第27話 人は如何にして修羅に堕ちるのか

 男は2つの墓の前に跪き、手を合わせていた。

 墓に刻まれた名は、男の妻と娘である。

 男は目を深く瞑り、静かに祈りを捧げていた。




 ――その男はかつて、恐怖の大王によって崩壊したアサクサに家族3人で暮らしていた。

 彼もまたアサクサの復興を願う1人だった。

 しかし、幾度待てども復興の資金が降りることは無かった。むしろ財源の全てを神異の研究、解明に当て日本の発展のみに国は力を入れていたのである


 だが、それでも男は強く生きようと決めていた。ここ人情の街アサクサで。

 男は仲間に協力を募り、廃材を用いて小さなアパートを改修した。

 かつて建築業を営んでいたた男は、自らが主体となって改修作業に勤しんだ。

 不格好ながらも力を合わせて作り上げたアパートは、立派佇まいをしていた。


 男の妻は感動に涙を流し、娘は彼に力強く抱きつく。

 彼の仲間たちもその光景を見て、誇らしげな表情を浮かべていた。


 そして男は家族とともに、質素ながらも仲睦まじくそのアパートで暮らし始めた。


 だが、改修したアパートには懸念点が1つあった。

 アパートの向かい側にある支柱剥き出しのビルだ。

 ボロボロのビルは、崩れる方向によってアパートを巻き込みかねない。


 男はそのビルを何とか解体するように国へ嘆願していた。

 最初はアサクサ出身というだけで、理由なく門前払いをくらった。

 だが、そんな逆境にも諦めず、男は何度も何度も足繁く頼み込んだ。

 するとその行動が身を結んだのか、復興派閥の政治家、瑞木ずいきの目に彼が止まったのだ。


 男は瑞木に願いを伝える。瑞木もまた、アサクサを何とか復興し、果ては第2の発展地域にしたいと、男の願い以上の理想を語った。

 話し合いの末、2人は固い握手と抱擁を交わしたのだ。


 それからというもの2人は共に決起し、他方に頭を下げ回る日々か続いた。

 心無い言葉、無下にされる願い……苦難の連続だった。

 だが、2人は諦めなかった。どんなに苦しい状況でも2人は笑いながら、互いの理想のために奮闘した。


 活動から数ヶ月たったある日、男と瑞木を祝福するように吉報が舞い込んだ。

 それはビル解体の資金援助と、アサクサの整地の決定だった。


 男の熱量、瑞木の手腕も相まって漕ぎ着けたこの結果に、2人は涙を流しながら喜んだ。


 その日は歴史的な大雨が降っていた。

 しかし、男の心は晴れ晴れとしていた。彼はこの日をアサクサの記念日にするべき、とさえ思っていた。

 早く家族に会いたい。家族に会って良い報告を聞かせてあげたい。

 無意識に浮き足立つ足取りは、彼の感情の昂りを表していた。



 しかし彼が家族に吉報を伝えることは無かった。



 ビルの解体が決まったことを嘲笑うかの様に、アパート前のビルが倒壊したのである。



 アパートはその残骸に潰され、見る影も無かった。

 その場所に暮らしていた人々は男を残して全員が即死。

 その中には、男の帰りを今か今かと待ち望む妻と娘も含まれていた。


 後日、男は倒壊理由を説明された。

 歴史的な大雨による地盤沈下。何か他の要因も説明された気がするが、男の耳には何一つ入らなかった。俺はお前に最期の依頼をしにきた。全てがどうでもよくなってしまったのだ。

 国から降りたほんの少しの賠償金も、彼には使う気が起きず、その日のうちに燃やし尽くしてしまった。


 もういい、死のう、死んでしまえば妻と娘にも会える。


 男は本気でそう思った。

 最愛の家族がいない世界に未練など無い。彼は未来に居場所を感じられなかった。


 せめて死ぬなら、家族と同じ場所で。


 男の足は死に場所へと歩みを進める。

 彼がアパートの跡地へ行くと、そこには見知った顔がいた。


 それは彼に助力した政治家、瑞木その人だった。

 瑞木は作業着を着た男と会話をしている。


「瑞木さん、今更ですけど本当に爆破してよろしかったんですかい?

