第13話 英雄爆誕

 時刻は22時を回った。

 イクミとヒトナリは住所に記載された部屋の目の前に立っている。

 扉の先にはターゲットの男、春夏冬ケンが待っている。


「作戦の最終確認だ。まず俺1人が春夏冬ケンに招かれる。

 扉が完全に閉まらないよう留め具で隙間をつくっておく。

 その隙にイクミは気配を消して侵入しろ。

 合図があるまで風呂場とかトイレとか、隠れられそうな場所で待機してくれ」


「了解……ヒトナリさん、まだ臭い取れてない」


「お前のせいなんだから文句を言うな」


 ヒトナリは声を荒らげたい気持ちを抑えつつ、イクミに怒りを露わにする。

 イクミは笑いを堪えるのに必死だ。


「集中しろ……いくぞ」


 ヒトナリは意を決してインターホンを鳴らす。

 おそらく内側からカメラで見られているだろう。

 映像越しに舐め回される様な数秒間に、ヒトナリはイクミがカメラに写っていないことを祈るだけだった


『どうぞ中へ』


 その言葉に合わせ、ドアのロックが解消された。

 ヒトナリは無言で扉を開けた。

 彼の目の前にケンは立っていない。


「イクミ……風呂場がある。待機してろ」


「はいよ」


 2人は小声でやり取りをし、各々の行動に移る。

 ヒトナリはケンの方へ、イクミは風呂場に音を立てず待機する。

 元警官の自分が、こうも犯罪まがいのことをするとは。

 ヒトナリは自分の思考に自嘲気味な笑みを浮かべた。


 奥へ進むと高級なスーツに身を包んだ春夏冬ケンがワイングラスを片手に夜景を眺めていた。スマートフォンに搭載されたカメラ機能を使い、適当に写真を撮影したとしてもその1枚はとても映えたものになるだろう。

 ケンは絵になる人間だった。


「お招き頂きありがとうございます」


「ふふっ……そう畏まらなくても。1杯どうです?」


 彼はワイングラスに血のように真っ赤な液体を注いだ。


「いえ、ワインは不得手でして」


「それはそれは。今まで口に合うワインに出会ったことがないのでしょう。

 こちらは飲みやすいですよ。1口だけでも」


 ヒトナリは罠を警戒し、1口でさえ拒もうとする。

 だが、飛び込むことでしか得られない情報のため、それを受け取る。

 ハイリスク・ハイリターン。鬼が出るか蛇が出るか。

 ヒトナリは天命に任せ、液体をグビリと喉を鳴らし飲み込んだ。


「ふふふ、良い飲みっぷりだ」


「……ふぅ。ご馳走様でした。とても美味いと思います」


「それは良かった。僕のお気に入りでね。貴方にも気に入って貰えると思ったよ。ヒトナリさん」


「これはこれはご丁寧に。名前も覚えて頂けましたか。

 ところで、自分を呼んだ理由はなんなんです?」


「松島サナエは僕が殺した。この時、この場所で」


「あ?」


 ケンの言葉はあまりにも素直だった。

 悪びれる様子も無く、かと言って反省する様子もない。

 ただ、殺すことが当たり前であるかのような口ぶりだ。


「……本人からの言質が取れて良かったぜ。

 一応聞くがなんで殺した」


 ヒトナリは録音機を出して見せつける。

 しかし、ケンには動揺が見えない。


「元々女性を屈服させることが好きでね。

 気に入った女性なら命まで欲しくなるのさ。

 録音は構わないよ。君は曲がりなりにも元警官だ。それくらいの知恵が働く事も把握済み。

 僕も昔刑事ドラマで似たようなことをしたよ」


 やはりバレていた。それも最悪のバレ方で。

 ケンはヒトナリが元警察関係者だと言うことを知っている。

 対神課は能力の秘匿性故に、退職から1年後に記録が抹消される。

 しかし、退職したばかりの元対神課の情報を、何の関係もない男が知っているということは警察内部の情報を漏れているということだ。

 つまり、警察内に裏切り者がいるということだ。

 ミヤビの予想通り、上層部は何かと繋がっている。


「……狂ってんな手前ェ」


「モテない男のひがみにしか聞こえないな。

 ところで『なぜ呼び出したか』だったかな?」


 ケンの雰囲気が変わる。危険な男との認識はヒトナリにもあった。だがそれは、人間の力の範囲での話。

 今のケンは人間の力を超越した何かを手にしているを。

 ヒトナリが今まで戦ってきた経験は全力で彼にそう伝えた。


「神異は使えないんじゃあないのかァ?」


「僕は神異が無いことがコンプレックスだった。

 だが、それさえも克服できる。

 運さえ味方に付けるとは我ながら末恐ろしいよ」


 確信を得たヒトナリは直ぐに腰の刀へ手を添えようとした。


「どうしたんだい?まるで刀を抜くような動作じゃないか。

 僕は時代劇にも出演したことがある。だから分かるんだ。

 でも?」


 そう、ヒトナリの武器は警察を退職する際全て返却されている。

 今の彼は丸腰だった。


「……あー、やっちまった。

 刀、もう無いんだよな」


「君は神異も使えないらしいね。どうやって対神課に所属出来たんだ?

