第7話 甘い天使の唇
翌朝、
「おはよっ、里菜ちゃんっ」
「お、おはようございます。すっかり寝坊してしまいました…」
「いやいや、ゆっくり眠れた様で何よりだよ」
俺も全くその通りだと思う。里菜が思い詰めた己の心を、俺達と交わる事で、少しでも溶けてゆくものが、あるのだとしたら嬉しい限りだ。
朝食と朝の準備を済ませると、俺は姉貴と里菜より、少しだけ先に外へ出て、エンジンの
そこへばあちゃんがやって来る。
「ゆっちゃん、今日も
「え…いや、里菜は、ともかく俺達まで…」
「気になるんだよ、
いつになく真面目な顔で耳打ちしてくる。俺が里菜に感じる違和感。ばあちゃんも感じていたらしい。
「だからさ、ちょっと見てやろうと思ってね」
と、言われた処で姉貴と里菜も現れた。ばあちゃんは、俺に向かって
昨日と同じ位置に俺達は着座する。空は秋晴れ、今日も絶好のオープンカー
食べ切れない程のお菓子と飲み物を渡される。
俺は静かにアクセルを踏む。皆でばあちゃんに手を振った。
ばあちゃんと
里菜のいる左側には、ひたすらに海が広がり、対向車線側には、
※火山噴出物からなる台地。水はけが良すぎて土砂災害を起こしやすい。鹿児島本土の実に52%を占めている。
チラホラと店も見かけるが、特にここらで気になるものと言えば、100本近いアコウ並木※と、小さな港がいくつも連なり始める所ではなかろうか。
※クワ科の半常緑高木。巨木になると、まるで細い無数の木が、絡まり合って
里菜はその手のものを見つける度に反応し、笑顔になりつつ指を差す。自分等、地元民にとっては、正直言って気にもならない所だ。
だが外から来る人にしてみれば、こうも違うものなのか。
此方まで新しい発見をした様な気分になり、中々に楽しい。
でもこれって恋なのだろうか? こんな俺にも2年前には彼女がいた。勿論好きだった…多分。
けれど
途中、鹿児島市に渡る垂水フェリーターミナル入口の看板が見えてくる。
これは正直、今の里菜には見せたくないなと思ったのだが、意外と薄い反応だった。
「ところで
「へへぇー、それはお楽しみって事で」
車は垂水の街を過ぎ、ヤシの木が等間隔に植えられている場所までやって来た。目指す桜島はもうすぐだ。
んっ!? なんだこれ? 俺の脳裏に
「ど、どうしたの
「あ、ああ、勿論判ってる。ただ、たった今、どうも事故があった様だ。通行止めになるらしい。だから道の駅で
「じ、事故? そんな電光掲示板あったかしら……」
そうなのだ。確かにそんな表示はなかった。ついでに言えば、この車にはナビもなく、俺はスマホで道路情報を調べた訳でもない。ラジオだって聞いてはいないのだ。
だけど俺は確かに見た。桜島の南側、複数台の衝突事故の映像を。
サッカーをやってる連中は、フィールドを上から見ろってよく言われる。
いわゆる”バードアイ”って奴だ。
けれど、これはそんなレベルじゃない。まるで違う星……月から此方を見ている様な……。俺は頭がおかしくなったのだろうか。
……って言うか、そもそもなるらしいって言った? それだと見えてるの意味すら変わるぞ。
とにかく車を『道の駅・たるみず』に入れる。西側にある桜島を一望出来る海沿いの大きな足湯が特に名物だ。
俺は早速、靴下を脱いで、足湯に
「んっ? どうした? こっちで一緒に浸かりなよ。ひょっとして足湯は初めてか?」
「は、はい……そうですね」
「ま、やってみりゃ判るって」
里菜も俺を真似てみる。約1分後といった処か。彼女の顔がとろけた様に
「こ、これは……気持ちぃぃ~。足だけお風呂に入れるのが、こんなにいいものだなんて。しかも目の前には、綺麗な海と桜島……な、なんて
「だろっ? ここは俺も大好きなんだ。足湯もだけど、何より
俺はいつになく
そして里菜は、
大人っぽさと子供っぽさが、同居している姿が何とも言えず愛らしい。
そこにニヤニヤしながら、姉貴がやって来た。
「そこのお二人様。名物のソフトクリームは、如何でございましょうか?」
晩秋とはいえ、足湯で
「里菜、ここはお先にどうぞ」
「あ、ありがとう。ええと、じゃあそちらの緑の方を」
「鹿児島緑茶ミックスですね。ありがとうございます、素敵なお嬢様」
「俺は、
「とんでもございませぬ。お気に召して頂き、この
さっきから姉貴は何かを演じている様な口調なのだが、微妙過ぎて正直良く判らない。どこぞのイケてる執事様……辺りだろうか。
「ところでさっき店員さんに聞いてきたんだけど、確かに2台の正面衝突と、それに巻き込まれた1台の玉突き事故があったばかりみたいね」
「………!?」
「こりゃあ撤去するまで暫くかかりそうよ。まあ、ちょうど昼時だから、ここで海鮮丼でも食べてゆっくりしましょ。じゃ、また後で。私ちょっとこの辺回ってくるから…」
そう言って姉貴は何処かへ消えてしまった。それにしても驚いた。姉貴からの事故報告。まさに俺が見たビジョンそのものだった。
「うーっ! 緑茶の苦みと甘みが口の中に広がって、さいっこうに美味っ!」
里菜の食レポに、俺の意識は
「………
「は、はいっ!?」
「あのう、もし良かったら少しだけ取りかえっこしませんか?」
俺はまたも気持ちを見透かされたのかと思い、大変ドギマギした。さらに里菜のこの提案だ。可愛い子と食事をシェアするというリア充な行為。
やっぱり見透かされたのではなかろうか……。
「お、おぅ……」
「じゃあ……はい、どうぞ」
互いのソフトクリームを入れ替える。たったそれだけの事なのにこの胸の高鳴り。俺…多分、顔が赤い。
里菜も火照って見えるのは、足湯のせいか、それとも似た様な想いなのか。
そして俺は里菜の小さな口に寄せられる食いかけの
「あ、あっまーいっ! ちゃんと枇杷の味がしますね。って言うか枇杷って千葉県のイメージがありました」
「そ、そう、なんだ。ま、まあ、何処にでもありそうだよな…」
物凄く不謹慎だが、枇杷のイメージなぞどうでも良かった。今度は俺の手に渡った緑茶ソフトよ、君の出番だ。
……うんっ、そう…だよね。もう緑茶も枇杷も関係ない。味なんて頭に入って来ないさっ!
「楽しい……。本当に楽しくて幸せですね。ずっとこんな時間が続けばいいのに」
「あ、う、うんっ。そ、そうだな」
俺はその場の雰囲気って奴に全てを
ずっとこんな時間が続けば……。心の声が聴けずとも、その想いは重なり合った。
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