第8話 灰からいづる蒼き優しさ

 道の駅・たるみずにて、海鮮丼を昼食にした俺等一行。

 桜島の事故処理もあらかた終わり、通行止も解除されたという事なので、遂に本命桜島に向かい舵を切る。


 国道220号線を少しだけ西へ戻る。眼下に映るのは、桜島と大隅半島此方側に挟まれた異様に緑色な海。


 今、俺達は桜島を北東から見ている事になる。眼下に広がる緑色は、崖によってせき止められているのだ。

 道路の標識には、直進で桜島港、左折で日南にちなん鹿屋かのやと記載してある。

 

 この標識と視線の先へ真っ直ぐに伸びる道路を見て、鹿児島に明るくない里菜りいなにも、ようやく理解が出来た様だ。桜島が陸続きだという事に。


 緑色の海は、陸続きの桜島と、大隅半島此方側が繋がってる根元というべき所に凝縮された海の色なのだ。


 さて、遂に桜島の南側の根元と言える所に復帰した。ハンドルは直進のまま、国道220号線から国道224号線に名称が変わる道路に入る。


「え? な、何ですか、これ……」


 周囲の異様な光景に里菜が驚く。沿道に出現する巨大な岩石が無数に折り重なって出来た地面。それに負けじと生えるクロマツの森。


 初見なら誰でも同じ反応をする場所だ。


「大正…いや、1914年に起きた大噴火の後よ。1年以上続いた火山活動は、大量のマグマや火山灰を放出し、本当に島であった筈の桜島を大隅半島と陸続きにしたの。この『溶岩道路』は、その上に作られたものよ」


「………」


 里菜は、語彙力ごいりょくを失ってしまい、ただその青い瞳に惨事さんじの跡を映している。


「ちょ、ちょっと待って下さい。そんな危険な所に行って、本当に大丈夫なのですか?」


「ああ、今でも多い時は1日に4・5回は噴煙を上げる」


「でもね里菜ちゃん。こんな場所にも漁師や農家、そして客人を迎えるいとなみがあるのよ」


 俺と姉貴の返答に、里菜は耳を疑い、さらに目を丸くする。


「た、確かにバス停もありますね。では、厚みのあるコンクリートで出来たあの屋根は……」


「そう、万が一の際に身を隠すの。他にもトンネルの様な避難施設が、数多くあるわ」


「わ、分かりません。なんでそんな所に人が住むのか……」


「有り得ないって感じるよね。でも、人って生まれ故郷を捨てるよりも、そこで力強く生きてゆくすべを考える人が多いのではなくて?」


 姉貴の言葉に里菜はハッとする。何か自分と重なるものを感じたのだろうか。


「あと、これもネットの受け売りだけど、この鹿児島湾とその周りの大地そのものが、『阿多あたカルデラ』と呼ばれる約11万年前に起きた火山活動で今の形になったと言われているの」


