八話

 四十二日目――


 町や村を経由しながら、ファリアはようやく王都クレスカに到着した。


「やっと着いた――あっ、ごめんなさい」


 入って早々、すれ違う人と肩がぶつかり、ファリアは相手に睨まれながら謝った。


(それにしても、人が多いな。カルバーネとは比べ物にならないくらいの人数だ)


 石畳の道は決して狭くはない。それでもファリアは通れる隙間を探しながら進まなければならなかった。それほど道には人々がごった返していた。


(とりあえず、まずは宿探しだ)


 ファリアは人ごみを縫いながら周囲の建物に目を配る。カルバーネでは宿探しに苦労して、夜までかかってしまったことから、今回はいち早く宿を押さえることにしていた。所持金を半分失い、それなりの宿を探すしかなかったが、それでも王都の宿だけあって、そこそこ小奇麗な部屋を確保することができた。ここを拠点に、ファリアは早速広い王都へ犯人の情報集めに出かけた。


 王都もカルバーネと同じように、二階、三階建ての建物が多く並んでいるのだが、その多くは白壁で、太陽に照らされるとまばゆく光を反射させる。その街並みは絵画のように美しく、歩いているだけでも見とれてしまいそうだった。遥か遠くの高台の上に見える、王都と同じ名を持つクレスカ城も、街並みと同じ白壁の城で、それは圧倒的な存在感を持ち、まばゆい高貴な光を放っていた。いくつもある尖塔の先には、王国旗と思われる青い旗が風でひらめき、優雅に泳いでいる。国の象徴だけあり、その眺めは威風堂々という言葉がふさわしく感じられた。


「あれが、王様のいるお城……」


 初めて見るクレスカ城の美しさに、ファリアは思わず溜息を漏らしていた。


(やっぱり、綺麗だな)


 セラも見惚れているようだった。


「……お城に行きたかった?」


(そりゃあな……でももう叶わないことだ。こうして見られただけで十分だよ。……さ、観光はここまでだ。あいつを捜しに行こう)


 促され、ファリアは歩き出した。あの城で剣術の試験を受け、認められれば登用され、夢だった騎士になることもできた。そんな純粋な願いも、犯人は命と共に奪い去っていった。セラはもう気にしていない口振りだったが、彼を昔から見てきたファリアは、その夢のためにセラが努力を重ねてきたことをよく知っている。だから、口には出さない悔しさも痛いほどわかっていた。こうなったすべての元凶である犯人には、報いを必ず受けてもらわなければならない。自身の命で――深い恨みを心に秘め、ファリアは気持ちを引き締め直し、通りを進んでいった。


 王都の中心部に向かうにつれ、人ごみはさらに膨れているようだった。周りにある店にも客が押し寄せていて、これでは食事をするのも大変そうだった。


(一体何なんだ? 王都だからって言っても、この多さは異常だろ)


 行きかう人々の波に、セラはたじろぐように言った。


「思うように、進めないんだけど……」


 ファリアは人ごみの隙間を探しては、前に進もうとしているのだが、どんどん人が集まっているようで、行きたい方向ではなく、人の流れに巻き込まれながら歩かされていた。


(皆、どこに向かってるんだ?)


 先を見ようにも、人々の頭が邪魔をしてよく見えない。周囲には様々な店が立ち並んでいるようだが、その入り口すらもわからない。唯一見えたのは、通りに渡してかけられた頭上の横断幕だった。


「……戦勝、記念日……?」


 ファリアは揺れる横断幕の文字を、かろうじて読んだ。


(なるほど。今日は祭日なのか。だからこんなに人がいるってわけだ)


 祭日と聞いて、ファリアも納得した。田舎暮らしのファリア達には、都会の祭りや記念日などというものには無縁で、関心もない。だが、これほど人々が集まるということは、都にとってはよほど大事な記念日なのかもしれない。


 人の波は徐々に前へ進んでいく。どうやら人ごみは大通りへ向かっているようだった。ここまで来ると道幅もさらに広くなって、ファリアもどうにか流されずに歩くことができた。しかし、人々は次から次へと大通りに集まってきていた。そして何かを待ち構えている。


