第25話 蕎麦

「いやぁーイクミちゃんおっきくなったねぇ!」


「アタシもう17だよっ!?子供扱いしないでよー」


「オレからしたらイクミちゃんは何時だって小さい頃のまんまだよっ!」


「もうおじさんったら!!」


「そこのスーツのイカしたニイさんも!3つ星レストランにゃ敵わないかもしれねぇが、腕と気持ちを込めて作るからよぉ!待っててくれや!!」


 イクミがヒトナリを連れてきた場所は彼女の馴染みの蕎麦屋だった。

 調子の良い男性は、イクミの姿を見ると機嫌よく厨房の中に入っていった。

 ヒトナリはこの街の温かい雰囲気が好きになっていた。


「経済格差あれど、アサクサも物資は行き届いてんだな」


「昔ほど治安も悪く無くなってるみたいだしね。

 ここの店、アタシがお腹空かせてる時よく食べさせてくれてさ。

 おじさんにはホント感謝してもしきれない」


「なら、今日は金を払って恩を返さないとな」


「当たり前だっての!」


「へい!天ぷら蕎麦2丁!おふたりさんお待たせしましたっと!」


「待ってました!」


「イクミちゃんが久しぶりに来たもんで、ちょいと天ぷらサービスしちゃったよ!」


「もぉー!そういうのいいってば!でも、ありがと!」


「さっ!暖かいうちにどうぞ!ほれ、ニイさんもっ!」


「ありがとうございます。頂きます」


 ヒトナリはまずスープに口をつける。

 すると濃厚な鰹の風味がヒトナリの鼻腔を抜けた。

 食欲を誘うその香りに思わず汁をすすってしまう。

 少し塩分過多のしょっぱいスープも慣れない場所を探索し、疲弊したヒトナリには丁度良い旨味だった。


 一方イクミは麺を口いっぱいに啜った。

 ズルズルと子気味良い音を立てる麺は、コシがしっかりとあり食べ応え満点だ。


『美味いっ!』


 2人は口を揃え、蕎麦の味を賞賛した。


「お口にあったようで何よりでさぁ!ささっドンドン食べてくだせぇ」


 2人の箸は止まる気配を見せない。麺を、汁を互いに好きなタイミングで好きなだけ頬張る。

 また、透き通る汁の上を堂々と陣取るかき揚げが絶品なのだ。


 ごぼう、人参、玉ねぎに三つ葉。その全ての具材が豪快にまとめられている。

 一件、大味に見えるそれも、汁によって程よい塩味をつけており、大きくかみ締めることによって口の中で奇跡的なハーモーニーを起こすのだ。

 ヒトナリは思った。雑に刻まれた具材を寄せ集めた天ぷらは正義だと。


「親父さん、これめちゃくちゃ美味いですよ!」


「でしょ!おじさんの蕎麦絶品なんだって!!」


「寄せない!そんなに褒めらても……何だそうかなぁ!」


 2人のリアクションに店主もノリノリである。

 ヒトナリとイクミは汁まで飲み干し、絶妙な満腹感を味わっていた。


「イクミちゃん、お金はいいってば!」


「私の気持ちだから受け取ってっ!!恩返しだと思ってさ……」


「恩も何も……いや、これもイクミちゃんの成長か。

 イクミちゃん、このお金は有難く受け取らせて頂きますっ!!」


「うむ、くるしゅうないー!!」


 店主は深々と頭を下げ、イクミから金銭を受け取り店の奥へ入っていった。


「ちょっとは恩返しが出来たんじゃねぇのか?」


「まぁね。あの依頼がなきゃ、アサクサなんてなかなか来ることもないし。

 そういう意味では良い機会なのかな」


