現代魔術師と変身する猫
こ〜りん
猫の怪異を拾った
――魔術師。世界の神秘が科学によって解き明かされ、時代が進むにつれて駆逐されていった者達のこと。
ホラーやミステリーも科学で解決され、心霊現象はデマだと一笑に付されるようになった。
もはや、彼らの存在を認知している者は殆どいないだろう。いたとして、腕のいい手品師か何かだと感じるだけである。
――ピンポーン、とインターホンが鳴る。それを聞いて部屋の主は目を覚ます。
誰だ? と思いながら彼女は寝ぼけたままドアを開けた。
「……こんな朝早くから何の用事だい?」
「もう夕方だぞ。あとせめて服は着てくれ」
インターホンを鳴らしていたのはどこか諦めたような雰囲気を纏う青年だ。ジーパンにパーカー、眼鏡、そして左肩に引っ掛けたナップサック。
どう見ても一般人な容姿だが、隠しきれない異様さは彼が一般人ではないと示している。
玄関のドアを開いたのは気怠げな女性だ。ボサボサで床に着くほど伸びた灰色の髪、同じく灰色の瞳、消えることは無いだろう隈に平均より高い上背。
裸同然の少し派手な下着姿でドアを開けたことから分かるように、彼女は非常にずぼらで面倒くさがりな性格をしている。
青年は思う。容姿だけならばハリウッド級……絶世の美女だというのに、すれ違っただけで九割九分の人間が振り返るというのに、中身のせいで全てが台無しになっていると。
「私の家だぞ格好ぐらい自由だろう」
「痴女みたいな格好をしていれば襲われるだろうが」
「……? 君以外に見せるわけないだろう。馬鹿なのか?」
青年は額に血管が浮かんだような気がしたが、深い溜息をついて気持ちを抑える。
目の前の女性――伽藍 律は青年の恋人であり、魔術や都市伝説などのオカルトを調べる研究者であり、
自分以外の男に見て欲しくない姿で無警戒にドアを開ける彼女に対して束縛欲がふつふつと湧くが、何度指摘しても改善する見込みがないため半ば諦めているのだ。
「馬鹿って……はぁ。とりあえず中に入れてくれ。話したいことがある」
「ふむ、浮気かい?」
「なわけ」
軽口を叩きながら部屋に入ると、ろくに掃除もしていないことが分かる。ゴミは分別してあるし玄関に纏められているが、彼女がちゃんと出すとは思えない。纏めるだけ纏めて放置されているのだろう。
台所も食器が重なったままだし、カップ麺の容器が端に積み上げられている。
辛うじて洗濯はしているようだが、冬物は部屋の角に追いやられたままだ。
綺麗に整頓されているのは机と本棚とベッドの上のみ。
予想通りの惨状に呆れつつも、お互いに暇であり出掛ける予定が無ければ数日泊まり込むこともあるので、掃除は今やるべき事では無い。
青年はそう考え……ふと目の前のコイツが最後に飯を食ったのはいつだと思った。
「最後に飯を食べたのは?」
「一昨日の昼に食べたね。もうすぐで答えが出そうだったからそれっきりだよ」
「……風呂は?」
「さあ?」
頭痛がした。
深い深い溜息をついて、ナップサックからサンドイッチを取り出した。急いで来たので昼を食う時間が少なかったのだ。軽食として用意していたが、なんとなく、自分で食べることは無いだろうなと思っていたものだ。
渡されたサンドイッチをむしゃむしゃと頬張る恋人の姿に、青年は盛大に溜息をつくことで呆れていますよとアピールをする。通じないが。
「ところで……んむ、わざわざ来たって事は用事が、ぁむ、ん、あったのだろう?」
「見て欲しいものがある。ほぼ間違いなく裏案件だ」
ピクリ、と律は動きを止める。裏案件は彼女が研究者となったきっかけであり、生涯をかけて解き明かすと決めたものに由来するからだ。
「……裏か。ふむ、では早速見せてくれ」
「まず風呂に入ってこいアホ。そして服を着ろ」
それから一〇分、驚くべき速度でお湯を浴びた彼女はろくに乾かしていない髪のまま服を着た。黒のズボンに黒のシャツ、そしてその上から白衣を羽織っただけの適当さ加減に呆れはするが、下着姿よりは断然マシである。
時間が勿体ないとドライヤーではなく魔術で髪を乾かし、支度を調えた律は青年を急がせる。
「で、現物はどこに?」
「ここには持ってきていない。ここ、ペット禁止だろ」
「……ああ、動物なのか。なら仕方ない」
律の住むアパートはペットの飼育を禁止している。家賃はそこそこ高いため壁が薄かったりすることは無いのだが、律はペット可の物件に引っ越すべきか真剣に考え始めた。
倉庫にはバイクに乗って三〇分で着いた。閑静な住宅街の端っこにある小さな家を買い取って改造したものだ。
「……
青年がドアノブに手を触れて短い単語を唱えると、不思議なことにカチャリと開く。
