五話

 二十一日目――


 ファリアはようやく第二の都市カルバーネに到着した。


「初めて来たけど……大きい建物ばかりね」


 田舎では一階建ての家が多いのに比べ、ここでは二階建て、三階建ての建物が当たり前のように並んでいた。通り過ぎる人々の服装も色彩豊かで、垢抜けた印象が強い。今自分は浮いているのではないだろうかと、ファリアは心配になってきた。


(俺も初めてなんだ。……第二の都市でこれじゃあ、王都はどれだけすごいんだ?)


 見るものすべてに感心しながら、ファリアはとりあえず通りを歩いていく。幅の広い道には、馬や馬車がひっきりなしに通っていく。そのためファリアは自然と道の端に寄っていた。


「きゃあっ」


 不意に足下が滑り、ファリアの体は傾いたが、咄嗟に横にあった柵につかまり、どうにか転ばずに済んだ。


(どうした、大丈夫か?)


 心配するセラの声に、ファリアはうんとうなずく。足下を見下ろすと、そこには泥で汚れた紙が落ちていた。


「これを踏んで、滑ったみたい……」


 もう落ちていないだろうかと周りを見てみると、道の隅に紙くずが丸まっていくつも落ちていた。他にも何かの食べかすや、空き瓶など、人が捨てたごみが連なるように落ちていた。


「随分、汚いわね……」


 今まで周囲にばかり目を奪われていたファリアは、足下の汚さに気付いていなかった。


(都会は皆こんな感じなのかな……。昔聞いたところじゃ、ここは治安があまりよくないって話だから、変なやつには気を付けてくれよ)


 そう言われると、見える人すべてに警戒してしまいそうで、ファリアは少しこわばった表情のまま、通りを進んでいった。


「……まずは、どうする?」


(そうだな……手当たり次第聞いていくんじゃ、らちが明かない。何かあいつが関わっていそうなところで聞いてみるか……)


 犯人は剣術に長けているということで、最初は武術学校へ行くことになった。武芸を教える施設は各地にあるもので、決して珍しいものではない。ここクランハル王国では、男子の心身を鍛えるものとして、昔から積極的に教えられているものだった。


 カルバーネには武術学校が五つあり、ファリアはそのすべての学校を回って聞いたのだが、誰も犯人の容姿には憶えがないらしく、情報は得られなかった。次に向かったのは、軍施設だった。あの腕なら軍に所属していてもおかしくないという理由からだったが、ただの人捜しに軍が協力してくれるはずもなく、ファリアは門前払いを食わされるだけだった。昼を過ぎ、昼食もとらず、ファリアは歩き続ける。


「あとはどこだろう……」


(剣を扱う……鍛冶屋とか、武器屋はどうかな)


 言われた通りにファリアは聞きに回った。この広い都市に、鍛冶屋と武器屋は一体いくつあるのだろうか――そんな言葉が浮かんだが、口にすることなく、ファリアは鍛冶屋、武器屋を合わせた二十二の店を全部回った。一人くらいは何か知っているのではないかという期待もむなしく、犯人の情報を聞くことはできなかった。


 腹の虫の催促に、ファリアは定食屋で食事をとると、くたくたになった足で今日の宿探しを始めた。大きな宿はどこも満室で、行けども行けども泊まれる部屋はなかった。人に聞きながらしらみつぶしに宿を回り、そしてようやく一軒の泊まれる宿を見つけた。通りに目立って建つ宿とは違い、裏通りに面した古い木造の宿で、正直、お世辞にも綺麗とは言い難い部屋ではあったが、路上で寝るよりはまだましだと、ファリアは泊まることを即決した。すでに時刻は夜の八時を過ぎ、真っ暗になった頭上には半月が浮かんでいた。


「はあ……」


 二階にある部屋に入ったファリアは、疲れで重くなった腰をベッドに落とした。うなだれた顔にほつれた茶色の髪が触れる。それを耳にかけながら、口からは自然と溜息が漏れていた。


(……何か、ごめん……)


 セラの弱々しい声が聞こえた。


「何で謝るの?」


(だってさ、ことごとくはずれで、ファリアを疲れさせてるだけで……)


 ファリアは微笑んだ。


「簡単には見つからないって、セラも思ってたでしょ? こうやって地道に捜していくしか方法はないんだから、私のことは気にしないで」


(でも、ファリアの体が……苦しくなったらいつでも代わるから、言ってくれよ)


「心配し過ぎよ。疲れたら休憩するから、大丈夫」


 言いながら立ち上がったファリアは寝支度をするため、羽織っていたマントを取ると、壁際に置いてある椅子の背にかけた。次に腰の剣を外そうと革のベルトに手をかけた時だった。


