保健室

1

 細く柔らかい身体を抱きしめる。

 薄い桃色に色づいた頬を手で撫でると、柔らかく潤んだ花唇が小さく開いた。

「おはよう、みちるくん」

「おはよう、真海先輩」

 真海先輩と口付けを交わす。こんなにしあわせなことがあっていいんだろうか。

 ずっとすきだった人がおれのことを見てくれている。夢みたいだけど、夢じゃなかった。すぐ目の前で真海先輩が愛らしく微笑んでいる。

「みちるくんの唇、厚くて柔らかくて好きだよ」

 下唇が厚いことがコンプレックスだったけれど、真海先輩にすきと言われただけで嫌じゃなくなった。今まで自分のことをそんな風に思ったことはなかったけれどおれはかなり単純だったみたいだ。

「先輩の方が柔らかいですよ」

 指を小さな顎に滑らせてもう一度唇を重ねる。今度は先ほどよりも長く深いキスだった。おれの下唇を甘く噛んでから唇を離した真海先輩は恥ずかしそうに照れ笑いをする。その表情が愛おしくて理性が飛びそうになるのを必死で堪えるて、行き場を無くした指で先輩の黒くなめらかな髪の毛を撫でた。

 真海先輩の彼氏になれたんだ。真海先輩がおれの彼女なんだ。改めて昨日の図書室でのやりとりを思い返す。

 言おう言おうと決めていて、きっとかなり変なタイミングだったと思うけれど、なんとか告白することができた。

 早弓が見ていたら下手すぎて笑ったに違いない。恋愛初心者の自分にとって、すきだと伝える行為はハードルが高くてとてつもなく緊張したし、口から心臓が出てそのまま死んでしまいそうだった。とはいえ告白よりも先にキスマークを付け合うという不可解な行為をしているし、それも含めて恋愛下手にもほどがあると自分でも思うけれど、こんなおれを真海先輩は受け入れてくれた。

 正直、真海先輩が告白を受け入れてくれるとは思わなかった。青野先輩じゃなくて、おれを選んでくれると思わなかった。

 真海先輩がおれに嫌悪感を抱いていないのはなんとなく分かったけれど、青野先輩を選ぶんじゃないかと心のどこかで思っていて不安だった。

 だから先輩が受け入れてくれたときは顔に出ないように努力したけど本当に驚いたし、人生でいちばんうれしかった。

 たとえあのとき断られていたとしても、おれは多分諦めなかっただろうし何としても振り向かせる努力をしたと思う。だって、真海先輩にあんな悲しそうな顔をさせる青野先輩のところに戻ってもまた傷つくだけだから、そうするわけにはいかなかった。

 真海先輩がおれの気持ちに応えてくれたとき、青野先輩が真海先輩にかけた呪いが解けたんだと思った。不安な気持ちを与えて縛って、人を傷つけて縛った鎖は脆かった。

 もし青野先輩が真海先輩に好意があって掛けた呪いだったのだとしたら皮肉だな。真海先輩は青野先輩をすきだった気持ちも、すきになった理由も忘れてしまって、青野先輩といて不安だった記憶しか残っていない。

 真海先輩のことをすきだと思っても、おれの頭に青野先輩が浮かぶことはもうないだろう。真海先輩は青野先輩を忘れかけている。

「みちるくん、落ち着くね」

 おれの胸に顔を埋めて真海先輩が言った。こんなにも近くに真海先輩がいることが、うれしくて強く抱きしめると再びドライシャンプーのいいかおりがした。

「真海先輩可愛い」

 先輩のブラウスの襟から見える、右鎖骨の下にはもう何も残っていない。

 青野先輩はもう真海先輩には残っていなくて代わりにおれがつけたキスマークが赤黒い痣になって先輩の身体に浮いていた。

 プールで痕を付け合ったあのときは、真海先輩から青野先輩を消したい一心だったけれど、今はもう真海先輩の身体にも心にもおれが、おれだけが強く残っている。それがうれしくて、真海先輩の頭を撫でる。きれいな髪の毛の質感が手のひらから伝わる。

 早弓に会って真海先輩と付き合えたことを報告したらきっと驚くだろうし、自分のことのように喜んでくれる気がする。

 ああでも約束したからバスケ部に入らないといけないな。それと赤飯のおにぎりを食べてもらわないと。

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