第9話 散る、舞う、舞い散る

「うっさいな、あっち行けよ」


小学4年生の白上しらかみが、同い年の涼香すずかに言う。だけど追い払おうとはしないし、自ら離れようともしない。


「はあぁ……」


涼香はそんな白上の前で腕を組み、呆れたようにため息をついた。


「な、なによ。あっち行けって……」


「あんたって、やっぱ無駄に意地っ張りよね」


「……は?」


予想外の言葉に白上が戸惑っていると、涼香は更に予想外のことを言った。


「たまには泣いてもいいじゃん。あんたが舐められることが怖いことも、だから涙見せたくないことも分かる。でも、たまにはいいじゃん」


勝手な言葉を投げ、勝手に横に座り、ポンポンと膝の上を叩きながら彼女が言った。


「ほら」


その意味が分かった瞬間、白上は大声を出してしまった。


「す、するわけないでしょ、そんなこと!」


クラスメイトに膝枕なんて、もしバレたら恥ずかしすぎて死んじゃう。


「はあ……ホント、わがままだよね、あんた」


「そっちのセリフ!?ねえ、それそっちのセリフ!?!?」


膝がダメなら、と言わんばかりに涼香は自分の肩を叩いた。


「ほら。貸してやるから」


「……なんでなの」


「うん?」


白上の言葉に、涼香はきょとんと頭を傾げた。


立花たちばなって、別にあたしと友達じゃないでしょ。なんで優しくするのよ、いきなり」


「え?」


涼香が言った。


「だってあんた、辛そうだから」


あんたも不思議な子ね、と言わんばかりに。その表情と態度に白上は瞬きして、イラっとして、強めに頭を涼香の肩にぶつけた。


「ねえ、痛いんだけど!」


「うっさいな、じゃああっち行けば!?」


更に2回頭突きしてやったら、こっちの頭が痛くなった。うっ、とそのまま肩に頭を置いたまま、深呼吸をした。


落ち着いてきてふと、いくつかの感覚が鮮明になった。


静かな空間の中の、涼香の肌の温もり、涼香の息の音。頬に伝わる、人の体温。


その瞬間、ぽろりと涙が溢れた。


「え……っ」


一滴溢れたら、もう止まらない。


白上はその日、人生で一番泣いた気がした。涼香はずっと側にいてくれた。




「あーあ」


なんだ。


その時からじゃん。


すずちゃんと友達になったのも、すずちゃんのことが好きになったのも、その時からじゃん。


自分の思ってたよりもずっと前から、恋してたじゃん。


わざわざ涼香と違う高校を選んだのは、中学3年生の時、急に怖くなったのが理由だった。


涼香と一緒にいると自分が変わってしまう気がして、変わってしまっている気がして、それが怖かった。


あの時逃げるべきではなかった。


でも、もう遅い。


「あたしの負けよ、神田かんださん」


夏山なつやま沙織さおりが昔のクラスメイトだったことには気づいていた。気づいていたからこそ、眩しいと思った。


変わることを恐れた者と、変わることができた者。


負けの負け。完璧な敗北。


白上は顔を洗って、トイレから出た。







沙織の言葉を聞いて、涼香は何も言えずにいた。


胸の中が熱く、言葉がまとまらない。


(嬉しい)


自分のことをそんなに想ってくれた沙織のことを、そして自分のかつての行動が彼女の力になったと言うことが、ただただ、嬉しい。


「ねえ、沙織」


「はい」


「ありがとう」


「それはわたしのセリフですよ?」


「じゃあ、一緒だね」


「ふふっ、そうですね、一緒です」


手と手が触れる。どちらが先に伸ばしたかは分からない。指同士が絡む。それもまた、どちらが先か分からない。


その時、白上が戻ってきた。


「どうしたの、その顔」


酷く泣いたようで、ぐしゃぐしゃに腫れた顔の白上は二人を見て、涼香に言った。


「すずちゃんこそ、何その顔。ニヤニヤしててだらしないヨ」


強がる笑顔の彼女は沙織に振り向いた。


「ねえ、夏山」


「は、はい」


「おめでとう。あんたはすごいよ。すずちゃんのことをよろしく」


予想してなかった言葉に驚いた沙織に、白上は言った。


「あたしの負けだよ。完敗。だから、一つだけ許してくれない?勝者のお情けとして」


紗織は無言で数秒考え、頷いた。


「ありがとう」


心からの本物の感謝を伝え、白上はバックを取った。


「もう外に出よっか?ちょっと長居しすぎちゃったっぽいし、あたし」


ちょうど夕日が差し込んでいる時間だった。


「ん、ここでじゅーぶんかな」


少しだけ歩いて、白上は振り向いた。そして今も手を握ってる涼香と沙織を見て、笑顔で、涼香に言った。


「すずちゃん、あたし、すずちゃんのことが好き」


あまりにも長く気づけなかった、伝えられなかった想い。


「ずっと好きだった。実は別の高校に行っちゃったのも、この気持ちが怖くなったからなの。嘘ついちゃって、ごめんね」


そよ風が吹いてくれている。自分には身に余るぐらいの舞台だ。


「最後に一つだけ、お願いしちゃっていい?」


涼香はそっと、長年の友達の想いを受け止めた。


そして言った。


「ありがとう」


私のことが好きになってくれて、ありがとう、と。


そして紗織の手をより強く握ったまま、頭を下げた。


「でもごめんなさい、私、好きな人ができたの」


白上は微笑んだ。


寂しくて、でも嬉しくて。


「ちゃんと振ってくれてありがとね。弱虫なあたしには、分にすぎてるぐらいよ」


心からの感謝と、祝福を込めて、白上は言った。


「おめでとう、すずちゃん、あたしの親友」


ある恋は咲いた。


ある恋は実った。


そしてある恋は散った。


「じゃあ、あたしはお先に失礼するね!二人の素敵な日に辛気臭いことしちゃってごめん!じゃあ―」


―さよなら


「あの!!」


背を向けて走り出そうとした白上に、沙織の声が触れた。


「また、涼香さんと遊んでくださいね!」


思いっきり、


「涼香さんの、親友なんでしょう!!」


あーあ。


ホント、いい子にもほどがあるでしょ。あたしじゃ絶対敵わないや。


「し―」


「すずちゃん!!」


涼香の言葉を遮り、白上は思いっきり叫んでやった。


「沙織ちゃんのこと泣かしたら許さないからね!!じゃあ!」


また涙が溢れそうになってきた。あたしって実は泣き虫なのかな。


涼香がほほ笑んだ。まるで、あんたが泣き虫なのはずっと前から分かっているよ、と囁くように温かく。


「うん、またね」


「またね!!!」

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