「……ん?」


 ファリアの視線が部屋の扉へ向く。


「何か、騒がしいみたいだけど……」


 木の壁が薄いのか、一階から聞こえてくると思われる声が、扉を閉めていてもよく聞こえた。怒鳴っているような男性の声と、甲高い女性の声が言い争っているようだった。その声に静まる様子はなく、どんどん激しさを増していく。その内引っ叩く音でも聞こえてきそうな勢いだった。


(ちょっと、見てみるか)


 セラも気になったらしく、ファリアは部屋の扉を開けて顔だけを外に出し、一階の様子を見た。


 部屋の正面には階段があり、下りた先の左側には宿の受付がある。その前で見知らぬ男女が言い争っているようだった。


「お高くとまってんじゃねえよ」


「あんたこそ、頭冷やしなさいよ」


 中年の男性はゆらゆらと体を揺らし、そのろれつはあまり回っていない。酔っているようだ。対して女性は二十代くらいで、上品なクリーム色をした上着とスカートを身に付けている。気の強そうな口調で男性に怒鳴っていた。


「金は持ってるんだ。ほら、ここに……」


「何度言えばいいのよ。私は娼婦じゃないの。さっさと行ってよ」


「うるせえ。てめえは俺の言うこと聞けばいいんだよ」


「まあまあ、お客さん……」


 宿の主人が見兼ねて二人の間に入った。


「少し酔いを醒ましたらどうですか? ……お譲さん、私が止めておきますから、今のうちに」


 主人に言われ、女性は険しい表情のまま立ち去ろうとする。


「おい! どこ行く気だ、行かせねえぞ!」


 酔った男性は主人を突き飛ばすと、女性の腕をつかみ、自分に引き寄せようとする。


「いやっ、やめてよ、放して……誰か!」


 ファリアは二階の他の部屋を見た。客がいるのかいないのか、どの扉も開く気配はない。


「あの人、助けてあげないと」


(……仕方ない。ファリア、代わってくれ)


 うなずくとファリアは目を瞑り、セラと交代する。


「早く来いっ」


 男性は暴れる女性を強引に自分の部屋へ引きずり込もうとしていた。颯爽と階段を下りたセラは、その男性の前に立ちはだかる。


「放してやれ」


 男性の据わった目が、急に現れたセラを睨み付ける。


「何だよてめえ、邪魔だよ、どけ」


 押しのけようと伸ばしてきた男性の腕を、セラは素早くつかむと、簡単にねじり上げてしまった。


「いででででで――」


 痛みにうめく男性の手が、女性からあっさり離れる。それを確認して、セラはねじり上げた腕を解放した。


「この人にはもう近付くな」


 痛みで酔いが醒めたのか、怯えた表情を見せると、男性はそそくさと一階の自分の部屋へ戻っていった。


「ああ、お客さん、助かりました」


 宿の主人が、突き飛ばされて打ったらしい頭をさすりながら礼を言った。


「あの、助けていただいて、本当にありがとうございます」


 次に女性が笑顔で言った。


「怪我はありませんか」


「はい。おかげ様で……でも、同じ女性なのに、すごいんですね」


 女性という言葉に、セラは一瞬間が空いたが、見た目はファリアなのだと思い出し、すぐに返した。


「い、いえ、それほどでも」


「……その剣、扱えるんですか?」


 女性の目がセラの腰の剣に留まる。


「ええ、もちろん。長く剣術を習っていましたから」


 女性の目が見開かれる。


「剣は男性のものと思っていましたけど、女性でも扱う方がいるんですね」


 セラは返答に困り、ただ笑うだけだった。


「……あの、これも何かのご縁だと思うんです。よろしかったら、私の相談事を聞いてはもらえませんか?」


「相談事? 何ですか?」


 女性は困ったように視線を泳がせる。


「ここでは、その、話が長くなってしまいそうなので……明日の朝、またここでお会いしてもよろしいですか?」


「明日ですか? うーん、まあ……」


「よかった。ずっと悩んでいたことなので……ではまた明日に」


 女性は嬉しそうな顔で、一階の自分の部屋に帰っていった。


(……セラ)


 頭にファリアの暗い声が響く。


(何で断らなかったの? 私達には三ヶ月しか時間がないのよ。人の相談を聞いてる暇なんてないんだから)


 セラは階段を上りながら答える。


「それはわかってるけど、困ってるみたいだし……」


(セラは困った人を見かけたら、いちいち話を聞くっていうの?)


「人助けは、なるべくしてあげたほうがいいと思うけど」


(だから、そんな暇ないって言ってるじゃない!)


 部屋に入り、セラはベッドに腰掛ける。


「そんなに怒ることじゃないだろ。――もしかして、嫉妬してるの?」


 ファリアの声は聞こえない。これにセラは肩を揺らして笑った。


(違うからね! 何で嫉妬なんか……)


「見た目はファリアなんだ。間違ったって惚れられることはないよ。それに、俺が愛してるのは、この世でファリアただ一人だけだから、心配するな」


(……もういい! 早く代わって!)


 笑い続けるセラは、ゆっくり目を瞑った。

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