この倉庫には裏案件に関連する物品が保管されているため、こうして魔術で鍵を掛けているのだ。
「律、くれぐれもケージは開くなよ?」
「分かっているとも。詳細が分からないモノを檻から放つ愚行なんて、するはずがないだろう?」
二人が向かったのはリビングだった部屋だ。カーテンは閉め切られ、隙間から覗く淡い光だけが部屋の中を照らしている。
幾重にも布で覆われた絵画、厳重に封がしてある木箱、不可思議な造形のオブジェクト、どの国の言語にも属さない数字が彫られている時計、曰く付きの人形、エトセトラエトセトラ……
その一角にプラスチック製のペット用キャリーが置かれている。
大きさは小型犬用と同サイズであり、この空間に置かれてさえいなければ一般的なものと変わりないだろう。
しかし、その中にいるのが問題だった。
「これは……猫かい?」
「厳密には猫のフリをしているナニカ、だ。微弱だが魔眼持ちだ」
「うわ、ほんとだ。しかもこれ魅了じゃないか」
「なんで合わせるんだアホ……」
視線を交わした相手を虜にする効果を持つ、魅了の魔眼。微弱な力しか宿っていないため簡単に振り払えるが、だとしても一般人にとっては害のあるものだ。
もし肉食獣がこれを持っていたのなら、一生獲物に困ることは無いだろう。
キャリーに入れられているのは、そんな魔眼を持った猫のような生物であった。
キジ白にそっくりな見た目で凜々しくも愛くるしいが、ほんのりと漂う裏の気配がその危険さを物語っている。
「一応、血統書はあったからブリーダーの元で生まれたんだろうが、既に亡くなっているから詳細が分からない」
「では誰が最初に見つけたんだい?」
「遺族だよ。自分達じゃ飼えないからと愛護団体に押し付けたらしい」
「ふむ――っと、ありがとう」
口で話すより読ませた方が早いと、青年はスマホを寄越した。
それによると、愛護団体に押し付けられたあとはその魔眼で周囲の人間を魅了し、他の動物が餓えるほど優先的に世話をされたようだ。その後、一人の職員によって盗み出され、窃盗罪で逮捕されたことで警察に知られることとなった。
コレはその後も魅了の魔眼を駆使して様々な人間に貢がせていたが、偶然にも青年の知り合い――魔術に多少の造詣がある警察官が魅了に抵抗、それから確保されたと書いてある。
「書類上は事故死として処分させた。ダミーも用意したから疑われることはないだろう」
「ふむふむなるほど。猫に関連する怪異というとキャスパリーグか猫又か、あるいはケット・シーぐらいしか思いつかないね」
「まあ、最新の怪異だろうからな。伝承はアテにならないだろう」
ニャアニャアと鳴く猫を無視して、二人は考察を進める。
「そう言えば、シェイプシフターがいたな」
ふと、律がそう零す。
シェイプシフターは様々な姿に変身する怪物の総称であり、その正体については一貫性がない。
「そうか、シェイプシフターか」
それを聞いて青年は納得した。
猫に関連する怪異には該当しないが、シェイプシフターならコレは十分に該当するからだ。
「しかし、怪異とは言え、ずっと倉庫に入れておくのもな」
「……律?」
「ああ安心したまえ。別に連れ出そうなんて考えていないよ。ただ、餓死したら勿体ないだろう?」
「それもそうか」
生き物が死ぬことを可哀想ではなく勿体ないと宣うのは、やはり根っからの研究者、魔術師だからだろう。
ルーンを修め、怪異を研究し、それを元に新たな魔術を開発する。そのついでに資金を集める姿は、同じ魔術師として羨ましいと思える。
青年も律と同じく魔術師だが、彼女のような生き方は出来ない。
まずそもそも、魔術師が現代で生きることは昔と比べて難しい。かつての魔女のように薬の専門家として頼られることも、かつての錬金術師のように国が求めることもない。
ハッキリ言うのなら、青年は無職だ。一応、探偵紛いの仕事をしてはいるが、安定した収入が得られるわけではないし、裏案件と思われる仕事が舞い込むことも無い。
事務所を構えるお金もないため、こうやって伝手を頼って研究したりしている。
「――ふむ、なるほど。幾つか仮説は生まれたので、あとは自室で研究するよ。コレの細胞が欲しいから眠らせてくれるかい?」
「ああ、分かった。水面に映る月、揺らめく陽炎、全ては遠い夢の中……
魔術に掛かり、倒れるように眠った仮称シェイプシフターをキャリーから取り出し、律は起こさないよう慎重に細胞を採取する。
毛を抜いて、爪を切って、採血する。口内の唾液を取ることも忘れずに。
五分ほどで採取を終えた律は、仮称シェイプシフターをキャリーに戻して、採取したモノをケースに仕舞った。
