第3話 ノストラダムス

 1999年。日本に恐怖の大王が降り立った。

 眉唾物まゆつばものであったノストラダムスの大予言は、下馬評を覆し、物の見事に的中してしまったのだ。


 家族の死に嘆く者。無法の限りを尽くす者。たた呆然と立ち尽くす者。

 絶望を前にした人間の行動は多種多様だが、尋常一様にその顔には恐怖が刻まれている。


 崩れゆく街を背に人々は逃げ惑う。その混乱の渦中、人海に逆らい恐怖の大王へ歩を進める者が1人。


 時代錯誤な重苦しい衣に、悪目立ちした被り物。訝しさに拍車を掛ける特徴的な麻呂眉。

 その奇怪な出立ちは、正に教科書に記された平安貴族そのものだった。


「やぁやぁ!我こそは“鬼一きいちミチアケ”。恐怖の大王とやら……お主を成敗しに此度は参ったぞ!」


 その男【鬼一ミチアケ】の時代錯誤は、格好だけに留まらず名乗りにも表れていた。

 恐怖の大王に彼の意思が伝わっている様子は無い。構わずミチアケは言葉を続ける。


「我を恐れて言葉も出ぬか!恐怖の大王も形無しとはまさにこの事也ィ!!」


 圧倒的な存在に対し、己が優位とでも言わんばかりの発言は、ミチアケの絶対的な自信故か。はたまた虚勢か。その場にいる誰にも分からない。


「教えてやろう。マナー大国日本の敷地に、土足で踏み入るという意味をっ!」


 ミチアケは身構えると拘束で印を結び始めた。あまりの速さに風を切る音さえ聞こえてくる。手の動きに合わせて、彼は低く鋭い声で呪文を唱え始めた。8割の言葉は聞き取れないがが、所々「チャーハン」だの「ラーメン」だの中華料理屋で目にする料理名が聞こえてくる。ミチアケの奇行に足を止めた人の中には、腹の音を響かせた者もいるだろう。


「――――破ァ!!」


 長い詠唱の末、ミチアケは両手を突き出し大声をあげた。

 すると、恐怖の大王は光に包まれた。


 一瞬の静寂の後、恐怖の大王は大きく発光し轟音と共に弾け飛んだ。割れた曇の隙間から、キラキラと光の粒が降ってくる。1人の青年が空を見て呟いた。


「恐怖の大王を……倒した?」


 青年の言葉に呼応する様に周囲からも声が上がる。呟きは声に、声は歓声へと変わっていく。


「恐怖の大王が倒れた!」


「やった!俺たちは生き残ったんだ!」


「誰が倒したんだ?」


「そこの怪しい男よ!」


 ミチアケの周りに人々が集い始める。熱狂を孕んだ人の波に飲まれ、乱れる服と烏帽子。ミチアケはそれを直しながら、1度大きく咳払いをし、周囲を静止させた。


「皆の者、安心しなさい。恐怖の大王はこの私、鬼一ミチアケが討伐した」


 再び歓声が湧き上がる。彼らの喜びに満ちた顔を見たミチアケは、満足気に大胆な笑みを浮かべた。勝利の余韻を噛み締めながらミチアケは続けた。


「これからの日本は新しい時代を迎えるぞ!神の力により生まれ変わる!未来を作るのは我々だ!!」


 彼がカメラ目線に台詞を言い終わると、映像は空撮に切り替わった。ミチアケを中心とした群衆の渦を画角に収めながら、カメラは徐々に彼らから遠のき、引きのを映す。崩壊した都市、降り注ぐ光の粒、喜びの声。そして感動的なBGM。ハッピーエンドを迎えた世界は暗転し、“終幕”の2文字が画面に浮かび上がった。





