六話

「おはようございます」


 翌日、約束通り、女性は宿の受付前にいた。


「そう言えば、まだ自己紹介もしていませんでしたね。私はオリアナと言います」


 手を差し出され、ファリアは握手をする。


「……ファリアです」


 昨晩言われたことがまだ心に引っ掛かり、ファリアは上手く笑顔になれなかった。


「どうか、しましたか?」


「気にしないでください。……それで、お話はどこでしましょうか」


「朝食はまだですよね? よかったらご一緒にどうですか?」


 この提案に乗り、ファリアはオリアナと共に近くの定食屋へ入った。簡単な朝食を済ませて店を出ると、オリアナは宿近くの路地へ入っていった。そこに置かれていたベンチに腰掛けると、ファリアにも座るように促す。


「ここで、お話しましょう」


 建物の壁に挟まれた、日陰にあるベンチだった。今日も朝から日は出ている。こんな陰気な場所ではなく、どうせなら日の当たる広場などで話せばいいのにと思ったが、話しづらい内容なのかもしれないと、ファリアは黙ってベンチに座った。


「……深刻な相談事?」


 優しく聞くと、オリアナは寂しげな表情を浮かべた。


「私、今、恋をしているんです」


 まさか、告白の仕方とか、仲直りの方法など、深刻とは程遠い相談をされるのではと、ファリアは身構えながら続きを聞く。


「相手は、カルバーネの有力者の息子で、彼も、私のことを好きだと言ってくれています」


「相思相愛なのね。何か問題があるの?」


「問題は、彼のご両親なんです。彼が私と付き合っていることを、ご両親に伝えたらしいのですが、聞いた途端、すぐに別れなさいと言われて……ご両親には、私の家柄では自分の息子とは釣り合わないという考えがあるようなんです」


 身分違いの恋――深刻と言えば深刻なのだろうが、当事者以外にとってはどうでもいい話に、ファリアは戸惑いを隠せなかった。


「そういうことを相談されても、正直、私には何も――」


「いえ、相談したいのは、この先のことで……彼は私との仲を認めさせようと、何度もご両親を説得したらしいんです。ですが上手くいかなかったようで、でも、お互い別れるなんて選択肢はなかったんです。だから……駆け落ちをすることにしたんです」


(思い切ったことをするなあ……)


 頭の中でセラが呟いた。


「それで、彼と今日、カルバーネの外のある場所で落ち合おうと、約束しているんですが――」


「今日? 今日駆け落ちをする気なの?」


 オリアナはうなずく。


「すぐにでも向かいたいのですが、彼のご両親がそのことを察してしまったようで、警察に私のことを捜させているようなんです」


「何で警察が出てくるの? あなたは何もしていないのに」


「ご両親はここの有力者ですから、警察にもつながりがあるのかもしれません。……彼との未来のために、警察に見つからずに外へ出たいんです。何かいい方法はないでしょうか」


 すがる目でオリアナはファリアを見つめる。多難な二人に同情する気持ちと、こんなことをしている時間はないと思う気持ち、その二つがファリアの中でせめぎ合っていた。


(……何か言ってやらないと。不安がってるぞ)


 セラの言う通り、ファリアを見つめるオリアナの瞳は、心細そうに揺らめいていた。助けてくださいと声なき声が聞こえてきそうだ。それでも口を開かないファリアに、セラが言った。


(彼女をこっそり、ここから出してやるだけのことだ。そんなに時間はかからないさ)


 ファリアの気持ちを察したのか、セラはオリアナを助けるよう促した。ここで断る言葉を探しているよりも、さっさと助けてあげたほうが早いかもしれない――ファリアは心を決めると、一息吐いてから口を開いた。