「よし、完了だ。結果はまた後日と言うことで」
最後に給餌器を満タンにして、二人は倉庫を出る。
魔術で鍵を掛けたら、バイクで律をアパートに送り届け、青年は自宅へ帰還した。
♢
それから二ヶ月が経った。
青年は相変わらず安定しない収入に不安を覚えつつ、倉庫の仮称シェイプシフターの給餌器を満タンにした。
それから近くのファストフード店で昼食を摂ろうと思った時、電話が掛かる。
通話相手は律だ。
「もしもし?」
『素晴らしい発見をしたんだ! 早く来てくれ!』
それだけ言って律は電話を切った。
律が興奮している時は大抵、本当に素晴らしい発見をしたか、途轍もなくヤバいことをしたかの二択である。そのため青年は急いで彼女のアパートに向かった。
インターホンを鳴らすと律はすぐに出てきた。
興奮冷め止まぬ様子の彼女は青年を急かし、鍵を掛ける間もなく奥へと連れて行く。
「……? だあれ?」
部屋に通されるとそこには、律そっくりの童女がいた。
「……!? ……? ……!?!!?」
思わず三度見した。
いったい誰の……と考えたとき、律が言う。
「この子は仮称シェイプシフターの細胞を培養した結果生まれた謎生物さ」
「待て、ちょっと待て意味が分からない」
矢継ぎ早に語ろうとする律を抑え、青年は頭を抱える。
怪異の研究をしたら生物が生まれた、などと理解に困る現実に彼の頭は混乱していた。
「ちなみに君の細胞も混ぜたから、遺伝子上は私と君の子どもだね」
「――ぶふっ!?」
追い打ちに更にとんでもない情報が追加された。
(怪異が? 培養されて? 細胞を混ぜたら? 遺伝子上の子どもが誕生した? 意味が分からない……っ!)
しゃがみ込み、どうすればいいか答えの見つからない疑問が脳内を駆け巡る。
錬金術に人造人間、通称ホムンクルスを生み出す魔術はあるが、この怪異はそれとは似て非なるものだ。
「――危険性は無いんだろうな?」
「変身能力と魔術を扱える素質以外は、これといって危険性は無いね。大人しい性格だし、ルーンによる催眠を掛けて一通り問い質したが、精神構造は人間と九割以上一致していることが判明したぐらいだ」
「……そうか」
言いたいことをぐっと呑み込み、一先ずは納得した。
青年は魔眼を防ぐための眼鏡を外して、その、遺伝子上の子どもと視線を合わせる。
親個体である仮称シェイプシフターが持っていた魅了の魔眼を継承していないことを確認し、ようやく溜息をついて床に座った。
「それで、名前は?」
「付けてないけど」
「付けろよ。戸籍登録しないと怪しまれるだろうが」
ここは法治国家である。どれだけ魔術を扱っていても、どれだけ裏案件と関わっていても、その大前提が覆ることは無い。
目の前の現実を受け入れた青年は、次にその現実を当たり前のモノとして周囲に受け入れさせる準備を始めた。
「知り合いが経営している病院があるから、とりあえず出産した体にするぞ」
「構わないとも」
「それと婚姻届も提出しないといけないが……苗字はどっちにするんだ?」
「君の方に統一してくれて構わない。伽藍に思い出があるわけじゃ無いからね」
うりうりと遺伝子上の子どもを構いながら、律はそう言った。
青年は知り合いを頼って根回しを行い、わずか一時間でこの遺伝子上の子どもの存在を法的に認めさせる準備を整えた。
あとは名前を付けて書類を提出するだけだ。
「――ぱぱっ!」
「ちが――いや合ってるのか……そうか、そうなるのか……」
思わず否定しかけたが、この遺伝子上の子どもは青年の娘となる。
ニヤニヤとした笑みを浮かべている律を見て、さてはぱぱと呼ぶように言ったな? と思いつつ、青年は娘を抱えてソファに座る。
「おや、拒否すると思ったのに」
「拒否したら現実が変わるわけじゃないだろう」
呆れるようにそう言って、青年はとりあえず、この娘との交流を可愛がることから始めた。
「そうか。名前なんだが、
「お前がいいと思うならいいんじゃないか? キラキラネームじゃないだけマシだ」
「ゆかり?」
あどけない表情で自分の名を繰り返す娘に温かな感情を抱きつつ、青年は手元のスマホで書類を書き上げた。
新たに戸籍登録された名前は、
これで、青年が拾った仮称シェイプシフターから始まった騒動は一旦終わる。
最初は猫のような怪異を拾っただけだというのに、隣に腰掛けて娘を愛でるコイツのせいで可笑しな自体になったなと思いながら、青年は引っ越し先を考え始めた。
現代魔術師と変身する猫 こ〜りん @Slime_Colin
★で称える
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