 ―― シャッ。

 小気味好い音を立て、遮光カーテンが開かれると、西日は部屋中を照らした。暖かい陽気に包まれ、先程まで静まり返っていた教室内に生活音が戻る。

 僕は1度欠伸をすると、プロジェクターを片付けながら話始めた中年の男性教師の言葉に耳を傾けた。


「今見せた映画は、ノストラダムスの大予言を覆した男の話だ。タイトルは【英雄ミチアケVS恐怖の大王】。2001年に公開された英雄ミチアケシリーズの最初の作品だ。今が2016年だから……15年前の作品か」


 プロジェクターを片付け終わった教師は俺たちの方へ向き直る。未だ寝ている生徒を見つけたのか、ため息を吐いた。


「映像がチープで内容も在り来り。役者の演技も良いとは言えない。お前たちが眠くなるのも分かる。先生だって半分寝ていた。

 クソとは言わんが、所謂B級映画。だが、英雄ミチアケシリーズは今日に至るまで5作も作られている。なんなら来年には新作が発表される。それは何故か」


 教師は俺に視線を合わせながら一度咳払いをした。絶対わざとだ。


「2001年に公開された“VS恐怖の大王”だけはノンフィクションだからだ。後の作品は全て大衆向けのフィクション映画。つまるところ、お前たちが“産まれた時に起こった実際の出来事”なんだ。だから現代史の授業では、これを見せることになっている。先生は毎年見てるから正直飽きた。」


 俺も内容には飽き飽きしている。こんな映画より、一週間前に転校してきた女子が俺は気になっているのだ。何せ今日告白しようとしているのだから。


「で、本題はここから。ミチアケ氏が恐怖の大王を討伐した結果、我々はどんな恩恵を得たでしょうか?答えられる奴はいる手を上げろ」


 1人だけおずおずと手をあげようとする女子生徒がいた。

 転校生の“”北虎きたとらイクミ”さん。またの名を俺が一目惚れした相手。

 自信なさげに手を伸ばす彼女はとても可憐だ。彼女の魅力は行動だけではない。長く艶やかな黒髪にミステリアスな瞳、そして極めつけはその豊満なおっぱ……。


「はーい。転校生の王生さんにエロい視線を向けてる馬鹿野郎が生まれたことでーす!」


「だだだだ、誰がエロい馬鹿野郎だ!!」


「自己紹介してんじゃねぇか」


 俺は思わず声を上げた。決して視線がバレて恥ずかしかった訳じゃない。男子が俺を馬鹿にしたことに対して声を荒らげたのだ。


「確かに、思春期真っ盛りのそこの男、“鬼一きいちハジメ”はミチアケ氏の息子だが、そいつは恩恵じゃなくて汚点だろう」


「教師が教え子に言っていいセリフじゃねぇー!!」


 クラスが笑いに包まれる。俺はイクミさんをちらりと見た。彼女は淑やかに笑っている。助かったなクラスメイトよ、イクミさんに免じて許してやろう。


「それじゃおふざけはこれくらいにして、恩恵について答えよう。恐怖の大王が消滅した後、我々日本国民の一部には神の力が授けられた。その名も“神異かむい”」


 教師は黒板に大きく神異と書いた。


「化学や論理を度外視した常識をとっぱらった神の力が神異だ。その恩恵は俺もお前たちも日常的に授かっている。

 例を挙げるとするなら食料や、防衛力だな。人口の多い小さな島国で自給自足が行える様になったのは、神異の力による作物の成長促進のおかげだし、日本が軍事力を持たずに他国と渡り合えているのは、神異の抑止力が大きい」


 正直今の俺は授業内容より、イクミさんが大事だ。それに国のことなんぞ、学生には知ったこっちゃない。目の前の“世界イクミさん”が1番だ。

 教師は集中しろとばかりに黒板を軽く小突く。しかし俺の視線はイクミさんを捉えて離さない。むしろ熱視線をどれだけ浴びせ続ければ、こちらに気付くか楽しくなってきている。

 唯一の問題は隣の女子の冷ややかな視線だが、正解は気づかない振りだろう。


「ただ、問題もある。それは神異を使える人間が少ないことだ。

 日本国民の5割がこの力を使えると言われている。が、まともに使うことはおろか、国を支えられる程の強大な力の持ち主は1割にも満たない。数少ない神異使いに頼りきってしまう現状には些か問題があるということだ。

