第6話 どこにいますか、ここですか、そこですか、私の側ですか

「え……?そんなこと、ない、けど」


栗原くりはらの持ち出した話への沙織さおりの返事は、彼女が予想していたものではなかった。


「……え―」


栗原も目を泳がせていたところに、涼香すずかがスッと入った。


「沙織のこと困らせちゃダメでしょ。そういや、今朝のHRで何かの案内あった?」


「えー特には?何かあった?」


涼香の意図通り、そこで話題が変わった。栗原は違和感を覚えたかもしれないけど、何もしないよりはマシだったはずだ。


(それって何が何よりマシってこと?)


頭の中に過った質問に、涼香は一度蓋をした。


(やはり、沙織と話してみることが必要そう……でも学校内ではいつも誰かいるし、一回スマホで呼び出して……)


と思ったところで、涼香は気づいた。


自分は、未だに沙織の連絡先を知らないことに。


(一昨日に交換して……ない)


デートをした土曜日、連絡先を聞いてもいないし聞かれてもいない。だけど今すぐ聞いたら、無理矢理ずらした話がまた戻るかもしれない。


チラッと沙織の方を見たら、沙織と目が合った。


「あっ」


「っ」


視線を逸らす。なんで見てるんだよと思って、今更に思い出す。沙織は自分のことが好きだということを。


「―で、あれ?立花たちばなさん、大丈夫?」


「大丈夫ヨ」


誰かに話かけられ、何故か白上しらかみがふざける時のイントネーションが出てしまった。そして何故かそれの受けがよくて周りが勝手に盛り上がった。


お昼の時間が終わった時には『さん』が落ちて『立花』と呼ばれるようになっていた。そして紗織の連絡先を聞くタイミングは結局掴めなかった。




その一日にかけて、涼香は改めて思い知ることになった。


紗織がどれだけの人気者なのかを。


いつも周りに誰かがいるって自分の席から眺めるのと、紗織の隣でその中にいるのは全然違うことだった。


休みの時間になった瞬間にあっちこっちから人が寄ってくるし、チラチラと視線も飛んでくる。最初はまだ耐えられたけど、段々それが重たく、重苦しくなってきた。


(沙織はこれを、どうやっていつも耐えてるの)


「あれ、大丈夫?立花」


「……ごめん、ちょっとトイレ」


言い訳して、教室を出た涼香は人通りのほぼない階段に向かい、そこに腰を下ろし、大きく深呼吸をした。数回繰り返すと、大分マシになった。


「……あーあ」


壁に背中を預けるようにして、天井を仰いだ。


(やはり、ついて来たんだ)


「いいよ、来ても」


ゆっくりと、恐る恐ると、曲がり角から紗織が顔を覗かせた。


「……大丈夫、ですか?」


「うん、ごめん」


どうしたらいいかわからず、沙織はその場でもじもじしていた。だけど涼香が手招きすると、隣に来て座った。


少しの沈黙。


「ごめんなさい」


「沙織のせいじゃないよ。私が慣れてなかっただけだから」


「ごめんなさい」


「だから―」


「他の人ならまだしもわたしなら、気づくべきでした」


下の唇を噛んでいる沙織の顔を見て、それがどの感情なのかわかるには時間が必要だった。


彼女の怒っている顔を見るのは、初めてだったから。


沙織は自分自身に怒って、悔やんでいた。


「……ありがとね」


「は、はい?どうしたんですか?」


ボソッと涼香が言ったら、沙織はビクッと身を震わせた。


「いや、改めて思ったの。そんな顔もするんだ、沙織は。私のことでって」


「……涼香さんのこと、ですよ」


沙織の表情に拗ねたような色が少し混ざって、涼香はクスクスと笑った。


「そうだね、ありがとう。私はもう大丈夫だから、戻ろっか」


「……まだ少しありますよ、時間」


「2分もないよ?」


「じゃあ1分いてもいいじゅないですか、二人で」


「……そうね」


涼香は浮かせようとしていた腰を再び下ろした。


思えば、今日の一日中に二人きりになれたのはこれが初めてだった。


「知ってますか?好きな人と一緒だと時間流れるの速くなるんですよ」


「アドレナリンのせいかな?じゃあ手貸して」


「えっ、はっ」


「あ、ホントに脈速くなってる」


「わ、わからないでしょっ。もともとこれぐらい速いかもしれませんしっ」


「かもね」


手を放すと、沙織はあっ、へっ、として、拗ねた表情で睨んできた。


「……涼香さんは意地悪すぎです……」


「……かもね」


沈黙、穏やかな。そして涼香はふと思い出した。


「そういや、連絡先教えて」


「えっ……あっ!!ほ、本当だ!えと、携帯番号と、LINEと……涼香さんSNSとかやってるのありますか?」


「ないよ。沙織はあるの?」


「ないです!えへへ……」


「そんな嬉しい?」


「嬉しいですよ?大好きな涼香さんの連絡先ですから」


「………………そう」


「涼香さんは嬉しくないんですか?」


「特には」


「嘘つき」


「ほら、教室に戻ろう。ちなみに、私のことなんて登録したの?」


「え?普通に立花涼香ってですけど?」


「嘘つき」


「にひひっ、じゃあ似た者同士ですね」


涼香は側にいる少女を見た。


明るくて、ふわふわで、いつも誰かが寄って来る、夏山なつやま沙織さおりという少女を。


何もかも自分と彼女は違うと思っていた。そして二人の違うところは、別に今だって消えていない。


だけど。


「案外、そうかもね」


「……涼香さん、放課後っ、デートしましょう!」


「急にどうしたの?」


「急にキュンとしちゃいました」


「怖い」


「えっ」


息の音。


「沙織と一緒にいると、私が変わって行く気がする。それが怖い」


沈黙。熱のこもっているもの。


「本当、似た者同士ですね、わたしたち」


「もうみんなからも見えるんだから、後のことはLINEでね?」


「っ!!はい……!!!全力でデートのプラン組みます!!!」


「だから見えてるって……」


涼香は思った。


わからないからの不安も恐怖も、ドキドキハラハラするのも、消えていない。そして多分、消えやしない。


だけど、二人一緒ならば。

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