七話

 三十二日目――


 真っ暗になった林の中、打ち捨てられた山小屋の中にファリアはいた。木でできた壁と屋根は腐って半分崩れ、小屋の役目を成してはいなかったが、かろうじて残っている屋根の下にファリアは縮こまるように座っていた。その目には光るものが滲んでいる。


「ごめんさない……犯人だと思ったら、止められなくて……」


 落ち込んだ様子のファリアに、セラは明るく言う。


(いいって。ファリアの気持ちもよくわかるから。あんなに近くにいたのを逃がしたくなかったんだよな)


 ファリアは小さくうなずく。


「犯人だと言われて……憎かった。服をつかんで引きずりおろしたかった。でも……本当にごめんなさい。結局、こんなところで野宿するはめに……」


(まあ、偶然いい小屋が見つかって、よかったんじゃないか? 窓も大きいし)


 セラが窓と言ったところは、壁が広範囲に崩れ、外の林が丸見えだった。そこからは冷たい夜風が吹き込んできて、ファリアの体を冷やしていた。


(辛いなら言ってくれ。すぐに代わるからさ)


「頭を冷やすには、ちょうどいいから」


 言ってファリアはマントを体に巻き付けた。


「……でも、やっぱり悔しい。犯人が私達と同じ街にいたなんて」


 遠ざかる犯人の姿を思い出し、マントを握る手に力が入る。


(すごい偶然もあるもんだな。……警察に捕まったのも、怪我の功名ってところか)


 のん気に言うセラに、ファリアは眉根を寄せる。


「セラは悔しくないの? どうにかしてれば、捕まえられて――」


(まあ、そう苛つくなって。俺もファリアと同じだよ。でも今は感情を抑えて、あいつの行き先を考えないと)


 この先の街道は何本にも枝分かれしていた。そこを間違えれば、かなりの時間を失いかねないのだ。冷静に犯人の行き先を予想する必要があった。


「でも、街で見た地図では、この先にはいくつも村と町があったわ。その中から犯人が立ち寄る場所を探すなんて、ちょっと無理なんじゃない?」


(そうなんだよな……休憩するためにいくつかの場所には立ち寄るだろうけど、あいつの目的地がわからないと、俺達の向かう方向も決められない。困ったもんだよ)


 セラの溜息が聞こえてきそうだった。


「何か手掛かりがあれば……あ、そういえば、犯人は軍の施設から出てきたんでしょ? 軍の建物がある場所を巡れば――」


(それがどこにあるか、ファリアは知ってる?)


 あ、とファリアは小さく口を開ける。


「……知らない」


(俺もだ。こんなところまで来たことないからな……)


 二人の話し合いは完全に行き詰まってしまった。せっかく犯人を見つけたと思いきや、すぐに見失い、行き先もわからない。大きな手掛かりもなく、追おうにも追えない。そんなじれったい状況に、ファリアは険しい表情で宙を見つめる。頭上では冷たい風が梢を揺らしていた。


(……また、勘に頼るか)


 セラが呟いた。捜す当てがない今は、そうするしかないとファリアもうなずこうとした時だった。


(都だよ)


 ファリアの動きが止まる。セラではなく、あの謎の声だった。


「……都って?」


 聞き返すが、何も返ってこない。次にセラが聞いた。


(王都のことか?)


 やや間があってから声は言った。


(行ったのを見た)


「見たって……」


 ファリアは怪訝な表情を浮かべる。この声はセラと同様に、頭の中に聞こえてくる声だった。当然周りには人はいないし、そうなると謎の声の主は体を持たない者と考えられた。


「あなたは、人ではないのでしょう? どうやって見たというの? それとも、私達を騙そうとしているの?」


 声からの返答はない。


(お前は、何者なんだ)


 セラが聞く。しかしこれにも声は答えなかった。


(だんまりか……よくわからないやつだ)


「セラ、この声は一体誰なの? まさか、セラと一緒に私の体に……?」


 ファリアは怯えたように自分の体を抱き締める。


(俺にもわからない。……あの婆さん、何か余計なことでもしたんじゃないだろうな)


「かけられた魔術のせい?」


(だろうとは思うけど……心配するな。何かしてきたら俺がどうにかする。でも、そんなことにはならないんじゃないかな)


「どうして?」


(無口なやつだけど、警察に追われてた時、正しい道を教えてくれただろ)


 ファリアはカルバーネでの出来事を思い出す。


「そうだったけど、あの後結局、警察に捕まったわ」


(捕まったおかげで、あいつを見つけられた)


 ファリアは溜息を漏らす。


「……前向きな考え方ね」


 セラは、ふふっと笑った。


「じゃあ、セラは声の言ったことを信じるの?」


(そうしてみてもいいと思ってる。悪意はないように感じるんだ)


 それはファリアも同じだった。口数が少なく、何を考えているのかわからないが、穏やかな口調のせいか、どこか優しげな印象を抱かせる声でもあった。しかし、正体が知れない存在だけに、ファリアの警戒心はすぐには解けない。


「騙されてたら……王都に犯人がいなかったら、どうするの?」


(信じた俺が馬鹿だったってことだ)


 軽く言うセラに、ファリアはむっとした顔になる。


「真剣に聞いてるのよ、私」


(俺も一応真剣なんだけどな……とにかく、ここはもう一度あの声を信じてみないか。天使の声だと思ってさ)


 ファリアはうつむき、考え込む。


「天使じゃなくて、死神かもしれないわよ。無駄に時間を使わせて、私の命を奪おうとしているのかも」


(じゃあ、それを確かめに王都へ行こう。このまま考えてたって、どうせあいつの行き先はわからないんだ)


「それは、そうだけど……」


 あまり気乗りしないファリアとは対照的に、セラはもう心を決めているようだった。


(王都へ行けば、天使に見守られているのか、死神が待っているのか、はっきりわかるさ)


 やけに明るく言う口調に、実技試験で行く予定だった王都へ行けることがただ嬉しいだけでは? とも思ったが、ファリアは口には出さず、渋々了承するしかなかった。見上げると、雲が消えたのか、夜空に無数の星がまたたいていた。それを眺めるファリアを、枝の上から白い鳥が見下ろしていた。

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