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 私の階級が軍曹になったとき、特区内部での特別任務を言いわたされた。


 最初のブリーフィングの席で、部隊長の小杉中尉がこういった。


「いまでも特区内外の警備、特区内労働者への出入り時のチェックなど、我々陸軍と警察が協力し、非常に高いレベルでの治安維持がなされているとおもう。しかし残念ながら、特区内情報の外部漏洩があとをたたない。上層部では特区内に内通者がいる可能性をかんがえているようだ。


 さらにくわえると、外界で不穏なうごきがみられはじめてきた。一部の運動家のなかにはルサンチマンの捌け口を児童に向けている者がいる。その者たちが特区内の情報を手にした場合、どのような行動に出るか予測不可能だ。


 そこで我々の部隊が編制された。我々の任務は特区内の住民になりすまし、住民のなかに内通者がいないか監視すること。および、特区中心部での不測の事態に対処することだ。もちろんそのために軍人であることを隠して行動することになる。よって、これから各自に特区内での役割ロールをあたえる──」


 わたしには、農業経営者の役割があたえられた。




 特区のなかにつくられた街はだ。すべては特区に住む子どもたちのためにある。


 スーパーの店員も、街中まちなかをあるく老人も、ぜんぶ〈特区内労働者〉だ。かれらはみな、〈街〉という舞台の上で自分の役割を演じている──街に現実味をもたせるために存在する役者たちだ。


 かつてどこかのだれかがこうかんがえた──特区のなかには親と教師しか大人がいない。そんな環境は不自然だし、子どもに悪影響を及ぼしかねない。そうだ! 架空の街をつくってしまおう。そしてそのなかで子どもたちを育成しよう──と。それが特区だった。


 農業経営者としての私は、まず自分の畑がある場所へむかった。


 畑とは名ばかりの雑草だらけの広大な土地を目のまえにして、子どものころアサガオですらろくに育てられなかった私は、途方に暮れた。


 農作業に関する命令は出ておらず、それについては各自で奮励努力せよということなのだろう。


 倉庫にはいろいろな農具や機械があったが、どれがどのような目的でつかう道具なのかもわからない。


 荒れ果てた畑のちかくに一軒家があった。玄関横の外壁にはすでに「岸辺」と彫られた大理石の表札があった。質素な家で部屋数は多くない。


 書斎に入ると本棚に農業に関する本が何冊かあるのを発見した。しかたがないのでその本を読むことからはじめようとおもう。




 私のほかにも十二人の隊員が特区内で住民になりすましている。一人はスーパーで品出しをしているところをみかけたし、別の一人は配達員として段ボールが積まれた台車を押していた。


 私はスーパーで購入した玉ネギの入った段ボールをもって、私の家からちかい子持ち世帯の家を二軒たずねた。というのも、児童の両親に接近しておくことが任務のひとつだったからだ。


 内通者の嫌疑をかけられているのは特区内に入れるもの全員。児童の両親といえども除外されているわけではない。私のリストにあるのは田畑家と池上家という世帯だった。


 どちらの家族も玄関のチャイムを押すと善人そうな男女のカップルが出てきた。


「うちでとれた玉ネギです」と嘘をついて玉ネギのつまった段ボールをわたした。私のことは新しく入植してきた特区内労働者とおもっているだろう。それでいい。




 農家のくせに畑を荒地のままにしていては怪しまれるだろうとおもい、私は本にあったことをまねて雑草の処理をすることにした。


 倉庫には草刈機と除草剤があった。本を片手に作業をした。二週間かかった。なれない作業で疲労困憊だった。


 そのあとも悪戦苦闘しながら、数ヶ月後にはなんとか玉ネギとニンジンを収穫できるところまでいけた。人生ではじめて味わうなんともいえない充実感があった。

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