 事実、この教室で神異をまともに使える生徒はいないだろう?」


 神異使い。俺はその言葉を聞いて得意げに手を上げる。


「ハジメどうした?」


「使えるんすよ」


「いや何が」


「神異っす」


 教室内がざわつき始めた。イクミさんも驚きを隠せない様だ。それほどまでに、神異が使えるということは特別視されているのだ。


「何なら今見せましょうか?」


 その言葉を聞いたクラスメイトから“ハジメコール”が聞こえ始める。彼らパンピーの期待はどうでもいいが、イクミさんの眼差しには応えないといけない。

 俺は右手を掲げ、高らかに声を発した。


神異降身かむいこうじん!!』


 瞬間、俺の左手が光る。眩い手をクラスメイトに見せつけ、練習していたポーズを決める。コツは腰の捻りを使い、ダイナミックに魅せることだ。



 ……沈黙が3秒続いた後、1人の男子生徒が言った。


「えっ、それだけ?」


 俺は堂々と答える。


「あぁ、それだけだか?」


 瞬間、クラスメイトの表情が変わった。


「まじかよ、期待して損した」


「あのミチアケの息子って言ってもハジメくんだしねぇ」


「やっぱりエロいだけのやつじゃねえか」


「解散解散」


 勝手に期待しといてそりゃねーだろ、お前ら。でも俺は見逃さなかった。イクミさんだけが必死に拍手をしていたことを。彼女を見習え彼女を。


「えー、ハジメの頑張りを称えた所で授業に……」


 ――――ガシャァアン!!

 教師が授業を再開最中、その出来事は起こった。

 くの字にひしゃげた教室のドアが吹っ飛んできたのだ。

 いや、あまりにも突然で最初は何が起こったか認識すら出来なかった。

 正確に言えば、“感性に従い、床で制止するくの字にひしゃげたドア”を見て、状況を認識したのだ。


「学生諸君こんにちはァ!……返事が聞こえないなァ。こーんにーちはー!!」


 一瞬の沈黙の後、恐る恐る教師は口を開いた。


「君は何者だ……?」


「何者……何者ねぇ。いいねいいね!そういう質問大歓迎!!気分上がってきたぜぇ。

 ゴホンッ!俺は“彼誰かわたれ灯火ともしび”の使者。名前は……名乗っちゃいけないんだったな。ナポリタンとでも読んでくれ。俺の好きな食べ物なんだ」


「彼誰の灯火……あぁ、の強硬派か。どちらにせよ、部外者は立ち入り禁止だぞ」


「おー怖ッ!先生ってのは子供を守らなきゃいけないもんなぁ?必死になるよなぁ?でもそんな強気でいいのかぁ?俺は“テロリスト”なんだぜぇ?」


『教室にテロリストが侵入する妄想』は無論俺もしたことがある。おそらく、このクラスにいる男子の8割も似た妄想をしたことはあるだろう。絶対に。

 妄想の世界の自分は机を盾にし、無駄の無い無駄な動きでテロリストを制圧。そして意中の人と軽やかな脱出劇。物語の締めに校舎が大爆発することも忘れてはいけない。

 だが、現実はそうはいかない。恐怖に身体が凍りつき、立ち向かうどころか、動けなくなるのだ。俺はそれを実感している。

 クラスメイトもその場から動く者は誰一人いない。しかし俺の中に違和感が1つあった。


(こいつら、何で“動かないんだ”?)


