九話
四十六日目――
「……やっぱり、何で試合に出なくちゃいけないの?」
クレスカ城にほど近い、王国競技場内の薄暗い廊下で、ファリアは人目を気にしつつ、苛立った口調で聞いた。
(まあ、落ち着いて――)
セラはなだめるが、ファリアは納得いかなかった。
「犯人が出るかわからないのに、何で私達が出場する必要があるの? それだったら観客席で犯人を捜したほうがずっと楽だと思うけど」
ファリアの考えでは、もし犯人が試合に出ていたら、試合終了後にその後を追い、引き止めるなどして復讐を果たすつもりでいた。だがセラはそうではなく、自分が直接試合に出て、犯人を仕留めようというものだった。しかし、それは犯人が試合に出ていなければ意味はなく、たとえ出ていても勝ち抜き式なので、どちらかが途中で負けてしまえば、犯人と相対することさえできないのだ。目的の犯人がいなければ、これはただ体力を使うだけの時間の無駄となる。
(もう参加の申し込みはしちゃったんだし、あとは俺に――)
「じゃあ、今から棄権するって言いに――」
(ああああっ、待った!)
大声で止められ、ファリアはうんざりした表情を浮かべた。
「……セラの言う通りに申し込みはしちゃったけど、よくよく考えると、やっぱり出る必要はないと思うの」
(だから、さっきも言ったように、ここでなら正々堂々とあいつを仕留められるんだ)
試合では自身愛用の武器を使うのだが、国王の前ということもあり、相手を殺すことは許されていない。勝負はどちらかが降参した時点で終わる。だが過去には白熱した試合中に命を落とした者もおり、その場合、殺してしまった者は失格となるが、罪に問われることはない。それを知ったセラは、これも大きな機会だと見て参加を決めたのだった。
「犯人がいなきゃ意味ないわ」
(観客席であいつが出てるのを見て、出場するべきだったとは思いたくない)
「犯人を追えばいいじゃない」
(試合の後でだって、あいつのことは追える。参加することは、あいつを仕留める機会を一つ増やすことなんだ)
ファリアは不満げな表情をしながらも、セラの考えを頭で整理する。
「……つまり、後悔はしたくないから、万が一に賭ける、っていうことなのね」
(その通りだ)
「ただ単に試合に出たいから、っていうことじゃないのよね?」
(えっ……)
セラの声が一段高くなる。わかりやすい動揺に、ファリアは呆れて天を仰いだ。
「やっぱり。そうなんじゃないかと思った。宿の張り紙を見つけてから、すごい興味を持ってたから」
(そ、それは、あいつに近付く機会が――)
「正直に言ったら、棄権を考え直してあげてもいいけど……?」
たじろぐうなり声がセラから漏れる。
(……ファリアの言った通りだよ。俺は試合に出たい。力を試してみたいんだ)
やはり今も夢を抱き続けているのだと知り、ファリアは思わず顔をほころばせた。
(でも、もちろんあいつのことだって考えてる。目の前に現れたら、いつだって仕留めてやる気でいる)
「当然よ。それが私達の目的なんだから。……こんなのは今回だけよ。思う存分、力試しをしてきて」
穏やかに送り出すように言うと、ファリアは強く目を瞑った。
「……ああ。どこまで行けるか、やってみる」
自信と興奮に満ちた笑みを浮かべると、セラは出場者の集まる控室へと向かった。
剣部門の出場者は三十人近くおり、控室は二組に分かれていた。言われた部屋に入ると、中にはすでに屈強そうな男達が、それぞれの場所で自分の試合を黙って待っていた。部屋には窓がなく、四方は石壁に囲まれている。その壁につるされたランプの明かりが男達の顔を不気味に照らしている。女のファリアなら、その中に入っていくのをためらいそうな雰囲気だったが、セラは気にする素振りもなく、空いていた壁際に背を預けた。
試合の準備のため、マントを外し、剣を確認していると、何となく視線を感じてセラは顔を上げた。見ると、部屋にいた男達全員がセラを物珍しそうに見ていた。
「……何か?」
少し気まずい感じに聞くと、すぐ隣に立っていた若者が言った。
「あなたも、試合に出るんですよね」
灰色の制服に軽装備を付けた若者は、何か疑うような目を向けてくる。
「そうだけど」
「女性が出るなんて初めて見ますよ。もしかしたら、大会初かもしれません」
