第5話 命令なら地獄まで

 ヒトナリがエントランスに向かうと、目的の人物の野々村ミヤビは既にソファーに陣取りパソコンと向き合っていた。

 対神課E班が好き放題ながら、その活動を認められていたのは、管理官である野々村ミヤビの尽力の他無い。若く女性ながら“警視”に席を置く彼女の手腕は魑魅魍魎ちみもうりょう跋扈ばっこする上層部さえ認めているのだ。

 ヒトナリに警察官として唯一の心残りがあるとすれば、彼女のキャリアに泥を塗ってしまったことだ。

 事実、彼女主体の部署である対神課E班は解体された。書面上では“失態”の2文字で片付けられてしまうだろう。

 そう思うとヒトナリは、何処か後ろめたさを覚え、このまま彼女を無視して帰ってしまおうかとさえ考えた。


「あっ、ヒトナリくん!荷物整理お疲れ様。待ってたよ」


「……うす」


 ヒトナリのよこしまな考えを切払うが如く、ミヤビは笑顔で迎え入れた。彼女の微笑み前に、ヒトナリは先程まで自分の脳裏によぎった思考を恥じた。


「ヒトナリくんさぁー。私に罪悪感感じてるでしょ」


「えっ!」


「その顔。後ろめたさ満々だよー。それに空気もドヨーンって感じ」


「ドヨーン……すか?」


「そうそう!ドヨォォォン!」


 ミヤビは舌を出し、絵本に描かれたオバケの様なポーズをして見せた。ヒトナリは彼女のおどけた姿に思わず吹き出してしまった。


「ヒトナリくんやっと笑ってくれた」


「あー……俺、そんな辛そうな顔してました?」


「傍から見てもドヨーンだったよー。だから笑顔が見れてホントに良かった」


「……すいません。気ィ使わせました」


「ヒトナリくんこそ気を使ってるでしょ?お互い様。それに私が大丈夫だってことは、元部下のヒトナリくんがよく分かってるでしょ?」


「それは勿論です。って、そうか……俺ァもうミヤビさんの部下じゃないですね」


「残念だけどね。……私、E班の皆には感謝しかないよ。その分、後悔も沢山ね。今までこなした任務も私の立ち回り次第じゃもっと上手く支援できたかも知れない。今回も……私の実力不足が原因でカツヤさん、カナちゃん、ライトくんを殺してしまった。3人とも優秀なだけに、私は未だに皆が死んでしまった現実を受け止めきられないや。やっぱり寂しいよ」


 ミヤビは俯き、憂いを帯びた顔を見せる。彼女にをさせない為に戦ってきたヒトナリとしては、ミヤビの言葉があっても罪悪感を抱いてしまう。

 ヒトナリは心情を悟らせないために、ミヤビから顔を逸らした。


「少ししんみりしちゃったね。さて、暗い話はここまで。これからの話をしよう。私、負け続けるのは好きじゃないから」


 ミヤビの目付きが鋭くなる。ヒトナリの背筋にゾクリ寒気が走った。

 普段温厚な彼女だからこそ、時折垣間見える側面を堪らなく恐ろしく感じるのだ。


「ヒトナリくん、君に選択を提示します。私が紹介する仕事を務めるか、1から自分の好きな職を見付けるか。どちらがいいですか?」


「……ミヤビさん。アナタを疑ってもないし、冗談を言っちゃいないとも思うが、あえて言わせて欲しい。

 俺が存在るとでも?」


 ミヤビはヒトナリの言葉に歪な笑みを浮かべ、クツクツと声を殺し笑う。その事実に反して、ヒトナリには彼女が子供の様に無邪気に腹を抱え笑っている様に感じた。


(久々に見たな。心の底から笑うミヤビさん)


 彼は脳が錯覚を起こす程の狂気を彼女に見出した。


「流石ヒトナリくん!ちゃあんと分かってるねぇ……。選択肢はあくまで体裁。もう部下じゃない君にこの言葉を使うのは反則だし、心苦しいんだけどぉ……」


「勿体ぶらないで下さいよォ。心の底からァ、俺もミヤビさんもスッキリする言い方でェ、お願いしまァす」


 ヒトナリは胸に燻る


「君には“民間”でイクサバを追ってもらいます。

 もちろん今までの様な警察ごっこをしろとは言わない。脱兎の如く背を向け、その顔を恐怖で引きらせ、心の臓が音を上げるその瞬間ときまで償わせなさい」


 対神課において“対象の殺害”は最終手段だ。現場状況、心理状況、被害状況。その全てを考慮した上で、上層部が殺害という決断を下す。またそれを実行に移すための殺人許可証マーダーライセンスを彼らは持っている。

