第11話 舞う車と海から振る星

 俺は静かにアクセルを踏む。ゆるやかに発車してゆく。


 気持ちは今すぐにでも、床が抜ける程に踏みたい処だ。けれどこんな街中で、そんな愚行ぐこうは決してしない。


 誰に言われた訳でもない自分ルール。これから間もなくルールを犯す。しかしマナー違反はしない。


 海から市街に向かうには、傾斜けいしゃのキツい上り坂が待ち受ける。


 此処でもシフトダウンし、回転計タコメーターを右の方まで回し切れば、充分な気持ち良さが得られるのだが、そんな不粋ぶすいな真似はしない。


 此処は、俺自身を暖機運転ウォーミングアップする区間だ。


 途中、自分の母校『鹿屋かのや体育大学』の前を横切る。キャンパス前とは認めたくない程、何もないのが悲しい。


 そして国道220バイパスへの分岐ぶんきを左へと入る。


 この道は比較的新しい道で、この辺では実に珍しい片側2車線だ。


「この辺は割と大きな店が多いんだね」

「まあな。だけど、大したもんじゃないよ」

「そ、そっか……」


 そう、大した事はない。それにこんな道で速く走れても、ちっとも楽しくはない。


 俺はさっさと右折して、この道路に別れを告げると、鹿屋城跡の公園の脇を抜け、トンネルをくぐり抜ける。


 昔ながらの鹿屋のたたずまいと、中途半端な都市開発で引っ張り出した大型スーパー、さらにテナントが空のビルがある。


 古い鹿屋の道路をゆっくりと進む。祓川はらいがわという地域を抜けると、民家どころか街灯や信号すら姿を消し始める。

 深夜0時半。すれ違う車もほとんどいない。


 だけど道路は未だに比較的広く、登ってはいるがほぼ直線の道が続く。一応それなりにペースを上げるが、俺の目的地にはまだ少し距離がある。


 左脇が真っ暗になる。鹿屋を肥沃ひよくな大地に変えてくれた大隅おおすみ湖だ。灯りのない深夜の湖というのは、何か出そうな雰囲気がただよう。


 里菜りいなはほぼ無言で、俺の手足の動きと顔つきを交互に眺めている様だ。何故かその顔は落ち着いている。


 左にそれると県道72号線の分岐点が現れる。俺の求めていたは、もう間もなくだ。


「里菜、そろそろ本気で走り始める。特に次に右折した後の区間はせまくて危険だ。今のうちにシートを前に出して、両脚で踏ん張るんだ。とにかく揺れるから覚悟してくれ」


「う、うんっ、判った」


 まだもう少しゆるやかだが、事前に覚悟の要求をする。何で連れてきたという後悔と、何故かいつもよりはずむ心が同居する。より真っ暗な道が始まる。


 しかし俺の目…いや、脳裏と言うべきか。まるで昼間の様にコーナーの先が見える。


 鬱蒼うっそうとした森を抜け、遂に本命の道に入る。上り傾斜、コーナー、共に厳しい区間がいよいよ始まる。


 俺はシフトダウンする。減速の為ではない。加速の為に傾斜に合わせているのだ。


 もう真っ直ぐな道は無いに等しい。タイヤがグリップの限界を超え滑り始める。それでいいんだ。俺はワザとタイヤを滑らせたまま、右に左に曲がり始める。


 それでなくても背の高いこの車は、限界が低いのだ。ゴムの焼ける匂いが漂う。


 次、インベタの後、全開行ける。

 3つ曲がったら、対向車とすれ違う。

 次のコーナーは、インに付けるな。落ち葉が酷い。アスファルトもげてるぞ。


 まるで俺の中にラリー競技のナビがいる様だ。何度も走っている道とはいえ、速度が法定の倍はゆうに超えている。だけどとても乗れている。


 里菜は拍子ひょうし抜けするほど落ち着いている。ライトが照らす紅葉を楽しむ余裕すらありそうだ。


 途中、風力発電用の風車を見かけると、楽し気に笑ってさえいた。


 んっ? 紅葉に風車…。勿論存在は知れていたが、これまでは、まるで気にしなかった。


 ともかく約4km程の行程を信じられない程に心地良く、登り切ってしまった。


「これが友紀ゆきくんの本気の走りか。とても素敵なだったよ」

「舞いとは、君は何でも洒落しゃれた事を…」


 本当に楽しかったらしい。闇の中でもその青い瞳が輝いて見える。次に里菜は頂上にそびえるものを見つけて驚く。


「う、うわぁ…あ、アレは何?」

「ふふっ、変わってんだろ? 『輝北天球館きほてんきゅうかん』って言う天文台だな。残念ながら今の時間は入れないが」


