15
雑木林でウェットスーツを脱ぎ捨て、GPSをつかって合流地点に向かった。金子はいつもの赤いエンゼルスのキャップをかぶっていた。
「脱げよ。そんな目立つ帽子」俺は忠告した。
「やだね。これが俺のトレードマークなんだ。お前こそ髭剃れよ。汚らしいぞ」
「え?」自分の顔に触れる。ザラザラとした感触があった。そういえば柳葉を半殺しにしたあの日から髭を剃っていなかった。
この雑木林は景観を損なう建造物でもある〝壁〟を特区内の住民から隠す目的で、居住区を囲むように植えられていた。ほかの実行部隊との合流地点は雑木林のなかに設定していた。
合流地点にはまだだれも来ていなかった。計画では、ここで一夜をすごし、決行は翌日におこなうことになっていた。
しかし結局、朝になってもだれもあらわれることはなかった。
「金子。やるのか? たぶん他の奴らは来ないぞ」他の実行部隊は捕まったか殺されたか、だろう。
「やる」金子は血走った目でこたえた。
「そうか。じゃあ、脱出ルートの確保をしよう」
特区の東側が海に面していた。海岸には警察用の小型船が一隻停泊していることを俺は知っていた。その船をつかって脱出する計画だった。
海岸に人影はみえなかった。俺と金子は小型船のなかに忍びこむ。
「動かせそうか」俺は金子に訊いた。
「ああ、さすがによく整備されている。あとはガキだけだ」
時刻はすでに十二時をすぎていた。
俺たちは子どもを探すため住宅地へと向かった。
「みろよ。この街を」金子はいった。「きれいに整えられた並木道、広い庭と高級住宅。なんだよ、これ。どこにこんな金があるんだよ」
「……」
「壁の外とくらべてみろ。まともな仕事もない。人権や尊厳もない。子どもができれば一攫千金。男も女もヤリまくりで倫理観なんてクソったれだ!」
「金子……」
俺たちは交差点に立っていた。左の道から自転車に乗った女がやってくるのがみえた。
「俺たちだってあと二、三年おそく生まれてきてたら保護対象になってたんだぜ。そうすればこんな街に住めて死ぬまで安泰だった。なのに俺の人生は──」
金子は腰に差していた拳銃を抜いた。
「全部、あいつらのせいだ」
交差点の向かい側、十数メートル先にピーマン頭が二人いた。
突然サイレンが鳴り響いた。
『コードC。コードC。各自配置につけ。繰り返す。コードC……』
コード・クリティカル──最高レベルの警告だ。俺たちの侵入が発覚したにちがいない。
さっきの女が交差点の真ん中で自転車を停め、俺たちをみていた。
「動くな!」
金子がいきなり発砲した。
「ぎゃああ」女が倒れた。はじめ、その女を撃ったのかとおもったが、ちがった。女は自転車の下敷きになってもがいていた。
金子はさらにもう一発撃った。子どもたちを狙っていた。
「金子! 殺す気か!」
「ああ、そうだよ。俺がこんな惨めなのにあいつらだけ優遇されてるなんて、間違ってるだろ」
パンッ!
銃声がした。金子じゃない! 子どもたちの背後から男が一人こちらに向かって走ってくるのがみえた。普通の服装をしていたが、あれはおそらく──
「まずい! 陸軍だ!」
男は子どもたちの前に立ち、
「君たち! 私のうしろに隠れなさい!」
と叫んだ。
「失敗だ。引こう」俺はいった。
「だめだ。目の前にいるんだぞ」
といった瞬間、金子の体がうしろに吹き飛んでいった。地面に倒れた金子の胸にはふたつの穴が空いていた。
俺は反射的に両手をあげ、「待て!」と叫んでいた。「銃は持ってない!」
男は銃を俺に向けながら、「両手をあげたまま地面に伏せろ」といった。
俺は従った。俺はアスファルトにキスをするような格好で伏せた。隣には金子の死体があった。死体だとおもいこんでいた。金子は──まるでゾンビ映画に出てくる〝動く死体〟のように──起き上がった。
金子は地面にすわった状態で拳銃をもっていた右腕をあげた。
「ガキがあ!」
金子は口から血反吐を吐きながら叫ぶと、拳銃を撃った。
──力が降ってきた。いや、これは俺の力なのか?
時間がすごくゆっくりと進んでいた。銃口から弾丸が飛び出すのがみえるくらい、ゆっくりだった。
俺は既視感におそわれた。
(これは……知ってる)
あのときとおなじ──小学五年生のころにあった
(あれが……あいつが、来る!)
金子の放った弾丸が陸軍の男の腹部を貫通し、うしろに立っていた子どものピーマン頭に着弾しようとしたその瞬間──気がつけばあの異空間にいた。
肉体の感覚は消え、〝自分〟という境界がはるか遠くまで拡張していった。
(ああ、そうか。わかったぞ。俺が空間のなかにいるんじゃなく、俺自身が空間なんだ)
俺の自我というか魂というか──そういったものが宇宙空間にひろがっていた。しかもかなり広大な範囲に。すくなくとも太陽系を丸々内包できるくらいの広大さはあった。
空間的な拡がりは時間的な拡がりでもあった。何年、何十年、あるいは何百年というスパンのどの時点にも俺は存在していた。ある範囲の時間的領域を同時に認識できた。
〝数万年という時間の拡がりにまたがって存在できる〈彼〉〟
あの悪魔みたいな姿をした宇宙人がいっていた言葉をおもいだす。何万年とまではいかなくでも、俺も百年くらいの時間の拡がりにまたがっていそうだった。だから未来がみえたり過去がみえたりしたのか?
俺の意識は、過去未来の俺の意識につながっていた。未来は運命論的に確定したものではなかった。未来だけではなく、過去の出来事も不確定だった。それぞれの時点で俺の認識している出来事が──大小の幅こそあるが──ゆらゆらと揺らいでいた。
そのなかでももっとも大きく揺らいでいる点があった。俺が高校生のとき──ミナといたあのときだ。
俺は叫んだ。
「絶対にダメだ! 子どもを堕ろしちゃダメだ!」
俺の声は届かない。
「ダメだ! ダメだ! ダメだ!」
× × ×
「やっぱやだよ」俺はいった。
「え」ミナは驚いた顔をしていた。
「赤ちゃんを諦めたくない」
「……でも」
「もちろんミナの夢も諦めない。なにかのために別のなにかを犠牲にするとか、俺はしたくない。それは結局どっちも諦める結果になるから」
「なにいってるの? わたしたちまだ高校生だし──」
「お腹のなかにいるのは俺とミナの赤ちゃんだ。ほかのだれでもない。その子の代わりはいないんだ。だから結婚しよう。俺がミナも赤ちゃんも守る。しあわせにする。絶対に! 今度こそ!」
「……今度こそ? ってなに?」
「え? ああ、なんでだろ? 興奮して変なこといっちゃったな」
「あはは、なにそれ?」ミナは泣きながら笑っていた。
「……」
「ありがと、ヒロアキ。わたしたちをしあわせにしてね」
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