「……それじゃあ、私が一緒に外まで付いていくわ。もし警察に見つかったら、私が何とかして足留めしてあげるから」


 これにオリアナが恐縮したように言う。


「私、そんなつもりで相談したわけではないんですけど……本当に、いいんですか?」


 二人の未来のためだと言い聞かせ、ファリアは笑顔でうなずく。オリアナも助けてもらえることに、満面の笑みを見せた。


「嬉しい。これでやっと彼と一緒になれます」


 するとオリアナは立ち上がり、宿のほうへと走っていった。


「どこへ行くの?」


「少し待っててもらえますか。荷物を取ってきますから」


 宿へ入ったオリアナは、言った通り三分ほどで戻ってきた。手には旅行者が持つような、長方形の小型のかばんを提げていた。


「準備はもう大丈夫です」


 真剣な、でも期待に満ちた眼差しがファリアを見る。


「人目に付かないよう、できるだけ私の後ろを歩いて。……じゃあ、行きましょうか」


 ファリアはオリアナの前に出ると、辺りを見回しながら歩き始めた。


「……ところで、どこから外に出るの?」


 カルバーネには東西南北の四つの門がある。現在ファリアがいるのは南西の地区だった。


「出られるのならどこからでもいいんですけど、一番近いのは西門でしょうか」


 ここから西門までなら、十分もあれば到着できる距離だった。犯人の情報集めでカルバーネ中を歩き回ったおかげで、ファリアは目立つ建物や門の位置をしっかり憶えていた。警察にさえ見つからなければ、オリアナは無事に外へ出られるはずだったが、彼女がファリアに相談しただけのことはあって、やはりそう簡単にはいかなかった。


「……付けられています」


 人気のない細い路地を歩いていた時、後ろを歩くオリアナが小声で言った。


「えっ――」


「止まらないで。そのまま歩いて……」


 足を止めそうになったファリアは、慌てて歩き出す。


「多分二人……警察の方だと思います」


 オリアナの冷静な声が教えてくれた。一体いつ見つかってしまったのだろうか――ファリアの緊張が高まっていく。


「西門まで、あと少しなのに……」


 不安げにオリアナが呟いた。このまま門に近付けば、付けてくる警察は間違いなく力ずくで彼女を捕まえに来るだろう。そうなる前にファリアはどうにかしなければならない。


(ファリア、彼女を先に行かせるんだ。後ろの警察を足留めして)


 セラの指示にファリアはうなずいた。


「……オリアナ、私が足留めするから、あなたは門へ向かって」


 小声で伝えると、オリアナはファリアを追い抜き、小さな会釈をしてから路地を進んでいった。ファリアは歩く足を緩めると、ゆっくり背後に振り返る。


「女性を付けるなんて、失礼よ」


 腰に手を置き、待ち構えるファリアだったが、路地に人影は現れない。


「出てきたらどう?」


 そう言ってからしばらくした後、二つの人影は建物の陰から静かに出てきた。黒い上下の服に帽子。警察の制服に違いなかった。


「お前もあの女の仲間か」


 右に立つ警察官が、腰の剣に手をかけながら聞いた。


「仲間というか……知り合いよ」


 無抵抗の女に切りかかってはこないだろうが、臨戦態勢をとる警察にファリアの腰は引けた。


「それは、協力しているということか」


「そうよ。相談されたから――」


「きゃああっ――」


 その時、オリアナの消えた路地の先から、彼女の悲鳴が聞こえてきた。


(……他にもいたか。ファリア、彼女の元へ!)


 セラが言い終わらないうちに、ファリアは踵を返して走り出していた。


「あっ、待て!」


 付けてきた二人の警察官は、慌ててファリアを追い始める。それには構わず、オリアナの悲鳴が聞こえたほうへ、ファリアは一目散に走った。だが、狭い路地が入り組んだ場所で足は止まってしまった。行き止まりに当たり、戻って違う路地に入っても、悲鳴とは逆の方向へ向かってしまう。迷路のような道にファリアはうろたえた。


「オリアナ……どこへ行ったのよ」


(やばいな。迷ってる場合じゃないのに……)


 二人の焦りは募った。ぐずぐずしていれば後ろからは警察も来てしまう。ファリアは迷いながらも左の路地に入ろうと一歩を踏み出した。


(そっちじゃない)


「じゃあどっちよ。セラが言って!」


(え? 違う、俺じゃない)


 ファリアは、きょとんとした。


「だって今、そっちじゃないって……」


(だから、俺の声じゃない。別の声だ)


 はっきりと聞こえた声は空耳などではない。ファリアは近くに誰かいるのかと、周囲を見渡してみる。だがもちろん人の姿はなかった。見えたのは屋根にとまる白い鳥だけだった。


「セラじゃないなら、一体――」


(真っすぐだよ)


 またあの声だった。セラよりもかなり不鮮明な声で、男か女か判別は難しい。だが優しい口調で、ファリアの邪魔をしているような雰囲気は感じられなかった。


「あなたは、誰なの?」


 返事はない。沈黙だけが流れる。


(……それは後だ。とにかく言う通りに行ってみよう)


 セラに促され、ファリアは謎の声の言った路地に進んだ。


(そこを右)