 違和感はクラスメイトだった。“動けない”のではなく、“動かない”のだ。彼らの意図までは掴めないが、その瞳は恐ろしい程冷静にテロリストへ向けられている。

 明らかにテロリストを恐れている目ではないのだ。

 言うなればそれは、覚悟をしている者の眼だ。俺はこの目を知っている。


「彼誰の灯火の要求はたった1つ。それも簡単なお願いだ。“鬼一ハジメを引き渡せ”。そうすりゃあお前らの命は補償してやる。どうだ?考える余地もないだろう?」


 親父の功績は素晴らしい反面、神異を持つ者、持たざる者の格差を大きく分けてしまった。彼誰の灯火というテロリスト集団の思想がどうであれ、俺は、と心の奥底で思っていた。

 だからこそ、実際に事が起きた時に俺がすべき事も決めていた。


「おい、ナポリタンだったか?俺が鬼一ハジメだ」


「自分から名乗り上げるたぁ、威勢がいいじゃねぇか!嫌いじゃないぜ?どれ……よし、写真と同じ顔だな。素直について来るなら手荒な真似はしないぜ」


 授業と引替えにテロリストを対処してきた俺の脳内は伊達じゃないんだ。何百何千と繰り返した妄想を俺は実行する。


「鬼一家家訓その壱ぃ!神異は自分の為に非ず、人の為に使う事也!神異降身ッ!!」


 駆け引きも舌戦も要らない。今出来る最善手を叩き込む。も無き未熟な神異だろうが、痛みを恐れていようがお構い無しに鬼一の血が呼びかける。弱きを守り、目の前の不届き者を叩きのめせと。刻まれた血統は時に限界を超えるのだ。

 シチュエーションに合わせた脳内でナレーションが後付けされる。気持ちは充分、後は俺がテロリストを倒すだけだ。



 ――が、次の瞬間俺の目の前で異質な光景が起こった。


「コード・レッド承認完了。特殊部隊“1年3組”。鬼一ハジメ様を死守しろ」


『了解』


 教師の一声で、クラスメイト全員が立ち上がった。

 その状況に声を発したのは、ナポリタンの方が早かった。


「おいおいおいおい!こいつは一体どういう事だハジメ様?お友達を買収でもしてんのかぁ?」


「俺が聞きてぇよ!みんなどうしちまったんだ!」


 俺の問いかけに教師が答えた。


「我々はハジメ様を命を賭してでも守る様、ミチアケ様から指示を受けております」


「んな事言われたって意味わかんねぇよ!ていうか、『ハジメ様』呼びは気持ち悪いって……。いつもの先生に戻ってくれよ」


「ミチアケ様の命令は絶対です。それに、我々はハジメ様の脅威を退ける為に存在していますので」


「それってどういう……」


「俺を無視していいのかハジメ様ァ!!」


 しまった。俺がそう認識する前に、ナポリタンは既にこちらへ走り出していた。その手には刃渡り20センチ程のナイフが握られている。完全に意表を突かれた俺の体は、その場から動くことを拒絶した。