 私は貴方からたんまり、お金が貰えたんで後悔は無いんですけどね?

 なんか、巻き込まれたアパートに住んでた人と、約束があったんでしょ?」


「彼には悪いと思うが、発展派閥に加わるためにも後腐れは残しておきたくなかったんだよ。

 我ながら自分の手腕が怖いね。まさか、あのお堅い発展派閥を押さえ込んで、解体の資金を獲得出来るとは。

 ただ、あの男もタイミングが悪い。まさか資金が下りた日と、俺が依頼した爆破予定日が重なるとは。

 解体決定の話を彼にした時は胸が苦しかったよ。

 ……!!

 爆破予定時刻が決まってるのに、凄い嬉しそうな顔で何度も俺に頭を下げるんだ。

 笑わない方が難しいだろう?

 しかも天さえも俺に味方をしてくれたんだ!嘘の理由付けでも整合性が取れないと大変だからなぁ。

 丁度良く降ってくれた雨のおかげで、地盤沈下っていうアリバイが出来てしまった。

 いいか?この状況はなぁ、


「瑞木さんも人が悪いですなぁ。運も実力のうち、とは言いますが瑞木さんは神にも愛されているんじゃないですか?

 まぁ、所詮アサクサの人間がいくら死のうがニュースにもならないか。

 小さい女の子もいたんでしょ?頼むから恨まないでくれよ〜。くわばらくわばら」


 作業着の男がおどけたようにアパート跡に向かって手を合わせた。

 その横でタバコを吸っていた葛木は、吸殻をそこに投げつける。


「ちょっと催してきたなぁ?小便でもぶっかけるかぁ?

 ちょうどタバコの火もあるし、消火だ消火」


「ちょっとー、瑞木さぁん。さっき手を合わせたばかりなんですよぉー?

