6
一年半がすぎた。
スパイ探しの特別任務に進展はなく、しかし依然として情報の漏洩はつづいていた。
部隊は増員され、私の畑に磯崎伍長が配属された。磯崎の演じる役は〈私が雇用した従業員〉だ。
部隊の指揮官である小杉中尉が現場に下りてくることはない。軍曹である私が現場監督として、現地での細かな調整や突発的なトラブルに対する代理権限をあたえられている。
一方、農作業のほうもすっかり板について、
「岸辺さん。おはようございます」
田畑家と池上家の子どもたちが挨拶をしてくれた。あれから田畑家と池上家の家族とは顔なじみになり(とはいえピーマンヘッドをかぶっている子どもたちの顔は知らないのだが)、良好な関係を築けていた。
「ああ、いってらっしゃい。気をつけてね」
私は最近、自分が軍人であることを忘れている。いまだって根っからの農家のおじさんの気分で子どもたちに挨拶をかえしていた。
田畑家の子どもは、年齢は小学校高学年か中学生くらいでおそらく女の子だ。着ている制服に男女差はないが体つきから女とわかる。
池上家の子は年齢は同じくらい、性別は男だろう。
自分が歳をとったせいか、(自分にも子どもがいたらどんな気分だったのだろう)と、ふと考えていたりする。そんな世界線も──もしかしたらあったのかもしれない。
× × ×
その日も晴天で春らしい日和だった。
午後二時四十二分。田畑家と池上家の子どもが私の畑のよこの道を二人であるいていた。彼らの家とは方向がちがう。一応、確認のために声をかけた。
「寄り道かい?」
田畑家の女の子が答えた。
「はい。ちょっと海がみたくなって」
「気をつけてねえ」
私は二人を見おくった。青春の薫るほほえましい光景だった。
しかし私は軍人としての仕事をしなければならなかった。
「本部。こちら岸辺。どうぞ」
『こちら本部。どうぞ』
「第三班担当地区の児童二人が海にむかった。どうぞ」
『了解。監視カメラにて確認する。以上』
それからしばらくたったときだった。特別警報が鳴った。
『コードC。コードC。各自配置につけ。繰り返す。コードC……』
侵入者ありの警報だ。
「磯崎! 周囲を警戒しろ! 私は子どもたちの保護にむかう!」
「了解です!」
私は道具袋に隠してあったコルトガバメントを取り出し、走った。
子どもたちの姿は十字路でつかまえた。状況が最悪だったのは、侵入者とおもわれる男二人組の姿もそこにあったことだ。
二人組のうち赤いキャップをかぶった男が私に気づき銃をぬいた。
「動くな!」赤キャップの男がさけんだ。
私と赤キャップの男のあいだに子どもたちがいた。位置的にまずい。
赤キャップは二発撃ったが幸いだれにも当たらなかった。私は走りながら地面にむけてコルトガバメントのトリガーを引き、威嚇射撃をした。
なんとか子どもたちを守れる位置まできた。
「君たち! 私のうしろに隠れなさい!」
自分の体を盾にして、子どもたちに射線が通らないようにする。照準を赤キャップの胸元に合わせる。
「失敗だ。引こう」
二人組のもう一人、口髭をはやした男がいった。
「だめだ。目の前にいるんだぞ」
仲間割れ? やはり子ども目当ての犯行か。
この場合、発砲許可の権限は私にある。私は躊躇なく赤キャップの胸に二発のACP弾を撃ちこんだ。赤キャップの男は後方に飛んで、倒れた。即死だろう。
口髭の男に照準を合わせる。
口髭の男はしばらく地面に倒れている赤キャップの男を見下ろしていたが、私と目が合うと両腕をあげて、
「待て! 銃は持ってない!」
とさけんだ。
「両手をあげたまま地面に伏せろ」口髭の男は私の命令に柔順にしたがった。
みれば十字路の真ん中で自転車とともに倒れている女がいた。スーパーでレジを打っている特区内労働者だ。
「怪我は?」
私が女に注意を向けた刹那──油断をした。赤キャップの男の生死確認を怠ったのが誤りだった。
赤キャップの男は物理法則を無視したような不自然さで上体を起こした。まるでB級映画のドラキュラ伯爵が棺桶から起きあがるシーンのようだった。
赤キャップの男は血反吐とともに「ガキがあ!」と怨嗟の言葉を吐いた。そして銃を一発撃った。
──妙な感覚だった。
空間が圧縮したように感じられた。
グロックの銃口から九ミリ・パラベラム弾が発射される様子をスロー映像でみていた。同時に、その着弾点が子ども(おそらく女の子のほう)の頭部であることもわかっていた。
私はとっさに──俺の体を投げだせば射線が切れる──と判断し、実行した。しかしすべてがスローモーションだった。
右腹部に焼けるような痛みが走った。
九ミリ弾が肉を抉りながら私の体のなかを通過していった。しかし勢いはとまらずそのまま背中へぬけた。
(ダメだ)
私の体をぬけた弾丸はピーマンヘッドへむけて一直線に飛んでいった。
弾丸がピーマンヘッドに当たる直前、私の体が──いや、感覚が爆発した。まるでビッグバンだ。体の感覚がどこまでも広がって、自分が銀河と同じくらいのサイズになったような気分だった。
逆に時間は縮んで、何万年という時間的拡がりをひとつの塊として同時に認識できた。
私は宇宙の真理にふれたような気がした。すべてを理解していた。しかしそれも現実世界にもどるまでだった。現実にかえったときにはそれがなんだったのか、もうおもい出せなかった──
現実にもどると右の脇腹に激痛をかんじた。
私はアスファルトの地面に倒れていた。腹部からの出血が多い。内臓か血管が傷ついたかもしれない。
顔をあげる。赤キャップの男は今度こそ絶命したようだ。
うしろを振りかえると、ピーマン頭の子どもが立っていた。しかし立っていたのは一人だけだった。男の子とおもわれるほうだ。
女の子の姿は──頭部を撃たれて横たわっている姿が脳裏によぎったが──周囲をみわたしてもどこにもなかった。
一人のこされた男の子がゆらゆらと体を揺らしはじめた。そして直立姿勢のままおもむろに後方に倒れた。ピーマンヘッドの外殻が地面と衝突して大きな音を立てた。失神したようだ。
私も意識が朦朧としてきた。出血しすぎだ。失神しそうになりながらもなんとか本部に無線連絡をした。しかし本部からの応答を聞くまえに私は気を失っていた。
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