「俺も気に入ったよ。……連れてきてくれてありがとな」


「よせやいっ!……まぁ、悪い気はしないけどね」


 2人は満腹感に幸福を感じていると、1人の男が店に入ってきた。

 男は擦り切れた着物を身にまとい、帯刀していた。

 年齢は30代後半から40代前半といったところだ。

 その風貌はアサクサ内でも浮き立っており、店主も彼を見て一瞬硬直した。


「店主……」


「へ、へぇ!ご注文はお決まりましたか?」


「山菜蕎麦を頼む」


「分かりやした。少々お待ちください」


 男は波ひとつ無い水面の様な男だった。

 動きが五月蝿いという言葉があるように、所作ひとつをとっても人には個性がある。

 だが、この男は音がしないのだ。何一つ動作が読めないのだ。


「山菜蕎麦、お待たせ致しました。ごゆっくりぃ〜」


 ヒトナリは店主の『気味の悪い男だ』という言葉を聞き逃さなかった。

 彼もまたこの無音の男に不気味さを感じていたのだ。

 なにせ蕎麦を啜る音さえ聞こえない。

 ヒトナリは彼の不可解さ故に、この男に声をかけたくなった。


「ここの蕎麦美味くないか?なぁ手前ェもそう思うだろ」


「俺に話しかけているのか?」


「ちょっ、ヒトナリ!」


「イクミ、大丈夫だ。……ちょっと話を聞きたかったんだが、それよりも手前ェが気になっちまって。

 名前、聞いてもいいか?」


「名乗る名は無い」


「冷たいこと言うなよ。アンタの動きがあまりにも静かでビックリしちまった。正直、不気味だぜ?」


「俺はそんなに不気味か?」


「あぁ……まるで夜道に後ろから刺してくる暗殺者みたいだ。

 刀も持ってるしなぁ」


「随分具体的だが……俺に怨みでもあるのか?

 それに刀は貴様も持っているだろう?」


「ヒトナリ、今のアンタすごい失礼。

 ごめんなさい。アタシたちもう出るから、気にせず食べて。蕎麦だし伸びると美味しくないよ」


 イクミがヒトナリを静止すると、男は一度イクミに会釈をした。

 イクミはヒトナリを引っ張って店の外へ無理矢理連れ出そうとする。

 だが、ヒトナリはそれに応じなかった。


「手前ェ……“世直し断頭台”だな?」


「……だったら?」


 その瞬間、金属音のぶつかる音がスラム街中に響いた。

 ヒトナリは黒刀で男に斬りかかっており、男もまたヒトナリに斬りかかっていた。

 互いの動作は重なり合い、結果衝突する。


「俺ァ、運がいいぜェ!!美味い蕎麦もありつけて、世直し断頭台も見つけちまうんだからなァァァァ!!」


「なら、俺は運が悪いな。まだ蕎麦を全て食っていないのだから」


 1度目の鍔迫り合いが終わった途端、直ぐに2度目、3度目と互いの刀はぶつかり合う。

 余りの衝撃に大気は震え、刀は火花を散らす。

 蕎麦屋の店主は文句をグッと堪え、足早に退散し、スラム街の人々も皆巻き込まれまいとそそくさと戦いの場から逃げて始めるた。


「イクミィ!ちょっと離れてろ!!コイツっ!予想以上に強ェッ!!」


「どうした?まだ話す余裕があるのか。なら、もう少し速くしてもいいな?食べ物の怨みは恐ろしいぞ」


 世直し断頭台の刀は更に速度を増してヒトナリに襲いかかる。

 ヒトナリは必死にその攻撃に食らいつくが、徐々に押されていった。


「これは、じゃない。だろう?