「作戦コード・ALL for ONE開始。ハジメ様を守りなさい」


 そんな俺を他所に、教師は至って冷静にクラスメイトへ指示を出した。


「了解」


 クラスメイトが声を揃え承諾すると、彼らは一糸乱れぬ動きでブレザーを脱いだ。その身体には爆弾が取り付けられていた。表示されたカウントは10。


「……嘘だろ?」


 体に爆弾を抱えた生徒が一心不乱にナポリタンへ突っ込んでいく。俺の身体は依然として動かない


「お、お前らなんなんだぁ!!くそっ!離しやがれ!!」


 クラスメイトが団子状態になりナポリタンを押さえつけている。手に持つナイフの抵抗で、血飛沫が舞う。しかし、クラスメイトは止まらない。


「うおっ!?」


「来いっ!!」


 呆然とする俺の手を引く者が1人。その人はいくみさんだった。

 彼女は俺と手をしっかりと掴んで走り出した。

 窓に向かって。


「いやいやいやいや!」


「口を閉じて!舌噛むよ!!」


「待て待て待て待て待て!!」


 俺たちは勢いよく窓ガラスを割った。細かいガラスが皮膚に当たり、少し痛む。だが俺にそれを知覚する余裕はなかった。

 目の前に突然訪れた死に向き合うことなんて誰にだって出来ないだろう?俺だって出来ない。正直チビった。


 直後背後で大きな音がする。先程までいた教室が爆発したのだ。


 爆風により、俺たちの体は空中で回転する。地面から空。また地面へ視界がぐるぐると変化する。爆風ルーレットが俺の視界を示した地点は、校庭だった。


 ぶつかる。目をグッと瞑った直後、俺の体はふわりと軽くなり地面へ優しく着地した。


「はぁはぁはぁ……」


「ケガない?」


「あ、あぁ……」


 差し伸べられた手の先に居たいくみさんは、金髪だった。


「え、あ……き、金髪!?」


「あれ、ウィッグとれちゃった」


 彼女の髪の毛が黒髪から金髪へと変わっていた。

 俺はその姿に疑問を抱くよりまず見惚れた。それこそテロリスト、クラスメイト、家柄のことを忘れるほどに。


「鬼一ハジメさん?」


「あっ……。あぁ、大丈夫!大丈夫だ……」


 彼女の呼び掛けで俺は我に返った。


「あんなことがあったのに結構余裕だな。なかなか胆力あるじゃん」


「余裕というか、頭が追いつかなくて……。ていうか、イクミさん何者?」


「ま、そぅだわなぁ。質問たくさんあるよねー」


 俺の中で既にイクミさんのイメージがぶっ壊れている。無口で可愛らしい彼女の面影はその姿にはなかった。


「まず最初の質問。アタシは民間の警護会社“カフェ・てらす”に所属してる神異使い。今回は転校生って形で貴方のクラスに参加させてもらったんだ」


「カフェテラ……何?」


「カフェ・てらす。正式名称は“てらす”ね!喫茶店と兼業してるんだよねウチ。なーんで皆2回聞くかなぁ」


「名前が問題じゃあ……じゃなくて!皆は何者なんだ!?」


「……それは貴方の父親、ミチアケさんに雇われた“戸籍の無い人間たち”。ついでに言うならアタシのクライアントもハジメさんの父親」


「いや、待て!それはおかしいだろ!?中学からの付き合いも居るんだぞ!?全員が全員は違うだろ?だってアイツら俺の立場とか関係なく仲良くしてくれたんだぞ!?」


「知らないことがある方がいい、なんてよく言ったもんだよね。仕事柄、遍歴とか調べるけど幼稚園から高校まで、貴方の周りにいた人は全員ミチアケ氏に雇われていた」


「そんなっ……!じゃあ全部親父のせいじゃねぇかよォ!」


「それがあながちそうとも言えないんだよねー」


「どういうことだ……!?」


“この女”は何を言っているんだ。ただでさえ情報の濁流に思考が飲み込まれていると言うのに俺が悪いだと?彼女の言い分を素直に受け取るなら、俺もクラスメイト皆殺しの片棒を担いでいるってことじゃないか。


