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 図書室の荒れようにわたしも白瀬くんも言葉を失った。揺れがあったあと白瀬くんと校内を回ったけど、図書室には来ていなかったから知らなかった。椅子は倒れていて、書架がほぼ空になっている。書架の周辺は本が床を埋め尽くすように散らばっていて足の踏み場もない。

 紙と雨のにおいが混ざった独特のにおいが図書室に漂っていて、それが意外と嫌いなにおいじゃなかった。

「すごいことになってるね」

「そうですね」

「とりあえずカーテン開けよっか」

 テスト週間だったからかカーテンは閉まっていて、昼なのに薄暗い。白瀬くんと手分けして白いカーテンを開けたけれど、空が曇っているせいで思ったより明るくはならなかった。

 窓を見るとさっきまでいた一号館が正面にある。

 町の様子は見えないけれど、顔を上げればひかりの柱が見えた。やはり昨日より薄くなっているように見える。

「あのひかり、昨日より薄く見えない?」

「そうですね。なんとなく減ってる気もします。曇りだからそう見えるだけかもですけど」

 昨日よりも薄明光線に似ているけれど青ざめたひかりは不自然で昨日と変わらず不気味だ。

 窓から東側を見ると真っ二つに割れたグラウンドが見える。図書室からだと昨日のプールサイドよりもよく見えて、地割れが思ったより深いことがわかった。さすがに落ちて死ぬような穴ではないだろうけど、ひびの奥は真っ暗で底が見えない。

「地割れは思ったより深そうですね」

「落ちたらどうなるんだろうね」

 グラウンドを見ながら、図書室に来るときに見た三号館のことを思い出していた。

 崩れたコンクリートの隙間から潰れた机や機材が見えた。物理室やコンピューター室がある三号館は普段あまり利用することがないから、半壊したのが三号館でまだましだったのかもしれない。

 一昨日まで校舎だった建物が今は雨に濡れた瓦礫の山になってしまっていたのはわかっていてもやっぱりショックだった。

 雨で濡れる窓から離れ、書架の方へ向かう。

「足の踏み場がないね」

「そうですね。本棚ほぼ空っぽですね」

「棚に戻してもまた揺れが来たら落ちちゃうから、できるだけ床に積んでおこうか」

 白瀬くんと散らばった本を集めて床に積み上げる。全部きれいにするのは難しいけれど、本を踏むのは憚られるので歩くスペースを確保しながら進む。

「本すきですか?」

「わりとすきだよ。たまにしか読まないけど。白瀬くんは?」

「おれはあんまり読まないです」

 ふと床にレモンイエローの表紙が見えて思わず手に取る。去年の春にここで借りて読んだ本だった。鮮やかなレモンイエローの表紙に銀の箔押しで題名が入っていて、装丁に惹かれて借りたらわたし的には大当たりだった。

 短編がいくつか収録されていて、そのどれもが透明感のある文章でうつくしい。頭に浮かぶ色彩は彩度が高いわけじゃないのに澄明で、やさしく眩しい。文章から溢れる透き通る色をわたしも絵で表現したいと思うほど心を打たれた作品だった。

