図書室

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 目覚めると薄暗くて、まだ朝じゃないのに目が覚めてしまったことがわかった。窓の方を見ると、寝ぼけているからかもしれないけど外に見えるひかりが昨日より弱く、少しだけきれいに思えた。

 わたしの腕を抱く白瀬くんの身体が温かくて安心する。横を見ると白瀬くんの寝顔が近くにあって、それがあまりにもきれいで息が止まりそうになった。

 わたしとはるのことを知っても白瀬くんはわたしを拒絶しなかった。それどころか、わたしの腕をやさしく抱きしめてくれている。

 どうして白瀬くんはここまでわたしにやさしくしてくれるんだろう。二人しかいないから無理をしてやさしくしてくれているのかもしれない。だとしたら申し訳なくて、白瀬くんと逆の方向にある閉じたままの白いカーテンに視線を逸らした。白瀬くんの温度を感じるたびに自分が汚れている気がして、はると過ごした時間を後悔する。誰かといてこんなに安心できることをもっと早く知っていれば、気づいていれば今こんな思いをしなくて済んだのに。

 自分の右側の鎖骨の下を見ると、はるがつけた痕はもう消えかかっていた。不思議なことに消えないでほしいとは思わなかった。

 三日前のわたしならはるがつけたこのキスマークを大切に何度も何度もなぞっていただろう。消えないように願っていたと思う。でも今は白瀬くんが付けた赤く残る痕が熱くて、わたしの意識をはるから引き離してくれる。

 白瀬くんがわたしの身体に痕をつけたときの、彼の唇の温度を思い出してどきどきした。だめだと言い聞かせても、あのときの白瀬くんの目を見たらもう受け入れることしかできなかった。汚いわたしを受け入れてくれて、はるの痕跡を消そうとしてくれる白瀬くんを拒絶なんてできなかった。そして、自分の気持ちが白瀬くんに傾いていることに気づく。

 わたしははるに一途だったはずなのに、心が揺れることなんてないと思っていたのに、思い返すはるの影がもうずっと遠い。はるのことを忘れるためにはるのことを思い出そうとすると、白瀬くんの顔が頭に浮かぶ。

 わたしは最低だ。

 はるのことがだいすきなはずなのに。離れたくなくてはるの求めること全てに答えてようとしてきたのに、急に目の前に現れた白瀬くんに上書きされるみたいにはるの記憶が薄れて、悲しくあるべきなのに安心している。

 どうしてはるのことが何も浮かばないんだろう。どうしてすきになったのかすら思い出せないのは、もしかして揺れで気を失ったときに本当は頭を打っていて、それで記憶がなくなっているのかもしれない。そのくらいはるへの思いが曖昧で、三日前の自分と考えていることがまるで違う。

 白瀬くんがわたしに安心を与えて、はるの残した痕を、呪いを消してくれたからかもしれない。

 体温は確かにあるのに言葉も表情も空っぽで、わたしがなにを言ったってはるの心が揺れることはない。だからずっと不安だった。はるのあの大きく黒い瞳にわたしが映っていたことはあったんだろうか。わたしを残したくて、身体につけた痕はまだ残っているだろうか。

 はるがわたしに痕を残していたなんて白瀬くんに言われるまで気づかなかった。はるがわたしにキスマークを付けたことなんて今まで一度もなかったし、ありえないと思ったけれど鎖骨の下に浮かぶ痕はどうみてもキスマークだった。この前はるの家に泊まったとき、眠っている間に付けたんだろう。でもどういう思いではるがわたしに痕を残したのか全くわからない。

 わたしははるのどこがすきだったんだろう。昨日から何度も考えているけれどやっぱりだめだった。いつからか追いかけることに必死で最初の理由を忘れてしまったのかもしれない。

 小学四年生のときに初めてはると同じクラスになって、家の方向が同じだから一緒に帰るようになった。元々無口であんまり笑わなかったはると徐々に打ち解けていって、はるは次第に笑うようになったけれど、目が笑ってなくて感情がなくてそれが少し怖かったのは覚えている。

 六年生になって、はるがほぼ一人暮らしをしていると知ってから家に行って勉強を教えてもらったり、わたしが料理を作ったりした。

 父子家庭なのは知っていたけれど、父親が家にあまり帰ってこないと淡々とわたしに話すはるの表情はまだ思い出せる。

 きっとその頃にはすきだったけれど、やはりきっかけは思い出せない。

 それから、中三の冬にわたしが告白して、いつからかセックスをするようになった。繋がって、初めてはるの人間らしい部分をみて安心した。

 そのときだけわたしは安心できて、それ以外のときはただただ不安に陥った。はるしか知らなかったから、そういうものだと思いこんでいて、身体で繋がっていなくても安心を与えてくれる人がいることを知らなかった。

 わたしは今、それを教えてくれた白瀬くんに気持ちが傾いている。気づかないふりができなくて苦しい。

 はるのことを全て忘れてしまえたら楽だろう。でもわたしの身体に残るはるの記憶は消えない。はると繋がった記憶が身体に染み付いていて、どうしてこんなにも汚れているのか嫌になる。呪いみたいだ。

 ずっとわたしがはるを呪っていると思っていたけど、白瀬くんの言う通りわたしがはるに呪われていたんだろうか。こんなことなら、最初から出会わなければよかったとさえ思ってしまう。

「せんぱい」

 ふと名前を呼ばれて視線を移すと、薄く目を開いた白瀬くんがわたしを見ていた。目があって、安心したのかきれいな目をすっと閉じる。寝ぼけているようだった。寝顔が愛おしくて、胸の奥が熱くなる。

 このままこの時間が続けばいいのに、と思う。白瀬くんが隣にいてくれるだけで他には何もいらないとすら思ってしまうわたしはやっぱり汚い。

 ゆっくりと目を閉じると、さっきみた青白いひかりが目の奥に浮かんで、消えていく。

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