5
ぼくが目を覚ましたのは病院のベッドの上だった。目を開けたら両親が不安そうにぼくの顔をのぞきこんでいた。
ぼく自身に怪我はなかったが精神的なショックを危惧して一週間の入院となった。父と母が交代で病院に泊まり、ずっと一緒にいて身の回りの世話をしてくれた。
この病院は街で唯一の医療施設でぼくの病室は西病棟の八階にあった。フロアにはほかにも二十部屋ほど病室があったが、ぼく以外の入院患者は一人もいなかった。
病院は海岸沿いに建っていてぼくの病室の窓から海がみえた。カスミと行こうとしていた海だ。もしかしたらカスミもここに入院しているかもしれないとおもい、一度母に尋ねたことがあったが、やはりカスミはいなかった。母はいいにくそうに「カスミちゃんは行方不明なの」とおしえてくれた。
入院四日目に両親以外の訪問者がきた。濃い緑色の制服を着た男の人が一人、病室に入ってきた。軍人だ。ぼくは両親に同席してもらって、その軍人と対面した。
「はじめまして。海軍の田中と申します。本日は面談の許可をくださりありがとうございます。私はソウタさんが遭遇した事件の捜査を担当しております。あの事件についての質問をいくつかさせていただきたいのですがよろしいでしょうか。精神的な負担をともなうことがあるかもしれませんが」
「大丈夫です」ぼくはこたえた。
ぼくは、カスミと海岸にむかっていたこと、岸辺さんに会ったこと、知らない二人組がいたこと、スーパーの女の人がいたこと、銃撃戦がおきたこと、などを田中さんにはなした。
「お話してくれてありがとうございます。それで、ご存知かもしれませんが、田畑カスミさんは現在消息不明です。なんでも結構です。なにか気づいたことはないですか」
「気づいたこと……」
「どんなことでもいいです。たとえ信じられないような奇妙なことでも」
田中さんはぼくの目をじっとみつめた。ぼくの目のなかにある真実を発見しようとでもしているかのように──
「よくわかりません。ぼくはすぐに気を失っちゃったので」
「そう……ですか。では、田畑カスミさんがなにかいっていませんでしたか。たとえば、どこかへ行くとか」
「いいえ。とくに」
田中さんはぼくを問い詰めるようなこともなくすんなりと帰っていった。父と母は田中さんを送るために病室を出ていった。
ぼくが独りになるときを見越したかのようにメッセージがきた。カスミからだった。
〈海にいます〉
という短い文だけがぼくの目のまえの空間にホログラム表示され、浮いていた。
ぼくはベッドから出てスリッパを履いてパジャマのまま廊下に出た。
廊下に人影はなく、ひっそりと静まりかえっていた。病棟中央のナースステーションにはいつもなら必ず看護師が一人はいるはずだが、今日にかぎってだれもいなかった。
ぼくはちょっと迷ったがエレベーターで一階までいくことにした。
一階は外来になっていたが待合所に患者は一人もいなかった。受付にも職員がおらず、出入口に立っている警備員の姿すらなかった。今日は外来が休みなのか。もしかしたらロビーに父や母がいるかもしれないと見まわしたが、やはりいなかった。
ロビーをぬけそのまま外に出た。海岸までの道でもやはりひとに会うことはなかった。
海岸に着いてぼくは後悔した。スリッパのなかに砂が入って不快だった。ちゃんと靴を履いてくるべきだった。
しばらく海岸を歩いてみたがだれもいなかった。スリッパのなかの砂の不快さもあって帰ろうかとおもいはじめたとき、
「ソウタ君」
と背後から声がした。ふりむくとピーマン頭のカスミが立っていた。
「……カスミちゃん」
カスミは行方不明になったあの日と同じ制服姿だった。背中にはランドセルまで背負っていた。
「急にいなくなっちゃってごめんね」カスミがいった。
「どういうこと、なの?」
カスミはすこし考えてからいった。
「ソウタ君は〝神隠し〟って知ってる?」
「カミカクシ? 子どもが消えるやつ?」
「そう」カスミはつづける。「いま子どもがいなくなるっていう事件が多いんだって」
「そんな事件、聞いたことないけど」
「情報規制されているからね。はい、これ」
カスミから画像データが送られてきた。ホログラム・ディスプレイに表示されたのはある記事をスクリーンショットしたものだった。
「それは〈奈落〉でみつけたものなんだけど──」
〈奈落〉とは、普通の検索エンジンではヒットしない、いわゆる闇ネットワークの隠語だ。〈奈落〉にアクセスすることはウイルス感染や情報漏洩の危険もあるし、そもそも違法だった。その記事には〝消える子供たち〟〝世界各地で起きている神隠し〟〝世界政府は情報を隠蔽か〟などの見出しがみえる。
「これは?」
「子どもが突然消えちゃうの。わたしみたいに」
ぼくは混乱していた。以前のぼくならこんな記事は信用しなかっただろう。しかしぼくは目の前で幼なじみの女の子が消える体験をしている。
「どうして」
「うーん、地球の科学じゃまだ説明するのが無理なんだよね」
「地球の科学って……」
「宇宙は広いから」
「……どういう意味?」
カスミはぼくの質問には答えず、ピーマン頭に両手をそえたかとおもうと、突然それをひっこぬいた。ピーマン頭の中からやわらかそうな栗色の髪の毛がふわりと揺れた。三ヶ月ぶりにみるカスミの顔は、ぼくの胸は締めつけた。
カスミは両腕をいっぱいひろげて潮のにおいを吸った。
「気持ちいい!」
カスミは背負っていたランドセルを捨て、靴と靴下を脱ぎ、制服のズボンの裾をめくると、海にむかって走りだした。
「きゃああ!」
カスミは奇声を発しながら海に入った。
「冷たい! 冷たい! あははは」
ぼくは呆気にとられてしまい、はしゃいでいるカスミを眺めることしかできなかった。
「ソウタ君、気持ちいいよ。ソウタ君もそんなの脱いでこっちに来なよ」
「……いや、ぼくはいいよ」
「……そう」
そのときカスミがすこしさみしそうな表情をしたようにみえた。でもそれはぼくの気のせいかもしれない。
カスミはふたたび姿を消した。
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