名前ではありませんわ」

「は?」

「あっ! そういえばまだ言ってませんでしたね。ウチの子、石丸さんって名前なんです」

「いしまる・・・・・・さん? えっ、人名?」

「ちなみに『さん』までが名前ですわ」


 紅葉の探している狸の名前を聞いて、困惑した半笑い顔をする西小路。そして紅葉と石丸を「変わっている」と呟くかやの。


「この滝の辺りでお菓子を持ったお猿さんに気付いて、凄い勢いで追いかけて行ってしまったんです」

「菓子? 猿が?」

「えぇ、この辺りのお猿さんは人馴れしてまして、観光客の食べ物を奪い取りに来たり、盗んだりもするんですよ」

「猿も猿だが、お前んとこの狸もたいがい意地汚ぇな」

「石丸さんは食べ物の事になると目の色が変わっちゃうので・・・・・・」


 紅葉は困った顔で彼女に石丸の短所を話しつつ、すれ違う人に写真を持って声を掛ける。


「あっ、あの、すみません、少しだけお時間よろしいでしょうか?」


 大滝前のベンチに座る人々に写真を見せて聞き込みをする西小路と紅葉。二人の聞き込みは全く成果を見せず、表情に焦りの色が見える。


「う~ん・・・・・・全然手掛かりが掴めないな」

「石丸さん、どこ行っちゃったんだろう・・・・・・。きっと今頃・・・・・・」

「あーもう面倒くせぇ。俺、その辺の猿どもに、狸の居場所聞いてくるわ」

「え・・・・・・?」「はい?」


 かやのの突然の不思議な発言にかなり困惑した反応をする二人をよそに、かやのは周囲の一般客の目も気にせず、猿のような前傾姿勢で本物の猿と遜色(そんしょく)無い鳴き声を発した。

 それからベンチ傍の売店の近くで食べ物を狙っている数匹の猿に近寄っていく。その異様な光景に周囲のカップルや親子連れなどから痛々しい視線と嘲笑(ちょうしょう)を受けている。派手な見た目のギャルがそんな奇行をしているのだ。注目されない方がおかしい。しかし、当のかやのは周囲の反応などどうでも良いといった様子だ。


「あの~・・・・・・かやのさんは一体何を・・・・・・?」

「いや、僕もよくわからない」


 西小路の目にはかやのが飽きて遊び始めているように映っていた。しかし、かやのと猿達の様子を眺めていると、会話が成立しているようにも見えなくもない。

 その直後、座り込んでいた猿の一匹が大きな声で一鳴きして立ち上がり、藪(やぶ)の中に向かって行った。そしてかやのと残りの猿もそのまま先に行った猿の後を追いかけて藪の中に消えていった。


「かやのちゃん行っちゃった・・・・・・」

「行っちゃいましたね・・・・・・まさか本当に猿の言葉が・・・・・・?」

「いやいや、まさか。そんな訳―――」


 この一連の流れで呆気(あっけ)にとられていた二人は、かやのの消えていった方を呆然(ぼうぜん)と眺めていた。西小路は雄叫びを上げる密林の野生児かやのの姿が、脳内再生されていた。

 すると紅葉の方から、ガサガサと物を漁(あさ)るような音が聞こえてきた。その音に二人がハッと我に返ると、一匹の猿が紅葉のリュックに乗り、はみ出ていた菓子の袋を掴んでいた。


「あっ! それは石丸さんの‼」


 紅葉がそう叫ぶと同時に菓子袋を掴んだ猿は一目散に藪の奥に逃げていった。


「ま、まぁ一袋だし、まだいっぱい―――」

「―――かけましょう」

「え?」

「追いかけましょう、西小路さん! あれは石丸さんのお菓子です! たとえ一粒たりとも石丸さん以外の子には渡せません‼」

「え? ちょっ! 待って、小野原さん‼」


 菓子を盗られた事で急にスイッチが入った紅葉は、猿の逃げていった藪の方に大荷物とは思えない程の駆け足で追いかける。その後ろを西小路が慌てて追いかけていく。西小路は菓子一つで目の色が変わった紅葉に対して、内心呆れていたが口には出さなかった。