 天体望遠鏡を収める天体ドームに、それよりもずっと目立つラグビーボールの様なものがくっついている何とも形容けいようしがたい白い建物だ。


 俺は星を語る様な情緒は持ち合わせちゃいない。けれどもこの建物を見せた時のリアクションが好きで気に入った人だけ連れて来る。


「ま、そもそも空が曇ってるから、星なんか見えないけどな」

「ううんっ、この建物を見るだけでも来た甲斐かいがあるし、それになら」


 笑顔で里菜は、夜空ではなく西側の下の方を指す。


「ああ、桜島の脇から見える鹿児島市内の夜景な。ま、それなりだろ」

綺麗きれい……とても素敵よ」


 里菜は微笑みながら俺に背中を預けてきた。逆らわずにその肩を抱く。


友紀ゆきくん……わ、私、貴方に沢山たくさんうそをついてるの」

「ん? だから無理してまで言う事ないって」


「良いの、言わせて。私もたくなったから………リスベギリアト・フェニス、さあその翼を広げなさい私の中の『不死鳥』 」


 里菜は俺に抱かれたまま、自らの胸に手を当てて、中に呼び掛ける様にその言葉を発した。


 その愛しい背中から折りたたんだ白い翼が現れたかと思いきや、それは燃え上がり、炎の翼と化した。


 とても暖かいが俺や周囲が燃えたりはしない。


「り、里菜っ!?」


「私は確かに鈴木里菜。けれどその名は、この女性ひとが海に落ちる前の名前を引き継いだの。私は貴方達がシチリアと呼ぶ島から、不死鳥の『輪廻転生りんねてんせいの術』を使ってに流れ着いた」


「き、君は一体……」


「東京から来た鈴木里菜は、に死んでしまった。この術は亡くなった方の身体を見つけ、術者が望む世界と時間に行けるもの。でも、全く望んではいない処へ文字通り流れ着い……うんっ?」


 里菜の解説を邪魔するスマホの着信音。俺が車の中に置いてきたんだ。誰だこんな時間に……孝則たっくん


「もしもし、おぃ、どうした?」

「す、すまねえ友紀。俺のめいっ子が大変なんだっ!」

「お、落ち着けっ ちゃんと説明しろ」


 俺の慌てる姿を見て、里菜も此方へやってくる。孝則は一呼吸置いてから再び喋り始める。


「市内に住んでる俺の兄貴が馬鹿をやった。鴨池港かもいけこうに夜釣りに出掛けた。それはいい。けれどまだ4歳の歌奈かなちゃんを連れて行った」


「ああ、それで?」


「歌奈ちゃんは、真っ暗な海に滑って落ちたっ! それっきり姿が見えねえんだっ!」

「な、なんだと!?」


 それを聞いた里菜は、再び鹿児島市の方を見つめる。俺も鴨池港の辺りを眺めた。こんな時に雨が落ち始める。予報より1時間も早い。


「ほ、本当ホントにすまねえ…。こんな事言われたって困るよな。で、でも何故かお前にかけちまった」


「いや、孝則。信じられない位に最高の判断だ。歌奈ちゃんを助けられるのは、輝北此処にいる俺と里菜しかいないっ!」


 俺は、至極集中して見続ける。やがて照準が合い始め、鴨池港の様子が手に取る様に見えてくる。


 い、いたっ、沖の突堤とっていのテトラに女の子が流れ着いてるっ! でもあの小さな身体で登る事は出来ないだろう。

 雨も降っているし、最早一刻の猶予ゆうよもない。


「ゆ、友紀…お前、一体何言って…」

「里菜っ! 飛べるよなっ! 鴨池あそこまで!」


 里菜は力強くうなずく。しかしこうも告げる。


「ただ、私の目ではその子を見つける事はおろか、港すら判別出来ない。だから友紀くん、一緒に飛んで。貴方の見えてる世界が必要な時よ」


「で、出来るのか?」

「うんっ、それは全く問題ない」


 そして里菜は後ろから抱きしめる様に要求する。羞恥心しゅうちしんは、もう互いに存在しない。


「お、おぃ…そこに里菜って子もいるのか?」

「孝則、詳しい事は後で話す。とにかく俺達を信じてくれっ」


 俺はそう言って電話を切った。


「良しっ! 里菜っ、俺の指示通りに飛んでくれ。俺に構わず全速力だっ!」

「分かった、任せてっ! 鈴木里菜、目標を救助するっ!」


 里菜の炎の翼が雄々しく広がる。少しだけ羽ばたくと、猛禽類もうきんるいの様に鋭く跳び出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る