クランハル王国では、昔から武術は男性だけのものだった。だから女性が武器を持ち歩いているだけでも十分珍しい光景なのだが、こうして試合に出ることなど、一般的には考えられないことで、周りの男達は興味なのか嫌悪なのか、セラをじろじろと見ていたのだ。しかし、男であるセラにはそういう自覚はなく、畏縮するよりも、ただうっとうしいだけだった。
「女は出れないとは書いてなかったから」
「そりゃあ、女性が出るなんて誰も思ってなかっただろうから……本当に、闘えるんですか?」
「だからここにいる」
「相手は男ですよ?」
半分笑いながら言う若者を、セラは睨みつつ眺めた。
「……うん。君になら勝てるかな」
「なっ……!」
軽く見られたことに絶句した若者は、すぐに何か言い返そうとしたが、その言葉は部屋の入り口に現れた案内係の声にさえぎられた。
「次の試合は、ファリア・トランスと、アロン・サンスだ」
出場者達は、こうして名前を呼ばれるまで、誰と闘うのかはわからない。試合も見られないため、誰がどのくらい強いのかも知ることができない。なので控室内はお互いを探るような静かな緊張感に満たされていたのだが、二人の名前が呼ばれた瞬間、なぜか隣に立つ若者だけが、この空気に似つかわしくない笑顔を見せた。まさかと思いつつ、セラは聞いた。
「アロン・サンスって、君なのか?」
若者は鼻を鳴らすと、余裕を見せて言った。
「よろしくお願いします。……今年の一回戦は、簡単に終えられそうで安心しました」
セラをいちべつすると、アロンは控室を出ていった。
(……完全にセラには勝てると思い込んでるみたいね)
「ああいうやつは、大体口だけさ。すぐに済ませるよ」
その言葉通り、セラはアロンに二分ほどであっさりと勝利した。ここまでの試合で一番短い試合時間だった。誰もが負けるだろうと思っていた女剣士が、再び控室に戻ってきたのを見て、周りの男達はさすがにどよめき、口には出さない驚きを見せていた。
その後も二回、三回と危なげなく勝ち進んだセラは、その見た目とは大違いな強さに、観客の興味を大いに引き付けていた。ここまで来ると、セラの強さは本物だと感じた他の出場者達は、ただ珍しいだけだった女を、警戒の眼差しで見始めた。しかしセラは周りの反応よりも、順調に勝ち進めていることに喜んでいた。勝てば勝つほど、自分の剣術が優れているという証になるからだ。次は準決勝の試合になり、優勝して、王都一の剣士という称号を得ることも夢ではなかった。
(優勝まで、あと二戦よ。本当にすごいわ!)
当初は参加を渋っていたファリアも、セラの快進撃には興奮気味だった。一番興奮しているのはセラ本人だったが、控室内ということもあり、喜びの感情はできるだけ抑え、高まる気持ちを部屋の隅で落ち着かせていた。やがて廊下から足音が聞こえ、部屋の入り口に案内係が現れた。
「準決勝の試合だ。ファリア・トランス」
呼ばれて、セラは意気軒昂に控室を出る。だが、案内係はファリアを呼んだだけで、廊下を歩いていってしまった。
「あの、対戦相手は……?」
呼び止めると、案内係はすぐ隣にあるもう一つの控室を指差した。
「ここにいるよ」
そう言うと控室の扉を開けて、手元の紙を見ながら名前を読み上げた。
「次の準決勝、アガード・ヴァンダイク」
廊下で待つセラの前に、準決勝の相手が姿を見せた瞬間、セラの表情は固まった。
「へえ、女性とは……お手柔らかに」
アガードはセラに歩み寄ると、右手を差し出し、握手を求めた。そのわずかに笑う切れ長の目、灰色の瞳、そこにかかる黒い髪――忘れることのできない、セラとファリアが追い求めていた復讐の相手が、すぐそこに立っていた。
「……緊張しているようですね」
一向に握手をしようとしないセラに、アガードは苦笑いを浮かべて出した右手を引いた。
案内係に連れられ、セラは薄暗い廊下を歩く。その間も、隣を歩くアガードからセラは目をそらせなかった。
(セラ……セラ……)
ファリアが震える声で呼んでいた。言いたいことはわかっていた。これは千載一遇の機会なのだ。優勝よりも優先すべき復讐を果たす絶好の場が与えられた。一対一で、正々堂々と、その命で報いを受けさせる時がやっと――
試合場が見えてきた時、アガードがふとセラに振り向いた。その視線とぶつかったセラだが、そらすことはなかった。憎しみに満ちた目は、突き刺すようにアガードを見つめる。そんなセラを、アガードも見つめ返していた。だがこちらの目には、女性に対する優しい光が満ちている。
