第4話 思えば想い、想うほど思って

特別な一日が終わって家に帰ると不思議な気持ちになる。”いつも”に戻ったことでの安心感と共に、まるでさっきまでのことは夢だったような気がする。


「ただいま」


「あ、ねーちゃんお帰り」


リビングにいた妹に挨拶をしながら、涼香すずかもその感覚を味わっていた。


自分のことが好きな子がいて、しかもその子がとびっきり可愛くて明るくて人気者で、今日はその子とデートをしてきた、というのが丸ごと一つの幻のようだった。


「あれ?ねーちゃん、メイクしたの?」


ソファに転がっていた妹の言葉が、涼香の足を一瞬止めた。


「うん、ちょっとだけ」


何故か恥ずかしくなって、顔は向けないまま答えた。


「へえ……いーじゃん。似合ってる。ねーちゃんって土台いいし」


「ありがと」


「あれ、そういやねーちゃん今日どっか行ってきたの?」


「ちょっとだけ。ごめん、少し疲れてて今。お休み」


「あ、うん……ねーちゃんもお休み!」


幻だったら、現実に何も残せなかったはず。


今日の別れ際の紗織さおりの言葉がチラッと思い浮かんだ。


「お返事は、今すぐじゃなくても大丈夫です」


自分の気持ちを告げ、信じてもらうに丸1日かかったのに、その日の終わりの際に伝えた言葉がそれだった。


「涼香さんのことを、待ちます。返事のための準備ができるまで」


返事のための準備とは、本当にその通りだった。


『はい』も『いいえ』も、今は選べない。頭の中、心の中は無数の感情でごちゃごちゃだ。


恋をされている、と。自分が。夏山なつやま沙織さおりという女の子に。


(今更だけど、同性恋愛ってことだよね、もし付き合ったら)


「……今更にもほどがあるでしょ」


自分自身に呆れてしまいそうだ。


(恋愛、ね)


恋と愛を横にくっつけて恋愛。だけど愛も恋もよくわからない。


その時ふと、思い浮かんだ紗織の言葉があった。


『―今日は、楽しかったですか?』


楽しかった。


幻の沙織がそっと囁く。


『またお会いしたいと、想ってくださいますか?』


ああ。


また、会いたい。


舌の先に甘いひりつき。この感覚もまた、幻であろう。







シンデレラの魔法が解けるのは午前0時らしいけれど、紗織の場合はそれよりだいぶ早く、ここなら涼香には見えなくなったと確信したその瞬間だった。


「は……はぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」


緊張が一気に解け、膝がガタガタと笑い出した。電車に乗るまで歩くのが精一杯で、席に崩れ落ちるように座った。


頭の中がぐちゃぐちゃ。考えが一切まとまらない。


ただただ、涼香のことでいっぱいだった。


彼女の目が、声が、表情が、視線が、離れた今この瞬間でも色鮮やかで、目の前でちらつく。昼から今まで彼女と共に過ごし、ずっとすぐ近くでいた。すぐ側でその声を聞き、その視線を浴びて、その笑顔を見た。


ドクンドクンと脈打つ自分の心臓の音がうるさい。 顔が熱い。一生分の赤面を今日全部した気がする。


顔を両手で覆ってふと思い出す、この左手は昼に涼香が握ってくれた手だと。


電車の中だったため、ジタバタするのは1回だけに抑えた。




自宅に着いた時には落ち着いてきた沙織だったが、体の芯の温もりは冷めていないままだった。


「ただいま」


一人暮らしだから聞く人はいないし、無駄に大きい部屋だから返って寂しい気持ちになった。


一日を共に乗り越えたお洋服からいつものパジャマで着替え、メイクを落とし、ベッドにダイブ。


「うぉああぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~うぅ…………っ」


お湯に浸かったお年寄りと鳥の鳴き声を混ぜたような奇声が出たけど、別にいいし。誰もいないし。


部屋の中はシーンとしていて、こうして一人になると、今日の出来事が嘘だったような気さえしてきた。


(でも、本当だよね)


立花たちばな涼香すずかの姿が、未だにもこの目に鮮やかだ。肩に触れるや否やの長さのサラサラな黒髪、抱きしめたくなる細い体、ずっと見ていたいその透き通った瞳。


なにより、今日見られた彼女の笑顔。


クラスの中はいつも無表情な彼女のその顔は、想像していたよりもずっと素敵で、思い返す度に心の中が温かくなる。


(告白の返事はもらえなかった)


でも、それでもいい。


(今日は、わたしの想いを信じてもらえた。第一歩、達成)


「……千里の道も一歩よりって言うし」


一日の疲れが押し寄せてきた。今夜はよく眠れそうだった。


(好きですよ、涼香)


甘く溶けるように眠り落ちる中で、沙織は思った。


(本当に、大好き)







涼香には一人だけ友達がいた。そして沙織とのデートの次の日、その友達が涼香をお茶に誘った。


「すずちゃん、おひさ!」


喫茶店に入ると、見た目は完全な金髪碧眼の白人の女の子が涼香に手を振った。


「そんなに久しくもないでしょ、白上」


白上しらかみゆきは日本に帰化した白人夫婦の娘で、涼香と一緒の小学校と中学校を出た仲だった。


(その時にはめっちゃ喧嘩してたよな、こいつと)


ふと昔のことを思って、涼香は席に着きながら聞いた。


「要件はなに?」


「いやだな~別に何もないよ?すずちゃんに会いたかっただケ~」


「……」


「そんな真顔になることもなくない?あたし、ちょっと傷ついちゃったけど……」


「で、なに」


「ハァ……相変わらず可愛げがないヨ……」


心底残念そうにテーブルにうつ伏せになると、白に近い金髪がテーブルの上に散らばった。


そのまま顔だけ向けて、白上は言った。


「すずちゃん、昨日誰かとデートしたの?」


ピタリ、とコップを口に運んでいた涼香の指が止まった。


「……どこから聞いたの?」


「ホントなんだ」


「どこから聞いたのか聞いてるけど」


「噂よ、噂。すずちゃんの学校で超ゆーめーな子が―」


「真面目になって頂戴」


「……ん」


白上は体を起こし、乱れた髪を手でいた。


「……うちのクラスのグループチャットで突然そんな話が出たの」


「いつのこと?」


「昨日の19時半ぐらい?ちょっと話してから話題変わったけど」


その時間ならまだ沙織と二人で繁華街にいた。誰かが二人のことを見て話したんだろう。


「ねえ、すずちゃん」


顔を上げたら、友達の清い碧眼が涼香を見ていた。


「その子のこと、好き?」

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