「か、カルデラって火山の噴火で出来る湖や盆地……」


「そうだ、その途方もない火山活動により、大量に放出された火山灰で出来た地面が、俺達が住むシラス台地。そしてそのくぼみ側の方が鹿児島湾って訳だ」

「…………」


「特に阿多北部カルデラがあるといわれているのが、最初に俺達が出会った荒平天神あらひらてんじんの沖辺りらしい。その水深は一番深い所で237mもあるんだ」


「えっ! そ、そんなに深いんですか?」


「だからあの周辺の岩場からは、豊富なミネラルが流れ出し、今でもあの独特の海の色を作っている。これは俺の勝手な想像だけどな」


「ねっ、って事は、この桜島もただの危険な場所ではなく、むしろ自然が与えてくれた大地の一部。私達はそう思いたいんだ」


 里菜は、俺と姉貴の言葉を真摯しんしに受け止め、心の中で噛みしめている様だ。


 その後も俺達は、知る限りの桜島の事をを語り続ける。


 桜島に点在する小さな港群。それぞれに番号が付いている。桜島港の直下に位置する『赤水あかみず港』が1番目。


 これらの小さな港は、ただの漁港としてだけでなく、非常時にはフェリーを接岸させて避難させる為に作られている。その数、実に22に及ぶ。


 この場所に住む人々の備えと覚悟がうかがい知れる。


 一方で、巨大なかぶの様な形をした桜島大根や、世界最小と言われる桜島小みかんなどの名産品を世に送り出している。


 此処に住む人達は、ただ諦めて流されている訳じゃない。苦労の中にもきっと感謝を秘めているからこその営みが、確実にある筈なんだ。


 それにしても俺と姉貴は、どうして外から来た里菜相手に、これ程までムキになっているのだろう。


 そもそも俺等自身が、この仕組みの矛盾さを理解したいと思っている事を伝えたかったからなのかも知れない。


 土着どちゃくという俺の嫌いな言葉がある。この有り得ない場所に住み続ける事だ。


 そういう俺や姉貴も、桜島の灰に埋もれた地面の様に、地元に根を張る土着の民だ。


 けれどだからこそ、里菜と出会い、今こうして共にいられる。


 祖国イタリアを離れ、東京に住んだものの、馴染なじめずにいる彼女にも、俺達のこの想いを感じて欲しい。


 そして桜島ここで強く生きる人の想いが、彼女の暗く落ち込んだ人生に、少しでも力を与えてくれたらと、願わずにはいられないのだ。


 こうして少し小難しい話をしながら、自然の驚異と美しさが同居する桜島の周回道路を進んでいく。


 途中、桜島の中で一番標高が高い展望台と言われる『湯之平ゆのひら展望所』で、記念撮影をしようという話になり、車を停める事にした。


 標高は373m、約4合目付近らしい。2階建ての建物に展望室がある。

 しかし車を駐車する最中から、その何者にも負けぬ姿に圧倒される。


 せっかくだから展望台の中にも入る。階段の周辺には、桜島26000年の歴史が描かれている。


 2階に上がると床には桜島全体像が描かれている。これを見ても火口のすぐ近くに集落がある事が分かる。


 そしていよいよ、外が見渡せるベランダへと足を運ぶ。西側には対岸の鹿児島市と、そこを行き交う桜島フェリーが、海をき分け白波を起こす姿が見える。


 南側に目を移すと、何処までも青い鹿児島湾。対岸の南端には、別名『薩摩富士さつまふじ』と呼ばれる開聞岳かいもんだけがそびえ立つ。


 この景色を見るだけでも充分に価値があるのだが、やはりに東側、すなわち桜島そのものを見なければ始まらない。


「うっうわぁぁ……」

「ハァー……」


 里菜と姉貴が、その荒々しさに溜息交じりの声を上げる。


 真ん中から頂上までは、草木が一切生えていない。エッジの効いた深い谷が、周りを寄せつけない迫力がある。


 一方、ふもとの周辺は、よくぞこの過酷な環境でと、思える程の緑が茂る。


「す、凄いです……」

「ああ、これは語彙力ごいりょくを失うな。何を言っても薄っぺらい気がするよ」


「で、でも私……少し解った気がします」


 ここで里菜は桜島に背を向けて、俺に対峙する。


「な、何を?」


「皆さんの事をです。この山の頂上の様に時に厳しく、でも麓の緑や青い海の様に大らかな気分で私に接して下さるその様は、まさに桜島此処を心に秘めているからなのだなあって感じました」


「そ、そうかなあ? ま、まあ、ばあちゃんは、そうかも知れんが、俺や姉貴はそんな偉い生き方してないぞ」


 軽く否定する俺を、里菜はまぶしい笑顔で返してくれた。


「おぃ、そこのお二人さんっ! 写真撮ってあげるぅぅから、そこに並んでぇぇ立ちなよぉぉ。ほらっ! スマホ渡しなって!」


 姉貴が途端に変声を出して、俺のスマホを要求する。今度は何を意識しての喋りだろう。


「駄目じゃないかくん。もっとぉぉくっついてくれなきゃ撮らないよぉぉ!」


 ……実に面倒くさい。大体誰だユキオって? ちなみに里菜は、腹を抱えて笑っている。


 一体何処にツボったのだろう……。


 里菜は、笑い転げるその先に、まるで俺がいたかの如く、その身を預けてきた。そしてそのまま左腕を取り、勝手に絡ませるではないか。


 り、里菜……さんっ!?


「おぉぉぉ、いいね、いいねぇー。はい、そのまま、こっちに目を頂戴なぁー。あ、次は見つめ合ってみようぅかあぁ」


「はぁっ!?」

「こ、こう…ですか?」


 りりり、里菜さんっ!? えっ? 最早俺もやるしかないんだが、それはっ!?


「昨夜添い寝したし、これ位は今さらじゃない…ですか?」


 里菜はさらに顔を近づけ、小声で言い寄って来た。しかしこの図式。はたから見たら完全に以上を2人だよ?


 ほら、ご覧なさいよ、あの姉貴の顔を。"リア充爆発しろッ!"…って書いてある。


 とにかく散々俺達を被写体にした姉貴。取り合えず満足したのか、スマホを返してくれた。


 そしていつの間にか購入してた、桜島小みかんを里菜に渡す。


「さあて、私もあそこにいる男でも逆ナンしてみっかあ……」


 姉貴は肩をブン回しながらそう言い残し、その場を後にした。


「ゆ、友紀。私達も少し、外出て歩かない?」


 里菜は再び腕を組み、上目遣うわめづかいで此方を見てきた。


 その圧倒的な破壊力に、俺は最早……考える事を止めた。

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