「美しい方に、そんなに見つめられては照れます。……それとも、これは動揺させる作戦ですか?」
ふっと笑うアガードに、セラは憎々しさと共に、虫酸が走る感覚を覚えた。
「闘う前に笑顔を見せるなんて、随分余裕じゃないか。……絶対に仕留めてやる」
吐き捨てるように言うと、セラは先に試合場へと入っていった。
芝を敷き詰めた長方形の広場に一歩入ると、セラは大歓声に包まれた。女性の身で健闘している姿に、観客は珍しさからすでに夢中になっているらしい。高い壁の上にある観客席からは、様々な応援の言葉が降ってくる。その一画に、壁で仕切られた席がある。三回戦までは空席だったが、今は側近と共に国王が座っていた。パレードで見た王冠やマントはなく、くつろいだ服装をしている。もう一つ空いている席は、おそらく王妃用と思われるが、今は来ていないようだ。
視線を頭上に向けると、空はうっすらと赤く染まっている。そろそろ日が暮れる時間だった。武術大会は朝から行われており、弓、槍と続き、最後に剣の試合が始まる。参加人数が一番多いせいもあって、決勝戦は毎年夜に行われるのが当たり前となっていた。そのため、暗くなる前からすでにかがり火がたかれ、夜の試合に備えられている。
試合場中央にいる審判役の男性の前にセラは立つ。少し遅れてアガードもその隣に並んだ。抜いた剣を審判に見せ、武器はこれだけだと確認させる。
「……よし。では準決勝を始める」
距離を開けて二人を向かい合わせに立たせると、審判は右手を大きく振り上げ、試合開始の合図をする。その途端、落ち着いていた歓声が再び盛り上がり、試合場に響き渡った。
(セラ、慎重に、確実に狙って)
ファリアが緊張した声で言った。両手で握った剣を構えながら、セラは小さくうなずく。
アガードは群青色の制服の上に、鉄製の胸当てと小手の防具を身に付けている。ファリアも革製の胸当てを付けているが、お互い身軽な格好で、動きやすさはそう変わらないように思えた。やはり雌雄を決するのは、剣の腕だ。
「やっとまともに、お前と闘える……」
セラは、はやる気持ちを抑えながら考える。一撃を加えるのなら、首か、腹か、それとも腕を切り付け、剣を使えなくしてからゆっくりと――頭の中で剣の動きを作りながら、アガードを仕留める方法を組み立てる。そんなセラを、斜めに身を構えるアガードが不敵な笑みで見つめていた。
「緊張で力んでいるようですね……そちらからお先にどうぞ」
まるで余裕の口調だった。
(冷静に、セラ)
セラの感情を読み取り、ファリアは声をかける。ここで飛び出してはいけないとセラもわかっていた。目の前の憎い顔を睨みながら、セラは一撃を与える瞬間を待つ。
お互い動かない様子に、観客から急かす声が上がり始めた。がやがやと騒がしい周りに、セラの集中が途切れそうになる。
「……仕方ない」
アガードの腕がわずかに動いたと思った時だった。十分に開いていた距離が、ほんの一瞬で縮まっていた。セラが気付いた時には、アガードはすでに剣の届く位置まで詰めてきていた。
「何っ……」
面食らったセラは、アガードの攻撃を避けるだけで精一杯だった。手元を狙ったその攻撃を、セラは後ろへ飛び退き、かわす。だがアガードの攻撃は続く。剣をひるがえし、距離を詰めながら執拗に手を狙ってくる。剣を落とさせて、早く降参と言わせたいらしい。言ってたまるかと、セラも懸命に避けながら反撃の機会をうかがう。
「意外でした。女性でここまで動ける方がいるとは」
呼吸一つ乱さず、アガードは剣を振りながら言った。
「そう思ってたこと、後悔させてやる!」
アガードの剣の速さが緩んだところを見逃さず、セラは隙を突いて首を狙った。しかし、アガードはすぐさま対応し、セラの剣を身をひねってかわす。そのまま安全な距離をとると、二人はまた剣を構え、対峙する。息を継ぐのも忘れそうな試合に、観客席からは溜息のような歓声が上がった。
「わずかな隙も見逃さないとは……素晴らしい力を備えているようですね」
アガードは驚きつつ、笑顔で言う。自分の余裕ぶりを見せ続けるその姿に、セラは苛立ちと嫌悪を募らせていた。
「すぐに、止めてやる……!」
セラは攻撃を仕掛ける。
(熱くならないで!)