「あ、それおれも読んだことあります」

 文庫本を指して白瀬くんが言う。

「いいよね、これ」

 白瀬くんは頷いて、一番すきな短編小説のタイトルをわたしに教えてくれた。

 その短編は夜の海と月のひかりが透明でうつくしく、わたしもすきな作品だった。目を離せない月のひかりが頭に浮かぶ。

 登場人物の青年は月のひかりに魅せられていたけれど、なんとなく窓の外のひかりに似ているなと思った。雲でずっと見えないけれどあのひかりは月のひかりだったりして。

「いいよね、わたしもすき」

「じゃあ、も持っていきましょう」

 レモンイエローの文庫本を爆弾に例える白瀬くんに思わず顔が綻ぶ。どんどん好きになっていくのが自分でわかってよくないなと思った。

 気を紛らわすように散らばった本を通路の端に積むと白いリノリウムが現れる。

「アウトドアとか防災の本ってどの辺だろう」

「アウトドアだったら趣味とかになるんですかね」

 元々図書室にはあんまり来なかったし、普段読まない本がどこにあるのか全然わからない。書架に〝暮らし〟と書かれた見出しを見つけて白瀬くんを呼ぶ。

 床にはガーデニングだとか、ロードバイクだとかさまざまな分野の本が散らばっていた。

「本いっぱいあるね」

「図書室ですからね」

 白瀬くんは当たり前のことを言ったわたしを見て楽しそうに笑う。それがうれしくてわたしも釣られて笑った。

「普通の学校生活で真海先輩と図書室来たかったな」

「どうして?」

「楽しそうだから」

 わたしももっと早く白瀬くんと出会いたかった。出会えていたら、ずっとどこかに不安な気持ちを抱えたまま生きずに済んだ気がする。

 はると離れるのが怖くてずっと追いかけていたのに、諦めて離れたら呆気なかった。

 はるはもう遠くて、そのことに安堵する。

 床に散らばった本を整理していると、表紙にサバイバルと書かれた本を見つけた。サバイバルっていうと大袈裟な気がするけど、ぱらぱらとページをめくって中身をみてみたら、図も多くて結構参考になりそうだった。

「それっぽいのあったよ」

「こっちもありました。防災の本二冊」

 白瀬くんが手に持つ本には防災と大きく書かれている。

 床に散らばった本から他にも役に立ちそうな本がないか探したけれど、他に目ぼしい物は見つからなかった。

「じゃあ、あっちで読もうか」

 書架から読書スペースに移動する。倒れた椅子を起こしてそこに座ると、テーブルを挟んで向かい側に白瀬くんが座った。

 机の上に本を三冊重ねて、白瀬くんがそのすぐ横に文庫本を置いた。薄暗い図書室でレモンイエローの表紙が眩しい。

 わたしはサバイバルの本を、白瀬くんは防災の本を開く。飲水の確保や火の起こし方が前の方のページに書いてあるけれど、水は十分にあるし、火に関してはライターとガスコンロがある。ここにいる間は特に使わなそうな知識だけれど、これから何があるかわからないから念のため覚えておいた方がいいかもしれない。

「雨水って降って三十分くらいだったら濾過しなくても飲めるらしいですよ」

「そうなんだ。じゃあ今降ってる雨はきれいな水だね」

 背後の窓を雨粒が叩き、ぽつぽつと音を立て続ける。

 ふと、開いた本から視線を逸らすと目の前には本を読む白瀬くんが居て、その真剣な表情がきれいで思わず見惚れる。

 絵画みたいだと思った。

 白瀬くんがモデルだったら油絵も描けそうな気がして、うつくしい顔の造形を脳に焼き付けるようにじっと見つめる。

 白い肌に黒い髪、血色のいい唇。白瀬くんの顔を彩る色は透明感があってうつくしい。机の端に置いた小説の文章のように透き通っている。

 愛おしくて、触れたくて、きゅっと胸が締め付けられるような感覚を覚える。こんな気持ちを今まで感じたことがあったっけ。

 はるはこんな思いは教えてくれなかったから、知らなかった。わたしはいつも不安で、その不安を消すためにはるに縋り付いていた。

「真海先輩」

 名前を呼ばれてどきっと心臓が跳ねる。白瀬くんがページを捲る細長い指が動きを止めて、透き通る瞳でわたしを見つめる。

「今おれのこと、見てました?」

 見惚れていたなんて言えるわけもなくて「なんでもないよ」と返すけれど白瀬くんの視線はわたしを捉えて離さない。

 本を閉じて「先輩」とわたしを呼ぶ。

「ん? なあに」

 白瀬くんは本を読んでいるときと同じ、真剣な表情を浮かべている。

「おれ、真海先輩のことすきです」

 一瞬、白瀬くんがなんて言ったのか理解できなくて固まる。わたしのことがすき? 白瀬くんが?

「真海先輩がすき」

 停止したわたしに対して繰り返すように白瀬くんが言った。

 真っ直ぐにわたしを見つめる白瀬くんがただただ愛おしくて、心臓の鼓動が早くなる。

 また身体に残る痕が熱く疼いてどうしようもなくなる。

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