 しかし、対神課の取り扱った過去の事例でも“殺害”の許可が降りたのは20件にも満たない。

 要するに彼らにとって対象の殺害とは最終手段である。

 ミヤビはその最終手段が前提の任務をヒトナリに命じたのだ。


「今回の一件、明らかに内部の裏切りが関与してます。それもかなり上の地位の者……。私はその人物を追い詰めるためなら手段を選びません。

 この任務は私とヒトナリくんしか知らない。

 つまり、これは上層部の命令じゃない。私個人の私怨から命じてます。君も私も行き着く先は地獄。

 ですが、お互いの人生を賭けるに値するでしょう?こんな私を独善的と笑いますか?」


「笑うわけないでしょう?その独善ってのが俺ァ気に入ってるんだ。地獄行きの片道切符、喜んで1枚買いますよ」


「ならちゃんと口にして。私の独善を認めるその言葉を」


 ミヤビが体をヒトナリに寄せる。署内で噂が立つ距離、マウス・トゥ・マウス直前まで迫った彼女の瞳はヒトナリを離さない。

 ヒトナリもまた、その目に魅入られたかの様に視線を逸らすことはできなかった。

 否、逸らすつもりは毛頭無いのだ。側から見れば、悪魔からの一方的な契約。しかし対価として得る快楽は筆舌に尽くしがたい。

 快楽の名は“他者による復讐の肯定”。

 その快楽こそ今の彼に必要なモノだった。


 ヒトナリはミヤビの瞳を見つめ、発した。


「了解」


 彼の胸の中で小さく燻る“復讐”という火種は、ミヤビの独善という燃料で明確に業火へと変わる。

 まさに最初から最高潮クライマックス。今この瞬間に仲間と対神課という後ろ盾を失った男の末路は確定したのだ。


「それで、その民間の警備会社の名前は?」


「カフェ・てらす」


「え?カフェテラ……なに?」


「カフェ・てらす。喫茶店もやってるんだよ。コーヒーの味は……まぁそれなり。

 私の知り合いが社長さんだから気張らなくていいよ。丁度人が足りないって嘆いてたしね。君の新しい居場所だよ。10代の女の子もいるらしいし、仲良くね」


「はぁ……」


 ヒトナリは次の職場の名前に一抹の不安を覚えた。警備会社というのは兼業出来るほど緩いものなのだろうか、と。


「そんな心配しなくても大丈夫。だってその子がハジメ様を救ったんだもの」


「あの事件の!?そういえば女って話だけは風の噂で知ってたが、子供だとは……」


「子供って……ぷぷっ!ヒトナリくんも22だから子供みたいなもんでしょ!」


「その理屈なら23のミヤビさんも子供ですよ。ていうか、逆にその歳で今のポジションは優秀過ぎますって」


「そう!私優秀ですから!……まぁ、その子もなかなか苦労してるからさ。仲良くしてやってよ。でも任務は忘れちゃダメだよ!」


「分かってますって。まぁ、ガキのお守りは苦手なんですが、そっちもそれなりに上手くやりますよ」


「ふふふ、良かった。じゃあヒトナリくんの道はこっちだね」


 ミヤビは外を指す。指先が示す方角はヒトナリの新たな出発点を示唆していた。


「なら、ミヤビさんはこっちですね」


 意図を組みとったヒトナリは親指で自分の背後を指した。そこには先程彼が降りてきた階段がある。

 つまり警察内部だ。警察の意に反した指示を出したミヤビにとって、戻る場所は怪物の巣窟。


 互いの行動に2人は顔を合わせ笑みを浮かべた。


「じゃあ、また近いうちに」


「ミヤビさんも過労死と、左遷で作戦失敗の2つだけは勘弁してくださいよ」


「言うねぇー!でも、ヒトナリくん。ホントに死んじゃダメだよ。私と地獄に行くんだからさ」


 誰がグラッパーボードを鳴らす訳でもなく、ヒトナリとミヤビは映画の様に同時に歩み始めた。

 一方は外部へ、一方は内部へ。または歪な陰と陽。

 真逆の道を行く彼らは交差するその一瞬、同じ笑みを浮かべる。地の底へ向かう旅路に着く2人にとって、その笑みの価値は充分過ぎるものだった。

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