ファリアが慌てたように言った。
「大丈夫だ。冷静だよ」
ファリアの心配に口の端を上げながら、セラは剣を突き出す。切っ先はアガードの胸当てをかすめた。その勢いのまま、剣を肩に向け振る。だがそれはアガードの剣が防いだ。ガキンと金属の当たる高い音が響く。セラの剣を弾き飛ばそうと、アガードは力を入れて押し返してくる。体格のある男の力は、ファリアの体では持ちこたえられそうになかった。セラは歯を食いしばりながら、押し返された瞬間にかけようと意識を集中させた。
ギギッと剣同士がこすれ、アガードの手にさらに力がこもる。力くらべのような鍔迫り合いにセラは限界を感じ、予定通り押し返された。ふらつく素振りを見せると、アガードは思った通りに手元を狙ってきた。
「そこだ!」
セラはくるりと体を回転させると、流れるようにアガードの懐へ入る。そこにはがら空きの腹部があった。仕留める――力を込めた剣を、セラはためらいなく突き出した。
だが次の瞬間、突き出そうとした手を、アガードは上からつかんできた。動きを止められ、セラは焦る。
「くっ……」
振りほどこうとすると、アガードは容赦なく剣を振り下ろしてきた。咄嗟に足を蹴飛ばすと、つかんでいた手は離れ、セラは慌てながらつんのめるようにして逃げ出した。だが背を向けてしまったのが失敗だった。セラが振り返った瞬間、待ち構えていたアガードは狙い澄ましたように剣を切り付け、弾き飛ばしてしまった。その剣を取ろうと走り出そうとしたセラだったが、首筋に冷たいものを感じ、足を止める。背後からアガードが、剣をセラの首に当てていたのだ。実戦なら、セラの命はこの男にまた奪われている。勝者は明らかだった。
「……降参、だ」
歪めた表情でうめくように言い、セラは唇を噛む。それを見て離れていた審判がアガードに駆け寄った。
「準決勝の勝者は、アガード・ヴァンダイク!」
名前が叫ばれると、試合場はこれまでにない大歓声で沸き上がった。試合内容もそうだが、優勝も見えていた女剣士が、ここで負けてしまったことも一際沸いた理由でもあった。観客達はセラの健闘をたたえ、惜しみない拍手を送り続ける。国王も満足そうに笑顔で拍手をしていた。勝ったアガードはそちらを見上げると、国王に向かって膝を折り、丁寧に頭を下げる。親衛隊だけあって、礼儀は忘れていない。
国王への挨拶を終えると、未だに鳴りやまない歓声の中、アガードは動けないセラに声をかけてきた。
「本当に驚いた。女性でこんな方がいたなんて」
試合中の余裕を見せる笑顔とはまた違い、勝利してほっとしたような笑みを向けてくる。
「その剣術は、どこで身に付けたのですか?」
興味津津に聞いてくるアガードには目もくれず、セラはじっと足下を見つめていた。そこにはアガードに弾かれて落とした剣があった。殺された時とは違い、今回は剣を使って、お互いがほぼ同条件での闘いだった。相手は強いとわかってはいたが、それでも剣さえあれば勝てないことはないとセラは思っていた。しかし、結果はその逆になってしまった。勝てないどころか、また力の差を思い知らされることとなった。
(セラ……ごめんね)
なぜかファリアは謝っていた。
(私の体だから、本来の力じゃないから……)
ファリアは自分の体のせいで勝てなかったと思っていた。これにセラはすかさず首を横に振る。負けた理由は直接闘ったセラにはわかっていたのだ。ファリアの体だからではない。身体能力だけなら剣の技術で補うこともできる。だがアガードは技術も優れており、その上、気負うことなく、自然に使えているのだ。それは経験を積んだ者にしかできないこと――セラは、それこそが自分との差だと思っていた。友人を相手に稽古をしたところで、実戦を積んだ者には到底敵うはずがない。それは日々の鍛錬だけでは、どうしようもできないことだった。
「そんなに落胆することはありません。観客も陛下も、皆あなたの力を認めています。それほどあなたの剣術は素晴らしかった」