「何か始まるのかな……」


 その時、大通りに面した辺りから、大きな歓声が上がった。それを聞いた人々が、慌てたようにそちらへ駆け出していく。


「……行ってみる?」


(うん。見てみるか)


 気になったファリア達は、歓声の上がったほうへ向かう。そこはすでに人であふれ返っており、沿道に集まった人々が大通りに向かって手を振ったり、声を上げたりしてにぎわっていた。一体何があるのか。ファリアは比較的少ない人垣の中に入り込むと、人々の視線の先を背伸びしながら見てみた。


 手を振る人の頭越しに見えたのは、広い大通りの中央を、隊列を組んで歩く兵士達の姿だった。灰色の軍服に身を包み、一糸乱れぬ足取りで整然と行進している。


(軍のパレードみたいだな)


 その後も軍旗を持った兵士や、騎馬兵など、所属ごとと思われる兵士達が連なって行進していく。その行く先はクレスカ城とは違う方向なので、この先で記念日の式典でも行うのかもしれない。だが、ファリア達にはどうでもいいことだった。


「のんびり眺めてる暇はないわ。捜しに行きましょう」


(ああ。行くか)


 踵を返そうとした時だった。


(行かないで)


 引き止めるように、謎の声が言った。


(……またか。今度は何だ?)


 声は聞こえない。


(このパレードを見ろっていうことか?)


 声は黙ったままだった。


「もしかして、犯人がここにいるの?」


 ファリアの問いにも声は答えない。


(聞いても無駄みたいだ。……でも、あいつが本当に軍の関係者なら、いてもおかしくはないな)


「もう少し、見てみる?」


(……そうだな。信じて王都に来たんだ。声の言う通りにしてみるか)


 ファリアは再び大通りに目を向けると、行進する兵士達と共に、周囲で見物する人々にも目を配った。しかし、カルバーネで見た犯人の姿はどこにも見当たらない。本当にいるのだろうかと疑い始めた時、急に辺りの歓声が一際大きく上がり始めた。


 あまりの大きさに驚きながら、ファリアは大通りに視線を戻す。するとそこには、屋根を取った豪華な馬車に乗った男女の姿があった。男性は六十代くらいで、刺繍の施された真っ青なマントを羽織っており、その頭上には宝石のちりばめられた冠をかぶっている。その隣に座る女性は、ファリアよりも若そうな美しい容姿で、肩にかかった純白のショールを片手で押さえながら、沿道の人々に愛想よく手を振っている。この女性の頭上にも、きらめく宝石のはめられたティアラが付けられている。


「国王陛下、万歳!」


 感極まった観衆が、そう叫び出した。ふと見上げると、どこからともなく白い紙吹雪が大量に舞い落ちてくる。その中を馬車に乗った二人は微笑みながら通り過ぎようとしていた。


「あの方が、この国の王様と、王妃様……」


 目の前を通るだけの、わずかな時間だが、ファリアは初めて見た姿に、静かな感激を覚えていた。田舎に暮らす庶民が国王の姿を見られることなど、一生にあるかないかの出来事だった。それがこんな間近で見られたのだから、嬉しさに感激しないわけがない。周りに流され、思わず自分も叫びそうになるが、そこはどうにか抑え、ファリアは冷静に行進を眺め続けた。


 国王の馬車が通り過ぎると、その後ろには馬に乗った兵士が続いた。徒歩で行進していた兵士とは違い、この兵士達の軍服は群青色だった。その上に黒いマントがひらめき、どこか厳格なたたずまいを感じさせる。その列を眺めていて、ファリアの目はある一人に留まった。黒い馬に乗る、黒髪の男――


(……あいつだ!)