 意識するのは刀だけじゃない」


「何っ!?」


 世直し断頭台の鋭い蹴りが、ヒトナリの体を店外へ吹き飛ばす。

 ヒトナリはぐるぐると回転し、受け身を取り、次の攻撃へ備えた。

 対照的に世直し断頭台はゆっくりと歩いて、蕎麦屋から出てくる。

 その手には先程食べることの出来なかった蕎麦を持っている。

 世直し断頭台はヒトナリを見下しながら、蕎麦を1口ズルリと啜った。


「……うむ。貴様の言う通り、ここの蕎麦は美味いな。

 店主には悪いことをした」


「ジュルジュルジュルジュルと……随分余裕じゃねぇか!!」


「事実だからな。坊主、俺は無駄な殺生は好まん。

 今なら逃げても追いはしないぞ」


「悪ィなァ!未だ坊主なもんでよォ!オッサンの助言は耳に入んねェんだわァ!!」


 ヒトナリは殺意を向けながら刀を振るう。

 一方の世直し断頭台はするりするりとその攻撃を紙一重で躱した。

 その姿は、先の春夏冬ケンとの戦いで、先の先の先を読んだヒトナリと重なった。


「どうした。殺気ばかり放っても当たらなきゃ意味無いぞ」


「言ってくれるねェ!こっちのイメージじゃ、アンタのことを何度もぶった斬ってるンだがなァ!!」


「妄想は脳内に留めておけ。お前の読みは……精々“先の先の先”と言ったところか」


「がッ!?」


「悪いが俺は……お前の“先の先の先の先”を読んでいる」


 左手に走った突然の痛みに、ヒトナリは思わず顔しかめる。

 あまりにも一瞬の出来事に、彼は何が起きたか分からなかった。

 左腕に残る痛みと痺れだけが、攻撃を受けたことを知覚できる唯一の証拠だった。


「やっと神異を出しやがったか……!!」


 ヒトナリは能力の予測を立てる。

 神体強化、刀自体が神異、それとも遠距離攻撃か。経験によるパターンを幾つか絞り出す。

 だが、彼の予測は次の瞬間打ち破られることとなる。


「俺に神異は無い。

 今の攻撃が神異に見えたとしたらそれは……貴様が俺の速度に付いてこれていないだけだ」


「なん……だとっ……!?」


「確かめてみるか?」


 世直し断頭台の言葉の通り、彼の剣速は凄まじいものだった。

 それは戦いではなく、一方的な暴力だった。

 ヒトナリは致命の一撃だけに意識を向け、暴風雨の様な荒れ狂う連撃を受ける。


「俺もまだまだだな。

 急所を狙った攻撃は勘づかれている……。

 まだまだ殺意の殺し方が甘いようだ」


「ハァハァ……褒め言葉として受け取ってやるよォ!」


 浅いとは言え、ヒトナリの身体には無数の切り傷が付けられている。

 出血によりじわりじわりと体力が削られ、肉体が悲鳴を上げる。

 ヒトナリは姿勢を低くし、刀を両手で構え、最高速度で世直し断頭台に斬りかかった。


「また正面……いや、“肉を斬らせて骨を断つ”だな?」


「なっ!?」


 世直し断頭台の一撃によって上手く動かない左腕を犠牲にし、相手の攻撃を受け、至近距離から一撃を与える。

 これがヒトナリの狙いだった。

 しかし、世直し断頭台はそれすらも予想の範疇。

 彼が取る選択肢は、迎撃ではなく回避だった。


 世直し断頭台は、するりとヒトナリの攻撃を避け、手に持つ空のどんぶりを顔目掛けて投げつける。

 ヒトナリは反射神経の良さ故に、その丼に意識が割かれた。


「なっ!?」


 顔の高さにある丼を斬ったヒトナリの胴体はガラ空きだった。


「南無三……」


 ヒトナリの腹部に世直し断頭台は一撃を浴びせる。

 ミシミシと骨が軋む音が、彼の体内で反響した。


「ぐぅぅぅ!?」


「俺は血が嫌いなんだ。悪戯いたずらに傷つけたくはない。

 だが、貴様の様な奴は斬られんと分からんのだろう?

 なら、斬られるより重く痛い一撃を浴びせるだけだ」


 ヒトナリは背を地面に付けまいと、必死に踏ん張る。

 だが、腹部の打撃はとてつもない質量を持っており、今なおヒトナリの意識を吹き飛ばさんとしていた。


「ふぅ……ふぅ……ウォェッ!?」


 痛みに血の気が引き、吐き気を催す。

 痛みと吐き気が繰り返し襲いかかる脳は、逆にクリアになっていた。

 そして、ヒトナリに1つの妙案が浮かぶ。


「やめだ……」


「なんだ。逃げるのか?今更、刃を下ろすのか?