黙り込むセラに、アガードは励ましの言葉をかける。しかしセラには届いていなかった。勝てないのなら、卑怯と言われてもいい。試合が終わった今、気を抜いているこの瞬間に剣で――悔しさは悪意へと変わっていく。セラは足下に転がる剣に手を伸ばそうとした。だが、突然横から別の手が割り込んでくると、落ちている剣を先に拾い上げてしまった。
「……どうぞ」
顔を上げると、目の前に立つアガードが微笑みながらセラの剣を持っていた。その灰色の瞳は、真っすぐセラの目を見つめている。それを見ていると、セラは無性に自分が情けなく惨めに思えて、差し出された剣を奪うように取ると、歓声を背に足早に試合場を出ていった。
剣を収め、控室でマントを羽織ると、残り少なくなった出場者の視線を感じながら、セラは競技場出口へと向かう。ランプの明かりだけの、薄暗く長い廊下には、セラの足音だけが孤独に響いていた。
「……ファリア、やれなかったよ……」
ゆっくり足を止めたセラは、廊下の石壁に力なく肩を預けて言った。遠くからは、次の試合が始まったのか、かすかに観客の歓声が聞こえてくる。
(セラの言う通り、試合に出てよかった。復讐は持ち越しだけど、犯人と接することはできたわ。……セラ、がっかりする必要なんてないわ。犯人の試合後に追いかければいいんだから)
そこで仕留めればいいとファリアは前向きだった。確かにまだ終わったわけではない。機会はもう一度あるのだ。しかしセラは敗れたことばかりを気にしていた。
「あいつは確実に俺より強いよ。次は試合じゃない。真剣勝負だ。返り討ちにならないとも限らない……」
珍しく弱気なセラに、ファリアは大声で言う。
(あなたは騎士になる男だったのよ。親衛隊ごときにくじけてどうするのよ。しっかりして! セラがしっかりしてくれなきゃ、私はどうしたらいいの?)
セラがまだこの世にとどまる理由はただ一つ、アガードに復讐するためだ。そのためだけにファリアの体を借りて存在している。その体に負担を負わせているセラは、復讐を放棄することなどできないのだ。勝てなくても、勝つ方法を見つける責任がある。だが、アガードに二度も負けたことで、セラの中の勝つことへの執念はより増していた。もはや責任うんぬんではなく、純粋に勝ちたいという気持ちを抱いていた。
「……俺さ、試合が終わった後に、不意を突いてあいつをやろうと思ったんだ。でも、あいつと目が合って、やっぱり卑怯なやり方じゃなく、真正面から向かって勝ちたいと思ったんだ……ファリア、俺はやっぱり馬鹿だよな」
セラは自分で自分を笑っていた。
(これは私だけの復讐じゃない。セラの復讐でもあるんだから。セラがそうしたいのなら、私は何も言わない)
「勝つ可能性が低くてもか?」
(だったら、勝つ可能性を高くしてちょうだい)
セラは、ふっと笑う。
「難しいことを言ってくれるな……」
セラは再び廊下を歩き出す。出口に近付いた時、背後から駆けてくる足音が聞こえた。
「待ってください――」
声がして、セラは振り向いた。見ると廊下の奥から走ってくる男の姿が見えた。
「……何で、あいつが……」
黒髪に群青色の制服――アガードだった。目を見開いて待つセラの前にやってくると、アガードは柔和な表情で言った。
「呼び止めてしまって申し訳ありません。ですが、このまま別れてしまうのも惜しい気がして」
まさか向こうから近付いてくるとは思いもせず、セラは内心驚きつつも黙って話を聞いた。
「今は宿に泊まられているのですか? それとも、ここに住居が?」
「……宿だ」
「そうですか。ではいずれ王都を発ってしまうのか。……予定はいつですか?」
お前を仕留めてからとは言えるはずもなく、セラは戸惑いながら言う。
「…………言えない」
「あ……失礼しました。私的なことを聞きすぎてしまったようで……」
アガードは申し訳なさそうに微笑む。