 野生の猿に当然追いつく訳もなく猿を見失い、最後に見かけた猿の逃げた方向や、折れ散った枝葉の痕跡(こんせき)を辿って二人は歩いていた。


「見失ってしまいましたね・・・・・・」

「ハァ、ハァ、でも猿が逃げてった方向的にはこっちの方だったよね・・・・・・」


 猿を追いかけている途中に紅葉は途中で足をくじいたようで、先ほどから痛めた足を庇(かば)うような歩き方に西小路は気付き、


「足、大丈夫かい?」


 と、紅葉の足を見ながら声をかける。


「これくらい、石丸さんの事を思えば、大したこと・・・・・・痛っ!」

「無理はしない方がいいよ。荷物は僕が持つから貸して?」


 西小路は彼女の荷物を代わりに背負い、獣道で紅葉が転倒しないように手をとって支えながら先導して歩く。


「・・・・・・ありがとうございます。そういえば・・・・・・ちょっと気になってたんですけど、西小路さんはどうして大阪箕面大学に入学しようと思ったんですか?」

「僕は未だ解明されてない古代文字とかを解読したり、その研究をしたくてさ。小野原さんこそ、どうして?」

「私はありきたりかもしれませんが、色々な国の言葉を学びたいんです。将来的にも必要になってきますので・・・・・・」


 少し気恥ずかしそうに鼻の頭を指でかいて答えた紅葉。


「あと、西小路さんはどうして探偵に?」

「悩みを抱えるクライアントの代わりに調査をするエージェント。そんな風に、僕はなりたくてね」


 紅葉の質問に、キリッとした顔で答える西小路。


「では西小路さんは今まさに、困っている私の力になって下さっているエージェントですわね」


 そんな西小路にクスッと小さく笑う紅葉。そしてかやのの事も気になっていた彼女は、かやのの動機についても西小路に尋ねた。


「かやのちゃん? う~ん、僕もよくわからないんだけど、ヒト以外の生物の言語について、証明したいとかなんとか言ってたような・・・・・・」


 彼の解答に紅葉は不思議そうな顔で頭にハテナマークを浮かべていた。


「まぁ、詳しいことはかやのちゃん本人に聞いてみるといいよ」


 彼女が「そうします」と頷いて間もなく、そう遠くない場所から猿の鳴き声と、それに混じって別の何かの鳴き声が聞こえてきた。


「この声は・・・・・・石丸さん⁉」


 混じっていた声の主が、探していた石丸のものだと感知した紅葉は声のした方を指差す。その指差された方向に、西小路が彼女の手を引きながら進む。

 目的の声が近づくにつれ、葉の音ではないガサガサ音、そして鎖のような音が聞こえてきた。目の前の藪をかき分けたと同時に猿の群れに囲まれた狸のような生物を発見した。

 二人がソレを発見するのと同時に、頭上の木から飛び降りてきた猿達とかやの。


「石丸さん‼」

「かやのちゃん⁉ ・・・・・・というか、石丸さんってその子?」

「よお。さっき猿共から聞いたんだが・・・・・・コイツら、そこの罠にかかった狸に、人間からパクった食い物を分けてやってたみたいだぜ?」


 かやのが顎(あご)をクイッとすると、その方向にトラバサミに前足を挟まれ動けなくなった狸がいた。その狸に、先ほど紅葉から奪った菓子の中身を猿が食べさせている。狸の周りには菓子パンの袋や、たこ焼きの容器などのゴミが大量に散乱していた。


「石丸さん・・・・・・罠にかかって、かわいそうに。一体、誰がこんな酷い物を・・・・・・」

「そりゃ人間しかいねぇだろ。人間側からすりゃ、畑荒したり客から食い物横取りしてくる猿は害獣扱いだしな。けど、逆にコイツらからしてみりゃ、我が物顔で縄張り荒してくる人間の方がよっぽど害獣なんだろうけどよ」


 石丸の事を見て涙を浮かべる紅葉と、冷たい目で罠を見つめるかやの。


「・・・・・・・・・・・・」


 そんなかやのの言葉を聞いて、何か思う事があったらしい西小路は一人黙っていた。



 無事に愛狸が見つかって、罠を解除してペットを保護した一行は、また石丸が食べ物に釣られてはぐれないように、大滝付近にある龍安寺近くの広場まで移動した。

 石丸にリュックの中の菓子や手荷物内の果物を食べさせている。猿達から食料を分けてもらっていたとはいえ、全然足りていなかった石丸は凄い勢いでそれらを貪り食べていた。

 そんな石丸と捜索用に借りていた石丸の写真を見比べて、かやのと西小路は一つ思う事があったらしい。


「なぁ紅葉よぉ、この狸・・・・・・全然別モンじゃね? なんつーか、ブタ?」

「確かに・・・・・・写真に比べて、なんというか・・・・・・丸すぎるというか」


 紅葉から渡された写真の石丸は普通の狸に比べたら毛並みがよく、やや肥満になりかけている程度の体型だった。しかし、実物の石丸はその原型を留めておらず、狸の置物をそのまま生物にしたような丸々とした体型をしていた。