 貴様は馬鹿だな。もっと早くに刀を納めて入れば、その痛みと不快感を味うことは無かったのに」


「ハァハァ……違うわボケ。って言ってんだ。

 認めるよ、手前ェは強い。俺より強い。今の俺がいくら粘ったところでなぶり殺しにされるだけだ」


「実力さを認めることは成長の1歩と言える。

 だが、差がありすぎても成長を自覚する前に死んでしまう。

 今の俺と貴様だな」


「御託は良い……さっさと終わらせようぜ。

 俺はもう峰は使わねェ……」


 ヒトナリは刀を持ち替え、刃を相手に向けた。


「ヒトナリっ!アタシたちの目的は確保だってばっ!!」


 イクミはその行動に堪らず口を挟んだ。

 彼女も世直し断頭台を確保しようと、物陰から隙を疑っていた。だが、彼には一切隙が無い。

 まるで全方位に目がついているのでは、と錯覚するほどに見られていたのだ。

 イクミが動こうとすれば、世直し断頭台は凄まじい圧を放つ。

 彼女は戦いに入ることすら出来なかった。


「イクミ、悪いな……!!“処分”の意味がようやく分かったよ。

“確保”なんて生半可な気持ちじゃ、コイツは倒さねェ……!!」


「そんなっ……!?」


 ヒトナリの姿に当てられたのか、世直し断頭台もまた刃を彼に向ける。


「ほう……この俺に抜刀で挑むのか。貴様がその覚悟なら、俺も容赦はしない」


 世直し断頭台の枷が外れる。昏倒ではなく、殺害。

 彼が刀の向きを変えた一瞬、凄まじい寒気がヒトナリとイクミを襲った。

 世に人殺しの神がいるのなら、刀の向き1つで空気を変えるこの男は、間違いなく愛されている。


 ヒトナリは納刀し、全神経を目の前の強敵に注ぎ込む。ヒトナリが構えに入った途端、彼は凄まじい威圧感を放った。


 ヒトナリの納刀が“動”とすれば、世直し断頭台は“静”だった。

 目の前にいるはずなのに、存在そのものが希薄になる。


 2人だけの時間が始まる。

 5秒、10秒、15秒。未だ互いに動く気配が無い。

 しかし時が流れるにつれ、ヒトナリの額には濁流の様に汗が流れる始める。




 ――最初の一雫が地面にポタリと落ちた。


「南無三……」


「がはぁぁっっ!?」


 勝負は一瞬だった。

 先に動いたのはヒトナリ。

 彼は完璧な脱力とタイミングで抜かれた刀は世直し断頭台の首を確実に捉えていた。


 だが、その刃ほ届かなかった。

 理由は単純かつ明快だ。


 世直し断頭台が速過ぎたのだ。


 後から動いたにも関わらず、その凄まじい剣速でヒトナリを斬り倒したのだ。


 肩から腰にかけての一閃は、ヒトナリの身体から線香花火の様に血液を飛び散らした。

 ヒトナリは地面を背につけ、ピクリとも動かない。


「見た目ほど深くは斬っていない。直ぐに医者にいけば助かるだろう。

 女、連れてけ」


 世直し断頭台はイクミに命令する。


「……アタシは斬らないのか?」


 先程ヒトナリが斬られたにも関わらず、イクミは強気な姿勢を見せた。

 彼女の精神の精一杯の抵抗。

 無理にでも強気にならなければ、その場でへたりこんでしまう。

 イクミにはそうなってしまう自分が堪らなく恐ろしかった。


「あぁ斬らん。俺が蕎麦を食おうとした時、貴様はこの馬鹿な男に注意したからな。その恩だ」


「……くっ!」


 イクミはヒトナリの身体を重そうに抱え、そそくさとその場から離れる。

 世直し断頭台は、彼女の姿が見えなくなるまでその背を見つめていた。

 背を向け立ち去ろうとした時、彼は小さな違和感に築いた。


「ん……?なるほど。奴め、


 彼の言葉通り、着物の袖に一閃の切り傷がついている。

 それを見た世直し断頭台は鉄面皮に笑みを浮かべた。

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