 あっ、瑞木さんのせいで私も……いいや、出しちゃえ」


 2人の男は、その下衆な内面を表した様な、品のない金色の液体をばらまいた。悪びれる様子も、隠す様子もなく大きな笑い声をあげながら。


 男は我慢の限界など、疾うに通り越していた。

 彼の脳は煮えたぎり沸騰する。肉体は怒りに震え、湯気を放つほど発熱していた。


 男は瓦礫の中に混ざっていた鋸を手に取る。

 奇跡か、はたまた偶然か。奇しくもその鋸は、彼の建築業時代に妻と娘から送られた物だった。


 男は駆け出した。全身の神経が細胞単位に命令する。目の前の仇を殺せと。


「……?瑞木さんっ!?あ、あれ!!」


「なんだ、大きな声をあげて。なっ!?何をお前はっ!!」


 男の仇討ちは恐ろしほど一瞬だった。


 雲の無い月夜に、血飛沫が舞う。

 ゴトリと音を立て、2つの生首は月光に晒された。


 熱に溶けた脳のせいか、それとも産まれながらのギフトか。

 どちらにせよ、男には人殺しの才能があったのだ。


 刃が欠け、ヒビの入った鋸を使い、人間2人の首と胴体を切り離す。その切り口も一切の傷が無く、美しい人体の断面図をえがいている。


 手に持つ鋸は、役目を終え満足したのか、男の手の中で砕け散る

 その光景を見ると男は、その目に涙を浮かべ、遠吠えの如く月夜に吠えたのだった。




 ――数十秒間の合掌を終えると、男は立ち上がり、墓にきびすを返した。

 それを待っていたかのように1人の男が、彼に声をかける。


「断頭台。久しぶりだな。邪魔したか?」


「……津田か。仕事はこなしているんだ。

 妻と娘に祈りを捧げることくらい文句はないだろう?」


 その男は、カフェ・てらすに世直し断頭台の処分を命じた公安部所属、津田キッペイその人だった。


「文句も何も無いね。亡くなった者への祈りの時間にケチ付けるほど落ちぶれちゃいない。

 ひとつ労いの言葉でもかけようと思ってな。

 彼誰かわたれ灯火ともしびのメンバー、ナポリタンの処分、相変わらず見事な腕前だ。

 あの、野々村ののむらミヤビでさえお前を止められんとは」


「野々村……あぁ、あの女か。純粋な技量なら俺に軍配が上がるが、奴が神異を使っていたら話は別だっただろう。

 俺が言えた義理じゃないが、津田よ。貴様も相当な外道だな。

 警察はもう3年も俺を追っている。

 その3年間……貴様は俺を使って政治家や警察官を殺している。

 心は痛まないのか?」


「珍しくお喋りだな。いい事でもあったのか?」


 キッペイはサングラスを少し下げ、鋭い眼光を世直し断頭台に向けた。


「貴様の顔を見ると虫唾が走ってな。文句のひとつも言いたくなる。

 そうだ、3年前に俺を捕まえたのは貴様と……民間の神異使いがもう1人いたな。奴はいきてるのか?」


「あぁ、まだ交流はある。だが、アイツは未だ理想論にしがみついている。

 民間という“不殺”の枷を背負ってな。」


「相も変わらず、聖人君主にでもなるつもりなのか?奴は狂っているな。

 使える者は使い、大義の為なら殺人もいとわない。

 人でなしと揶揄されても、それを実行する貴様の方が余程人間らしい」


「賞賛の言葉と受け取っておくよ。こっちからも1つ質問いいか?」


「なんだ」


「断頭台。お前はまだ大義のために戦えるのか?」


「大義か……。なぁ、津田よ。

 俺は家族を国に殺された後、自らに“世直し”という大義を掲げ、人を斬ってきた。

 自国完全完結党の殺戮が最たる例だ。俺はこの国に虐げられた人々の為に戦った。

 きっかけは妻と、娘の復讐とは言え、2度目の人生に俺はもう疲れた。

 誰を斬っても、何をしても、何一つ変わらない。首がすげ変わるだけだ。

 世直し断頭台などと持て囃されたが、世を正すことの出来ない処刑人に価値は無いだろう?

 ……俺はもう、妻と娘に会いたい」


「そうか、やはりな」


「その口ぶりだと、気付いていたのか?」


「俺だって人間だよ。3年も連れ沿えば大罪人だろうと、それなりの情は湧く。

 何より、奥さんと娘さんのことは本当に残念に思っている。

 俺が始末するべき人間の餌食になっちまったんだからな」


 世直し断頭台は、キッペイの反応に少し驚いた。

 彼はキッペイに、道具のように扱われていると感じていたからだ。


「何よりお前ほどの実力者が、服に発振器を付けた所ですぐ気付くだろう?

 いや、気づいた上でアサクサまで戻ったのか。

 死に場所を探してたんだな」


「……まぁ、そういうことだ」


 世直し断頭台は、全てを見抜かれた気恥しさに、キッペイから視線を逸らした。その目線には妻と娘の墓があった。


「断頭台。お前に吉報だ。お前の処分が決定した」


「……津田、貴様が俺の断頭台か?」


「いや、俺じゃない。お前を捕まえたもう1人の男、正汽まさきコウタロウが立ち上げた民間に依頼した」


「なるほど、昨日の荒っぽい太刀筋の男か。奴は筋が良い。

 俺が手を抜けば、奴は俺を殺せるな」


「断頭台。俺がここに来た目的は、お前に下す最期の命令の為だ」


「ほう?」


「全力で戦え。返り討ちにしても構わない。

 不本意とは言え、人斬りの人生をお前は選んだ。

 最期まで人斬りを貫いて、奥さんと娘さんに顔向けしてこい」


 世直し断頭台はその目に一瞬、光を宿す。

 彼の燃え尽きた心にひとつの小さな火が着火した。


「随分とお優しいんだな。津田キッペイという男は」


「よせやい。そういうの柄じゃないんだよ。

 俺はただ、切れる刀にヒビが入ったんで棄てるだけさ。

 ほら、スマートフォンに決闘の場所送ったから。

 最期に一勝負してこい」


 世直し断頭台は送られた位置情報に思わず笑みを浮かべる。

 風が吹けば一瞬で消えてしまうその灯火を頼りに、世直し断頭台は死に場所へとゆらりゆらりと無音で歩き出した。

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