「ハジメさん。御自身の影響力はご存知?」


「いや、まぁ、精々ミチアケの息子ってくらいかな……?」


「そこ。そこが1番重要。恐怖の大王を倒したこの国で神異使いが生まれた。科学的にも改名されていないこの力を他国はどう思う?」


「……」


「知りたいし、なんなら欲しがる。神異があるだけでこの国は自国単体で経済、生活、防衛すら賄えてる。

 ましてその力のパイオニアの息子なんてあっちからしたら宝石でしょ。神異は勿論、脅しにも使える」


「じゃあ、俺の存在が悪いっていうのか?」


「一概にそうは言えないと思う。結局親同士がヤることヤッて産まれたのがハジメさんだし」


 親父の息子ってだけで不自由なく過ごせた。俺にとっての“鬼一”は自分自身の高級な身分だと思っていた。だが蓋を開ければどうだ。鬼一はこの国の爆弾じゃないか。


「んで、話戻すけどさ。ハジメさん、ひと月前に“セックス”したでしょ?」


「ななななななななんで知ってんのぉ!?」


 俺は動揺する。多分今日1番驚いた。


「ま、まぁアタシたちってそういう年齢だから仕方ないしっ!アタシだって口にするのが恥ずかしいんだ!!」


「ご、ごめん!でも、俺が誰と何しようが関係ないじゃんかよ!」


「さっきの話聞いてなかったのか?ハジメさんだから問題大ありなんだって。ハジメさんの初めての人、彼誰の灯火のメンバーだったんだよ」


「は、え?」


「つまり露骨なハニートラップ」


「まじかぁ……」


 俺は大国式の大袈裟なジェスチャーで頭を抱えた。いや、抱えざるを得なかった。

 ハニートラップなんて正直テレビの向う側の存在を笑う立場だと思ってた。まさかこの歳で引っかかるなんて。


「その時、唾液に含まれた小型の発信機を流し込まれた。詳しい原理は分からないけど、唾液と化学反応して今も喉にくっ付いてる。それがわかったのが2週間前。身体検査時のレントゲンね。それくらいの期間があれば、諸々の情報は筒抜けだろうからね。

 そこからは早かった。クラスメイトへの指示。私の雇用。政府の機関を使いたくなかったのは、公にしたくないからだろうなー」


「じゃあ本当に俺のせいじゃん」


「ハジメさんが……ゴホンッ!セ、セックスしなかったらクラスメイトは死ぬことも無かったしね。ホント酷なこと言ってると思うけど」


「俺の興味本位のセックスのせいじゃん」


「でも勘違いしちゃダメなのは……本当に悪いのは貴方を狙ったテロリスト。行動に移したアイツらが悪い」


 彼女は本気でそう言ってくれている。それは誤魔化しでも励ましでもなく事実だ。分かってはいる。

 だけど、俺の行動が要因だということも変わらない。冷静になればなるほど、クラスメイトが弾け飛ぶ光景が目に浮かんだ。後悔よりも涙よりも自分への無力感が勝ってしまう。


「救助用のヘリがもうすぐ到着するからもうちょっとの辛抱な」


「……あぁ」


 俺は振り絞るように声を出す。目の前で黒煙を上げる学校を前に、俺の心はもう限界だった。



 ――だが、現実は俺に一息すらつかせない。

 突如、大型の火球が俺たちの目の前に降ってきた。轟音と爆炎を撒き散らし地面に着地したソレは、俺の生活をぶち壊した張本人ナポリタンだった。


「あっちぃなぁ!!危うく丸焦げだったぜぇ……!」


「嘘……だろ……!?」


 ナポリタンの生存に驚愕するのは勿論のこと、一番の驚きはその両腕にあった。

“蛇”だ。赤い蛇の頭が両腕に生えていたのだ。


「いやぁーこいつのおかげで助かったぜぇ……。神異ってのはすげぇなぁ!“イクサバ様”ありがたやありがたや」


「彼誰の灯火は主要メンバー含め、神異を使える人間はいなかったはず……」


「言葉に訴えかけるヤツがいれば、力で解決するのが得意なヤツもいるのさァ。

 ついこの間、武力派閥にありがたいパトロン様が就いてくれてよォ。神異が使えなかった俺様も今じゃこの通りよォ!」


 ナポリタンの両腕の蛇が炎を吐き出した。その炎は地面を這い、俺たちを円形に取り囲み簡易的な結界を作り出す。さながら相撲の土俵だ。周囲の気温が一気に上昇し、俺の額に汗が浮き出る。自慢を兼ねた威嚇だろうが、その熱に嘘は無かった。触れたら火傷程度で済まないだろう。


「逃げ場はねぇぜ!ハジメ様よぉ!!」


「アタシは無視かよ!……チッ、どちらにせよ仕事が増えた。“コーちゃん”聞こえる?」


『イクミくーん!ちゃんと聞こえてるよー。状況は……悪化しているようだね。対処出来るかい?』


「対処も何も元々アタシたち2人だけなんだ。そして現場担当はアタシ1人。世のブラック企業も真っ青だな」


『たはー!痛い所を突かないで欲しいなぁ……。中年のおっさんに走れって言うのかい?』


「ヘリの運転しておいて冗談きついよコーちゃん。今月身銭削って給料アップね。人増やす件に関して、アタシマジだから」


『イクミくん怖いよっ!?でもまずは、無事に帰ってくるんだよ』


「了解、ってことでハジメさん。ちょっとじっとして

 ……ハジメさん?」


 いくみさんの声が聞こえない。否、聞く気が今の俺には無かった。胸の奥から湧き上がるドス黒く赤い衝動。その正体が怒りであれ殺意であれ、どちらにせよ目の前の敵にぶつける以外の方法を俺は知らない。