 セラが叫んだ。ファリアは鼓動を速めた胸を押さえながら、息を呑んで犯人の姿を目で追った。軽やかに馬を操り、時折観衆に目を向けながら行進をしていく。その表情はくつろいでいるようにも見えるが、切れ長の灰色の目だけは、威嚇するような緊張感を保っている。


 ファリアは動かず、歓声を上げる人々に紛れながら、ただ黙って犯人を見つめていた。馬上の犯人はそんな視線には気付かず、ゆっくりと目の前を通り過ぎていく。


(人殺しが、国王の後ろにいるとはな……)


 セラが皮肉っぽく、吐き捨てるように言った。


(あいつは何者なんだ。兵士ではあるようだけど……)


 パレードに出ている以上、犯人は軍人であることはわかったが、その制服は一般の兵士とは明らかに違う。一体どういう肩書なのか、ファリアは聞いてみようと隣にいた老人に声をかけた。


「あの、ちょっといいですか?」


 夢中でパレードを見ていた老人は、呼ばれて少し不機嫌な顔を見せた。


「……何だ」


「馬に乗った、群青色の服を着た人達は、どういう方々かご存じですか?」


 老人は通り過ぎたその姿をちらと見ると、すぐに言った。


「あれは親衛隊だよ。あんた、そんなことも知らなかったのか」


 親衛隊という言葉に、ファリアは驚きを隠せなかった。


「し、親衛隊って……」


 固まるファリアが何も知らないと思ったのか、老人はやれやれというように話し出した。


「親衛隊っていうのは、両陛下をお守りする兵士達のことだ。そこいらの兵士よりもずば抜けた腕を持った精鋭の集まりだな。彼らがいれば、よからぬたくらみで陛下に近付く者など、一人もいないだろう。もしいたら、そいつは命知らずの馬鹿者だ。……わかったか?」


 はいとファリアがうなずくと、老人は満足げに再び行進を眺め始めた。すでに犯人の姿は遠くへ消え、ここにいる意味がなくなったファリアは、未だに歓声がやまない群衆から抜け出ると、人ごみを縫って宿へ戻ることにした。


 一人用の小さな部屋に入ると、ファリアは椅子に腰を下ろして、小さな机に両腕を乗せ、うなだれた。人の波にもまれて疲れたせいもあったが、それ以上に犯人の正体を知って戸惑っていた。


(一つ、わかったことがある)


 セラが突然言った。


「……何?」


(あの声は天使の声だと判明した)


 確かに、あの謎の声はファリア達を犯人へと導いてくれた。少しは信用してもいい存在なのかもしれない。だが、今はそんなことよりも、もっと重大な問題があるのだ。ファリアはこれ見よがしな溜息を吐いて見せた。


(そんなに暗くならなくても……)


 セラが困ったように言う。


「だって親衛隊なのよ? 王様を守る人間が犯人だなんて」


(……どうりで俺より強かったわけだ。親衛隊なんて、なろうと思ってもなれるもんじゃないからな。もともとの能力が優れてなきゃ、入れないところだ)


「そんな人間を相手にするのよ? 私達に勝ち目なんてある?」


(ファリアは俺の腕を信じないのか?)


 むっとしながら言うセラに、ファリアは慌てて首を横に振る。


「そんなこと……もちろん信じてるけど」


(それならそんなこと言うな。俺は必ずあいつを仕留めてやる)


 セラの力強い言葉に、ファリアも弱気な気持ちを捨て、うなずいた。


「……だけど、親衛隊の人間が、どうしてセラを狙ったの?」


(さあ? 俺にもさっぱりだ)


「昔、どこかで会ってるとか?」


 記憶をたどっているのか、少し間が空く。


(……覚えはない)


「わざわざ王都から私達の村まで来たんだから、何か理由はあるはずよね」


(だとは思うけど……こっちに覚えがない以上は、あいつに直接聞くしかない)


「でも、どうやって? クレスカ城に忍び込むわけにもいかないし……」


 セラはうーんと唸った。


(そこなんだよな。親衛隊は基本、王様の側からは離れず、城内にとどまってるはずだ。その王様が外へ出るとか、今日みたいに何か特別なことでもない限り、俺達の前には姿を現さないと思う)


 つまり、待っているだけでは、ファリア達は犯人と接触することは難しいということだった。


「じゃあ、さっきのパレードって、最大の機会だったんじゃないの?」


(いや、あんなに兵士がいるんだ。不意を突いたとしても、仕留める前に俺達は確実に捕まるよ。一対一にはなれなくても、もう少し人数の少ない時じゃないと無謀すぎる)


「親衛隊は、隊として行動するんでしょ? 人数が少ない時なんてあるの?」


(俺も詳しいわけじゃないから、そこまでは……。親衛隊の動きがわかればいいけど、知る方法なんてないだろうしな……)