 今後の芝居の参考にしたいな」


「そりゃ簡単、神異使いより強ェからだよ」


 ヒトナリの構えに合わせ、ケンもまた攻撃の構えに入る。

 先に動いたのはヒトナリだった。

 姿勢を低くし一気に近づく。ヒトナリに上半身を使う攻撃は当たらない。

 気をつけるべきは蹴りだ。


「オラァ!!」


 勢いよく飛び上がり、空中で繰り出された回し蹴りをケンに浴びせる。

 しかしケンは左手でその攻撃を防いだ。成人男性の重力の乗った蹴りを意図も容易く受け止めた彼の体は、強靭という言葉が良く似合うだろう。


「なかなかに思い蹴りだ。だが人の域は出ていない。本当の蹴りを見せてあげよう。

 ……神異降身かむいこうじん


 神異をその身に降ろす言葉により、彼の肉体は肥大化していく。

 所謂パンプアップの様に筋肉は大きくなり、スーツが弾け飛ぶ。

 中から出現した彼の肉体は、ギリシャ神話に描かれる英雄のように美的かつ実用的な形をしていた。


「――“祝福されし肉体イリアス”」


 彼の体躯は、元より大きい体が更に大きくなっていた。

 その大きさ2m。

 均整の取れた肉体もプロレスラーが裸足で逃げ出す程に筋力を増している。

 まるではち切れんばかりの風船の様だ。


「僕の神異に特殊な力なんてない。身体能力の大幅な上昇だけだ。

 どうだい?君が今まで戦ってきた神異使いと比べて地味だろう?」


「シンプルで地味な能力が1番厄介なんだよ。嫌がらせかァ?」


「じゃあそのをさせてもらおうか!」


 ケンは体格に見合わない身軽さで、片足で地面を跳ねる。

 独特すぎるモーションに、ヒトナリは未だ攻撃の予測が立てられなかった。


「けんっ……けんっ……けんっ……」


「何をぶつくさ言ってやがる」


 ケンはヒトナリの言葉など意に介さず、独り言を続けている。

 不気味なまでに一定の間隔で放たれる「けんっ……けんっ……」という謎の言葉に意味を見出すことは出来ない。

 すると、彼は自身の発する「けんっ」に合わせて思い切り地面を踏み込んだ。


「速ッ!?」


 間合いを詰められたヒトナリは、半身になり人中を守ろうとする。


ケンッ!」


「がぁっ!?」


 ケンから繰り出された拳から身を守るように構えた左腕はあらぬ方向へねじ曲がる。

 あまりにも一瞬の出来事に、ヒトナリの脳は痛みを知覚出来ない。

 だが直感的に右腕が折れたと確信したヒトナリは、次の攻撃に備え、体の右側を前に出し残った右腕でガードを作った。


「拳ッ!」


「ぐぁッ!!」


 容赦の無い二激目もまた、ヒトナリの人体破壊する。しかし先程とは違い、右手の手刀で攻撃真下に弾いた。

 しかしそれでもノーダメージとはいかないかった。

 小指は折れ、中指にはヒビが入る。

 ケンとの戦闘が始まり、僅か10秒でヒトナリの両手は甚大な被害を受けてしまった。


 だが、目の前の英雄アキレスは止まらない。既に三激目のモーションに入っていた。

 両拳を縦に連なる様に構えたその行動は、ヒトナリに全力の危険信号を放った。


ァァッ!!」


「ぐぬぅぅッ!!」


 とてつもない速度で繰り出されたケンの両拳から放たれる拳撃にヒトナリは玄関を破壊して吹っ飛ぶ。

 その攻撃はヒトナリの胸を穿いたかと思われた。

 しかし、ヒトナリは威力を受けきれないと分かった上で体を後ろに後退させたのだ。

 結果、ケンの攻撃は肋骨にヒビは入れたものの、ヒトナリの命に至らない。


「……深く入らなかったな。上手く避けたのか。世界最速の拳なんだけどな」


 ケンの言葉に返答は無い。

 ヒトナリは未だ廊下に突っ伏している。意識はあるもののケンの攻撃を反芻はんすうしていた。


(なんつー威力だクソッタレ!まだ武器を生成する神異の方が戦いやすいってのォ……。

 殺気が強い分反応出来るんだが、肉体攻撃には殺気があまり乗らねぇ……。

 だからシンプルな能力は嫌なんだ)