「神異降身ッッッッ!!」


 俺の左手がこれまでに無い程眩い光を放つ。原理も道理も分からない。だからこそ俺は確信する。

 この光には“目の前の敵をぶっ倒す力”が在ると。


「おいおいおいおい眩しいじゃねぇかぁ!俺は対向車のハイビームがこの世で1番嫌いなんだぜぇぇ!!」


 力は俺に語り掛ける。


 ――『銘を叫び、威を示せ』と。


カミ左腕カイナァァァァァァ!!」


 荒々しく、そして神々しさを纏った巨大な金色の左腕。体に不釣り合いのそれは金属らしき光沢を放ち、表面に神がかった意匠が施されている。


 神ノ左腕。その名、その力に嘘偽りは無い。俺の中に溢れ出る全能感がそう証明しているのだ。


「なんだその神異はよぉ!見掛け倒しは勘弁だぜぇ!吐き戻せ“火砲蛇サラマンダー”!!」


 ナポリタンの両腕から勢いよく炎が吹き出した。俺に躊躇なく襲いかかる炎の壁はもう既に俺の鼻頭を掠ろうとしている。間違いなく死を覚悟する状況だろう。

 だが今の俺は至って冷静だった。


「……っ!やめろ!!」


「ハッハァァー!やめろだァ!?やめねぇよぉ!!生け捕りなんてやっぱつまんねぇよなぁ?焦げる肉の匂いをはやく嗅がせてくれぇ!!嬢ちゃんも待っててくれよなぁ?パンの用意は出来てるんだ。人間グリルサンドまであと5分だぜぇ!」


「……いや、アンタに言ってるんじゃない。ハジメさんに言ってるんだよ」


「は?」


「……この力があれば皆が死ぬことも無かったんだよな」


 俺は左手を薙ぎ払った。炎はいとも容易く宙で霧散する。体に痛みは無い。


「神異だぞ!?無敵の炎だぞ!?ハ、ハジメ様よぉ……何やりやがった!?」


「ただ左腕を振り払っただけだが?」


「ふふふふ、ふざけやがってぇぇぇ!!」


「バカッ!ナポリタン止まれ!」


「次は俺の番だ」


「舐めんじゃねぇぞガキィィィィ!!」


 神ノ左腕をナポリタンに向け、開いた掌に力を集中させる。俺の怒りや悲しみ、その全てを目の前の悪にぶつける。いや、俺自身が痛みから解放されたいが為に渾身の一撃を打ち込むのだ。


「破ァ!!」


 一直線に放たれた光子砲レーザーはナポリタンを貫通し、着弾点で爆発する。俺はそう確信した。


「やめろって言ってんだろ!!」


 先程までは確かにそう確信していたのだ。だがそうはならなかった。俺が攻撃を放つ瞬間、神ノ左腕はイクミさんによって蹴りあげられた。結果、俺の攻撃は空高く光の筋を伸ばしただけだった。


「なんで邪魔するんだ!!」


「ハジメさんを人殺しには出来ないからに決まってんでしょっ!その場から動くな!」


「お前には関係ねぇだろ!俺の問題だろうが!!」


「なんだぁ?仲間割れかぁ?嬢ちゃん俺に絆された?」


「んなわけないだろ!ナポリタン、アンタは拘束する。法で裁かせてもらうから」


「裁くのは俺の役目だ!皆殺されたんだぞ!」


「あーうっさい!!」


 彼女の一言で俺の体は地面に叩きつけられる。語気の強さにビビって膝を曲げたんじゃない。いつの間にか俺の体をイクミが拘束していたのだ。ご丁寧に手は後ろに組まれ、結束バンドが巻かれている。見事な早業としか言い様がない。だが余りにも速すぎる。それも不自然な程に。その疑問に対しての解答を示す様に、彼女の右眼は紫の光を放っていた。