 その後も二人は犯人に近付く方法を話し合い続けたが、お互いにいい案は考え付かず、時間だけが過ぎていった。正午を回り、窓の外から聞こえていた喧騒も、少しずつ静まっているようだった。


 話し合いが行き詰まり、机に突っ伏しているファリアの腹が、きゅうと鳴った。


(……そう言えば、何も食べてなかったな。気分転換に食事でもするか)


 重くなった頭を持ち上げ、ファリアは大きく息を吐いて立ち上がる。その表情は暗い。


(焦る必要はない。あいつの居場所はわかってるんだ)


「だから余計にもどかしいの。同じ場所にいるのに、近付けないなんて……」


 部屋を出て、ファリアは宿の入り口へとぼとぼと向かう。


(今は一旦、頭を休めよう。おいしいものを食べれば、いい方法も思い浮かぶさ)


「……王都でおいしいものって何?」


 力のない声でファリアが聞く。


(そういうの、俺は疎いからな……あ、宿の主人に聞いてみたら? ほら、ちょうど目の前にいるよ)


 入り口の脇のカウンター内に、小太りで眼鏡をかけた宿屋の主人が立っていた。ペンを握り、何かを書いている。ファリアは声をかけた。


「あの、いいですか?」


「……はい、何でしょう」


 眼鏡を外し、主人は微笑んで顔を上げた。


「この辺りで、おいしいものが食べられるお店、知ってますか? できれば安いお値段で」


「はあ、そうだねえ……この辺りなら、踊る小鹿亭が一番かな。何でもおいしいし、値段も安めだから、私もよく行くんだ。そこを右に真っすぐ行けばあるよ」


「ありがとうございます。早速行ってみます」


 入り口を出ようと一歩を踏み出した時、セラがぼそりと言った。


(あの壁の紙は……?)


 見ると、主人の背後の壁に真新しい張り紙が貼られていた。そこには太字で武術大会と記されている。


「その貼り紙は……」


「ああ、これは毎年やってる武術の試合だよ。人気があってね、見に行くなら早めに行ったほうがいいよ」


(へえ、武術大会……)


 セラが興味深そうに呟いた。


「どういう試合なんですか?」


「弓と槍と剣の部門に分かれて、それぞれが勝ち抜き式で試合をしていくんだ。弓だけは的を射た得点で争うんだけどね」


(剣……)


 明らかに関心を持っているセラの代わりに、ファリアはさらに聞いてみた。


「どういう人が試合に出られるんですか?」


「腕に自信があれば誰でも出られるよ。ただ、この大会は陛下もご覧になられるからね、自分を売り込む打って付けの場でもあるんだ。だから出場者は大体、若手の兵士とか軍を率いる立場の人間が多いね」


 軍人が多く出ているならと、ファリアは一応聞いてみた。


「親衛隊が出てたりなんて、しますか?」


「ああ、去年は出てたよ」


 期待していなかった答えに、ファリアは目を丸くした。


「……本当ですか?」


「群青色の軍服を着ていたから、多分親衛隊の人間のはずだ」


「そ、その人はどういう人でしたか? 名前は何ですか?」


 前のめりに聞いてくるファリアに、少し引きながら主人は答える。


「……どういう人って、普通の人だったよ。名前はもう憶えてないなあ。でも、剣さばきは素晴らしかった」


 ファリアは主人に背を向けると、手で口元を隠し、セラに聞いた。


「犯人だと思う?」


(わからない。でも少なくとも親衛隊の誰かは試合に出てるらしいな)


「今年も出るかもしれない」


(ああ……行ってみる価値はありそうだ)


「お客さん? どうしました?」


 怪訝そうに聞く主人に呼ばれ、ファリアは向き直る。


「いえ、何でも……それで、大会はいつやるんですか?」


「毎年祭日の最終日にやってる。だから、四日後だね」


「四日後ですか……わかりました。ありがとうございます」


 礼を言い、ファリアは宿を出た。さっきまで行き詰まっていたことや、空腹だったことも忘れ、ファリアはわずかに見えた復讐への期待を一人膨らませていた。

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