 分かれ道に来ると、声はいちいち方向を教えてくれた。ファリアの中には騙されているのではという疑念もあったが、自分だけではオリアナを見つけられない今は、疑わしくても頼るしかなかった。


(左に曲がれば……)


 指示通りに曲がると、街の喧騒が大きく聞こえてきた。大通りに出たのだ。そして、ファリアの目の前には一台の馬車が止まっていた。一人の警察官がもがく女性を担ぎ、無理矢理馬車に押し込もうとしている。顔を上げた女性はファリアに気付くと、大声で叫んだ。


「助けて! お願い!」


 オリアナは片手でかばんを抱き、片手で馬車の扉をつかみ、入れられないよう懸命に踏ん張っていた。


「……セラ!」


(よし!)


 ファリアは目を瞑り、すぐに入れ替わった。


「彼女を放せ!」


 セラはオリアナを担ぐ警察官につかみかかる。不意を突かれたのか、警察官は驚きながらオリアナを地面に落とした。


(ちょっと、彼女のことも考えて!)


「そんな余裕なかった。……ごめん。平気か?」


 警察官を組み敷きながら、セラは倒れたオリアナに聞く。


「ええ、大丈夫です……」


 スカートの汚れを払いながら、オリアナはすぐに立ち上がった。


「西門は目と鼻の先だ。行くぞ」


「はい!」


 駆け出したオリアナの後を、セラも追うように走る。今さら路地裏に入っても、もう警察には見つかってしまっている。そこで追い詰められるより、このまま大通りを走り抜けたほうが、確実に外へ出られそうだった。しかし、警察もそうやすやすとオリアナを逃す気はないようだった。


「はっ……」


 オリアナが息を呑んで止まった。追い付いたセラも、目の前の光景に表情を曇らせた。


「……警察は、そんなに暇なのか?」


 手の届くような距離に西門は見える。だがその前には、十数人もの警察官が横に列を組み、逃してなるものかと気迫に満ちた目でオリアナを待ち構えていた。


(女性一人を捕まえるのに、こんな人数を……権力ってすごいわね)


 ファリアが呆れたように言ったのを、セラは口の端を上げて笑った。


「その女も、仲間だ!」


 背後から声がして振り向くと、先ほど付けてきた二人の警察官と、馬車で組み敷いた一人が走ってきていた。


「挟み撃ちになるな……」


 セラはオリアナを自分の背中側に寄せると、前後の警察官達の様子をうかがう。すると、西門の前に立つ一人が進み出てきて、口を開いた。


「大人しく投降しろ。もう逃げ場はないぞ」


 口ひげを生やした警察官の胸には小さな紋章が付いている。おそらくこの隊の隊長なのだろう。脅すふうでもなく、落ち着いた口調で呼びかけていた。


「男の両親に何て言われたかは知らないけど、これは警察が出しゃばるようなことじゃない。あんた達もわかるだろう?」


 そう言うセラを見て、隊長の眉間にしわが寄る。


「訳のわからないことを……お前の存在は報告に上がっていないが、最近来た者か」


「いつだっていいだろう。とにかく、これは男女の問題で――」


「男女? さっきから何を言っている。お前達は我が国でスパイ行為をした。証拠もある。無理な言い逃れは罪を重くするだけだぞ」


「……スパイって……」


 セラは唖然とした。なぜか自分達はスパイにされているらしい。どうしてこんなことになっているのか、動揺しながら後ろにいるオリアナに答えを求めた。すると彼女は大きく首を横に振って言った。


「きっと、ご両親が吹き込んだことです。警察に動いてもらうために……」


(証拠までねつ造するなんて、どこまで親馬鹿なのよ)


 ファリアの苛立った言葉に、セラも溜息が出る気持ちだった。ただ二人の恋を助けているだけなのに、なぜ犯罪者扱いされなければならないのか。しかも警察はまんまと騙されてしまっている。そんな彼らにセラは怒りよりも、情けなさを感じていた。


「それは誤解だ。あんた達は嘘を聞かされたんだ。証拠も作られ――」


「投降するのかしないのか。罪を重くして、一生牢屋で暮らしてみるか。お前達はどうしたい」


 落ち着いた口調なのに、その奥には鬼気迫るものが感じられる。セラの言うことにはまるで耳を貸していないようだった。


「話を聞いてくれ」


「もちろん聞こう。だがお前達が投降するのが先だ」


 セラは歯噛みする。その間に警察官達は、じりじりと包囲し始める。セラの背中にしがみ付くオリアナの手が、緊張で力むのが伝わってきた。


(どうするの、セラ。このままじゃオリアナが――)


「わかってる……オリアナ、絶対に俺から離れるなよ」


「え、あ、はい……」


 戸惑いつつもオリアナはうなずく。するとセラは、マントを開いて肩にかけると、腰の剣を握る。その動きに警察官達も剣に手をかける。


「……やる気か?」


 隊長が低い声で聞いた。その目を見つめながら、セラは一気に駆け出した。


(セラ、無茶よ!)