「これも……神異の力!?くそぉ!離せよイクミィィィィィ!!」


「ちょっとの辛抱だから!」


 もはや俺の憎悪の対象は彼女にも牙を剥いていた。だが、思いとは裏腹に俺の身体は微塵も動かない。声を出す事がやっとなのだ。


「おおー嬢ちゃんやるねぇ!それで、改めてどうだ?誰彼の日に入らないかぁ?今なら実力含めて、俺の専属ポジション与えちゃうぜ?」


「言ったっしょ?私の仕事は鬼一ハジメさんの護衛。それにアンタより格上だからさぁ。そっちに寝返ろうが不満しか無いわぁ。安心してよ。アタシのモットーは“不殺”。それに力も使わない。目が覚めた時はベッドの上確定。悪いけど、これは覆らない」


「かぁー!キツイ女も悪くないぜ!!じゃあよぉ!面倒後は抜きでよぉ!予定通り丸焼きだぁ!!」


 ナポリタンが強烈な炎を繰り出す。だが、イクミの姿はその場にはなかった。俺も腕が動けば目を擦っていただろう。

 ――彼女は身体操作だけでナポリタンの懐中に潜り込んでいた。

 手を前に構え炎を噴出する能力。その弱点は密着されること。ゼロ距離にさえなれば、ナポリタンに出来ることは無い。


「は、速すぎんだろっ!?」


「嘘はついてないでしょ?」


 ナポリタンの顎へ放たれた真下からの掌底。イクミの攻撃は人体の弱点を確実に捉えていた。その証明にナポリタンは膝を折り、前のめりに地面へ倒れ込んだ。


「ふぅー……とりあえず拘束しないと。あ、こーちゃん?今終わった。……うん。分かったよ」


 手際よくナポリタンを縛りながら彼女は先程の『こーちゃん』なる人物と連絡を取っていた。呑気なもんだ。お前に怒りをぶつける存在がまだいると言うのに。


「あ、そーだ!!ハジメさんっ!」


 イクミさんが近づき、俺を拘束していた結束バンドを外した。


「ごめんね、手荒な真似しちゃって」


「……そいつどうするんだ」


「警察が引き取りにくる。おそらく一生監禁されると思うけど」


「じゃあ、俺はこいつは殺せないのか?復讐は出来ないのか?」


 イクミさんは一瞬驚いた顔を見せ、寂しげな笑顔で俺の問に答えた。


「復讐なんてやるもんじゃないよ」


「あ?」


「復讐ってさ、すっごい精神すり減るんだよ。復讐してスッキリすることなんて無い。絶対に心のどっか、頭のどっかでモヤがこびり付く。それに傍から見れば狂人そのもの。なんなら失うものの方が多いし。だから、復讐なんてやるもんじゃない」


「先のことなんて知らねぇ。スッキリしようがしまいがどうでもいいんだ。俺はこいつを殺さないと気がすまねぇ。だから退いてくれよ……イクミさん」


「……ミチアケ氏からの依頼内容はもう1つある。それはハジメさんに人殺しをさせないこと。それは貴方を止める理由にならないかな?」


「……俺はそいつを殺したい。イクミさんは俺を人殺しにしたくない。それで充分だろ」


 俺は静かに神ノ左腕を構える。イクミさんはただ静かに立っている。


「神異降身ッッッッッ!神ノ左腕ァァァァァァァァァァ!!」


「……君の血筋も、神異も、罪も全部背負うからさ。アタシを恨んでよ」


 俺は彼女の言葉を理解する間も無く視界と思考が暗転する。最後の記憶は地面に倒れ込んだ自身の肉体に走る痛みだった。

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