「あの罠の付近にも、真新しい人間の足跡があったし、そいつもその狸見かけてるハズなんだよな」

「これと同じ写真を他の人達にも配っていたのなら、見かけても絶対分からないよね」

「えぇ、その写真を他の方々にもお渡ししていますわ。とても格好良く写っていましたので。確かにその写真に比べると、今の石丸さんは『少しだけ』太ってしまっていますが」


「「ウーソつくんじゃねぇー‼ こんなん見かけても気付くかー‼」」


 紅葉の抜けた発言に、普段優しい口調の西小路も、今回はかやのと一言一句違わずにハモった。二人の強めのツッコミに紅葉はビクッとなった。


「・・・・・・あっ、ごめん、つい」


 驚いて身を震わせた紅葉に、慌てて西小路は謝った。


「い、一応最近撮ったのもあるんですが・・・・・・」


 そう言って、今の石丸に限りなく近い体型で写った写真を出す紅葉。


「なら最初からそれ出そうや?」

「・・・・・・ごめんなさい」



 それから一時間後、ところ変わって箕面市今宮(いまみや)三丁目のとある年季の入ったアパート前。


「今日は本当にお世話になりました。それで依頼の報酬の件なのですが、事務所をお探しでしたよね?」

「え?」


 目の前のアパート内に、二人は紅葉から案内され、四階の部屋の前までやってきた。紅葉は部屋の鍵を開けて、二人を部屋の中に招く。


「こちらの408号室なんですが、ちょうど空いておりまして。もし西小路さん達がよろしければ、この部屋を無償でお貸しいたしますが・・・・・・」


 紅葉の話によると自分の父親が所有管理している建物だそうで、今回のお礼にと彼女の父親も了承しているとの事。そして紅葉はその空き部屋を事務所にしたら良いのではないかと提案してきたのだ。念願の事務所に西小路はガッツポーズをして喜んだ。


「本当に⁉ ありがとう紅葉ちゃん! ・・・・・・あっ、小野原さん」

「喜んでもらえて、こちらも嬉しく思いますわ。それと、私の事は紅葉と呼んで下さい」

「ありがとう、紅葉ちゃん。それじゃあ、この部屋は僕たちの探偵事務所だね。これから二人三脚で頑張ろう、かやのちゃん! やる事が色々あるなぁ。掃除してから内装・・・・・・あ、家具選びに行かなきゃだね! それに事務所の名前を決めたり、チラシ作り―――」


 かやのに西小路は嬉しそうな声でこれからの事を話しかけていた。しかし、話の途中でかやのが割り込んだ。


「あー、そういや言い忘れてたけど。昨日食ったバーガー屋の面接受かったから、明日から俺そこで働くわ」

「・・・・・・・・・はい? ・・・・・・いま、なんて?」

「だからー、俺昨日のバーガー屋で働くわ」

「・・・・・・ええぇぇぇぇぇぇぇ‼ いやいやいやいやいや! 事務所はどうすんのさ⁉ 二人で頑張るんじゃなかったの⁉」

「俺は探偵をやるとは一言も言ってねぇ。でもまー、どうしてもっつーなら、暇な時に気が向いたら手伝ってやるよ」

「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ‼」


 西小路の悲痛な叫びが夕暮れにこだました。



 紅葉がアパートを後にして、部屋の中に残された二人。紅葉が帰った数分後、


「じゃあ、俺も帰るわ」


 と、かやのが西小路に自分も帰る旨を伝える。その直後、玄関のドアポストに何か固い物が入った音がした。


「今の音は何?」


 西小路がかやのに聞くと、かやのは「さぁ?」と両肩を上げる。西小路がドアポストを開けて中を覗(のぞ)くと、金色に輝くメダルが入っていた。


「これは・・・・・・金のメダルだ!」


 そう言いながらメダルを手に取って、かやのにそれを見せる西小路。


「ゼクス、これ見て!」

「どうした、ダンテ・・・・・・って、うおぉぉぉぉ! マジかぁーーー‼」


 目を輝かせる西小路の肩に、かやのが組み付き、豊満なバストを彼の顔に押し付ける。


「やったな、おい! 金メダルだぜ!」


 かやのが笑顔で西小路の金髪をワシャワシャと掻き撫でる。


「善(よ)ーーーし!」


 西小路も嬉しそうな顔でメダルをグッと握り締めた。

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