 ファリアの慌てた声に、セラは一斉に攻め寄せてきた警察官達の相手をしながら言う。


「どうせ、捕まるなら……もう強行突破しかないだろ!」


(お願いだから、誰も傷付けないで! 私達が切るのはただ一人だけよ)


 背後のオリアナをかばいながら、セラは苦笑いを浮かべる。


「警察に恨みはないからな。俺も切るつもりはない……でも、ちょっと難しいな」


 一人の攻撃をやり過ごしても、またすぐに次の攻撃がやってくる。剣の腕に自信があるセラでも、この大人数では相手に気を遣っている暇がなかった。剣を振る流れで、思わず相手の手の甲を切り付けてしまった。仲間が切られたことで、警察官達の勢いは増していく。そうなるともう強行突破どころではなかった。


「こいつ、女のくせに、なんて強さだ」


 肩で息をする警察官が、剣を片手に動き回るセラを睨みながら呟く。束になってかかっても、セラは未だに傷一つ負っていない。警察官達は西門へ行かせないようにするだけで精一杯だった。


「女にしておくのが、もったいないくらいの腕だ……」


 後ろへ下がった隊長が、顎に流れた汗を拭いながら言う。しかし、長く続きそうだったこの闘いは、隊長の一言であっさりと決着がついてしまう。


「……おい、もう一人の女はどこだ」


 取り囲む警察官達の動きが一斉に止まる。隊長の言葉を聞いて、セラも慌てて背後を確認してみる。いるはずだったオリアナは、いつの間にか消えていた。


「こんなに大勢いて、誰も見ていなかったのか!」


 警察官達は、強すぎるセラに意識を集中させすぎて、背後に隠れるオリアナのことは眼中になかったのだ。それはセラも同じで、最初こそかばってはいたが、余裕がなくなった辺りからオリアナの存在を失念していた。これでは何のために剣を振るっていたのかわからない。


 セラも警察官達も、一時剣を収めると、周囲を見渡しながらオリアナの姿を捜した。そして、セラが西門の先に視線を移した時だった。


「あ……」


 セラの口から間の抜けた声が漏れた。そこには二頭の馬がおり、その一頭にちょうどオリアナがまたがるところだった。もう一頭の馬には、駆け落ちをする彼とは程遠い、髪を結った女性が乗っている。


「あっ、逃げるぞ!」


 警察官もオリアナに気付き、慌てて追おうとするが、オリアナはセラに向けて片手をひらひらと振ると、クリーム色のスカートをなびかせながら、全速力で遠ざかっていった。


(……何か、おかしくない?)


 残った土煙を眺めるセラに、ファリアが怪訝な声で聞いた。


「うん……もう一人は女に見えた」


「くそっ! 早く追わないと――」


 オリアナに追い付けなかった警察官達が、馬を取りに厩舎へ向かっていく。残った数人の警察官と隊長は、呆然と立ち尽くすセラに近付く。


「仲間に裏切られたようだな。……来てもらうぞ」


 隊長はそう言うと、剣を取り上げ、セラの両腕を縄で痛いほど強く縛り、連行していった。この状況を悟ったセラに、抵抗する意思はなかった。


(私達、利用されたのね……)


 ファリアが落胆したように言った。騙されていたのはセラ達のほうだった。恋人も、駆け落ちの話も、全部が嘘で、スパイであるオリアナは警察の追手を引き止めてもらおうと、セラ達に相談という形で近付き、上手く利用したのだ。そしてそれは思惑通りとなり、セラ達はまんまと警察を足留めしてしまったのだ。スパイを助けているとも知らずに……。


 警察の話によると、オリアナに目を付けたのは数週間前からで、積極的に政府の高官に近付く彼女を怪しみ、地道に尾行を繰り返していたらしい。その中でスパイだという証拠をつかみ、今日に至ったということだった。