「しかし、試合では本当に素晴らしい動きで、私は感動しているんですよ。女性の身でありながらあれほどの腕前を備えているとは、心底驚きました。その腕前は、一体どこで鍛えられたのか、お聞きしても?」
アガードの灰色の瞳が、きらきら光っているように見えた。
「どこって……剣術学校で……」
「なるほど……そこには、よほど優秀な指導者がいるのですね。しかし、女性のあなたがなぜ剣術を習おうと思われたのか、不思議なのですが……?」
「夢だった騎士になるために……」
そう言ってから、セラは何で恨む相手に夢など語っているのかと、何とも言えない気分になった。
「騎士、ですか。それは大きな夢だ」
微笑むアガードに、何となく馬鹿にされたように感じて、セラは思い切り睨み付けた。
「……で、何の話がしたいんだ」
「女性初の騎士も、あなたの腕なら叶うかもしれない。あなたの才能はこれからももっと伸びると、私は思っています」
「だから、何の話をしたいんだ」
アガードは自分の胸に手を当てると、セラを見つめながら言った。
「あなたの力を伸ばすために、手助けをさせていただけませんか」
セラは、ぽかんと口を開けた。
「……は?」
「あなたの未来のために、私は手助けしたいのです」
アガードの顔は真剣だった。その顔をセラは不審の目で見る。
「手助けって……何でそんなことしたがるんだ」
「あなたの素質に惚れてしまった、と言えばいいでしょうか。微力ながら、私に手伝えることがあると思ったので」
セラには癪に障る言い方だった。
「試合に勝ったからって、上からものを言う気か?」
「不快に聞こえたのなら謝ります。ですが、あなたには私のことを存分に利用してもらいたい。剣術指南はもちろん、私の人脈も使えば、夢に早く近付けるはずです」
優しい笑みを見せるアガードだが、セラの不信感は消えない。この男は二人も人を殺しているのだ。ただ素質を見込んだからと言って、人助けをするような人間ではないはずだ。何か別の目的があるのでは――セラが警戒しながら口を開こうとした時だった。
(断らないで、セラ)
ファリアの声がして、セラは視線を宙に止めた。
(向こうから近付く口実を作ってくれるなんて、願ってもないことよ。怪しい気は確かにするけど、でも約束すれば復讐の機会が増えることは間違いないわ)
ファリアの言う通りではある。だがセラは仇敵に剣術を教わることに大きな抵抗感があった。しかし、今のままではアガードに勝つのも難しいことはわかっていた。どちらを優先させるべきか――セラは複雑な表情で口を開いた。
「わかった……じゃあ、利用させてもらう」
目的はあくまで復讐。セラが屈辱的だと思おうと関係ない。それでアガードの命を奪えれば、結果本望と思えるはずなのだ。絞り出すように言ったセラに、アガードは安心した顔で言う。
「よかった。……では、日時を決めましょう。希望はありますか?」
「こっちはいつでもいい」
「それでは……三日後の午後三時、北のクルス門の先にある草原で待っています」
「……ヴァンダイク、ここにいたか。決勝がもうすぐ始まるぞ」
見ると、アガードの背後から案内係が急いで駆けてきて言った。
「もう一つの準決勝は思ったより早く終わったらしい。……ここで失礼します。では三日後、待っていますよ」
微笑むと、アガードは案内係と共に小走りで試合場へと向かっていった。残されたセラは、アガードの姿が見えなくなると、大きな溜息を吐いた。
「復讐するためとはいえ……」
(……ためとはいえ、何?)
「……いや、何でもない。どうにかやってみるさ」
廊下を抜け、外に出ると、辺りはすっかり暗くなっていた。それでも王都だけあって、行き交う人の姿はまだまだ多い。その間をすり抜けながら、セラは疲労感のある足で宿へと帰っていった。
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