 心で悪態を着きながらも、自分の体のまだ動く部位を探る。

 左腕は肘から下が折れて動かない。右腕は動くが、小指と中指が使い物にならない。肋骨は痛むが動ける範疇。

 脚に損傷は無い。

 肉体の情報からヒトナリは導き出す。


「まだまだ余裕だぜェ!かかってこいよケンケンパのケン坊ゥゥ!!」


「おや、懐かしいね。子役時代に言われてたあだ名だ。

 もしかして僕のファン?」


「んな訳あるかよォ。俺は野郎にゃ興味無ェんだわ」


 ヒトナリは口調は感情の昂りに合わせて強さを増す。

 まるで手負いの獣が必死に生を手繰り寄せている様だ。


「気合いはあれど、身体をついてこないんでしょう?だから僕の攻撃を避けることは出来なかった。

 タフネスだけは認めましょう!!」


 またも勢いの着いた拳がヒトナリに襲いかかる。

 だが、ヒトナリは恐ろしい程冷静だった。


ケェンッ!!」


 真っ直ぐ繰り出された一撃は


「なっ!?」


「おいおい、なんじゃあなかったのか?」


「拳ッッ!!」


 避けられたことなどお構い無しに、またもケンはヒトナリに殴りかかる。

 だが、その攻撃は空を切った。

 ヒトナリは身体に掠める事無く彼の攻撃は避けたのだ。


「所詮は芝居は芝居だなァ。攻撃が直線的過ぎんだよ。来るとわかってたら余裕で避けれるぜェ?」


「ぐぅぬぅぅぅぅ!!」


 ケンの顔が怒りに歪む。対するヒトナリの顔はいやらしいほどニタついていた。

 突如室内から、影が現れる。

 その影はケンの膝に軽く触れた。


「なにっ!?」


 その瞬間、ケンの片膝がガクリと沈み込む。

 要因を探るため必死に頭を働かせようとした矢先、彼の眼前にはヒトナリの蹴りが迫っていた。


「ぶはァァァッ!!」


 その蹴りは彼の鼻筋を見事に捉えた。


「しゃあっオラァ!!

 極悪非道のサッカーボールキックじゃァ!!

 どんだけ筋肉付けようが人体の弱点は変わんねェんだよォ!!

