12

 ほぼ毎日ミナに会いにいった。店にいけばすぐに外に連れ出し、俺のアパートですごした。ミナは毎回俺を求めたが、俺はミナを抱くことができなかった。それはミナのせいではなく、俺がずいぶん前から性的不能に陥っていたからだ。


 ベッドのなかで二人寄り添って眠った。しかし朝になると決まってミナの姿はなかった。


 ミナは俺のことを本当に覚えていないようだった。というより記憶に障害があるようで昨日起きたことすらほとんど覚えていなかった。何度会っても毎回初対面のような反応をした。


 ただ〝子どもをつくる〟ということだけに強迫症的に執着していた。ミナもワクチンを打っているから子どもなんてできるはずがない。いままでミナがどんな人生をおくってきたのか──想像したくなかった。




 その日、店にミナの姿はなかった。俺は例の黒服をつかまえると、黒服は面倒臭そうな視線を返してきた。


「おい、今日ミナは休みか?」


「いえ、出勤してましたよ。でもほかのお客様がついたんで。さっきアフターにいきました」黒服は気怠そうにこたえた。


「は? ふざけるなよ。ミナは──」


「うざっ」


「……なに?」


「ミナミナミナって気持ちわりぃんだよ、テメエは!」


「……」


「それにミナじゃなくてアゲハだし。アゲハはテメエの所有物じゃねえっつんだよ」


「お前、だれにむかって──」


「営業妨害な客がいるって相談させてもらいましたよ。柳葉さんにね」


「……柳葉」


「今日アゲハについた客は柳葉さんだ。いまごろちょうどパコパコしてるんじゃねえか? アハハハハ」


「どこにいった!」


「さあな。ここらへんのホテルをしらみ潰しにあたってみろよ。朝までかかっちまいそうだがな」




 店を出た俺は考えなしに以前ミナに連れていかれた安ホテルに向かった。しかしホテルの前まできてこんなことは無意味だと気がついた。


 いったいどうやって二人をみつける? すべての部屋のドアを一室ずつ開けていくつもりか? それともホテルの従業員に訊くか? ──いや、そもそもホテルの従業員らは客の顔なんていちいちみていない。


 俺は携帯電話を手にした。ミナは携帯電話をもっていなかった。だとしたら──通話ボタンを押す。通知音が数回鳴ったあと柳葉が出た。


「柳葉さん、いまどこですか」


「お前ん家だ。待ってるぞ」


「ミナは──」


 電話は切れていた。




 自分の部屋の前で俺は躊躇ためらっていた。この期におよんでミナの心配よりも柳葉に対する恐怖のほうがまさっていたからだ。そのことを痛感し、俺は自分自身を呪った。


 パニック発作の気配があった。ドアを開けた途端パニックに襲われてしまうかもしれない。不安と恐怖で体が固まって動かすことができない──


 ドタンッ!


 部屋のなかから大きな物音がきこえた。俺は反射的にドアノブをまわし部屋のなかに駆けこんだ。


 リビングに柳葉が立っていた。柳葉の足元には仰向けで倒れているミナがいた。その顔は血で濡れていた。


「ミナ!」俺はミナにかけ寄り、体を抱き起こした。鼻と口から血がながし、意識を失っていた。


「おう。はやかったな」柳葉が俺を見下しながらいった。「真田、お前最近たるんでるみてえだから気合い入れにきてやったぞ」


 柳葉はリビングにあった椅子に腰かけた。


「最近あの店に入り浸って俺の仕事もサボってるらしいじゃねえか。ああ?」


「……」


「返事しろよオラァ!」柳葉は俺の背中を蹴った。


「……いえ、そんなことは」


「いい訳ばっかしてんじゃねえぞ」


「すみません……」


「お前にもいいおもいさせてやってんだろ。ちゃんとやってくれよ」


「ミナに……なにしたんですか?」


「ああ? この女か?」柳葉の顔が歪んだ。「こいつ、頭イカれてんだろ。子どもつくろうとか精子くれとかギャアギャア喚いてうるせえからよ、ちょっと黙らせた。俺がこんな汚ねえ女とヤるわけねえだろ、ったくよ」


「……」


 視界が狭まり、色彩が失われていった。


「しかしお前、こんな気持ち悪りぃ女が好みなのか?」




 ──そのあとのことはよく覚えていない。気がつくと俺の下に顔の形が変わるほど殴打された柳葉が横たわっていた。微かだが呼吸はしていた。


 自分の両手をみる。強く握りしめられたまま筋肉がって、手を開くことができない。拳の皮膚が破れて血まみれだったが、その血が俺のものなのか柳葉のものなのか、わからなかった。


 まわりをみるとミナの姿が消えていた。逃げたのか──それでいい。


 俺は床に寝そべった。疲れた──




 ──どれくらい眠っていただろうか。目が覚めると、ここ数年感じたことがないくらい清々しく、頭がすっきりとしていた。


 横にいた柳葉はまだしぶとく生きていた。


(さて、どうしたものか──)


 自分でも不思議なくらい落ち着いていた。


 風呂場にいき、熱いシャワーを浴びた。両手の傷が沁みて痛かった。あたらしい服に着替えて、キッチンでコーヒーを淹れた。


 コーヒーを飲んでいると、電話の通知音がきこえてきた。リビングの床に落ちていた俺の携帯電話だった。


 液晶画面をみると金子の名前が表示されていた。

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