 そんな裏の顔も知らず、オリアナに協力していると言ってしまっていたファリアに、警察は容赦ない尋問を繰り返した。剣を振って抵抗してしまったこともあり、ファリアに対する印象は非常に悪かった。それでもファリアは騙されたのだと繰り返し訴え、自分の無実を主張し続けた。留置所から尋問室へ往復する毎日が続き、ファリアの気力もかなりすり減っていた。こんなところで時間を使っている暇はないのにと、窓の外を恨めしく眺めることしかできずにいた。だが、状況は突然動いた。


「罰金百五フェリンを払うか、牢に収監されるか、好きなほうを選べ」


 この日も朝から同じ尋問をされるのかと思っていたら、急にこんなことを言われ、ファリアは目をしばたたかせた。


「……早く言え。どっちだ」


 腕を組んで睨む警察官が面倒くさそうに言う。


「あの、何でこんな話を……?」


 ファリアは恐る恐る聞いてみた。


「お前の泊まっていた宿の主人が証言した。会ったら礼を言っておくんだな」


 警察官は苦々しい表情を浮かべている。


(……ああ、そう言えばオリアナを酔っ払いから助けた時、主人もいたな……)


 セラが思い出したように呟いた。どうやらあの宿の主人が、ファリアはオリアナの仲間ではないと言ってくれたらしい。あの出来事を見ていれば、誰でもそう思うはずだろう。


 ファリアがスパイ行為をしたという証拠は、当然出てくるはずもなく、警察は公務執行妨害の罪しか問えず、罰金か収監のどちらかを選ばせた。ファリアはもちろん罰金を選んだ。所持金の半分が減り、かなりの痛手ではあったが、一日も早く留置所から出なくてはいけなかった。捕まってから、すでに十日が経っていた。


「まったく……ひどい目に遭ったわね」


 久々の外の喧騒を感じながら、ファリアは返されたマントを肩に羽織り、腰に剣を戻す。頭上には太陽を隠すように、多くの白い雲が浮かんでいた。自由の身にはなったものの、どうも晴れやかにはなれない今のファリア達の心を映しているようだった。


(時間を食いすぎたな)


「本当よ。目的以外のことをしようとするから――」


(彼女は困ってたんだ)


「でもスパイだった」


(そんなこと、見た目じゃわからないだろ)


 すぐに言い返そうとしたファリアだったが、熱くなりそうな自分に気付き、間を置いた。


「……喧嘩はやめましょう。意味ないわ」


(……そうだな。今は早くあいつを捜さないと)


 何の手がかりもないまま、時間だけが過ぎていた。焦る気持ちは二人とも同じように持っていた。しかし、どうすれば犯人を見つけられるのか、その最善の方法を思い付くことができなかった。


「もうここを出る?」


(んー……)


 悩みながらセラは街並みを眺める。視線の先には灰色の制服を着た軍人らしき男が、何かに向かって敬礼をしていた。しばらくすると、その対象が建物の陰から現れた。黒い馬に乗った人物が颯爽と走っていく。


(馬でもいれば、時間も短縮でき――)


 言葉が途切れたセラの目は、一点を見つめていた。走っていた馬が進路を変え、ファリアのいる道へ向かってくる。正面を向いた馬上の人物の顔に、セラの心は否応なしにいきり立たされた。


(あいつ……!)


「え、何?」


 声の気配が変わったセラに、ファリアは聞く。


(あの馬の男だ。あいつが俺とハイメを殺した――)


 そう言っている間に、黒い馬に乗った男はファリアの横を駆け抜けていった。セラの言葉に、ファリアは慌てて馬を目で追う。


「あっ……あれが犯人なの? 本当に?」


(見間違えるはずがない。あの目付き、俺が見たのと同じだ! ……あいつ、軍の施設から出てきてたな。何で――)


 ファリアは走り出していた。どんどん遠ざかる馬の姿を見失わないよう、脇見もせずに前だけを見据える。


(ファリア、走って追う気か?)


「今追わなきゃ、見失う!」


(無理だ! こっちもどこかで馬を――)


「あっ、街を出ていく!」


 馬の足を緩めた犯人が門をくぐるのを見て、ファリアは追い付こうと懸命に走る。だが、門に着いた時には、すでにその姿は遥か遠くに消えようとしていた。


(……ファリア、一旦戻ろう)


 冷静に言うセラだったが、ファリアは唇を噛むと、見えなくなった影を追って再び走り始めた。


(待てファリア、人の足じゃ追い付けない!)


 大声で止めても、ファリアの足は止まることはなかった。

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