 英雄さんにゃ真似出来ねぇだろうなァ!!」


 彼はわけも分からぬまま、後方へ吹っ飛んだ。

 自慢の鼻筋は歪み、切り裂かれ血がドクドクと流れている。


「はぁっ、はぁっ、はあっ……っヒトナリ!テンション高いとこ悪いけど民間は殺しNGだからっ!」


「ハッ!鉄板仕込んだ靴で死ぬたまじゃねぇよ。むしろ俺の攻撃は可愛いくらいだぜェ……。

 皮膚も硬化してやがる。親指が折れちまったよ。

 だが、一発喰らわせた。イクミ、ナイスタイミング」


「まだ温存しておきたかったけど、アレはそうも言ってられないね」


 先程の影の主、イクミは呆れた表情でボロボロのヒトナリを見る。

 そんな心配を他所に、彼は脂汗を流しながら両脚を地につけ堂々と立っていた。


「イクミ、お前の力……思った以上に凶悪だなァ」

 むとは時間に換算して僅か1、2秒。だが命を賭す戦闘におけるその秒数はあまりにも長い。


 しかし彼女の言う通り、この力には致命的な欠陥がある。

 それは消耗が激しいこと。

 相手に効果を付与する際、彼女の脳には恐怖のイメージが湧き上がる。

 例えるなら、己の肉体の内側から虫に食い破られる様なおぞましい感覚だ。

 それを自前の精神力のみで振り払わなければならない。そこに伴う精神疲労は筆舌に尽くし難い。

 この凶悪なデメリットによって、彼女は恐怖の大王を連発して撃てない。

 それどころか日に複数回放つことすら難しいのだ。コンディションによっては1日1発が限界の時もある。


「イクミ、あと何回いける?」


「……良くて2回。最悪あと1回。

 欲を言うなら、1発は相手の脳に直接叩き込んで気絶を狙いたい」


「流石民間様、相手への配慮も忘れてないようで」


「アンタももう民間だっての」


 ヒトナリは折れ曲がった左腕を両脚に挟み込んで無理矢理、正常な位置に戻す。

 メキメキと嫌な音を立てるそれに、イクミは顔を引き攣らせる。


「ていうかアンタ、私の力の銘を聞いても嫌な顔しないんだ」


恐怖の大王ノストラ・ダムスか?関係無ェだろ。

 俺は神異を使えないからな。その分、使えるもん全部使わないと。

 余裕が無ェのが正直な話だ」


「案外サッパリしてるんだね」


「お前がその力でどういう扱いを受けてきたかは知らないが、名前にまでビビることは無いだろ。

 アレだろ?神異を使いこなしてこその神異使い。

 欠陥能力でも使えてんなら万々歳だろうが」


「……ありがと」


「感謝は生きて帰ってからにしてくれ

 ……春夏冬ケンはまだまだ元気そうだぜ」


 ヒトナリの言葉通り、重い蹴りをくらったケンは起き上がる。

 その顔は、鼻を両断する様に痛々しい切り傷が付いていた。


「けんっ……!けんっ……!けんっ……!!」


「おいおい、同じことを繰り返すのはマヌケのやることだぞ?」


 ケンは無意識に会話をシャットアウトしていた。

 ヒトナリの口撃は通じない。

 彼はひたすらに自分の肉体へ意識を集中していた。


「けんっ……!けんっ……!けんっ……!!」


「来るぞっ!避けろイクミっ!!」


 ヒトナリが指示を送るや否や、今までに無いトップスピードでケンが突っ込んだ。

 しかし、面では無く点の攻撃は2人に容易く避けられる。


「だから攻撃が直線的だって言ってん……がッッッ!?」


 だが、ヒトナリの脇腹を強烈な一撃が襲った。

 彼は廊下から室内に吹っ飛ばされた。


「ヒトナリッ!!」


 ヒトナリの勢い衰えることなく、全面張りに貼られた窓ガラスをぶち破り宙へ投げ出された。

 ガラスの破片がヒトナリの顔を反射する。そこに写る彼は死を覚悟し、絶望に満ちた表情をしていた。


「ウワォォァアアァァァアァァァ!!」


 ヒトナリの叫び声が虚しく響く。

 数秒もすると、彼の声は聞こえなくなった。


「嘘……でしょ……!?」


 嘘などでは無い。

 ヒトナリはビルの30階から自由落下してしまったのだ。

 イクミは突如として降りかかった厄災に脳が追いつかない。


 だがすぐ近くから放たれた殺気に反応し、ほぼ反射に近い速度で身を翻す。


「余所見はイケナイなぁ!!」


「ぐっ!?」


 相棒の消失に消沈する暇もなく、ケンの攻撃は続く。

 イクミは堪らず廊下を駆け出した。

 もはや作戦は破綻している。今は何がなんでも自分の命を守ることに全力を尽くす。

 彼女の思考は逃走の2文字で埋まっていた。

 まさに自然界における肉食獣と草食獣の関係性を体現している。


「くそっ!ヒトナリ生きててくれ!!」


「何を馬鹿なことを。30階、距離に換算して約100メートルから落下したんだ。生きているわけが無い。

 大人しく君も僕の力の糧となれ!!」


「ざっけんな!!アンタみたいな変態女性コンプレックス野郎になんざ、捕まりたいわけないでしょ!?

 アタシはこんな所でくたばってられないんだよっ!」


「女のクセに調子に乗りやがって……!!

 僕は女性にコンプレックスなど持っていない!!勝手なことを言うなっ!」


「『女のクセに』なんて言う男にロクなヤツはいねーんだよ!付き合ったこと無いから分かんないけどなぁー!!」


 呼吸が乱れる。酸欠に目眩がする。だが、それも死ぬことに比べたら幾分もマシだった。

 命からがら非常扉を開いたイクミを待っていたのは地上へ繋がる階段だった。

 現階層は30階。地上までの距離はあまりにも遠く、彼女には試練の様に思えた。

 だが、そんなことで躊躇ってはいられない。

 イクミの後ろには既に脅威が迫っているのだから。


「30階を脚で下る気かい?さっさっと捕まった方が楽になれるよっ!!」


「命あっての物種だっての!!」


 イクミは選択の余地なく、階段を駆け下りた。

 先程まで彼女の居た場所は床がヒビを走らせながら凹んでいる。


「あーもうっ!!脚が太くなるぅぅぅ!!」


 伊達男と金髪ギャルによる地獄の鬼ごっこが今始まった。

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